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 守るための力を求めて、二人はただ力を求める。
 互いに向かう先が違っても、守りたい心は違わない。
〔六十四話〕 変わる力、変わる心
 今までは精神力だけで支えていた肉体。その限界を超越してでも引き出すことをいとわなかった超反射は、使い続ければ自らの肉体をゆっくりと侵食し、最終的には肉体の寿命を極端なまで縮めてしまうという。

 昔の真紅にとってはそんなことはどうでもよくて、ただ敵と戦うことができるならそれでいいとさえ思っていた。しかし今は、京や仲間たちに心配をかけるわけにはいかなくなっていた。

 誰かの考えを気にして生きるなど、今までの真紅には信じられないこと。それでも彼は、自らの変化をいい方向に受け入れていた。

 誰かのために戦うことを、真紅はいつも目指していた。それがいったいどういう意味を持っていたのか、今でも正確なところはわからない。でも目指しているものに少しでも近づけているのなら、それは素晴らしいことではないだろうか。

 目的のためにも、自らの力を正確に理解しなければならない。だからこそ彼女の、恵理の申し出を受け入れることに決めたのだった。

「えっと……最初に言っておくけど、私自身もあなたの力を正確に理解しているわけじゃない。だから私のやり方が本当に正しいのか、本当に効果があるのかはわからない。それでもいいなら……」
「かまわない。それを承知でここにいる」

 やれやれと肩を落として、恵理はその長い黒髪に手ぐしを入れる。さらさらと風になびくように落ちゆくそれは目を奪われるには十分なものだったが、生憎と山奥育ちが長かったため通常の美的感性は欠損しているようだ。

 彼女の手にはめられた黒いグローブ。両手を前に突き出した彼女は、そのまま目を閉じて、聞き取れる限界の小ささで言葉を紡いでいく。

「私の力は風。空気の流動が引き起こす現象であり、万物の中で最も実態をつかめない存在の一つ」

 彼女の両手に風が集まっていく。鬼ごっこの際も間近で見たものの、こうして実演されるとやはり違う。風の動きを全て制御下において、収束させることも、拡散させることもできる。それがどれほど現実離れしたものであり、本来は信じられるものではないことを真紅はやはり理解しきれてはいなかった。

 単純に、凄いと思ってしまう。反射神経が鋭いだけだと思っていた真紅も同じことができるなどと言われても、一体どうすればいいのか皆目見当がつかなかった。

「天に聞いたんでしょ? 個人の素質がその能力に大きな影響を与えるの。自分が適しているもの以外はそう簡単に使えない。だから自分流に何ができるのか、そういうのを考えていかなきゃならないんだ。でも、今はそんなことじゃなくて、天が言っていたことを実践しなくちゃね」

 両手に集った風を恵理は空へと掲げる。彼女と真紅を包み込むには十分な大きさのドームを形成し、半透明の風の防壁が完成する。直後、空から無数の刃が降り注ぎ、風の防壁へとぶつかっていく。まるで雨のように休まることのないそれは少しずつ風を弱め、一発、また一発と恵理の顔に苦痛の表情が広がっていく。

「……こっちにまで影響が来るなんて、康、本気で天を……」

 ここへ連れてこられたのは天一と真紅、そして恵理の三人。康が天一に特訓をつけるというので、なら真紅も少し力に触れておけと天一が強引に押し切ったのだった。

 刃の雨の中、天一は生身で戦っているというのか。

 戦慄すると共に、この空間に残された時間が少ないことを真紅は悟る。風の防壁が壊れた瞬間、真紅たちもこの刃へと身をさらすことになるのだ。いくら恵理が強いと言っても、これだけの刃をかわしながら生存することは難しい。同時に真紅も、この状況を打破することはできないだろう。


 とばっちり、というには十分な状況。


「……こんなの、天……!」

 恵理の表情にも焦燥の色が濃い。


――俗に言う妖刀って類に入ると思う。


 天一の言葉が頭の中を駆け巡る。もし本当に、この刀が妖刀なんていう大仰な存在だとするなら、この状況を打破することもできるのではないだろうか。そんな安直な考えにとらわれて、真紅は自らの新しい刀、六花を鞘から抜き放つ。

 抜いたのはいいが、どうすれば妖刀を使いこなせるのか、そもそも何ができるのか、さっぱりといっていいほどわからない。握った柄は燃えているかのごとく熱くて、真紅は初めて、その変化に気づいた。


