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ヴェッキオの万能薬

作者:光太朗
 金色の血。
 その一滴で、どんな難病も、どんな怪我をも、無の状態に帰す奇跡の血。
 世界中の薬師が調合を夢見る、幻の万能薬。
 それを手に入れたものには、永遠の光が約束されるという。



 ***



「死ぬ──!」
 かもしれないと、本気で思ったのはこれが初めてだった。足の下にはなにもない。唯一空気以外と接触しているのは、右の手のひらだけだ。それすら、いつまで保つかわからない。
 指先がしびれ、右手の感覚がなくなっていく。このまま重力に身を委ねることができれば、どれほど楽だろう──情けない考えを、少年は慌てて振り払った。弱気になっては負けだ。足をすべらせての転落死など、笑い話にもならない。
「ねえ、セリオ。アタシ、これって天罰だと思うわ」
 少年、セリオの胸ポケットから顔を出し、小さな生き物が妙に優しい声を出す。ひどく小さな猫の姿──正確には、猫のぬいぐるみの姿だ。紫色の肢体に、赤く丸い、ガラスの瞳。尾には銀色のリボンをつけている。
「うっせえよ、黙ってろ、ナス。俺はいま、奇跡の生還を模索中だ。すっげ忙しいんだ!」
「ナスってやめてよ、ガットちゃんでしょ。ちゃんと名前で呼んで」
 できることなら、憤慨する小さな相棒をポケットに押し込みたかったが、それは無謀というものだった。足をすべらせた際に強打し、左手の感覚がない。かといって右手を離せば、生還は叶わない。
 焦る気持ちを抑え、セリオはとりあえず状況の整理を試みた。
 ここは山。メッザノッテという名の山だ。麓の村人の、危険だから登るなという忠告を鼻で笑い飛ばしてやって来た。
 季節は夏。というより、このあたりの気候はいつでも夏だ。証拠に、セリオの黒髪も、ほとんどの肌を覆い隠している黒い皮服も、これでもかと日光を吸収して、暑いことこの上ない。汗が目に入り、拭うこともできずに顔を歪めるばかり。
 革手袋の装着された右手がつかんでいるのは、地面から飛び出した木の根っこ。あまり丈夫そうにも見えないが、とりあえずはこれが命綱となっている。
 そして、セリオの下には──空気、空気、また空気。ずっとずっと低い位置に、皮肉なほどに健康美をアピールする木々が見える。いらっしゃい、受けとめてあげるからだいじょうぶ、そんな幻聴まで聞こえた。
「信じられるか! っつーか、山とか夏とかそんな情報、なんの足しにもならねーよ! あああ俺のばか!」
 自分の思考に突っ込んだ。もうだいぶ、限界が近づいてきている。
「ね、だから、天罰だと思うのよね。村のひとたち、あんなに困っていたのに。セリオったら、お金のことしか頭にないんだもん。これに懲りたら、お金儲けはほどほどにして、奉仕の精神というものを身につけるべきよ」
 したり顔で、猫のぬいぐるみ──ガットが、淡々と諭す。もう落ちてもいいから、セリオは本格的にガットの頭を殴りつけてやりたい気分だ。
「おまえな、説教はときと場合を考えろよ。俺が落ちれば、おまえだって落ちんだぞ。もっと気の利いたこといえ、テンション上がるようなやつ」
 ガットは考えるように沈黙し、尾を振った。
「走馬燈って、本当に見えるのかしら」
「うわあ、テンション下がった」
 目眩を覚えた。わざとやっているとしか思えない。
「でも、だいじょうぶだと思うわよ、木がクッションになるでしょうし。少なくとも、死ぬことはないわよ」
「死ななくても、ケガして血が出たらどーすんだよ、もったいない」
 もうほとんど上の空で、セリオがそう返す。それだけに本音だということが伝わってきて、ガットは閉口した。だから天罰だといっているのだ、と心中でくり返す。
「あーもう、これほんっとやべえ……。もうだめだ、自分の右手って気がしねえ」
 セリオは、右手を見上げた。自分の指がまだ曲がっていることが奇跡とも思える。
