金の切れ目がイクサの切れ目~軍産複合体と儲からない戦争
軍隊の維持には相当なお金がかかります。平時でも最低限にせよ兵士の数はある程度揃えておかねばなりませんし、その兵士の質を保つために訓練をしなくてはなりません。人件費というものはどんな世界であれ設備(軍隊なら兵器)よりお金がかかるものなのです。装備も時代遅れになる前に更新しておかねばなりませんし、新たな脅威(宇宙空間からSFでなく本物の電脳空間へと戦場となりえる世界は広がっています)にも対策が必要です。
ブッシュ(子)のイラク戦争では当時の資産価値で正面装備・戦闘の戦費だけで一年間で50兆円以上掛かったそうですが、もちろん、その後方で正面での戦いを支える経費や戦った後の復興や駐留、戦った兵隊たちへの保証などでそれ以上のお金が掛かった訳です。これだけのお金を掛けてアメリカは何を成し得たのでしょう?その答えはみなさんの立ち位置で様々な解釈が行われるでしょうから、ここでは語りません。
ただひとつ。日本の国家予算2年分が全てあの国での戦いに費やされ、米国史上最大の財政赤字に重ねられた、という事実だけ記しましょう。
昭和20年までの日本は、第一次大戦後引き続き行われたシベリア出兵辺りから軍部の発言力と傲慢さが目立ち始めて軍国と呼べる状態までに至ります。しかし、これが資源があって資金力もあり基礎工業力が高かったのならまだしも、石油はほとんど輸入に頼り(今も同じ)、工夫と細工は世界でも一流に入りますが工業生産技術や資金力では一歩二歩と欧米にかなわない位置にいたものですから、簡単に首根っこを押さえることが出来ました。
アメリカは日本が中国進出と南方へのあからさまな進出意志を見せると石油の禁輸でたちまち日本を窮地に立たせることが出来ました。石炭はそれなりに採ることが出来ましたが世の中は既に石油で「動く」時代です。石炭を大量に安価に液化する技術はまだなく、例え出来てもオクタン化(軽油とハイオクガソリンの違いを想い比べてみてください)で石油精製技術に優れるアメリカにはかないません。
燃料ひとつとっても困難な戦いに日本は飛び込んでいったのです。
ちょっと脇に逸れましたが、ゼロ戦や戦艦大和がどんなに欧米の同等兵器に勝っていてもそれを維持・更新出来るだけの資金力(とその「答え」となる工業力)がなければ何もなりません。それは歴史を見ればあきらかです。防御に目をつぶって軽快に作られたゼロ戦は戦術(格闘旋回戦VS.一撃離脱)とハイパワーエンジンに防御重視の重い機体を持つ重戦に敗れます。大和は登場した時には既に思想から時代遅れとなっており、皮肉にも日本が真珠湾やマレー沖で扉を開いた航空機に敗れました。これは兵器の刷新とともに加速度的に変化する軍事戦術に合わせることが出来るか否か、という戦いに敗れた結果でもありました。
現在の北朝鮮があの頃の日本にそっくりという方もいます。ある面ではそうでしょう。国民を搾取、洗脳に近い支配をし、国内の危機を軍備力増強による対外脅迫で回避しようというやり方が似ているのかもしれません。大きな違いは独裁だったか否かと言う点ですが、これも趣旨が違うので多くは語りません。
事象だけを語れば、資源不足で直ぐに危機に陥る国でもそれなりの兵器を持って対外対決も辞さない、とやればある程度の脅しにはなる、ということです。その意味でいくら北朝鮮が虚勢を張ってハッタリをかましているだの本当は軟弱だの、未だに戦車や戦闘機がベトナム戦時代もの、とか言っても核はバカに出来ない、ということです。日本がゼロ戦を生み出したように北朝鮮は脅威となるものを持っているのです。
またもや脱線気味ですので戻します。
ここで「軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックスを略して欧米ではMIC/マイク又はミックと呼びます)」のことを話すべきなのかもしれません。
