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深淵少女シマモモコ 作者:雨宮ヤスミ

[五]精神の安定

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5-6

「何でそんなこと決められなきゃなんないの!?」
 

 鱶ヶ渕の駅前には小さな、しかし特徴的な像が建っている。この像は地域の待ち合わせスポットとして利用されいた。鱶ヶ渕の中高生が「駅前」と言えば、この像の辺りということになっている。

 若草エリイはこの場所で人を待っていた。日曜日ということもあって、人通りは多い。待ち人に似た姿を人混みの中に見つけるたびに、エリイは髪をいじり、スカートのしわを気にした。

 今日はエリイなりに、精一杯大人っぽい格好をしてきたつもりだ。空井ヒメに見立ててもらったコーディネート、「彼」は気に入ってくれるだろうか。かわいいと言ってくれるだろうか。期待半分、不安半分だ。

 それにしても、遅いな。エリイは携帯電話の時計に目を落とす。中学入学の折りに、無理を言って買ってもらったものだ。何かあったんじゃないだろうか。電話した方がいいのかな? でも、きっと怒るだろう。そんなこと、求めてないだろう。すっぽかされたのかな? やっぱりあんなことで付き合い始めたから、よくないのかな……。

 エリイは前髪のクローバーの髪留めに触れた。一秒ごとに不安はふくれて、胸がはち切れそうだ。いけない、こんな時ヒメならどう考える? いや、ヒメを待たすような男なんていないか……。

 やがて、待ち合わせ時間から十分ほど遅れて、「彼」はやってきた。
 金に染めた髪に緑のキャップを斜めにかぶせた、十代後半ごろの男だ。いわゆる「イケメン」の部類に入るだろうが、長い前髪と唇に開けたピアスに威圧感がある。どこか刃物のような危うい印象の青年だった。

「おう、行くぞ」

 待たせたことを謝るどころか、申し訳なさをかけらも見せずに、「彼」はエリイの腕を取った。

 エリイは待たされている間どれだけ心細かったか、訴えようとして止めた。それはきっと、「彼」の聞きたい話ではないから。大人の女はそんなことしないのである。

 二人はまず、昼食を摂るためにファーストフード店に入った。見慣れた内装も、今日のエリイには特別に思えた。

 「彼」はセットに追加でもう一つハンバーガーを頼んだ。ガツガツと頬張りながら、自分の話をした。

 高校を一ヶ月で辞めたこと、中学三年間で五人のクラスメイトを学校から追い出したこと、その内一人は自殺したこと、無免許で車を運転していること、ビールが最近おいしくなってきたこと、反社会団体に知り合いがいること……。

 相変わらず、とエリイは思う、顔をしかめたくなるような話ばかりだ。「彼」は誇らしげで楽しげだけれど。

 「彼」はつぶれたタバコの箱をポケットから取り出し、エリイにライターを渡す。エリイが「彼」のくわえたタバコに火を点けると、満足そうに煙を吐いた。

「うまくなったじゃん、ライター」

 最初はビビってたのに、と「彼」は笑う。

「練習したから」

 煙のにおいにはなれないけど、とエリイは心中で付け加える。

 エリイの両親はタバコを喫わない。父は昔喫煙者だったらしいが、エリイが産まれるのを機に止めたのだそうだ。

 もしあたしと「彼」が結婚して子どもが産まれても、きっと「彼」はタバコを止めないだろう。ほとんど確信したように、エリイは思っていた。

 ファーストフード店を出て、ビリヤード場へ向かった。

 そこは駅の南側に建つ雑居ビルで、何だか薄暗い。これが大人の雰囲気なのかな、とエリイは思うことにした。

「お前、やったことある?」

 エリイが首を横に振ると、「まずは構え方からな」とキューを手渡してくれた。

「ボールの真ん中らへんを撞くんだよ」

 「彼」は背中越しに、エリイの腕に触れた。呼気が背中にかかり、タバコの苦いにおいが強くなる。伝わってくる体温にエリイはどぎまぎした。

 どうにかエリイもボールにキューを当てられるようになってきたころ、「ジャンプショットを見せてやる」と「彼」はボールと台の間にキューの先を潜り込ませた。だが、ボールはまったく跳ねない。だから何度もやった。

 「ジャンプショット禁止」の張り紙が台の側面にあるのを見つけて、エリイはもやもやした気持ちになった。

 結局怒られはしなかったが、会計の時は冷や汗をかいた。結局最後までジャンプショットは成功しなくて、「彼」の機嫌も悪かったし。

 それから二人はカラオケへ行くことになった。ビリヤード場からほど近い雑居ビルの中にある、やはり薄暗い店だった。

 エリイの知るカラオケ店というのは、南側でも駅の近くにある、メジャーなチェーン店だ。そこは明るくにぎやかな印象なのだが、ここは店構えからして怪しげに見える。

「どうしたんだよ、行くぞ」

 「彼」はエリイの手を取った。引っ張られるようにして中に入る。
 受付の店員は茶髪を短く刈り込んだ大柄な男で、「彼」の顔を見ると、「おう」と横柄に挨拶した。どうやら知り合いらしい。

