金の切れ目がイクサの切れ目~軍票と戦費のおはなし
腹が減っては戦はできぬ。胃が足を運ぶ。水のない水車は動かない。
これ全部、軍隊が戦うには糧食が必要、という意味のことわざ・格言です。ナポレオンは「軍隊は胃で行進する生き物」であると言いましたが実に的確な捉え方と言えますね。が、この軍隊の「胃」、別に食料だけを消費するわけではありません。
輜重の重大さは兵站の項でお話しした通りですが、この兵站を維持するための原資、つまり「お金」こそ軍隊の「胃」に入る、ある意味戦争の源泉です。
今回は戦争とお金の話をしたいと思います。
戦争の歴史は収奪の歴史でした。
「他人のものを暴力で奪う」と言う行為は、なにも人間だけが行うのではなく動物も行う(善悪は別として)弱肉強食とは別の面の自然科学的な行為と言えますが、これを集団で集団に対し行ったのが多分戦争の始まりではないかと思います。
他の集団が自分たちより多く食糧を持っていて自分たちは腹が減っている。生きるために奪ってしまえ、という事だったのかもしれませんが、次第に武力で他人を従わせて自分の支配下に置くという方向に変化して行き、王国やら帝国などが生まれて行ったのでしょう。
支配する土地を獲ることは耕作地や狩り場、家畜の肥育場を得ることで、そこに住む人々を支配下に置くことは、その土地でうまれる収益の一部をその人たちから得ると言うことです。
当然ながら攻める側がいれば守る側が生まれ、軍隊が育っていきました。
戦争にはお金がたくさん掛かります。古代から近世までは単純でした。そのお金は攻め込んだ場所(敵)から奪えばいいのです。
古代の戦争。兵站の項目でも言いましたが、食糧は最初の数日分、多くても1週間分奴隷や家来に運ばせて後ろから付いて来させ、それが消費されれば戦い奪い取った土地から食糧を調達し、金目の物を奪い取る。そして食糧を備蓄してから次へと進んで行くという風に続きます。
最終的に奪えるものがなくなるか、敵の大将(王様)が降参!となれば戦争はそこでおしまいで、その後は王様を殺すか部下にして奪った土地を支配し、そこから食糧や貴重な産物を徴収する。
この単純な構造は近世まで続いて行き、戦争の原因は突き詰めれば他国より豊かでありたいと言う欲求(その逆に豊かであることを護りたいという欲求)すなわち経済が原因、という状況に変化はありませんでした。
あのナポレオンは兵站を組織立てて行うことで、現在に通じる機能的で計画的な軍隊を作った人ですが、政権奪取以前のイタリア戦線などでは部下に略奪を許し、兵站組織を作り上げた後でも現地購入ではない収奪の現地調達も並行して行われました。
あの「歓喜の歌」を作詞したフリードリヒ・フォン・シラーは「戦争は戦争を養う」(戦争は次の戦争の原因)と言いましたが、ナポレオン式に言えば「戦争は戦場で養う」(戦争経費は敵の戦場から奪う)ということでしょう。
ところで、軍隊と略奪、現地調達とお金、と言えば「軍票」というものがあります。
これは軍隊が占領地や勢力圏下で使用する「お札」のことです。これで軍隊の維持に必要な消耗品や食糧などを調達したり、兵隊が買い物をする時などに使われました。
先述の通りナポレオン戦争までは占領地は略奪され、食糧や物資を徴発されるのが当り前でした。しかしこれは現地の人々の反発を呼び、占領軍は抵抗運動に苦しんだりもします(ナポレオンもスペインなどでゲリラに苦しみました)。そこで「借用書」のようなものを渡して、後でお金を払えば紳士的だろうと、ナポレオン戦争末期の1815年、イギリス軍が「軍隊手形」を発行したのが軍票の誕生と言われます。その後、軍票はお札タイプとなり現代に至ります。
1907年に「戦争する時の国際ルール」を定めた「ハーグ陸戦協定」(よくこう書かれますけれど実際は1899年に決められて、この07年に改訂されたのです)にはこういう部分があります。
「私有財産は没収できない」(第46条の一部)「略奪はこれを厳禁する」(第47条)「現品徴発及び課役は(中略)なるべく即金にて支払い、それができない場合には領収書をもってこれを証明し、かつなるべく速やかにこれに対する支払いを履行しなければならないものとする」(第52条)
この52条で言う「領収書」こそ軍票の正体です。
つまりはこの軍票、言うなれば軍隊の「約束手形」。後で(普通は戦争が終わった後で)この軍票をしかるべき役所や定められた銀行に持って行くと軍票に記載された額面価格の本物のお金と交換してくれる、という仕掛けです。この軍票は戦争中(という期限付きで)占領地(という限られた場所で)のお金と同等なので、軍票自体がお金と同じく流通しましたが、問題は本当にお金に換えてくれるのかどうか、ということ。