現代の戦争を牛耳る黒幕とか「現代版死の商人」とか言われますが、これもユダヤの陰謀やらフリーメイソンやらの都市伝説がごっちゃになっていてまるで秘密組織のような言われよう。本来的な意味から離れている気がします。
このことば、元々は第一次大戦直前にイギリスの政治団体が掲げたマニフェストに登場するようですが、その後意図的にか、ずっとそれに言及する者はいませんでした。
これを表に出して有名にしたのはアメリカのアイゼンハワー大統領(勿論第二次大戦時の欧州連合軍最高司令官)です。彼は1961年にあのダラスで暗殺されたケネディへ後を譲る退任演説で「その存在に気を付けるように」と語ったものでした。
戦争がどんどん金食い虫になれば、そのお金が流れる先がとんでもなく儲かるのは当然で、それまでは「死の商人」などと言われていた軍需商から精々発展しても財閥などを組織する巨大企業体(軍需産業)だったものが、互いの利害の一致から軍自体や保守派議員、政府などとつるんで一種の組合化。戦闘で儲かる仕組みを築きあげたものだそうです。
確かに戦争は三位一体と見切ったクラウゼヴィッツさんの理論に当てはめれば、「敵に対する憎悪」=国民の代表である議員、「賭の要素」=軍、「政治」=政府と三つが揃い、戦争を行うスイッチを入れることが出来ますから、軍産複合体はいつでも戦争を仕掛けることが出来る、と言う理論になります。冷戦の時代から現在のアフガンまで、この軍産複合体が金儲けのために暗躍した、などと主張する人も左の論客中心に実に多いですね。
しかし、そんなにすごい秘密組織でなくとも、国の政策の前に立ちふさがる敵の存在がある場合、政府は敵を圧倒しようとして敵の存在をアピール(プロパガンダ)し、その敵に対抗するため軍は予算を要求し、その予算が流れる先の軍需産業(といっても兵器を作るには広いすそ野が必要なので、産業界全体と言ってもいいでしょう)は議員に献金して議会で予算を通りやすくする、と言った図式は完成します。
ネルフの上にあるゼーレみたいなものを想像するのは楽しい?かもしれませんけれど、そんなことにお金を使わなくても(ゼーレみたいな秘密組織はお金が掛かりそうですね)物事は案外単純に動いて行くもの、と考えた方が自然だと私は考えます。
ですから、この「軍産複合体」の正体は、政府が意図的に流す「情報」に迎合したか踊らされたマスコミなどの情報を鵜呑みにして、カッカと熱くなる国民自体が産み出す「亡霊」だと思うのです。
政府もこの「亡霊」をうまく操って適度な緊張状態を続けて自らは安泰、軍は最新装備や人員も充足して満足、お金が入る産業界も活気が出る。そしてそのお金は税金やひょっとすると「裏金」となって政府へ還流、万々歳。今の大陸さんがこの図式に当てはまりそうですが、あまりにも国民が加熱すると、「亡霊」が巨大化して制御不能となり戦争が発生します。
そうなってしまうと、今度はお金がバンバン消えてしまいますから、政府は困ってしまいます。彼の「大陸さん」にすれば、政府=党は戦争をしたいのではなく、現状維持が出来ればいいので現状を何とかコントロールしたいところでしょう。軍の上層部も党の上層部ですから考えは一緒のはずですが、困ったことに軍の下部は国民と一緒にプロパガンダを信じ切っているので少しずつ過激になっている、とまあ、そんな絵が南の海で描かれているのです。
またもやすみません。戻ります。
今や大学まで仲間に引き入れ「軍産『学』複合体」とか言うのらしいですが、ここまで来るともう政府の成長戦略と変わらなくなってしまい面白くも何ともないので次に移ります。
戦争は昔は勝てば大もうけでした。
昔と言ってもつい百年前までで、来年(2014)開戦百周年となる第一次世界大戦が全てを変えてしまいました。
