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 あと少し、このぬるま湯の日常に浸っていたい。
 心の奥で、少年はそんな願望を抱いていたのかもしれない。
〔十四話〕 騒がしい日常
 いったいどこでどう間違って、こんな状況に陥ってしまったのだろうか。
 全てが自分の意志の外側で決められて、でも実際に被害をこうむるのは自分だけだとぬかす。いや、決して嫌だというわけではないのだけれど、せめて、せめて自由な発言くらいは許してもらいたかった。

「えっと……ごめんなさい」
「あ、いや。高嶺が悪いわけじゃないから」

 隣の席で小さくなっている京を慰めて、真紅はただ、原因を作った二人へと怨みの念が籠もった視線を向けるのだった。


――――――


 遡ること数時間。

 学園を後にした一行は、周囲を取り巻く住宅街を一直線に抜け、商店街へと向かった。商店街のさらに向こう側には御子柴家を筆頭に高級住宅が立ち並んでいる。そのため商店街は、真紅が学園に通い始めてから毎日通っている場所でもあった。

「それで、どこに行くつもりなんだよ?」

 いろいろと疲れていた真紅としては早く帰ってさっさと眠ってしまいたかった。

 前を行く空が首だけで振り返り、女子二人から距離をとってから口元を吊り上げる。


 嫌な、予感がした。


 空の悪戯っ子のような笑顔は、どんな時でも必ず厄介ごとを呼び寄せる。もし疲れている今そんなことが起こったとしたら、真紅には耐えられるかどうかわからない。

 真紅の不安をよそに、空は楽しげに笑う。

「駅前の和菓子屋。新メニューが出たらしいから、それを食いにな」
「だったらいつものメンツで行けばいいだろ? どうしてゲストがいるんだよ?」

 食べに行くだけならば真紅、空、愛美の三人で行けばいい。だが今日は京までつれて、いつもとはまた異なった緊張感をがあった。

「だって新メニューのことを教えてくれたの、高嶺さんだから」

 予想外の答えに真紅は思わず呆けた表情を浮かべてしまった。慌てて取り繕ってみても、空は見逃してはくれず、大きな笑い声を上げていた。

 空のことだからまた何か悪巧みをしているのだと思っていた。しかし提案者が京だったなら、さほど警戒する必要もない。

「感謝しろよ? 誘わなくてもよかったのに、高嶺さんがどうしてもお前を連れて行く手言ってくれたんだ。和菓子、こっちに来てからまだ食ってないだろ?」

 してやったりという笑顔を浮かべる空だったが、真紅は何も言い返すことなく、小さく舌打ちを漏らすだけだった。

 長年の付き合いである愛美でも知らないことだが、和菓子は真紅の好物だった。

 あの控えめな甘さと見事なまでの細かい造形はまさに芸術。とくに花を象ったような和菓子は、食べてしまうのがもったいないとさえ思ってしまう。

 真紅のひそかな楽しみを知る唯一の男は、そっと耳打ちをよこした。

「今から行くところはこの町でも一番和菓子が美味いところだ。和菓子にうるさいお前でも、十分満足できると思うぞ」


 和菓子を食べれば、溜まっていた疲れも吹っ飛ぶかもしれない。


 自然と頬が緩んだ。

 商店街の中心に駅はある。神凪学園前と銘打ってはいるが、徒歩十分以上かかるのにそのネーミングは間違いではないのか真紅は考えている。しかしそんな些細な疑問は、今の真紅の前では浅い霧のように微々たる物でしかなかった。

 和菓子以外、思考の外側に排除されていく。この後に待っているだろう楽園へ、真紅はずっと思いをはせていた。

「ここ。店構えがいいだろ?」

 空の指した店はいまどき珍しい引き戸の入り口と暖簾が印象的な、一見すると民家のような店だった。暖簾には『甘味処 苅野屋』と書かれている。

 店構えがいいと空は言うが、真紅から見れば店構えだけでよだれが出そうになるほど魅力的な店だ。

 女子二人が何かを話しているようだったが気にならない。真紅は空の背に従い、店内へと足を進めた。

「へい、いらっしゃい! たまも! お客さんだぞ!」

 和菓子屋とは思えないほど豪快な声に続いて、フリルの付いた白いエプロンをつけた少女が、とてとてと小動物のようにかけてきた。

 エプロンの下からは見慣れない制服が覗いている。この周囲にある他の学校の制服だろうと、真紅は解釈した。

「えと、四名様ですか?」

 がちがちに固まっているのが真紅にもよくわかる。店に出たのが始めてなのかとも思ったが、彼女自身の性格が極度のアガリ症だというだけかもしれない。

「はい、そうですよ」

 空が人当たりのいい笑顔を見せ、少女は少し緊張がほぐれたのか、柔らかな笑顔を浮かべた。

「それではお座敷のほうへご案内します。こちらへどうぞ」

 案内された先は畳を引いて、中心に木製の小さなテーブルを設置した場所だった。同じ構造のものが四つか五つある。外から見た限りではさほど大きな店だとは思っていなかったのだが、予想は大きく外れていたらしい。

