その7
朝が来て、朝食の時間になった。
広間に用意された重森夫人の手による朝食に、一同は舌鼓を打つ。
「不純異性交友は禁止だと、言わなかったかな巽よ」
平井先生が向かい合わせで座っている本郷をじろりと見る。それに対して、本郷が眉をひそめて反論した。
「不埒な言いがかりはよしてください。夜中にトイレに起きた楓さんに出くわして、お化けと勘違いさせて大泣きさせてしまいまして。そのおわびに眠れるまで慰めていただけです」
平井先生は、どうやら縁側で二人で星を見ていた場面を目撃したらしい。恐らく見られたのは、キスシーンなのではないだろうか。楓は頬を赤らめた。
「楓ちゃんトイレに起きたの?」
寧々は気付かなかったようだが、莉奈は気づいたらしい。もう少し遅ければ、様子を見に行こうと思っていたところに、楓が本郷に連れられて帰ってきたのだとか。
「あのですね、先輩をお化けかと思って、泣いちゃったんです。それで眠れなくなったので、縁側で星を見に誘ってくれました」
平井先生に叱られている本郷に、楓も補足する。
「本当かな、楓ちゃん」
まだ疑う平井先生に、楓は一生懸命頷いた。キスだけであるし、やましいところはなにもないはずだ。
「夜中に星見てたの?いいなぁ」
寧々が羨ましそうな声を上げる。
「さすがに防犯上戸は開けませんでしたが。ガラス越しでも綺麗でしたよ」
本郷も寧々に説明する。
「夕べは天気もよかったから、空が綺麗だっただろうね。もう少し早い季節だと、蛍も見れるんだよ」
重森氏が楓に笑ってそう言った。
「このあたりは水も綺麗でしょうから、蛍もたくさんいるんでしょうね」
蛍と聞いて、新井先生もその光景に思いを馳せていた。
「ずいぶんとロマンチックな夜を過ごしたんだな、楓は」
自分も出てみればよかった、と莉奈がぼやく。
「えと、あのですね、すごく綺麗だったんですよ」
楓が笑顔で説明していると、莉奈に微笑ましいものを見るような顔をされた。
にぎやかな朝食を終えると、楓たちは帰る準備を始める。
帰る前に、重森夫人にお茶室へ招待された。ぜひお茶所でのお茶を体験してほしいといわれたのだ。
「作法など気にしなくていいんですよ。大事なのは、美味しいかどうかですから」
それでも、楓は初めてお抹茶を立てているところを見る。重森夫人のその所作を、感心して見つめていた。
みんなでぎこちなくお茶をいただいていく。生菓子も可愛らしいものが出された。
楓の隣で一人、本郷が流れるような仕草でお抹茶をいただいていた。
「先輩は、お茶ができるんですね」
「できるというか、教わったことがあるだけです」
尊敬の眼差しを送る楓に、本郷がにっこり微笑む。
「お抹茶ってもっと苦いのかと思ってたけど、そんなでもない」
「ふふっ、ちゃんと入れれば、お茶は甘いんですよ」
寧々の正直な感想に、重森夫人が笑っていた。
いよいよ帰ることになった楓たちを、重森夫婦が見送りに出ていた。
「お世話になりました」
代表して新井先生が頭を下げる。
「いやいや、こちらも助かりました。武者鎧を送りますので、よろしくお願いします」
「はい、送り返す際はご連絡しますよ」
お願いされたくない楓の代わりに、本郷が答えていた。武者鎧は宅配業者が取りにくるらしく、玄関先に梱包されたものが置いてある。それを恨めしい顔で見ていた楓を、本郷が頬を指で突いてくる。
「楓さん、人間諦めも肝心ですよ」
「うう、そうですね……」
本郷に諭され、楓は肩を落とす。
「忘れ物はないな、みんな乗れ」
平井先生の号令で、みんなワゴン車に乗り込んだ。
「さよなら!」
「またおいで!」
重森夫婦に見送られながら、楓たちは屋敷を跡にした。
***
「楓さん、起きてください」
帰りの車で途中から寝てしまった彼女を、巽は揺すって起こす。橋本姉妹は先ほど自宅前で降ろし、次は彼女を帰すために神社前までやってきたのだ。
夜中に起きたりしたので、睡眠が足りていないのだろう。眠そうな彼女は、目を開けたものの、ボーっとしている。巽は自身の荷物と彼女の荷物を持ち、車から降りる。