 しかし、追い打ちをかけるように、彼の視界にどうしようもない現実が飛び込んできた。木の根が、悲鳴をあげている。堪えきれずに土を持ち上げて、いまにも丸ごと抜けそうだ。
「セリオ、これってピンチだわ」
 ごく静かに、ガットが告げた。
「頼むから、テンション上げてくれよ」
「ずっと素直になれなかったけど、いままでありがとう、セリオ。感謝してる」
「おまえ、わざとだろ!」
 最後の力を振り絞り、セリオが声を荒らげる。
 それが、引き金となった。
 離した、という感覚は皆無であったものの、セリオの右手が、根っこからすり抜ける。
 まさにその瞬間だった。細く小さな両の手が、セリオの右手をつかんだ。
「──ん!」
 それは、赤い髪の少女だった。まだ幼さの残る顔の真ん中に皺を寄せて、両足で踏ん張っている。
「ちょ……っ」
 とっさのことで、セリオは言葉に詰まる。登場したのが屈強な大男ならまだしも、見るからにか弱い少女だ。
「いいから、離せ! おまえも落ちるぞ!」
 しかし、少女は離さなかった。顔を真っ赤にして、じりじりと両手を引き上げようとする。
 セリオは鋭く舌打ちすると、力を振り絞って左手を持ち上げた。先ほどまで命綱だった根をどうにかつかむ。こうなったら、無理でもなんでもよじ登るしかない。落ちても、自分は死なないだろうという、確信めいたものがある。しかし、見知らぬ少女を巻き添えにするわけにはいかないのだ。
「──ぅおりゃああ!」
 セリオは腹の底から気合いを吐き出し、一世一代の懸垂を披露した。

 木々の隙間から青空が見えて、確かに無事なのだと確信する。セリオは地面に転がったまま、生還の喜びもそこそこに、もう眠ってしまいたいとぼんやり思った。
 山には慣れすぎるほどに慣れているつもりだったが、いきなり崖に足を取られるとは。のど元を過ぎたとはいえ、熱さはありありと残っている。右手にしか拠り所のない、ひどく不安定な感覚。
 三度深呼吸をして、セリオはやっと少女に目をやった。土がつくのも厭わず、べたりと地面に座り込んでいる。自分と同じか、それよりも幼いぐらいの少女だ。十代半ばほどだろうか。目がくらむほどの、みごとな赤い髪。あちらこちらがすり切れた、黒ずんだワンピースに身を包んでいる。
 少女は、じっとセリオを見ていた。目が合って数秒後、まばたきもせずに口を開く。
「けがはないか」
 見た目のかわいらしさとは裏腹に、ひどく抑揚のない声だ。
「このとーり、無傷だ。──でもあんた、無謀もいいとこだぜ。あんなもん、自殺行為だ。生き抜きたいなら、死にそうな他人ぐらい放っとけよ」
「こら、セリオ! お礼が先でしょう!」
 ポケットからはい出て、ガットが甲高い声で諫める。反論するのも面倒で、セリオはため息を吐き出した。実際には、助けられたというわけでもないのだ。
「なるほど、それは私が無知だった。反省しよう。先日、私も崖から落ちてけがをしたのだ。放っておけなかった」
 気分を害する様子もなく、少女はそう返してくる。そのあまりの無表情さに、セリオはかえって興味をそそられた。
「あんた、おもしろいな。俺はセリオ。あんたは?」
 身体を起こして、握手をするつもりで右手を差し出す。少女は、身じろぎせずに、首を振った。
「名などない」
「……いや別にナンパとかじゃないけど。警戒してんの?」
「けいかい? なぜ」
 セリオは眉根を寄せた。どうも、会話がかみ合わない。仕方がないので、そのまま手を降ろす。
「ね、あなた、アタシを見ても驚かないのね。さっきはうっかり声出しちゃったけど、驚かれないからこっちがびっくりだわ。なんだか新鮮!」
 小さな四つ足で歩を進め、ガットは少女の膝元までたどり着いた。ガラスの瞳を輝かせ、少女を見上げる。抱っこして、といわんばかりに、前足でワンピースの裾を引いた。
「アタシはガット。見たとおり、ぬいぐるみのガットよ。助けてくれてありがとう」
「かわいい生き物だな」
 少女はガットを抱き上げる。生き物にしてはおそろしく頼りない感触のそれを、そっと撫でた。ガットは本物の猫のように目を細め、にゃあと鳴く。