「ご注文お決まりになりましたらお呼びください。それでは、ごゆっくりどうぞ」

 少女は一礼して店の奥へと戻っていった。

 中心のテーブルを挟んで、真紅と空、愛美と京がそれぞれ並んで座っていた。

「さて、と。新メニューってのはどれかな?」
「あ、これです」

 お品書きの表紙にでかでかと貼り付けられた紙には『新作! マロンの和菓子』と書かれていた。


 マロン、栗か。決して嫌いではない。うん、嫌いではないのだ。


 他のメニューもすてがたいと思ったが、真紅は結局その新メニューを頼むことにした。

「京ちゃん、これなんかどう? 三色団子。わけっこしようよ」
「いいですね、じゃあ私も何か……」

 女の子二人は目の色が変わっている。愛美は普段とさほど変わらないハイテンションのままだが、京の場合は表情や雰囲気など、自信なさげだったもの全てが反転しているのではないかとさえ思えてくる。

 女の子にとっては甘いものというキーワードは重要らしい。

 二人が夢中になってメニューを見ている間に、空がそっと顔を近づけてきた。

「それで? 今日はどうして朝倉先生に呼び出されていたのかな? 問題児の真紅くんは」
「……お前、それを聞き出すために連れて来たな?」

 当然だと言いたげに口元を吊り上げる。空の悪知恵にはいつも溜め息が出そうになる。

「……組織に、こっちから仕掛ける算段を立ててた」
「あ、やっぱりか」

 真紅の雰囲気からすでに察していたのか、さほど楽しくもなさそうに空は少し離れた。

「まぁ、俺に手伝えることがあるんなら遠慮なく言えよ?」
「ああ。期待してる」

 本当に、どうしてこうも捻くれた性格なのだろうか。

 いろいろと悪知恵を働かせるくせに、基本的には真紅や愛美の心配しかしていないのだ、空は。普段のおどけた口調、態度は単なる暇つぶしでしかない。もしかしたら真紅より、空のほうがよほど真面目な性格をしているのかもしれないと錯覚するときもある。

 さっきの少女を呼び、それぞれ注文を終えると四人の話題は学園に向いていた。

「二組の近藤さん、うちのクラスの男子と付き合ってるんだって」

 愛美の楽しそうな声に、けれど真紅はただ相槌を打つことしかしなかった。

 人里はなれた場所で、ただでさえ人付き合いが苦手だった真紅にはその手の話題についていくための知識がまったくなかった。こっちに出てきてからもナイトメアとの戦いに備えるだけで、恋愛がどうのということは考えたことすらない。

 真紅の微妙な疎外感をよそに、愛美と京、そして空は楽しそうに笑いあう。

「へぇ、誰?」
「宮本くんです。一年生の頃同じクラスだったそうで、おそらくその頃から付き合っているんじゃないかと」

 奥手だと思っていた京ですら会話に混じっている。やはり年頃の娘ということか、そういった話題には興味があるようだ。

「あいつがねぇ、ただの眼鏡だと思ってたのに」
「空、それは酷いと思うよ?」

 宮本は黒縁眼鏡がよく似合う、体の細い男子生徒だった。根暗そうな外見に似合わず、転校してきて間もない真紅にも積極的に声をかけてくれた。

 空の言うとおり、彼に彼女がいるというのは少しだけ驚きだった。

「真紅はさ、そういうのに興味ないの?」
「……俺?」

 自然に、事情を知っているはずの愛美はそう言ってのけた。

 真紅の置かれていた環境と性格を考えるならそういったことに疎く、また興味がないことくらい簡単に推察できるだろう。実際、真紅は色恋沙汰など考えたこともなかった。
 悪夢を終わらせ、その命が尽きるまでひっそりと暮らすのだ。それ以外の未来など、考えたこともなかった。

「別に、俺は……」
「んなこと言わないでさ、ちょっとくらい興味を持ってみてもいいんじゃないか?」
「空……だけど俺は……」


――俺に、幸せになる資格などない。


 誰にも許されることがない罪を背負って、ただ悪夢を終わらせるために戦うだけ。

 それが自分に許されたものだと、真紅はずっと思っていた。

 けれど空は、そんな真紅を見て溜め息をつき、首を振る。

「真紅……お前、全部終わったらまたもとの暮らしに戻るつもりだろ?」

 空の言葉を聞いて、愛美が表情をこわばらせている。京は何のことかわからないから首をかしげているだけだ。

「終わったら、もう戻る必要なんてないだろ? こっちに残ればいい。お前の家にも、堂々と帰れる。また一緒に、あの馬鹿でかい家で暴れまわろうぜ?」

 空の表情には初めてじゃないかと思うほど珍しく、切迫した色が浮かんでいた。


 まるで真紅の答えを恐れているかのように。


 空にはそんな表情、似合わない。

 いつも能天気に笑って、誰かをからかって、そういう軽率なものの塊が御子柴 空という人間なのだ。

 どう答えればいいのか、真紅は迷った。

 答えなどとうの昔に決まっている。けれど空の表情を見て、本当にその答えでいいのかと、迷ってしまう自分がいた。


「――真紅様?」


 舞い降りた、沈黙。

 それを払いのけたのは、呆然と、けれどどこか喜びを含んだ、野太い男の声だった。

 いつ投稿したのか思い出せなくなってきている、今日この頃。

 自分ではけっこう早く更新しているつもりなんですが、どうなんでしょうね? 世間にはもっと早いペースで更新する方もいらっしゃるようですし。

 最近は時間の感覚もなくなってきている気がするんですよ。

 作者はまだ学生なんですが、入学当初は「一個の授業が九十分!? なげぇよ!」と思っていたのですが、いつの間にやら完全に慣れてしまい「え、もう終わり?」とか……。

 まずい、何かがまずい……!

 ということで、今後の目標は正しい時間感覚を取り戻すこと。(小説関係ない)


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