画用紙を切る作業なんていつぶりだろう。恐らくは小学生の工作の時間以来か。 そんなことを考えつつ、鼻唄まじりにハサミを走らせ、雪だるまやサンタクロースをかたどったものを窓や壁に貼り付ける。折り紙で作った輪の飾りを天井に一周させると、四畳半では思ったより短くて済んだことに気付かされた。
可愛らしく華やかな飾りにぬいぐるみ。我ながら完璧な準備、と鼻を高くした。
エロ本の類いは鍵のかかる棚の一カ所に押し込め、ベッドに消臭スプレーをかける。 ヘッドレストのティッシュの陰には“万が一”に備えてコンドームを隠しておいた。
整理と準備が行き届き、華やかになった自分の部屋を眺めて「よし」と声を息と共に吐き、本日三回目の掃除機をかけた。
一段落してふと時計を見るが、約束の時間まではまだかなりあった。
思い立ち、昨日まで何ヶ月も練習し連日徹夜して作り上げた曲に念を入れるため、アコギを抱えた。
狭い部屋に広がるメトロノームの一定のリズムに合わせ、自信作を奏でる。クサイ歌詞も今夜なら充分効果を発揮してくれるだろう。 未だ不安を残す要のアルペジオをひたすら繰り返し練習した。 時折、アコギを抱えた自分を鏡に映し、二週間前に染めたばかりの茶髪をかき上げては、見せる角度や唄い方にも磨きをかけた。
すらりと弾けることを確認すると、こちらも準備完了だ。 随分と練習し時計を見るが、先程から一時間も経ってないことに、ひとり苦笑いを浮かべた。
料理や飲み物を用意しようと冷蔵庫を開けてみるが、なんということか缶ビールくらいしかなかった。
自分の詰めの甘さに肩を落としながらも後悔している暇はないと奮い立たせ、慌ててコンビニへと走った。
道すがらの街には、いかにもな音楽とイルミネーションが溢れ、カップルがやけに目立つのも今日という日では無理もない話だった。
ダメ元で誘ってみた今日のパーティー。まさか彼女がOKしてくれるとは思ってもみなかった。表面上、今夜は男三人女二人のパーティーの予定だが、勿論他の三人は来ない。誘ってすらいない。 彼女を騙すようで気が引けたが、今夜のためと良心の呵責に耐えた。彼女には頃合いを見てちゃんと謝ろう。
彼女に二人だけのパーティーであることを悟られないよう、お菓子もジュースも必要以上に多く買い込んだ。 途中目についたトンガリ帽子と鼻メガネを一つ買った。笑う彼女を思い浮かべる。こんな日に誘いを受けてくれたってことは、少しは脈があるのかな…、などと一人ニヤついていたことに気付いて慌てて口を塞ぎ周りを見渡すが、こんな日にコンビニにいる一人の男に見向きする人などいるはずもなかった。
食べ物とジュースも揃い、もう抜かりはないかと改めて部屋を見渡し、頷いた。 コンビニに走ったせいで少し汗ばんだ身体を本日二回目のシャワーで流し、この日のために買い揃えた一張羅に袖を通す。見違えた自分の姿を何度も鏡に映してこちらも準備を整えた。
窓の外は薄暗くなり始め、本日四回目の掃除機をかけ終わる頃、時計は六時半を少し過ぎていた。 あと三十分もすれば彼女がこの部屋にいる。途端にそれまで以上にそわそわと身体が落ち着かなくなり、何度も部屋と服装をチェックしてはひとり頷き、立っては座りを繰り返していた。
いろんな感情が溢れ出した興奮状態に任せ、一度ここで電話を入れておこうと彼女に電話を掛けることにした。 このパーティーに託けて聞き出した念願の彼女の番号を、緊張しながらも呼び出す。
呼び出し音の最中、必死で呼吸を整えていた。頭の中のシミュレーションは完璧だ。 だが、電話は留守電へと転送された。
落胆したが安堵のほうがやや大きかった。機械の声に安心しながらメッセージを吹き込む。
『もしもし?パーティーの準備できたよ。もうこっち向かってる?留守電聞いたら電話ください』
馴れ馴れしさの度合いに気をつけながら、逸る気持ちを制して簡潔に済ませた。最後が敬語になったのはわざとらしすぎたかな。