 ふむ、とセリオは息をついた。これはどういう状況だろうかと、今更ながらに考える。危険だから近づくなといわれたメッザノッテに、あまりにも無防備な少女が一人。しかも、名などないという。
「ガット、私が驚いていないというのは間違いだ。私は充分に驚いている。父さま以外で、私と同じものを見たのは、セリオとガットが初めてだ。ここまで下りてきた甲斐があった」
 驚きを微塵も感じさせない態度で、少女はそんなことをいいだした。内容を吟味するような沈黙を挟み、セリオは小さく眉を上げる。
「私と同じもの……ってのは、どういった意味合いで?」
「そのままの意味だ。目、鼻、口、手足があり、こうして話せる存在だ。私はいま、心から感動している」
「なあにソレ? どういうこと?」
 少女の腕のなかで、顔をぐるりとセリオに向け、ガットは何ごとかを目で訴えた。セリオも似たような表情だ。困惑。
「会ってすぐ、突っ込んだ質問もどーかと思うけどよ……その、父さまっていうのは?」
「父さまは父さまだ。私はこのずっと向こう、山のてっぺんで、父さまの帰りを待っていた。なかなか帰らないので、迎えに行くところだ。セリオ、ガット、父さまを知らないか?」
 今後こそ、セリオとガットは顔を見合わせた。これは、最初から話を聞かないことには、埒があかないようだ。
「あんたには一応恩がある。場合によっちゃあ協力するが……どこか、休めるような場所知らね?」
 左手の感覚はなく、右手にも力が入らない。疲労困憊を絵に描いたような状況だ。加えて、陽も傾き始めている。
 わらにもすがる思いで、まったく期待せずに問いを投げたセリオだったが、少女はあっさりとうなずいた。
「案内しよう」

 *

 ついてこい、とだけつぶやいて、ずんずん歩く少女のあとに続くと、やがて小さな集落にたどり着いた。正確には、かつては集落だったのであろう荒れ地だ。森を円上に切り取ったような、見渡せるだけの広さの土地に、石造りの四角い廃墟が並んでいる。中央には干上がった井戸。当然ながら人が暮らしている様子もなく、植物さえ根づいていない。
「こりゃあ、古代の人(ヴェッキオ)の遺跡か。あるとは思ったが、まさかあんたみたいのが知ってるとはな。──ええと、フィオーレ?」
 荒れ地に一歩足を踏み入れ、不快感に一瞬顔を歪める。前を行く少女に呼びかけたが、彼女はこちらを見ない。呼び名がないと不便だと、セリオが歩きながら命名したのだ。
「なんでフィオーレなのよ。アタシなんてガットよ、不公平だわ」
 ずっと少女の腕のなかでおとなしくしていたガットが、不満たらたらの声を出す。やっと興味を持ったのか、少女はガットに視線を落とした。
「どういう意味だ? まさか、フィオーレというのは私の名か?」
「そうよ、羨ましい!」
 これでもかという金切り声。セリオは思わず唇を曲げた。
「さっき、そう呼ぶけどいい? アア問題ナイ、ってやりとりしただろーよ。おまえ、頭んなかどーなってんの」
「……ああ、確かに。なるほど、名か」
 フィオーレは歩を止めることもなく、無感情でつぶやく。そのまま黙って、端にある小さな廃墟に、あたりまえのように入っていった。
 扉もなにもない、ただ四角く切り取られただけの入り口を前にして、セリオが逡巡する。
「だいじょうぶなんだろーな」
 目の前でフィオーレが通り抜けたという事実が、それを証明している。それでも、意を決するのに数秒を要した。息を飲んで、足を踏み入れる。
 建物の内部は、若干だがひやりとしていた。古さなどはまったく感じさせない、恐ろしく無機質な造りだ。
「ねえ、セリオ! どうしてアタシがガットで、この子がフィオーレなの? ウォーモでいいじゃないの!」
 テーブルらしき白い立方体の上に降り立ち、目を三角にしたガットがセリオに詰め寄る。セリオは肩をすくめた。
「うるせえな。いいだろ、なんだって。赤い髪が、花みたいに見えたんだよ」
「さっきから、それはどういう意味だ?」