それまでは、戦争と言えば今で言うところの地域紛争ばかりであり、狭い範囲での戦いがほとんどでした。侵略が伴う場合でも、最終的な到達距離は長くとも(アレクサンダー大王などギリシアを発しインドまで攻め込みました)その全てが狭い範囲での会戦で、同時多発的に広大な範囲で同規模の戦闘が起こることはまれにもありませんでした。
モンゴル帝国の戦いも侵略戦争なので多方面同時進行ではありましたが、それぞれの汗(ハン)国が自分の領域拡大のために戦っていたので関連性は薄く、別々の戦いと考えてよさそうです。百年戦争や薔薇戦争などの中世の戦いも断続的に長々とは続きましたが戦場は転々としており、主人公を変えて別々の戦いになっていったということです。
ヨーロッパ全域(エジプト・中東までも)に戦場が広がったナポレオン戦争も、ナポレオンの行くところで重要な戦いが発生したので、精々ロシアで戦っているときにスペインでも戦争していたくらいでした。
この概念が変わってしまったのが世界大戦だったのです。クラウゼヴィッツさん言うところの「地域(限定)戦争」から「絶対戦争」へ、総力戦の登場でした。
地域限定、つまり局地の戦いは単純で「儲かる戦争」でした。
勝者は敗者から奪いたいものを奪い、戦費と損害を帳消しにするための賠償を得ます。新しく加わる領域は新しい国民と新しい商売の場を与え、国はその分潤って行きます。
負けた方も小さ過ぎれば勝者の一領邦として頭がすげ変わるだけ、大きければ痛手はあるものの立ち直れないほどではなく、その後も頭(支配者)はすげ変わることはあっても国自体は続いて行きました。
ドイツ統一の課程で発生した普墺・普仏の戦争は敗者が痛手を被り政体を変える(=墺は二重帝国に、仏は共和制に)こととなりますが、国は消えません。日清と日露の戦争も典型的ですが、お互いに支配領域の争奪戦のかたち、つまるところ植民地の争奪戦で、本土は無傷のままでした。
ところが第一次大戦型の戦争は全く新しく、恐ろしい戦いになりました。現代でいうところのグローバル化で、戦争も一国対一国の利害関係で収まらず多国間同士の戦いとなります。
それまでも七年戦争やナポレオン戦争、クリミア戦争など多国間の戦争がありましたが、これらは強大な一国対利害を同じくする多国籍軍の戦いであり、少し様相が異なりました。
しかも時代は軍隊を大きく変えていて、ものすごくお金が掛かるようになっています。
戦争の「総力戦」は国の資本を根本から食い荒らして行き、今までは国民が被る搾取といっても一過性のものだったものが、戦争の規模の拡大で連続して搾取され続け、しまいには命に関わる(徴兵)ことになって行きます。女性の力が戦争に加わったのもこの戦いからでした。
この総力戦に勝ち抜いても賠償金は少な過ぎ、それをさらに得ようとして負けたドイツを追い込む結果(最終的にナチス時代へ)となります。
第二次大戦では儲けた国などなくなり、支配領域の拡大に成功した唯一の国、ソ連も驚くほど多くの国民を失い国土は荒廃しました。
勝者連合国は、第一次大戦後のドイツの例もあり、敗者の指導者たちを「戦犯」として裁くだけで戦費に見合う賠償金を得ることも出来ませんでした。
正にリデル=ハートさんの予言通り「絶対戦争は勝者も荒廃させる勝利者なき戦い」となったのでした。
もはや戦争が儲かるなどということは幻想で、「戦争景気」と呼ばれるものは全く戦争に関係のない背後の中立国でわき上がる、という妙なものになってしまいました。
結果、朝鮮もベトナムもアフガニスタン(ソ連による侵攻)も全て大国側が金をばらまくだけの大損に終わり、決着つかずに経済がヤバくなった大国側が撤退(=大国側の負け)という結果となってしまいました。朝鮮戦争はまだ痛み分けでしたが、ベトナムやアフガンはアメリカ、ソ連それぞれに無視出来ない「傷」と膨大な赤字を残します。
昔なら考えられなかった小国が大国に勝つ時代がやって来ました。いや、降参しないで辛抱強く踏ん張れば相手が勝手に引き上げるのです。
戦争は勝者なく大損だけを産み出す時代となったのです。