――刀が反応している。自らと仲間の危機を察知して、戦いたいと疼いているように。


 全身を蛆虫が駆け回るような違和感。同時に、この後自分がどうすればいいのかを刀が教えてくれているような、不思議な感覚に全身を包み込まれていた。

 誰かに見られている感覚。恵理ではない。恵理なら正面で、空を見上げたまま固まっている。いいや、固まっているわけではないのだろう。周囲の、上空から降り注ぐ刃の動きまでもが緩慢なものとなり、風が包み込む音すらもどこか遠くに消え去っている。

 気づかぬ間に、超反射能力を発動させていたというのか。そんなこと今までなかった、昨日自分の力を理解した真紅にそう断言することはできないのだが、少なくとも普通のことではないと真紅は考えていた。

 気づいていなかったとしても、肉体にかかる負荷は変わらないはずだ。長時間の使用による脳の拒絶反応。肉体の限界突破による筋肉収縮。様々な面で問題が生じるはずだった。だというのに今の真紅はあまりにも、あまりにも普段のそれと変わらなかった。

 天一の言葉を信じるなら、この状況は六花が引き起こしていることになるのだろう。増幅器という役割を担った刃はうっすらと光を放ち、真紅の心をやんわりと包む。

「……六花……一式」

 自然と口をついた言葉。同時に六花の鍔がガラスの割れたような音と共に弾け飛び、六つの花弁を持つ銀色の花へと姿を変えていく。楕円でできた六つの花弁は確かな実体を持ち、その全てに言いようのない恐怖を覚えずにはいられないだろう。もっともそれはこの刀の敵となった場合であり、今の真紅にとってはこれ以上ないほどの援軍となっている。

 この刀があれば、負けることはありえない。

 直感でそう思えるほどの刃を手に、真紅は恵理へと歩み寄る。

「え……? ちょっと、真紅?」
「黙って。もうそろそろまずいんだろう?」

 風の防壁は軋み、彼女の額には大粒の汗が伝っている。それがどれほどの負荷を与えられた結果なのかは、自らの消耗と照らし合わせればわかり易い。

 自分だけを守れば何の問題もなかったのだろうが、今の彼女は真紅も含めかなりの距離を防御下においていた。ならばその負担も大きくなり、こうなるのは目に見えていたはずだ。それでも防壁の半径を縮めなかったのは、彼女なりの優しさだったのだと真紅は考えている

 今度は、真紅の番だ。

「その刀……何?」
「どうかしたのか?」
「それ……凄く、怖い。何だろう、不知火を相手にしてるような、存在感がある」

 不知火と同じ。そういわれている気がして、真紅は妙に納得してしまう。

 妖刀という表現は不知火にも当てはまるものだ。あの刀も妖刀だというのなら、名前が歪だからといって抵抗を感じる必要などない。心のどこかにこびりついていたしこりが崩壊していくように、真紅は心が軽くなる感覚にとらわれていた。

 頭上で風の防壁が崩壊する音が甲高く鳴り響く。同時に無数の刃が地面へと迫り、真紅たちの視線も自然と上空へと向いていく。

 どれだけのことができるのかはこの際関係がない。どんなことができて、どんなことができなくたって、今この状況を打破できればそれでいいのだ。恵理は消耗して自分一人では刃の餌食となるだろう。そんなこと許されない。天一に合わせる顔がなくなると共に、自らの理念に背くことになる。


 仲間は、守るものなんだと。


 頬に自然と笑みが乗る。右手に握り締めた六花の柄から流れ込む不思議な感覚に身を任せれば、こんな状況でも難なく切り抜けられる確証があった。

「掴まってろ」

 恵理の腕を強引に引いて、両足に思い切り力を込める。刃が地面に到達する直前に、それに反発する形をとって跳躍した真紅は右手の刀を大きく一閃する。落ちてきた刃を一振りで薙ぎ払った六花の刃は本来の間合いよりも数倍広い斬撃を繰り出し、跳躍も真紅の限界を易々と飛び越え、五メートルを超える大跳躍を引き出していた。

 肉体の限界を超越させる補助能力。それが六花の持つ増幅器としての役割であり、刃を巨大化させるのはおそらく六花が真紅の力を吸い込んで引き起こした力。六花は真紅の身体能力を引き出し、真紅は六花に力を流し込むことで力を増幅させる。持ちつ持たれつの関係。同時に何も考えずそんなことが引き起こせるこの刃は、つくづく真紅のために作られた刃であると実感する。

