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紅蓮の誓い
作者:森下里虎
人生の転機は突然やってくる。俺の場合は小四の秋だった。
真っ赤に燃え上がる紅葉が遠近を染め上げ、景色は驚くほどに賑やかだ。
つかの間の昼休み、鬼ごっこ参加して追い追われを繰り返す。
校庭いっぱいをつかって駆け回る背中に辟易していると、視界の端に異質なものが映った。
「……」
それが何なのか、一瞬で木の陰に隠れてしまったからには、少なくとも生き物なのだろう。他の生徒を追いかけるふりをしながら、俺はゆっくりと進路を転換した。
落ち葉を踏みしめ、学校の敷地ぎりぎりまでせまってゆく。
……何の変哲もない、ただの木だ。
季節に従い葉を色づかせ,赤く滴る一本の木。
忍者が壁になっている様子もなければ、不思議な生き物も見当たらない。
ここまで走ってきた徒労を思うと、とても残念な気持ちになった。
「残念になったか?」
声は背後から襲ってきた。いや、襲ってきたのは声だけではない、
「いてっ」
無骨な指が肩に食い込み、相応の痛みを感じさせる。
「お前が残念だと思ったのは、ここに来るまでの時間を惜しんだからだ。違うか?」
その男は仮面をしていた。仮面をしているくせに薬品臭い白衣を身に纏っている。一瞬でそれとわかる、こいつ変態だ。
「いいか、ズバリ言うぞ。お前は無駄な人生を送ろうとしている。さっきの鬼ごっこがいい例だ。楽しくもないくせになんであんなアホなことをやってるんだ。答えを言ってやる、それはお前がいっちょまえに人付き合いなんぞを気にしているからだ! この先数年付き合うともしれない希薄な人間関係を持続させるのに必死だからだ。もういい、おまえとことん嫌われろ! 別に嫌われたって死にやしないんだ! 憎まれるわけじゃないからな! とにかく無駄な時間を使うのに比べればなんともない損失だ。いいか、この世で一番大事なのは時間なんだ! 無駄遣いはゆるさん! 解ったら頷け!」
俺は頷いた。そのくらい芯に迫る何かがあった。
すると男は満足気に微笑み……仮面越しににやけた面が透けそうなほど気を緩めると、あっさりと拘束を解く。
「男と男の約束だぞ!」
去り際に言い放ち、もういちど未練たらしく振り向いた。
「そうそうお前にこれをやろう、お近づきの印だ。捨てるなよ、とっとけよ」
強引に手の中のものを引き渡すと、ゆっくりと踵をかえす。落ち葉を踏みにじり引き裂きながら男は歩み去った。舞い落ちる紅葉の中で翻る白衣だけが真新しい。
……正直居なくなってくれてほっとした。
「……」
手の中に残されたのは何てことないおもちゃのコインだった。大きさは五百円玉と同じ程度、色は黄色というよりは黄金色に近い。
「……馬鹿らしい」
それを地面に放ると、一瞬にして落ち葉の陰にまぎれてしまった。
《でも捨てるなよ、とっとけよ》
意味深なあの声が、否が応にもフラッシュバックする。
「……ふん」
あとはもう何も考えずに、校庭へと戻った。
一緒に遊んでいた友達の姿はなく、校舎の大時計を見て納得する。
「なんだ、もう休み時間終わってら」
ゆるゆると学び舎に近づき、窓から教室を見れば、何食わぬ顔で生徒達は教科書を開き、先生は黒板の前に立っている。
「まぁそうなんだけどさ……」
空席の机に目が止まり、思わずため息が漏れた。
皆が探しにきてくれなくて、俺が居なくても授業が始まっていて、そんなこと言うまでもなくあたりまえだ。      
あたりまえのはずなのに、あの変態の言葉が妙にひっかかる。
「この先数年付き合うともしれないキハクな人間関係のために……か」
確かにそうだと思う。俺が昼休みに鬼ごっこをしたり、掃除当番をきちんとこなしたり、その他色々なことに時間を削っているのは、友達と喧嘩をしないためだ。
それを無駄とは思わない、むしろ重要なことだと感じている。
「だけど……」
決めかねて、俺は駆け戻った。あのコインを捨てた木の下へ。
降り積もった落ち葉を前にして、思わず奥歯を噛み締める。ところどころに混じった黄色い葉が、コインの所在をより曖昧にしていた。
「こっちか……、いや、こっちか……?」
しゃがみ込んで、文字通り草の根を分けて探しつづける。爪先に泥が詰まり、秋風に吹かれた身体はすぐに冷えきった。
しかしそんな状況にも関わらずわくわくと胸の弾む気持ちがする。
きっと当時の俺は無意識に、己に訪れようとしている転機をかぎとっていたのだろう。
はらはらと舞う落ち葉に身を沈めることしばし―
あのコインは再び俺の手の内にあった。
汚れた指で拾い上げ、じっくりと光に当てる。そうすることで今後をどう生きるべきかが解る気がしていた。
刻み付けられた無数の傷。それ以外には何もない。
いいや、何もないはずがない!
