Chapter4 本当の気持ち
一九五五年、とうとうゆっくりとだが、空母『エンタープライズ』の解体が始まった。
かつて日本海軍を苦しめた艦載機を発艦させていた飛行甲板は連日の解体作業ですでに一部が解体されていた。
次第に解体される甲板の上で、エンタープライズは空を見上げていた。
そして今日も、エンタープライズは甲板に現れた彼の姿を見て歓喜した。
「クーゴッ! 久しぶりッ!」
「久しぶりッ!」
先日少佐に昇級したクーゴは襟に佐官の階級章を付けている。それを見て相変わらず素直じゃないエンタープライズは苦笑いする。
「なんだ。やっと昇級したのか。遅いな」
エンタープライズの言葉にクーゴは苦笑いする。
「そんな無茶な。今は戦時中じゃないんだよ? そう簡単に昇級できないんだってば」
「言い訳のつもりか?」
くすくすと笑うエンタープライズにクーゴは呆れたように笑う。
「相変わらず素直じゃないね、エンターは」
もう慣れっこになってしまったクーゴに対し、エンタープライズは頬を赤く染めてそっぽを向く。
「悪かったな。素直じゃない女で」
「別に、僕はそんなエンターも含めて好きだから」
「・・・」
何気なく普通に言った彼のセリフに、エンタープライズは頬を赤く染める。
邪心のない笑みに、エンタープライズは完全に毒気を抜かれていた。
最近では主にクーゴに主導権を握られる事が多くなってきた。彼だって無駄に年を取っている訳じゃない上に、元々結構抜けている所があったが、それも最近ではかなり磨きが掛かっている。
クーゴの何気ない言葉一つ一つがエンタープライズの心を揺らすのだ。
「まったく、貴様という奴は・・・」
「それが一ヶ月ぶりに会った恋人に言うセリフか?」
「恋人になった覚えはない」
「・・・普通恋人でもない奴に唇を奉げるか?」
痛い所を見事に突くクーゴの切り返しにエンタープライズは咆哮する。
「う、うるさいッ! 黙れ黙れ黙れッ!」
「逆ギレするなよッ!」
こんな日々を二人はずっと過ごしてきた。
雨の日も、風の日も、雪の日も、暇さえあればクーゴはエンタープライズに会いに来た。
残り少ない彼女の命を、最高のものにしようと、彼は必死になっていた。
「お前、疲れていないか?」
「えへへ、そりゃ仕事がきついからね」
「うそを言うな。私は知っている」
「何を?」
エンタープライズは不機嫌そうな顔でクーゴを睨んだ。
「『エンタープライズ保存会』というのが全米中から資金を集めているそうだな」
「そ、そうみたいだね」
クーゴは何かを誤魔化すような仕草をするが、エンタープライズはさらに追撃する。
「お前も、そこに入っているのだろう?」
「・・・」
返事はない。だが、エンタープライズは引かない。
「入っているのだろう?」
「そ、それは・・・」
「正直に言え。当人に内緒にする奴があるか」
エンタープライズの有無も言わせない迫力に負け、クーゴはうなずいた。
「そうだよ。僕は保存会に入ってる。それも幹部にね」
「やはりな。最近どうも会う回数が階級に対して少ないと思っていたが、そんなバカな事をしていたのか」
「ば、バカとは何だよッ! 僕はお前を生かそうと必死に――」
「それが余計なお世話だと言うのだッ!」
突如激昂したエンタープライズにクーゴはビクッ! と震える。
「え、エンター・・・」
震えるクーゴを、エンタープライズは自分の中に残る小さいながらも鋭利な牙を向ける。
「私は戦いの中でしか生きられない艦魂だ。戦いの中で生きる事こそ、私達艦魂の存在意義。兵器の魂でしかない私達は、戦う事が宿命であり、責務だ。だから、無意味に生き残って記念艦になる事は最大の恥でしかない――クーゴ、お前は私に生き恥を晒せるつもりか?」
「そ、それは・・・」
「お前の気持ちは、正直嬉しい。だが、私は騎士だ。死に様を晒すような事だけは、やめてほしい」
「エンター・・・」
エンタープライズは口元にほんの少しの笑みを浮かべ、小さくつぶやいた。
「――私は、死ぬのなら、きれいに死にたい」
そんなエンタープライズの言葉に、クーゴはうつむいて沈黙した。
冷静になって考えると、自分は本当に彼女の為を思って行動していただろうか。ただ単に自分のわがままではないのか。
彼女に傍にいてほしい。彼女の傍にいたい。
そんな自分のエゴで、彼女を助けようとしてたのではないか。
否定はしない。
自分のわがままで行動していたの事実である。
それでも彼女に生きていてほしい。その気持ちだけは本気である。
でも、自分のわがままで、彼女の誇りを汚す事は、絶対にしてはいけない。
それが、彼女に対する愛の形である。
うつむいたまま沈黙するクーゴにエンタープライズは少し言い過ぎたかなと心配する。
「く、クーゴ?」
「わかった」
「え?」
次に顔を上げた時、クーゴの表情は優しく笑みを浮かべていた。
「僕、保存会を脱退するよ」
