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クラウゼヴィッツさんとリデル=ハートさんを10分で


 プロイセンの将軍、カール・フォン・クラウゼヴィッツという人は本当に「罪作りな人」です。後世の人に「戦争論」というとても難解で哲学な文章を遺して行ったのですから。


 この「似非ミリオタが何かほざいている」(=この「ミリオタでなくても軍事がわかる講座」の原題w)エッセーにも何度か登場するこの軍事史の巨人は、1831年、上司でこれもオタさん既知のグナイゼナウ将軍ともども現・ポーランド西部ヴロツワフであっけなくコレラにより亡くなってしまい、どうもこれが歴史の綾となって歴史まで微妙に変えてしまった感があります。もっと長生きしていれば(1780年生なので享年51)、確実に歴史が変わったのかもしれません。


 「戦争論」という書物がある事は多分知っている人が多いと思いますが、ちゃんと読んだ人は多分少ないと思います。


 「ドイツの軍人が戦争の本を書いた」と言えば、歴史を後ろ向きに見ている現代人はヒトラーやヒンデンブルク、二つの世界大戦やドイツ帝国を知っているので、どうも敬遠してしまうのかも知れません。ただ哲学を志した人は、ドイツの哲学者ヘーゲルの弁証法を通じてこの本を読んだことがあるかも知れませんね(とは言うものの、ヘーゲル哲学に影響されて書いたのではないだろう、と言う研究者もいます)。


 この「戦争論」はクラウゼヴィッツさんの死後、マリー夫人により三部に分けられ発行されたもので、本人の遺志とは関係がない出版でした。これは結構大きいことで、何故ならクラウゼヴィッツさんはこの「下書き」を基にちゃんと推敲したものを世に問いたかったらしいのです。

 ですから、この論文は未完成と呼んで差し支えないわけで、どうも各所に重複した言い回しや、書きかけて突っ込んでいない部分が多く見られます。


 研究者によると、クラウゼヴィッツさんが「完成」させているのは第一編だけで、残りの七編は未完成。その「覚え書」によると、「戦争論」はナポレオン戦争が終わった直後の1816年から書き始め、クラウゼヴィッツが陸軍士官学校の校長を務めた1818年から1827年までに第一から第六編までを書き、第七、八編の下書きを書いたそうで、その後、「戦争と政治の関係の書き込みが不十分」だとして手直しする、としていたところ、1830年、グナイゼナウの幕僚として現場に復帰したため筆を止め、そのまま亡くなってしまったようです。


 この未完の大作はさっきも言いましたように哲学的色彩も垣間見え、また、ナポレオン戦争やフリードリヒ大王の七年戦争等の戦史も入り込んでいるため、取り方によっては非常に難解となり、いろんな解釈をされて来ました。


 まあ、「ミリオタで」なのでとっても簡単に有名な三点を上げてみましょう。


一・戦争は政治の延長にあって国の政治手段だから、戦争に勝つことだけじゃなく、戦後も考えて最初の目的から外れて「ふらふら」してはいけないよ


二・戦争は「暴力を使おうと思う気持ち(憎悪や敵意)」「イチかバチかの勝負事(賭けや偶然の要素)」「政治の一手段(あくまで政治に従属するもの)」の三つからなるよ。この三つが一体となって初めて戦争目的が達成されるんだ(戦争の三位一体)


三・戦争をする軍隊(指揮官)は戦闘に勝利するための作戦を考えるけれど、戦場には「まさつ」やら「戦場の霧」やら言われるモノがあってさ、作戦なんて指揮官の考えた通りに進まないんだな、これが。これを人間が持つ強い精神力と知性で乗り越えなくてはならないのさ(「天才」の概念)


 すみません、砕け過ぎかも……

 まあ、これだけでも「ああ、知ってるよ」と言えるとは思われます。でもちゃんと軍事を「書きたい・学びたい」方は読みましょうね。


 もっと端的に言えば、

一は『シビリアンコントロール』、

二は『「国民」「軍隊」「政府」の三つが戦争のトロイカ』、

三は『戦争に勝つには強く賢い指揮官』

 とでも。


 他にも、

「主力同士の決戦の場に多くの兵力を集めた方が勝者となり戦争に勝利するが、そのためには攻撃の限界点を知らなければならない」

 とか、

「敵地に入ればなおさら摩擦や戦場の霧が増えるから防御側はそれを最大利用すべきだし、攻撃側は決戦の場へ兵力を集中する場合に摩擦に注意しなくてはならない」

 とか、

「戦争には『絶対戦争』(全面総力殲滅戦)と『現実の戦争』(領土紛争などの限定戦)がある。絶対戦争は戦争後に勝者も疲弊させやり過ぎてしまうため、政治によってブレーキを掛けなくてはならない」