彼女からの電話が来ないかと頬杖をつきながら、ケータイを指で弄んでいた。
不意の窓を叩く音に驚かされ目を開くと、雪がちらつく中に白い息を弾ませた彼女がいた。
慌てて窓を開けると、暖かな光が射す中で彼女は優しい眼差しをこちらに向け手を差し延べている。 大好きなその眼差し。吸い寄せられるように彼女の手を取ると、彼女は背中の大きな羽根で暖かな光のほうへと導く。その手の暖かさが心地よく、かつ彼女の笑みが戸惑いなどを払拭して余りあった。
身体がふわりと浮き上がり、彼女と共に雲間から射す光の階段へと向かう。 よくよく考えると初めて彼女の手を握ったことに気が付くと、途端に緊張が襲った。汗ばんだ手を悟られまいと手を緩めた瞬間、彼女の手は離れ、身体は遥か下へと落ちた。
落ちたのは空からではなく、こたつの上からだった。右手の痺れがいつの間にか寝ていたことを証明している。 頭を振り、息を深くつくと、目覚ましにこたつの上のジュースを一杯飲み干し、頭を無理矢理に起こした。
改めて周囲を見渡すと時間は七時五分。約束の時間を過ぎていたことに大いに慌てふためいた。 だが、彼女はまだ来てない。寝起きの顔を彼女に見られなかったことは不幸中の幸いだった。
玄関のドアを開けてみるが戸外に人の来た気配はなかった。 連絡はないかとケータイを見るが着信も留守電もない。少し落胆したが忙しいのだろう。誘ったのはこっちだし、待つのも自分ひとり。三十分や一時間くらいさしたる問題ではなかった。
それでも、もう一度だけ電話をしてみることにした。彼女が遅刻を気に病んでいたら大変だ。
『もしもし?今こっち結構盛り上がってきた。結構ね…、まあ……まだ一人なんだけど。この留守電聞いたら電話ください。じゃね』
悟られまいと他の人が既に到着しているように装ったがすぐに止め、素直に一人であることを吹き込んだ 記憶の片隅にあった“一番ダメなのはウソ”という雑誌の恋愛特集の記事を思い出したからだ。 結果、変なメッセージになってしまったことは激しく後悔した。でも、誠意は存分に込めたつもりだ。
寝起きのだれた顔を冷水で洗い、不覚にも寝てしまった気持ちを新たにし、彼女がいつ来てもいいようにトンガリ帽子と鼻メガネをつけた。彼女の笑顔が目に浮かぶ。
BGMをと探してみるが気の利いた曲はなく、一昔前の流行曲しかない現状に自分の趣味を多少は怨んだりもした。
時計の針は大学の講義を受けている時以上に遅く、さっきからまだ十五分しか経っていない。ケータイの鳴る気配もまだない。 メールのセンター問い合わせが本日何回目かは、もう覚えてすらいない。
さっきの今で悪いと思ったが、もしかしたら事故にでも遭ったのかも知れないと思うと、電話をかけずにはいられなかった。
『もしもし?今、もう大体飲み物、なんかオレ一人で飲んじゃったから、なんかもし飲みたいのあったら買ってきて。じゃあね』
彼女に心配をかけまいと気遣ったつもりだが、気持ちとは裏腹なメッセージにシミュレーションの足りなさを痛感した。しかも、わざと時間の経過を知らせるような真似をしてしまい、結果虚しさだけが増したことになってしまったが、実際あれだけ余分に買い込んだ飲み物はもうあと僅かしかなかった。
だが、乾杯のためのシャンパンだけは開けずにリボンもそのままにしておいた。
遅いなりにも進む時間をじっと待つが、いつまで待ってもケータイもノックも響かなかった。 合間に聞こえる秒針の音が、ひたひたと迫る絶望を知らせている気がしてきた。
静かな四畳半の部屋はいつも以上に狭く感じた。周囲のぬいぐるみの無機質な瞳が自分を射抜くように見つめていることに耐え切れなくなり膝を抱え、頭を埋めると、起こるはずのない彼女への憎悪にも似た感情が湧き出し、反射的に彼女へ電話を掛けた。
だが元来の性格からか、衝動的なその憎悪は呼び出し音の内に消化され、後戻り出来ない感情だけが留守電に辿り着いた。