 第一陣を切り抜けた真紅の頭上に第二陣の攻撃が迫る。空中に取り残された体では踏ん張ることはできなくて、真紅は思わず刀の腹を眼前に広げ防御の体制に入る。

「……任せて!」

 左手で引っ張っていた少女の体が一瞬重力を失う。自らの体まで軽くなったような感覚にとらわれながら、全身を包み込むような強力な風が何もない空間から発生する。刃同士がぶつかるような甲高い音と共に刃の軌道がそれてゆき、地面に突き刺さる剣の山へと突き刺さっていく。

 少しだけ回復した恵理の能力。魔法みたいなその力に感謝しながら、真紅は落下していく中でもしっかりと空を見上げていた。第三陣は、今のところ兆しはない。

「終わったって、ことなのかな?」

 着地して手を離した恵理が不思議そうに声を漏らす。思っていた以上にあっさりと終わった攻勢に肩透かしを食らったような、それでいて無駄だと思うほど安堵した自分を感じながら、真紅は自らの右手に収まった剣へと視線を落とす。

 六枚の花弁を持つ刀、六花。これが本来の姿だと思っていたが、自分の口から自然にこぼれたあの言葉が妙に心の中に引っかかっていた。

――一式って、何だよ?

 完全に自分の意思とは違うところから現れた言葉。どうしてそんな言葉が漏れたのかわからないが、それこそが六花の意思なのではないかと思っている。

 一式と銘打っているわけだから、二とか三とかが存在していてもおかしくはない。

 じっと刀を眺めていると頭の隅がちくりと痛んだ。同時に六枚の花弁がうっすらと光り、光がはじけると同時に元の十字型の鍔が姿を現すのだった。

「ありゃ、元に戻っちゃったね」
「ああ。そうだな」

 次にいつこの姿を見ることができるのか、真紅にはわからない。それでも仲間が危うくなったり、自らの命が危険にさらされたときは手を貸してくれるだろうという直感を信じてその刃を鞘へと納めた。

「さてと、天のほうを、見に行くとするか」
「そうだね。行こうか」

 あまり気にしていないように見えるが、恵理の顔には焦りの色が隠しきれないほど浮き上がっている。よほど心配なのか、行こうかと言ってからせかすように足を動かしている。

 素直じゃないな、なんて微笑ましく思いながらも真紅は紫の光が放たれる方向へと足を進めるのだった。


――――――


 刃の雨は休まることなく少年の小さな体へと降り注いでいた。天候を操ることはできない康にとってその光景は一種異様なものであり、同時にこれほど強力なものだったことは彼の予想をはるかに上回るものであった。

 刃を降らせる術。どれほど量を生成できるのか、範囲はどれほどのものなのか、どれくらいの魔力を消費していくのか。全てが実験段階だったこの技を使わされたのも全くの予想外。力を使えないはずだった天一がこれほど自分を追い詰めるとは、康にとって今回の戦いは予想の斜め上を行く事態ばかりが起こるものだった。

 それでも、心の中で安堵している。

 力を完全に使えなくなったわけではないし、今回のように魔力消費が少ない状況を作ってやることができれば不知火の力を借りてでも戦うことができる。これなら、戦闘で死ぬ確立は軽減されるのではないだろうか。

 しかしそれも、この苦境を乗り越えられなければいけない。

 刃の雨に隠されて天一の姿は康には見えない。天一の魔力、正確には不知火の力がほとんど残されていないのは、この空間の管理者である康には手に取るようにわかる事態ではあったが、天一が無事かどうかはわからない。


――死んでいたとしたら、恵理ちゃんに殺されるな。


 そんなこと考えてもいないくせにと、康は自分に苦笑を向ける。天一が死んでいる可能性なんて、微塵も考えてはいなかった。

 不意に刃がぶつかる音が、止まった。何が起こったのか目視することはできずとも、それが天一の起こした何かであることは疑うことができない。

 光り輝く刃が天を貫く勢いで伸びていく。十メートルを超える巨大な剣は康へとその刃を向け、ゆっくりと振ってくる。刃の雨なんてものともしない。自らの負傷なんて全く考えないその攻撃は、あまりにも天一らしくて一瞬防御へと意識が向かなかった。