 店員はエリイの顔をまじまじと見つめる。品定めをするような目付きに、エリイはたじろいだ。

「切っとけよ」

 「彼」が、店員の男にそう囁くのが聞こえた。強面の顔をにやりと歪めて、店員はうなずいた。

 切っとけ、って何を? エリイの胸に不安がよぎる。

 薄暗い店内、個室に二人きり。心の中で結論は出ていたが、目をそらすことにした。

 早すぎる、ってことはない。狭い廊下を「彼」の後について歩きながらエリイは自分に言い聞かせる。大人になるって、そういうことなんだから。

 部屋の中はタバコの臭いが充満していた。二人は破れ目のあるソファーに隣り合って座った。

 「彼」はマイクなどには目もくれず、エリイの手に触れる。反射的に体を引くと、「彼」は強引に抱き寄せた。

「分かってんだろ?」

 「彼」は耳元でささやく。呼気が耳から体の底に突き抜け、震えた。そうだ、何をびくついてるんだあたしは。

 エリイは「彼」と唇を重ねた。目をつむり、タバコのにおいを我慢して舌を受け入れる。へその下が熱くしびれる。

 顔を離して、目を開く。「彼」は潤んだような目でエリイを見ていた。

 このまま。エリイは「彼」にその身を委ねようとした。

 その時、視界の端に入っていた部屋のテレビに「それ」が映っているのが見えた。真っ白い背景の中心に、落書きのような目鼻口……!

「ぱ、パサ……!?」
「あ?」

 突然悲鳴を上げたエリイに、「彼」は眉をひそめた。

 テレビに大写しになった、「エクサラント」の毛玉は、むにょりと画面から出てくる。そして瞬時に「彼」の背後に移動し、その尾で後頭部を殴り付けた。

「あがっ!?」

 情けない声を漏らし、「彼」はうつぶせに倒れた。

「……ちょ、ちょっと!」

 想像だにしていなかった光景に、エリイはそう言うのがやっとだった。

 パサラはいつもと変わらぬ様子で体を揺する。妙に得意気に見えるが、気のせいだろう。

『何をしたって結構だがね』

 やれやれ、と言うように体を横に振る。呆れているようだ。

『貞操だけは守ってもらえないかなあ……』
「て、テーソー?」
『不純な異性交遊は控えろ、ということさ』

 エリイは顔を赤くした。改めて第三者から言われると、恥ずかしくなる。

「なな、何でよ……」
『「ディストキーパー」としての心得だよ』
「心得!? 心得って何よ!? 子どもはそういうことしちゃいけないワケ!? 何でそんなこと決められなきゃなんないの!? あたし達だってあい……」

 エリイはふと口をつぐむ。あい、愛し合っている、のだろうか? あたしが先にやり方はどうあれ「彼」を求めて、そして「彼」も今わたしを。だけど、「彼」が求めているのは体のことだけじゃないのか?

 エリイは気絶した「彼」を見下ろす。とても、言えなくなった続きなんて出てこないのだった。

『あい?』
「その……」

 ふう、とパサラは珍しくため息をついて見せる。

『人間界の倫理観は知らないけどね』

 そう前置きしてパサラは丸い目でエリイを見据える。

『いいかい、エリイ? 「ディストキーパー」になったことで、君の体は常人より頑丈になった。けれど、常人とは違う繊細さを持つようになったんだ』
「え?」

 急になんだ? 話が見えない、とエリイは眉をひそめた。

『アキナの暴走は身に染みているだろう? 君もああなる気かい?』

 暴走、と言われてあの恐ろしい炎に包まれた姿と痛みが蘇ってきた。

「そ、それってつまり、えっ、その、したら、暴走するの?」
『そうなるね』

 そう言われては、とエリイは大きく息をつく。

「最初に言ってよ、そんな大事なこと……」
『今、性交が必要な年齢ではないから、優先度は低いと思ってね、省いただけだよ』

 必要な年齢ではない。

 ざくりと刺されたような気がした。「早いなんてことはない」というあやふやな武装は、簡単に貫かれた。

『危険がないようにその彼の「インガ」は改変しておいたから。君とことに及ぼうとはしなくなったよ』
「ちょ、それってその……」
『不能にしたわけではないから、君以外の女の子については、する気ならするんじゃないかな』

 そんなの、浮気され放題じゃないか。エリイの抗議を待たずに、パサラは早戻しのようにテレビの画面の中へと消えてしまった。

 エリイは途方に暮れて座り込んだ。「彼」は起きる気配がない。最悪だ、としみだらけの天井を見上げてつぶやいた。
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