焦りながらもそう信じ、祈るように掲げてみせる。
「あ……」
ある角度にコインを逸らしたとき、傷が、文字に変わった。
黄金の光に包まれたシンプルな文字列。
そのメッセージを受け取ってから、俺は一切の時間を大切に扱うようになった。

「それで、そのコインにはなんて?」
末尾は蒸気の吹き上がる音にかき消された。ざぁと広がった白い気体は俺たちに届く寸前で霧散する。計算どおりだ。
すかさず手元の資料に目を落とす。
「実験成功だ。耐久力に問題は無い」
そう告げると、次の作業を行うために動き始める。
「ちょっと先輩、コインの話は?」
頭部を覆っていた安全マスクを外しながら、なおもしつこく食い下がってくる後輩に、俺は心底面倒くさそうな視線を向けた。
「もう無くしたよ。無駄なおしゃべりはここまでだ。さぁ次の部位の耐久度を測定するぞ」
「えぇ〜、そんなの無いですよ! あんなところで話を切られちゃ気になってしかたないです」
両手をわたわたとさせ、女性特有の無駄の多い言い回しで話の続きをねだる。
「少なくとも、お前みたいなやつには考えもおよばん言葉だよ」
言いながら、俺はすでに次の実験を始めていた。
有限な時間を一秒たりとも無駄にしたくない。
そんな思いで小四の秋からいままでを過ごしてきた。
友達付き合いの一切を放棄し、自分の興味に没頭する毎日。当然クラスからは孤立し、イジメまがいの扱いを受けたこともある。それでも時間という観点から見ればとるに足らない出来事だ。
俺の興味は工学へ向けられ、今はさる大学院で大掛かりな研究を行っている。
そこにはこの後輩のように無駄で固めた人生を歩むものが多くいたが、研究のほうは順調に進んでいた。
俺が発案し、俺が計画を立て、俺がまとめている研究だ。これが完成すれば、人類はまた大きく前進することになる。
その分無茶な内容でもあるので、ここまで研究員をひっぱってくるのに大変な苦労を要した。それもこんな状況では……。
「もー、そうやって先輩はすぐ私を馬鹿にする」
ぶーたれつつも、やっと作業を開始した後輩を顧みる。
そういえばこいつだけは最初からのり気だった。
まぁ……馬鹿だからな。
「いいから次いくぞ、次!」
「待ってくださいリーダー」
声と共に実験室の扉が開く。
嫌な予感に、背筋がぞわぞわと粟立った。
息せき切って駆け込んできた研究員は、震える指先を天井へと向け、
「ついに、三日後、衝突だそうです……」
声がおぼつかないのは、息切れのためだろうか。
「そうか……」
この瞬間は、流石の俺も手を止めざるを得なかった。
全てをつぎ込んでつちかってきた過去と今が、音を立てて崩壊する。そんなときが確実にやってくる。
それも三日後に。
「ご苦労だった」
俺は泣き出しそうな顔をしている研究員に、なるべくゆっくりと声をかけた。
「もういい、俺の研究に最期までつきあう必要はない。あと三日で逃げるなり祈りをささげるなり各自好きなようにしてくれ、……そう、残った奴らにも伝えろ」
「リーダー……」
「いいからさっさとしろ! 泣いても笑っても残り三日なんだぞ!」
声を荒げ拳を壁に叩きつける。
勢いに圧されるようにして、研究員は後ろも見ずに走り去った。
この研究に関わるものはみな廊下を走る。もちろん俺の指示に従って……。
まったく最後の最後まで印象の悪いリーダーだったことだろう。
「聞いてただろ、お前もさっさと帰れ」
背後でぼさっと突っ立ってる後輩に呟く。
自分でも驚くくらいに邪険な声だった。
しかし予想に反して、彼女は煩く問い詰めることも、慌てることもしなかった。
「先輩は研究を続けるんですよね?」
ただいつもどおり、妙にしゃっきりとしない声で無神経な質問をしてくる。
むしょうに腹が立った。
「わかってるなら無駄な質問をするな! 俺には残りの三日が惜しい! さっさと帰れ!」
精神の限界。
研究はここまできているのに、たった一つの隕石なんぞに全てをぶち壊されてしまう!