『おーい…。もしもし?えーとぉ…何回か電話したんだけど…。えぇと……今日ね、大体何時でも時間大丈夫だから、うん。いつでも電話してください』
またもや強がり。いくらなんでももうわかっていた。結局いつもそうなんだ。
リボンを力任せにむしり取りシャンパンの詮を開けた。 ポンと音を立てて華やかな香りが拡がるのも構わず鳴咽ごと一気に流し込んだ。品もなくゲップを吐き出すと、鼻の根をシャンパンの泡が突き上げた。
あっという間に鼓動が早くなり、重りが頭の中を行ったり来たりする。胸からこみ上げる何かを再びシャンパンで流し込むと、伸ばし切った輪ゴムが切れるときのようなプチッと言う音が頭の片隅で聞こえた気がした。
途端に身体が嘘のように軽くなり、フラフラをヘッドレストに寄り添いながら立ち上がる。隠していたコンドームがぽとりと落ちたのが見えた。 おもむろにCDのスイッチを入れると、一昔前に流行った曲が恥ずかしげもなくかかる。それに合わせて身体が自然と動き出した。
時計は約束の時間から三時間ほど刻み続けている。
自分でもなんでこんなダンスを踊っているか、最早わからなかった。 ぶつけたい人すらいなく、やる瀬ない思いだけが身体を動かしていた。今まで誰にも見せたことないような動きで、廃れた音楽に合わせて踊る。恥という概念さえ、酔いの回った頭はとうに失っていた。
いったいどれだけの時間が経ったかはわからなかったが、踊り続けていると自分の動きがそれまでのどんなダンスよりも秀逸に思え、振りがだんだんと大きくなる。 自分でも信じられない動き。内気だった自分が嘘のように今は大きく羽ばたいている
きっと今の自分は今宵誰よりも輝いている。そう思うと、このことを彼女に報告せずにはいられなかった。
今日、何回目かの彼女の番号を呼び出す。発信履歴は彼女でいっぱいだ。
『もしもしっ!早く来たほうがいいよ、これ!オレがあみ出した動きマジすげぇ、これ、超ウケ…おもしろい』
彼女に見せたくて電話をかけたのか、自分へ言い聞かせるために電話をかけたのか。テンションは頗る高い。
電話を切ると同時に廃れた曲が終わる。それをきっかけに急速に我に返る頭。もう全てがどうでもよくなった。
それまでの緊張がどぉっとのしかかった身体で飾られた部屋を荒らすように片付ける。お役御免のぬいぐるみは一カ所に押し込められ可愛さの欠片もない。 本日五回目の掃除機をかけ終えると、チューニングされたギターとメトロノームがぽつんと片隅に佇んでいる殺風景な四畳半が戻った。正月までの数日はまたこの部屋なのだろう。だが、何故かとても落ち着けた。
ただひとつ華やかさを保ったままでいたコタツの上のプレゼントを、自分で開けた。
ついに彼女の指にはまることなくその価値を失った銀の環。それを彼女への思いごと強く握り締めると、トイレに流した。キレイに掃除の行き届いたトイレが雪のように白かった。
見上げた鏡にはトンガリ帽子と鼻メガネをかけた男がひとり。 トンガリ帽子はへこみ、鼻メガネはひん曲がり、よく見ると茶髪が全然似合っていない。その姿に自嘲の笑みを浮かべると、俯いた拍子に頬を涙が伝った。
餅を焼いた。膨れ上がった餅をコタツで暖を取りながら食べる。 そんな日常。非日常なのは隣のシャンパンだけ。
寂しさから逃げるようにテレビをつけると面白いCMが流れ、ひとり吹き出した。笑いのセンスはいいと自負している。 だから彼女に電話をかけた。またこのCMが観られる保証もどこにもない。こんな刹那的なものにも縋ろうとしている自分が滑稽で、なおさら笑えた。
『もしもし?今このCM、マジすっごいウケる。早く来たほうがいいよ』
頭で思っていても未練の残る口が最後まで彼女の到着を待っていた。 結局、この夜これと同じCMは二度と観られないまま画面は砂嵐になった。
虚気にテレビを消す。静かになった四畳半で膝を抱え、洟を啜る音がひとつすると、鼻メガネに涙が一滴落ちた。
トンガリ帽子と鼻メガネはなんとなく外せないままでいた。
<了> |