夫婦の耳かき
私のひざにコテンと頭をのせ甘えてくる
今や若かりし頃の面影のない太った夫。
お互い50代、子供の授かる事のなかった人生だけど
親を看取ってからは夫婦の時間はまた増えた。
「なぁ耳搔いてくれないか?」
ポツリとそう言って、指に挟んだ細い棒を私の頬に押し付ける。
若い頃はそうそうさせてくれなかった耳掃除を、
頼むとせがんでくるのもここ最近の事。
この細長い、すぐ折れてしまいそうな耳かきを手にしてからだ。
中年の男が、ティッシュとペンライトを手元に用意して
コロンと膝に頭をうずめる。
期待を込めて目を閉じるこの顔ったら・・まったくもう。
光を照らし、耳の中にあるトロリとした垢の光沢がみえる。
相変わらず大量、飴耳なのにシャワーで流されないのが不思議だ。
細い棒を慎重に入れ、三日月型になぞって引き上げると
黒蜜のような耳垢がはみ出る。
ティッシュでぬぐって、また耳の中をのぞくと角度が先程と
ズレたのかよく見えない。
「あなた、もうちょっと動いてそうそう・・こちらに」
熱心になる私も、耳掃除をする楽しさに目覚めたのはここ最近の事。
よく見渡せる場所を探し、ごっそり取り除いてはティッシュになすりつける。
ドロドロとした糊状の垢をすくい取る、快感。
クリクリと綿棒を中で廻していた時とは違う、圧倒的な手ごたえ。
とろけてしまった夫は、よだれを一筋垂らす。
「きみは最高だぁ」
おふぅと声をもらした夫の恍惚とした顔に、一種の征服感を覚える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
両親の家を片づけてる時に、ネックレス入れの箱に入っていたのは棒切れ一本。
結婚指輪と葬儀用の真珠以外、装飾品の無い母の遺品。
正直ガックリ肩が落ちた。
触ってみると、竹よりもしなり柔らかい、今まで触れた事のない材質。
老眼の為に最初は見えなかったが、何のことはないただの耳かき棒・・。
捨てる前に、何となしに耳穴に入れて、落ちるのは一瞬だった。
「なぁ耳搔いてくれないか?」
いそいそと妻の膝枕に乗る、1週間に1度の楽しみの時間だ。
耳が引っ張られ、ライトの微かに温かい光をじんわり感じる。
粉タイプの耳垢の人間は掻く時にガリガリと音がするらしいが
私の耳かきは、いつも無音で静寂の時間なのだ。
すすっとサジが表面を半周して撫でる
もう少し奥を強く掻いてほしいのが本音だけども
私は中耳炎で耳鼻科行きになって医者に注意を受けてからは
自ら耳穴に触れる事を禁じられ、妻の為すままに従っている。
妻がティッシュに垢を擦り付けてる間に、より楽な角度に頭をずらす。
サジが往復し、耳の隅々をすべる中で、必ず痒い部分に触れる。
位置の説明が口で出来ない小さな地帯だが、妻はそのポイントを徐々に
把握して一点に搔きだす。
そこだ!声が体内でコダマする。
薄目をあけると、大量の垢がティッシュになすられ線をかいた。
垢の溜まりやすい場所のようだ。
ぼんやりと眠気の生じる中で、細かくしなる耳かき棒と妻の繊細な
指の動きを感じる。
飴耳だった母は頑として綿棒派だったから
この棒の耳かきは親父のものだろう。
それにしても、なんて気持ちの良さだ・・!
さほど器用でもない妻をテクニシャンにしてしまう魔法の一本。
''ファンタスティック''
こんな言葉絶対声には出せないけれど、親父、素晴らしい遺品をありがとう。
ヨダレと同じく、片目から一筋の涙が妻のモモに流れおちてしまった。
スースーと涼しい風が耳の中を吹き抜ける。
「あなた、たまには私の耳も掻いて下さいよ」
「きみの耳の穴は小さくて見にくいから、怖くて出来ないよ」
ムッとする妻の不機嫌な顔を見て、私は一種の征服感を覚えるのだ。