当り散らすように叫ぶと、腹立ち紛れに後輩の胸倉を掴み上げた。
ああ、一体何をしてるんだ、俺は。
そんな自己嫌悪の心も、彼女の表情を見て――消滅した。
「そうですか、なら続けましょう?」
微塵の動揺も感じられない、まったくいつもどうりの様子。まっすぐと見つめ返してくる真摯な瞳。
「え……」
手が緩んだ隙に、小さな身体はするりと拘束を逃れる、
「多分もう私と先輩しか残ってませんから、分担作業でいきまょう。私は最後の部品を車で運んできます。今日到着の予定ですけど、この騒ぎじゃ届かないでしょうから……」
いつになくてきぱきとした口ぶりで話しながらも、デスクに放り出されていたキーを拾う。
「じゃなくて、お前……帰らないのか?」
やっとのことで声が出た。
今まで馬鹿だ無駄だと位置付けていた単なる存在が、今急速にクローズアップされてゆく。
研究服の上から外出用のコートを着た後輩、羽上(うかみ)は、こちらを振り向きゆったりと微笑んだ。
「絶対に完成させましょう!」
それからは怒涛の三日間だった。
空を覆わんばかりに近づいた隕石に人々の混乱はピークに達し、ある者は技術の拙い宇宙船に命を託し、金のない者は神に縋り、最後までどう生きるべきかを悩みぬき、悩むうちに死に果てる者まで続出した。
そんな人々を横目でみやって、最後まで目的のある自分がなんとめぐまれているのかを再認識する。
巨大隕石の衝突まであと数時間。
俺が最後の夜明けを迎えたのは大学内だった。
「……完成した」
三日寝ずに仕上げたその機械は耐久性に劣り、しかも使用回数は一度きりであり、また、当初計画していたものに比べればなんとも粗いつくりである。
「あと数時間しかないこの世界じゃ、これで充分だ」
中庭に運び、傍らから暗い空を見上げた。
巨大隕石の接近により、地球では様々な天変地異が勃発している。
火山が噴火し、灰が舞い上がり、空はかすんだようになって見えない。
それでも、その向こうに迫る脅威の存在を感じられる気がした。
「羽上……」
この機械を起動させるために必要な最後のパーツは羽上が持ってくる。
この大混乱の中、遠い工場からここまでを往復するのは非常に難しいに違いない。
それでも、彼女ならば必ず間に合うと信じていた。
《絶対に完成させましょう!》
その言葉にこの三日間どのくらい支えられたかわからない。俺は人生で初めて自分以外の存在に頼もしさや信頼を感じていた。
「……あの変態仮面」
あいつも俺の人生に深く関わった人物だ・
「ま、あいつの場合まったく信じるに値しない人間だったけどな」
そのとき、けたたましい車輪の音が炸裂した。
そのまままっすぐこちらに向かってくる。
「羽上かッ!」
期待を込めてその名を呼んだ。
見覚えのある車両が現れる、羽上の車!