「クーゴ・・・」
「いくら君に生きていてほしいと思っても、それの犠牲で君の誇りだけは汚したくないからね」
クーゴの笑みに一瞬エンタープライズは安堵したが、すぐに気づく。
――細められた瞳の奥に、暗い哀しみの色が宿っている事に。深い懊悩の影が落ちている事に・・・
「クーゴ・・・あなた・・・」
彼の気持ちを感じ取り、エンタープライズはうつむいた。
彼は、自分の気持ちを殺してでも自分を思ってくれている。
本当は私に生きてほしい。私と一緒にいたい。私を愛したい。そう願っているのだろう。その気持ちは自分も同じだ。でも、彼は自分の誇りを汚したくないが為に必死になって自分の気持ちを抑えている。それが自分と彼を繋ぐ想いだとしても、彼は必死に抑えている。
その気持ちは一体どれだけ辛いのだろう。それでも、彼は必死になってそれを心の中だけに押しとどめている。
自分なんかの為に、あんなに哀しい瞳をしている。
そんな想いが、エンタープライズの胸を苦しめた。
「クーゴ・・・」
「何だい、エンター?」
エンターの声に、クーゴは優しく微笑んだ。
一辺の濁りもない、いつもどおりの笑顔だった。いつもどおりのクーゴだった。
だからこそ逆に痛ましい。どれほどの心痛を胸に秘めて、どれほどの悲哀を押し殺して、彼はこの笑顔を向けてくれているのだろう。
いつだってそう。
初めて会った時から、彼はいつだって優しく笑っていて――いつもエンタープライズを慰めてくれていた。
そんな彼に、いずれ消えてしまう自分は何を返してあげられるか。
「クーゴ・・・私は、どうすれば・・・いいの?」
「どうすればって・・・何が?」
「いえ・・・その・・・」
視線を逸らす。
どうすれば彼の辛い気持ちを和らげられるののか――いや、そもそも自分がそんな事をする資格があるのだろうか。何一つわからなかった。今まで一度だって彼を心の底から支えてあげようと思った事があっただろうか。きっとないだろう。
「よくわかんないんだけど・・・エンターが僕に、何かしてくれるの?」
クーゴはことさら明るい口調で言う。
返事はできずエンタープライズがうつむいていると、彼は承諾を受け取ったようだ。今度はなだめるような声で、
「じゃあ、お願いだから・・・今は抱き締めさせて」
そっとエンタープライズの体を抱き締める。触れてくる彼の手から、深い想いが伝わってくる・・・エンタープライズはつい甘えてしまいそうになって、首を横に振った。
「違う・・・クーゴ」
「?」
「私――あなたに、謝らないといけない」
「君が謝る必要なんてないでしょ?」
「ある。私はあなたの想いを――」
「もし謝る事があったとしても、謝らなくて、いいよ」
エンタープライズの言葉をどこまで理解したのか・・・クーゴはそう言って瞑目し、ゆっくりと目を開けた。すぐ間近でエンタープライズの目を覗き込むようにして、イタズラっぽく微笑む。
「だって――僕は、君が好きだからさ」
「・・・ぁ・・・」
それは、彼女が心の中で思っただけで口にした事のないセリフだった。彼との絆を結び続ける魔法の言葉だった。
今まで何度も聞いた言葉だったが、今まで一番優しく心に響いた。
こんな素直じゃなく、あんな仕打ちを受け続けてきたのに、彼の気持ちは変わらない。
これからも一緒にいようね、そういう意味で。
あんまり嬉しくて、愛しくて、どうしようもなかった。我慢なんてできなかった。
「・・・ぅ・・・ぅ・・・」
「え、エンター・・・ッ!?」
突然嗚咽を漏らし始めたエンタープライズに、クーゴが驚いて慌て始める。
「ど、どうしたの? 気分でも悪い?」
「・・・違うよ・・・あんまりあなたが滑稽で、愚かしくて・・・つい、涙が出てきただけよ」
彼は自分と一緒にいてくれる――そう改めて確信した。
例え残り少ない時間でも、彼は自分がどんなにひどい仕打ちを受けても、絶対に自分を嫌ったりしない。
そんな当たり前の事に、今さらながら気づいた。
――私は本当のバカだ・・・――
彼がこういう人だって事は、ずっと前から知っていたはずなのに。
今さら見直したりなんかしない。彼の全ては自分が一番よく知っている。誰よりもわかっている。でなければどうして、彼を伴侶と認めるだろう。
情けなくて、弱々しくて、バカっぽくて、どうしようもないくらい鈍くて。
だけど――誰よりも素敵な人。代わりなんていない。
そう、エンタープライズは知っていた。ずっとずっと昔から。きっと初めて会った時から、誰よりもよく知っていた。知っていて――心の奥に秘め隠してきた。自分でも気づかないくらい深く。
「クーゴ・・・・」
「何・・・エンター?」
エンタープライズは、彼のすぐ傍で、ぺこりと頭を下げた。
「不束者ですが・・・これからも、短い間だけど、よろしくお願いします」
顔を真っ赤にさせながら言った彼女の一世一代の言葉に対し、クーゴは唇で返してきた。 |