実は戦争に負けて降伏すると大体の場合、戦勝国に賠償を求められて国庫が破綻して金庫はカラッポ、支払うお金がない、ということで払って貰えないことが多々ありました(つまりは手形の不渡り=会社の倒産みたいなもの)。
つまり軍票は、勝った側からは渋々でもお金に換えて貰える可能性はあるが、負けた側からはまず返して貰えないことになりかねないリスキーな手形です。
20世紀前半までの戦時国際法では、戦争の被害に対する個人の損害は補償しないという原則があったので、それを逆手に支払いを逃げるケースが続出したのです。
これがひどかったのは日本の例で、第二次大戦中、じゃんじゃん軍票を発行しバンバン使い、特にフィリピンや香港では現地通貨を禁止して軍票を通貨として使うよう軍令を行ったほど。で、日本が敗戦となるとこれが全てただの紙切れとなってしまったのです。お陰でタバコの巻紙に使われた軍票もあったとか。
日本政府の軍票支払いの義務はサンフランシスコ講和条約で連合国側が請求権を放棄したため消滅しました。これで国際法上も支払い義務をのがれた日本です。
まあ、日本のネガティブな部分ばかり書いては不公平なので、踏み倒した罪滅ぼしの部分も書いておきます。
日本政府はサンフランシスコ条約参加国で戦争中占領下に置いた国(ビルマ、フィリピン、インドネシア、ベトナム)に関して総額3,643億4,880万円(1950年代換算)の賠償金を分割で支払っています。この他の地域にも「準賠償」として600億円超が渡っています。
更にODA(政府開発援助)をビルマを皮切りにフィリピン、インドネシアなど東南アジアに積極的に供出したのは、この軍票問題や戦中の損害賠償の意味合いも強くあったのでしょう。
ちなみに中国(国民党政府)や朝鮮(まだ南北に別れる前)に関しては在外資産を放棄したことで当時(45年)のお金で朝鮮に約700億円、中国本土で約2,400億円、台湾には425億円の資産・設備・物品が渡っています。当然ODAもどんどん供出して行ったのは皆さんご存じの通りです。
話を軍票に戻しましょう。
明治初期に起きた西南戦争では鹿児島(西郷)反乱軍が「西郷札」と呼ばれる軍票を発行、これが日本初の軍票と言われてます。
しかしこの西郷札、西郷軍が裏付け(将来の返金)なしに勝手に発行したので信用されず、鹿児島や支配地では西郷軍が半強制的・無理やり流通させました。そして西郷どんが死んで西郷軍が敗北すると西郷札はたちまち効力を失い、当然明治政府も支払いを拒否したので鹿児島では商家が何軒も潰れてしまったと言います。
ところが西郷札、タバコの巻紙にされた後の日本軍の軍票と違い、明治政府が残りを没収して焼いてしまったため、現存数が非常に少なく、高価なコレクターアイテムとなっています。何とも歴史の皮肉ですね。
他にも、大戦末期、沖縄久米島に上陸したアメリカ軍が占領後、住民を使役した際に軍票がなかったため、仕方なしにタイプライターで打った謄写版原版を使ってガリ版印刷、それを流通させたまるで「こども銀行券」みたいな珍品「久米島紙幣」(現存15枚)もあり、この手の話、もっと色々ありそうですね。
なお、米軍も沖縄で流通させた「B円」やベトナム戦争でも軍票を多発していました(こちらはほとんど換金可能だったようですが)。米軍は90年代に軍票を止め、今ではプリペイドカードだそうです。
さて、ここまで読んだ方、どうして軍隊は自国発行のお札を占領地で使わなかったのか、と疑問に思いませんでしょうか?これには深い訳があります。
もし軍隊が占領地でお金を使うとなると、これは国家財政にとり相当な支払い量増加となります。当然、国内流通分のお札では間にあわず、お札をジャンジャン刷らなくてはなりません。
お札の量が増えると、インフレになって行きます。現(2013年8月)首相の安倍さんがやっているのと同じですね。でもケタが違うので猛烈なインフレになってしまい、戦争中ですからこれはとっても困ります。
また、占領地とは言え敵地に自国通貨がバンバン投下されてしまうと、このお金を敵が密かに回収し、よからぬこと(例えば占領軍の反政府勢力に渡す資金とか)に使うかもしれません。
また、「約束手形」(ツケ)の形にすれば支払いを後回しに出来るので、現金より思い切って物資の大量仕入れが可能、というメリットもありました。
話は変わって……