しかし次の瞬間俺は色を失った。
フロントガラスは粉砕し、ミラーは折れ、ボンネットは無残にもひしゃげ……。
「……!」
急停車した車へ、駆け寄る。
やはり羽上が乗車していた。
……乗っていて欲しくなどなかった! 彼女は血に塗れていた。
車から一メートルの距離で動けなくなってしまった俺に気付くと、力ない笑みを向けてくる。
「嫌になっちゃいますよね、自然淘汰派の、奴らですよ……。最期は諦めて死のうなんて、まったく信じられない……、でも、なんとか振り切りました」
そしてハンドルに張り付いていた赤黒い右手を上げると、Vサインを作って見せた。
「ば、馬鹿! 喋るな!」
医療に詳しいわけではない。しかし、彼女が危険な状態にあることは、素人の目に見ても明らかだった。
全身をふるいたたせドアを開ける。
……致命的だ。
見ていられずに、顔を逸らす。
白い板のようなものが後部座席に転がっていた。
「!」
軽く目をみはり、その見覚えのある仮面を見つめる。
自然淘汰派のやつらが身に付けていたものなのだろう。ボンネットのへこみは人を跳ね飛ばした跡なのかもしれない。
「……」
それを手にとり、彼女を抱き上げる。
羽上を傷つける奴は大勢いたに違いない。
それなら、誰が羽上を助けてくれるんだ。
「これ、最後のパーツです」
震える左手が持ち上がる。
その声は掠れ、視線は遥か上空に向けられていた。
きっともう何も見えてはいないのだろう。
声にならない叫びを飲み込んで、やっとのことで受け取った。
真新しい金色の歯車。
細かい窪みが円を囲み、こんな時だというのに清んだ光を照り返している。
《実りある時を全ての人に》
コインには、そう刻まれていた。
 
動かなくなった羽上を降ろして、力なく立ち上がる。
俺は俺の仕事をしなくてはならない。
空はいよいよ暗くなり、激しい風が吹き荒れた。巨大隕石の衝突まで、あと幾許もない。
高い音を発てて、地表から次々に飛び立つ光がある。あれらは宇宙に望みを託した者たちの船だ。
彼らが宇宙に賭けるなら、俺は未来に賭けるとしよう。
地球を救う、そして羽上を死なせはしない!
大地が鳴動し、悲鳴を上げた。絶望した人々が狂ったように駆け回っている。不運な宇宙船が墜落したのか、それとも噴火が起こったのか、景色は真っ赤に燃えている。やがてこの大学にも火の手が及ぶだろう。その前に隕石が衝突するのかもしれない。
「……」
歯車を握り締めると、一歩一歩作り上げた装置へと歩み寄った。
人生の集大成。
最後のパーツをはめ、スイッチを入れる。
青白い光が広がり、ふと体が軽くなったような気がした。
安定装置の作動による人工空間。
世界の大混乱が急速に遠ざかり、無音無感覚が迫ってくる。耳が痛い。
目を開けた最後の瞬間に、地球が爆ぜるのを見た気がした。

「……」
地面が赤く燃えている。いや……これは紅葉か……。
ゆっくりと顔を上げれば、地面に投げ出されるような形で俺は寝転んでいた。
どこかで見たような細い木が、傍らに聳えている。
そういえば三日間眠っていない……。こんな場所でなければもう少し目覚めは遅かっただろう。
「寒い……」
辺りを見渡すが、タイムマシンの姿は無かった。
時空移動の途中で投げ出されたのかもしれない。
「片道切符か……」
もうあの時代に戻ることもないのだから、特に困りはしなかった。
ゆっくりと立ち上がる。落ち葉を払い白衣の襟を正した。十五年前の母校では、何も知らない子供達が無邪気に校庭を駆けまわっている。
やがて炎につつまれ逃げ惑う彼らから目線を外し、手の中に残っていた歯車を見据えた。
《実りある時を全ての人に》
「ああ、そうだな羽上、俺は何度でも過去に帰り、そしていつか起こる奇跡にかける」
地球が宇宙の塵と消えぬよう。
自然淘汰派の仮面をつけて、俺は必ず未来を変える。

校庭で、ひときわ退屈そうにしていた子供が、ふとこちらを向いた。
そうだな、まずは時間についての話をしてやろう。

fin.
大学のサークル誌で発表したものをちょこちょこ変えました。
発表したほうは誤字脱字があって見ちゃいられません。
私も彼のように時を有効活用したいものです。
読んでくださりありがとうございます。
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