 空間を圧縮しても止められない、別空間に逃げても空間ごと断ち切られる。刃の雨を集中させてもこの勢いは止められない。術で止めることはできなくとも、その緩慢な動きは自分が動くことで回避することができた。

 巨大な剣が地面にぶつかる。それが引き起こす衝撃波は既に地面へと到達していた刃を全て吹き飛ばし、完全に避けていた康の体を吹き飛ばしていく。風圧に飛ばされた康は建御雷を握っていなかったこともあって、なすすべなく飛ばされることしかできない。

「……助かったよ、康。お前のおかげで、少しだけ道が見えた」


 耳元で聞こえた優しい声。それに戦慄すると同時に、背中に冷たい切っ先が突きつけられる。


「どうやって……後ろに」
「光の翼。光の刃。とりあえず今使えるものをありったけ叩き込ませてもらった」

 康の背後を取れるほどの力。少しだけ手を抜いていて、力の補助機能が極端に高いこの場所だからできたのかもしれないが、それはすなわち天一の持つ本来の力に近づくことができたということではないのだろうか。

「ったく、お前も恵理も……お節介だよな、本当に」
「あはは……誰かさんに似たのかもね」
「心当たりがないな。誰かさんって言うのは、俺も知ってる人なのか?」

 とぼけた口調に思わず吹き出してしまう。当然本人は気づいているはずであり、もし本当に気づいていないのだとしたら康は彼に対する意識を変更せずにはいられない。

「あ、なぁに笑ってるやがる、このこの!」
「わっ! ちょっと待って、横っ腹は! わ、わひゃひゃひゃひゃ!」

 完全に手玉に取られた康は天一のくすぐり地獄にとらわれるほかない。肋骨と肋骨の間を縫って食い込んでくる指は時折痛みを伴うものの、相手に苦しみを与えるという面においてはこれ異常ないほどの拷問として天一の十八番となっていた。


「……何してんの、あんたら?」
「あ……」


 剣の山に足をかけた恵理と真紅が呆れた顔をして見ていたのに気づいたのは、声をかけられて数瞬経過してからのことだった。


――――――


 真紅たちと合流し、康が創りだしたこの空間を抜けた途端、天一の意識は闇の中へと落ちていった。雨の如く降り注ぐ刃を幾度となくかわしつつ、反撃のために閉じていたはずの魔力を無理矢理に引き出した。その反動はその場にいた全員が予想しなかった形で訪れ、結果として天一は高嶺家の柔らかい芝生の庭へとその顔をうずめる形となってしまった。


 太陽のにおい。それだけが脳にこびりつきいていた。


 漆黒の海に身を委ねている感覚。四肢の感覚がまるでない。それなのに意識は不思議とはっきりしていて、目の前に小さな光の塊があることを認識できていた。

 はっきりとした形を持たない、漠然とした光。そもそも光というものは実体なんてつかめるはずがないのだが、光を扱う天一にはその異常性が理解できる。

 光では、ない。何かの思念、発光している人間の意識とでも言うのだろうか。ともかく天一がよく知るものでないことだけは理解できるのだ。


「そう身構えないで欲しいわね」


 凛と、透き通るような声。さほど高域の声でもないのだが、どこか女性の柔らかさを保っているその声に、天一はただ戦慄する。同時に腰に差しているはずの刀へと手を伸ばそうとして、両腕が動かないことを思い出した。

 額に冷や汗が伝い、奥歯が軋む。最も聞きたくなかった声。でも心のどこかで聞きたかった声。その声を前にしてまず自衛のために体が動くとは、なんとも滑稽だ。

「……無理なこと、言うなよ」

 ようやく放った声はかすれていて、自分の声ではないかのような、引きつったものに変わっていた。それを受けて光の塊から小さな笑い声が漏れ、光が少しずつ形を作り出していく。

「やっぱり、ね。あんたならそういうだろうと思ってたの」
「何でもお見通しか。まったく、あんたには頭が下がるよ」

 光はゆっくりと人間の形を作り上げ、一人の女性の姿へと変わっていく。

 頭の後ろ上部でまとめられた長い黒髪。小さな顔に浮かぶ優しい笑顔とすらっと細く長い体はまだ若い女性と考えても差し支えないだろう。とても中学生の子供がいる女性だとは思えない。服装も若々しさを保つように黒のスーツで決め、意識して若く見せているとしか思えない。