「ほら楓さん、帰りましょう」
「……はい」
巽に手を引かれるまま、彼女も続いて下りた。
「巽お前は?」
彼女と一緒に降りた巽に、兄が問いかける。
「僕はちょっと神社に用があります。自力で歩いて帰りますよ」
「わかった」
こうして巽ら二人を残して、ワゴン車は去っていった。
「楓さん、寝ぼけていないで。階段を上りますよ」
巽が声をかけると、彼女がのろのろと動き出した。眠気で閉じそうになるまぶたをこすりながら、彼女は階段を上っていく。
「お帰り二人とも」
階段を上りきると、境内の掃除をしていたのか、石守氏が出迎えてくれた。
「すみません、楓さんは今まで車の中で寝ていたもので。まだ眠いようなのです」
「……ただいま、お父さん」
彼女はかろうじて帰宅の挨拶をするが、眠いらしくて頭が下がっていく。
「わざわざ階段を上ってもらって、すまないね。こら楓、ちゃんと家に入りなさい」
「……ふぁい」
彼女はふらふらと自宅の方に歩いていくが、その荷物は巽が持ったままである。それに気付いた石守氏が、荷物を引き受けた。
「本郷君、上がっていくかい?」
「いえ、神殿にちょっとお参りして、帰ります」
「そうかね」
巽は石守氏に一礼して、神殿の方へと向かった。
巽は毎週神社に通っているが、神殿へ来ることは滅多にない。ここへ来る時は、いつも特別な時である。
巽は深呼吸をすると、神殿へ向かって一礼した。
「あの、石神様にお伺いしたいことがあるのですが」
そして神殿の閉じられた扉越しに、巽は石神様に声をかけた。
「実は昨日、動く武者鎧に出くわしまして。そのときこのネックレスの石が、光ったのです。その後、武者鎧は動きを止めました」
石神様には聞こえているはずだ。巽は真剣な表情で続ける。
「その場にいた怪しい男が、それを除霊の光だと言いました。あれは、石神様のお力でしょうか?」
除霊を聞いて、まず確かめるべきは石神様である。なので、巽はこうして石神様をお参りにきたのだ。彼女がいれば、答えを聞いてもらえるのだろうが、あの眠そうな様子である。無理をさせるのはかわいそうだ。
「もしよろしければ近いうちにでも、楓さんに伝言して……」
『我にあらず』
巽の頭の中に、声が響いた。いつか聞いた、石神様の声だ。
「直接お答えをいただき、ありがとうございます」
巽は神殿に向かって、深々とお辞儀をした。
その後自宅に帰り、巽はずっとスマホを手に考えていた。
「あいつ、やっぱり捕まらないか」
電話番号は使われていないとアナウンスされ、メールも返されてくる。今まで特に連絡をとらなければならない用件がなかったため、放置していた。だが今、それでは困るのだ。
巽はため息をつくと、スマホを操作して電話をかける。今度はすぐに相手が出た。
「ああ、父さんですか?夜にすみません。実は、頼みたいことができまして」
父親に連絡をとるときは、ろくな用件ではないことが多い。警戒心をあらわにする父親に、巽はお願い事を伝えた。
「実はですね。僕の友人のことなんですが。そう、あいつです。連絡がつかないんですよ。ですがあいにく、あいつの実家の番号までは知りませんし、おいそれとは、はい、そうなんです」
巽の用件を知った父親が、問題事ではないことで安心していた。心労をかけて申し訳ないが、今回も問題事と呼べるかもしれない。
「重大な用件で、どうしてもあいつに連絡をとりたいと。はい、お願いできますか?」
友人の実家は、少々特殊である。巽が個人的に電話をかけても、断られる可能性が高い。だが父親は、同級生の保護者としての付き合いがある。
「すみませんが、よろしくお願いします」
父親が、秘書を通じて連絡を通してくれることになった。面倒な相手だが、巽の立場としてはお願いするしかない。巽は見えない父親に対して、電話に向かって頭を下げた。
電話を切ると、巽は大きく息を吐いた。
「あいつめ、僕に一体なにをくれたんでしょうね」
巽は胸元のネックレスをつまみ出し、連絡のとれない友人に愚痴る。
彼の名は音無類。霊能者一族、音無家の跡取り息子である。