ナポレオンが「国民軍」という近代軍隊のあり方を示すと、そこへ産業革命の波が押し寄せ、世界が大きく様変わりすると当然ながら軍隊や戦争も急激な変化を迎えます。この辺りは「武器の変化と…」の項を参照して頂き、省略しますが、武器や戦術の急激な変化と共に大きく変化したのが「異常にお金が掛かるようになった」ということです。
この19世紀後半から20世紀前半にかけて、世界戦争史に突然登場するや急上昇し急降下した国があります。日本です。
その日本は、この半世紀50年で4回の外征(外国との戦争、という意味はもちろんですが外国に軍隊を派遣したと言う意味も含みます)を行いました。
1・日清戦争
2・日露戦争
3・第一次世界大戦
4・第二次世界大戦
です。ここでどれだけのお金が使われたのか、第二次大戦後に大蔵省(現・財務省)が『昭和財政史』という本に書いています。以下、簡単に記しますと、
1・日清戦争から台湾平定まで/1894年6月から1896年3月(1年と9ヶ月)
支出・2億円(陸軍費82.1%・海軍費17.9%)
収入・2億2,500万円(公債金(内国債)で51.9%、賠償金35.0%、1893年度の国庫剰余金10.4%、その他2.6%)
2・日露戦争/1903年10月から1907年3月(3年と5ヶ月)
支出・15億800万円(陸軍費85.1%・海軍費14.9%)
収入・17億2,100万円(公債金(外国債含む国債)や借入金で82.4%・他の予算で14.6%・その他3.0%)
3・第一次世界大戦からシベリア出兵まで1914年8月~1925年4月(10年と8ヶ月)
支出・8億8,200万円(陸軍費70.8%・海軍費29.2%)
収入・9億100万円(公債金・借入金で61.7%・他の予算で34.0%・その他4.3%)
4・日中戦争から第二次世界大戦と復員事業まで1937年10月から1946年2月(8年と5ヶ月)
支出・1,553億9,700万円(陸軍費48.7%・海軍費40.8%)
収入・1,733億600万円(公債金・借入金86.4%・他の予算で11.3%・その他2.3%)
もちろん物価上昇率や資産価値が違いますから単純な比較は出来ませんが、目安として日銀さんが資料として出している企業物価戦前基準指数(昭和9年~11年の平均を「1」とする計算方法)を使用して計算してみましょう。
1901年が0.469、2012年が674.3となりますが、1900年以前の指数がないので勝手に1895年を0.37として今の価値に換算すると、
1・日清戦争の支出 2億=昭和10年換算で5億4,000万=平成24年3,641億2,200万
2・日露戦争の支出 15億800万円=昭和10年換算で26億5,000万=平成24年1兆7,868億9,500万
3・第一次世界大戦の支出 8億8,200万円=昭和10年換算で5億2,560万=平成24年3,544億1,200万
4・第二次世界大戦の支出 1,553億9,700万円=昭和10年換算で812億7,460万=平成24年54兆8,034億5,040万
損害や賠償入れずに軍需だけで54兆円、1年平均6兆5238億……
とは言うものの、今の日本では歳出予算100兆円なので6兆くらい何とかなるか、などと思われてしまいそう。なので、もうひとつ、この資料も。
1・日清戦争時の国家予算(1894年の歳出予算) 85,836,522円
2・日露戦争時の国家予算(1904年の歳出予算) 399,628,240円
3・第一次世界大戦国家予算(1915年の歳出予算) 750,678,857円
4・第二次世界大戦国家予算(1941年の歳出予算)8,657,849,395円
国家予算が86億の時代に1年間平均185億円純粋な戦費で消えて行くのです。近代戦はいかにお金が消えて行くかがわかりますね。
なお、第一次世界大戦での戦費が低いのは、当然日本が主戦場のヨーロッパから離れていて駆逐艦隊だけヨーロッパに送り、陸軍はチンタオのドイツ軍を攻撃し降伏させただけだった、という理由があります。
この収入で「公債金」が出て来ますが、今も続く国の債券、「国債」で調達した資金のこと。これも「戦時公債」と呼ばれる臨時の国債で、これがないと戦争も出来ないのは予算規模でもお分かりですね。そして軍票と同じで、これも敗戦してしまうと反故となり紙切れとなってしまうケースが多いものです。
ですから、これは買う人間(企業や国もあります)にとって一種の賭けであり、利率も一般の国債より高いのが普通でした。
特に明治期の日本のように未だ世界で信用されない後進国は戦費調達に大変な苦労をしています。
突然ですが、今日はこの辺で。
この続きはまた後日させて下さい。