 しかし、天一はその姿、黒のスーツの意味を理解していた。


 喪服。


 優しい顔に冷笑が乗り、その視線は天一の心を射抜くように突き刺さる。

「……どうして、会いに来たんだ? てっきり俺は、あんたに怨まれていると思っていた」
「あら、心外ね。私がいつ、あなたを怨んだっていうのよ」
「いつって……それは……」

 言いよどむ。どうして言いよどむのかわかっていても、その躊躇いが消えうせてくれるわけではない。心の葛藤を見透かしたように、彼女は動けない天一の顎を人差し指と親指で捕まえ、そっと角度を変えた。

「言ってみなさいよ。いつ?」
「……俺が、あんたを…………殺したときだよ」
「ん。よろしい。だから大好きよ、私の可愛い天ちゃん」

 途端に破綻した冷笑は柔らかい子供のような笑顔に変わり、動けないのをいいことに彼女は全身を持って天一の体に抱きついた。

 息が詰まって潰れた蛙のような声が喉から零れ落ちる。これが現実だったらと思うと冷や汗が出るが、おそらくここは天一の精神世界。だからこそ彼女も、ここにいられる。

「は……離せ! 離してくれ、母さん!」
「もぉ、いつの間にそんなませちゃったのかしら。昔は喜んでくれたのに。ねぇ、天ちゃん」

 天一と、そして恵理の母親、朝倉 美里。数年前に死んだはずの彼女がここにいる。確かな柔らかさと暖かさ、昔と変わらぬ笑顔を持って。喩えこれが夢で、自分が創りだした幻想だったとしても天一はこれだけで満足だった。

 どうしてこうも、安心するのか。一度殺されかけ、殺してしまった人だとわかっていても子は親には敵わぬもの。その優しさに包まれた途端、普段のような気丈さも理性も、取り繕っていたもの全てが崩壊していく。

「……やっぱり、勘違いしてたのね、あんたは」
 優しいデコピンを喰らって天一は我に返る。鼻と鼻がぶつかる距離で笑顔を浮かべる実の母親は、天一が彼女を殺したときから時間が止まっている。

「何がだよ?」
「私が、あんたを怨んでると思うの?」
「は、はぁ!?」

 やっぱりか、と溜め息をついた母は、天一の鼻に自らの鼻を擦り合わせ左右に頭を振る。鼻がむずむずすると共に自然と涙が零れ落ち、視界が涙でにじんでいく。

「私はあんたに、全てを任せたの。敵討ちを任せてしまったのは確かに私の落ち度だけれど、だからといって自分を追い詰める必要なんてない。ましてや守るためといえ、恵理ちゃんに怨まれる必要が、あったの?」
「そんな……そんなこと言われても! あの時はああするしか、なかったんだ」
「うん。わかってる。あの子はとことん甘えん坊だからね。私がいなくなったら生きていけなかったかもしれない。だからって自分が怨まれることで、恵理ちゃんに生きる目的を与えなくても良かったんじゃないの? そんなの、あんたが辛いだけじゃない?」

 頭が、優しい両腕に包み込まれている。抱きしめられていることを理解して、涙がますます止まらなくなっていく。

「もう、自分を赦してあげなさい。私が言ってるんだから、あんたは自分を赦すの。被害者がどっちだったのか、本当は理解しているくせに」
「でも、それじゃあんたがあまりにも……」
「母親にあんたって言わない。あと、あんたはもう少し、母親に甘えるってことをしなさい。ほんっとに可愛げがないんだから」

 ぽんぽんと頭を優しく叩かれる。思えば昔から母に甘えるのは恵理の役目で、天一はいつも自らの意思で距離をとっていた。甘える必要なんてない、いつか母を支えられるような人間になればずっとそばにいられるからと。本来とは別のベクトルで、天一はマザコンだったのかもしれない。

 恵理と同じくらい大切だった人をこの手で殺めたのだと、その事実が恵理との距離すらとらせたのだ。全ては天一の、心の弱さが引き起こしたことだった。

「恵理ちゃんはね、きっと、気づいてる。私たちの間で何があったのか、どうしてあんたが私を殺さなければならなかったのか」
「……え?」
「そう驚くことでもないでしょ? あんたたちは双子なんだから。どこかで繋がってるのは、この状態になってから私も痛いほど理解しちゃったもの」