 とかが重要ですかね。


 この「戦争論」、先に言ったように未完で哲学的要素もあるので、色々言われ、また、都合のよい解釈をされて誤解されたり、クラウゼヴィッツさんの評判が悪くなったりしています。


 イギリスの有名な軍事評論家のバジル・ヘンリー・リデル=ハートさんは、クラウゼヴィッツさんの言う「絶対戦争」(相手軍隊の殲滅を目的として徹底的に勝敗を求める戦争)理論が20世紀の『総力戦』(国家総動員による世界規模の全面戦争)を呼び、世界を危機に陥れた、と非難しています。


 このリデル=ハートさんのことを少し語ります。

 1895年にイギリス人牧師の息子としてパリに生まれ、成長すると英陸軍に入って第一次大戦で戦い、幾度か負傷、その総力戦と前線の無慈悲な兵士の消耗を見て「こんな惨い正面衝突をして国を弱らせなくとも目的達成のためにはいつでも『間接的なアプローチ』がある」という考えに至ります。


 リデル=ハートさんは第一次大戦後、陸軍の教育担当将校として「歩兵操典」などを著しますが、やがて陸軍上層部などと衝突してクビ。民間に降りると軍事評論家として「歴史上の偉大な戦闘」や「第一次大戦」などの著作で有名となります。

 ここで、ヒトラーのナチス勃興にぶつかりますが、リデル=ハートさんは自らの『間接アプローチ理論』から「直接対決~総力戦」を避け「経済封鎖」や「集団的自衛権の行使」による「封じ込めと抑止」を訴え、それは時のイギリス政府の対応に即していたので歓迎されますが、後に「宥和政策」と同意語と言われてしまい、第二次大戦発生と共に評判は地に堕ちてしまいました。


 戦中もチャーチルを批判したりして睨まれます。

 彼は言いました。

「正面から総力戦を行えば、例え勝者となっても経済は崩壊し、植民地を失い、イギリスは衰退して世界の一線から退くだろう。戦争内閣(ウォー・キャビネット)は戦後の安泰や繁栄を考えていない。ドイツを滅亡させる絶対戦争はヨーロッパに力の真空地帯を産み出してそこへソ連が乗り出せば再び緊張と対決が起きるだろう」

 ドイツとの宥和に失敗し、世界大戦を招いたイギリス人は耳を貸さず、リデル=ハートさんはドイツ寄りとも目されてしまいます。


 が、大戦終了後、冷戦構造となってイギリスは経済も疲弊して没落、見る影もなくなったことでリデル=ハートさんの「予言」が見事的中、彼の「間接アプローチ理論」は『戦略論・間接アプローチ』として結実するのです。


 こうして見ると、クラウゼヴィッツさんの「戦争論」も、それを批判的に見ていたリデル=ハートさんの「戦略論」も、時と場所で誤った見方をされ、実は紙一重で似ていたことが分かります。


 クラウゼヴィッツさんは「絶対戦争」=総力戦が必要だとか、戦争は敵を殲滅することだ、等とは言っていないのに、いつの間にか「絶対戦争」理論にされていました。そこには明確に「政治関与」が言われているのに、軍隊に都合のよい部分ばかりが強調されたように思われます。

 これはあの大モルトケとプロイセン参謀本部の成功が「悪影響」を与えてしまった感が強い。軍人さんは、総力戦で国の運命を左右するまるで古代中国やローマかカルタゴのような軍人の姿に憧れてしまい、政治を無視する道を進みます。


 リデル=ハートさんも「絶対戦争」は何も解決せず勝者なき世界を生むとして「間接アプローチ」を唱えました。しかし、これは「弱腰」とされてしまいます。

 冷戦と核の登場でリデル=ハート式が有効とされ、欧米戦略の基礎となって行くのです。


 どちらも、戦争を抑制する政治の力を第一番に考えている、と言う点を忘れてはいけないと思うのです。

 そして平和を考えるなら戦争知る、ということにも共通していることも。


「戦争は政治目的の達成のために起きることを考えるのなら、戦争の指導は、最初の動機(目的)を第一に最大に考えなくてはならない」(クラウゼヴィッツ・戦争論)


「平和愛好国家は危険だ。なぜなら一度駆り立てられたら極端に走りやすいからだ。戦争を好む国は、相手が征服するには厄介な力を持っていることを知るなら、直ぐにでも対決を止めるだろう」(リデル=ハート・戦略論)


「平和を欲するなら戦争を知りなさい」(リデル=ハート)



※偉大な人を済みませんと謝ってしまいます……

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