 確かにその予兆はあった。


 怨んでいるはずの兄の下へ転校してきたり、戦いになっても本気で殺そうとはしなかったり、頑なに真実を告げさせようとしたり。気づかないほうがどうかしている。天一だって薄々はわかっていたのだ。それでも認めるわけにはいかなかった。認めてしまえば、今までやってきたことが消えてなくなってしまうから。恵理をこちらの世界に引き込んでしまっただけになってしまうから。

「あんたたちはね……結局はこっちに足を踏み入れる運命だったのよ」
「どうして? 力の発現は、一生しない人間のほうが多いって、じいさんが……」
「あんたたちが私の子供である以上、その運命からは逃げられないのよ」

 ごめんねと言って母は抱きしめる腕にいっそうの力を込める。痛いほど強いその抱擁はせめてもの償いだと言いたげに、髪の毛をなにやら冷たい雫が伝う。

 どうしてなのか、何があったのか天一にはまるで理解できない。

「どういうことだよ、母さん。逃れられない運命って、どうして?」

 どういう意味なのか天一はただ問いかけることしかできない。何らかの反応を見せようとした母だったが、思い出したように首を振って天一の頭から体を離す。

「ごめんね。今は、教えて上げられない。でもいつか、あなたが私の故郷に足を踏み入れることがあったなら、きっと、もう一度会いに来るから。や、会いに来ること自体は結構簡単にできるかもだけど。ともかく時間だから、またいつか、ね?」
「ちょっと、待てよ! 母さん!」
「大丈夫大丈夫。私はいつでもあんたと一緒。別に心の問題じゃないわよ? 単純に私の魂が、不知火と一緒にいるだけだから」
「はぁぁあ!!??」
「んじゃ、またね、天ちゃん。恵理ちゃんによろしく!」

 最後に音符でもついていそうな陽気な声で、母はまた光の塊へと姿を変えていく。光は天一の真上で静止し、四肢の自由が戻ってくると同時に天一はその光へと手を伸ばす。

 光は刀の形へと姿を変え、喜ぶように一度震える。

 なんだか、馬鹿みたいだ。母を殺してしまったことを後悔し続け、母に恥じないようにと行動してきたはずなのに、その母親がもの凄い身近に存在していた。不知火が引き起こした幻覚かもしれないが、母の魂がここにいることは事実なのだろう。手に収まった刀がそうだと言いたげに震える。

「はっ、馬鹿みたいじゃねぇか、母さん。あんたの幻影と俺はずっと戦ってきた。なのに肝心のあんたが俺を怨んでいないんじゃ、何やってたのかわからねぇ。でも……感謝するよ。おかげで俺は、まだ戦えると思うから。力なんざ無くたって、生き残って見せるから」

 だから、見ていてくれ。一番近くで、一番傍で、共に戦いながら。

 漆黒の海が浮上していく。圧縮していく闇の中で、白の刀を手にした少年は、その刃を高々と振り上げる。

 闇なんか切り裂いてやる。迷いなんか消し去ってやる。それでいいと言うのなら、共に歩んでくれると言うのなら、もう俺は怖いものなんて何もないから。

 振り下ろされた刃からは光の渦が巻き起こり、周囲を取り巻く全ての闇を消し去っていく。誰かの小さな笑い声と共に天一の意識は光に呑み込まれ、天一自身もその安らぎに身を委ねた。



「……ん……! てん……! 天!!」
「……うっせぇな、聞こえてる」



 耳元ででかい声を食らって、耳の置くが痛む。そこまで慌てることかと思いながらも、天一は大丈夫だと知らせるために手を上げた。


 上げた手には、一振りの刀が。主の、息子のことを心配しているように光を反射させている。


 大丈夫だっての、と心の中でささやいて天一は目蓋をこじ開けた。


 一番最初に目に飛び込んだのは、大粒の涙を流して泣き笑いを見せる、愛しい妹の姿だった。

 忙しいとか言ってるのに思った以上に筆が載る今日この頃。どうしてこんなに進むのか。広瀬自身も驚きを隠せないでいるのです。

 今回は六花という名にふさわしい姿をと思って書いた話だったのですが、なんだか鍔が変わっただけでさほど変化なし。
 さて、どうしようかな……。

 そしてもう一つ、天一が隠れマザコンだった件について!
 や、どんどん天一のキャラ付けがおかしな方向に行っているのは赦してほしいところです。

 さて次話がいつ更新になるかはわからないのですが、今度は誰にスポットを当てようか鋭意製作中です。お楽しみに(?)。


 ではでは〜〜。


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