 フィオーレは、ガットの隣に腰を下ろしていた。中央の立方体の横に、それよりもいくらか背の低い直方体が四つ。座るならこっちだろ、と思ったものの、確信があるわけでもないので、セリオだけ椅子の役割らしい直方体に座った。
古代の人(ヴェッキオ)の言葉だよ。ガットってのは『猫』、フィオーレは『花』。ちなみにウォーモは『人間』。このあたりは、古代の人(ヴェッキオ)の文明がずいぶん長く栄えてたろ。地名なんか、ほとんど古代の人(ヴェッキオ)の言葉だ。この山はメッザノッテ──そのまま、『山』だな。麓の村は、マッティーノっつったか。これは『朝』」
「博識だな」
 ほんの少しだけ、フィオーレの目が見開かれる。悪い気はせず、セリオは鼻を鳴らした。
「商売道具だ。オレは薬師をやりながら旅してるんでね。植物や鉱物の名はほとんどが古代の人(ヴェッキオ)の言語だから、知ってないとやってられない」
「ほう。ところで、その、ヴェッキオ、というのは?」
「…………マジか」
 セリオは目に見えて肩を落とす。会った瞬間から、浮世離れした雰囲気を感じてはいたが、世間知らずだとか、そういうものを超越している。
 古代の人(ヴェッキオ)というのは、大昔この世界を支配していたとされるものたちの総称だ。現在の人間にあたるものたちは、劣る知能を蔑まれ、虐げられていたのだと伝えられている。長きに渡って栄華を誇った彼らだったが、高すぎる文明を維持できず、土地と資源を争って戦争を重ね、自ら滅んだ。
 こどもでも知っている歴史を簡単に話してやると、フィオーレは感心したように喉の奥でうなった。
「つまり、父さまやセリオ、ガットのほかにも、こうして話すことのできるものたちがいるということか」
「そこかよ……」
 セリオは天井を仰ぐ。なにもかもを一から教えるとなると、丸一日かけても足りなさそうだ。
「ね、セリオ。この子、教育もなにも受けていないのよ。なんだかかわいそう。町まで連れて行って、身なりもちゃんとしてあげないと。お父さんを見つけることまではできなくても、アタシたちにだってしてあげられることはあるはずよ」
 ガットがセリオの肩に飛び移る。そういわれて初めて、セリオはフィオーレの身なりに注目した。
 かわいそう、という言葉がセリオは好きではない。それはひどく勝手な言葉だと感じるからだ。だが、フィオーレの外見は、確かに「かわいそう」な色を帯びていた。いつから洗っていないのか見当もつかない、黒ずんだワンピース。櫛を通すことも難しそうな、伸び放題の赤い髪。
「父さまってのは、いつから帰ってないんだ?」
 何気ない問いだったが、フィオーレはずいぶんと長い間沈黙した。やがて、言葉を選ぶようにして口を開く。
「……どれぐらいになるだろう。薪がなくなるまでには帰るといっていた。だから私は、最後の薪を使っていない。なくなってしまっては、父さまが約束を果たせない」
 セリオは眉をひそめた。少なくとも、二、三日遅れている、程度の話ではないようだ。
「どうにも、おかしな話だな」
 ひとりごとのように、つぶやく。頭のなかで情報の整理に努めた。
 麓の村の有り様と、古代の人(ヴェッキオ)の集落がその姿を残す山、メッザノッテ。そして、父を捜しているという少女。
 これらがすべて無関係だといえるだろうか。
「あんた、この場所はどうして知ったんだ?」
 できるだけ抑揚のない声で問う。フィオーレは、ゆっくりとまばたきをした。
「『どうして』?」
 そのままくり返す。なにをいっているのかわからない、という顔。
 しかし、話はそれ以上続かなかった。
「だれかいるのか」
 ひどく緊張した声が響いた。ガットが慌ててセリオの胸ポケットに潜り込む。ほとんど同時に、背の高い男が現れた。入り口の向こう側からこちらの様子をうかがい、すぐに安堵した顔になる。
「おお、これは、セリオじゃないか。良かった、心配していたんだ」
 セリオも思わず頬をゆるめた。麓の村、マッティーノで、セリオに寝床を貸してくれた男だ。シャツの上からでも、筋肉の盛り上がりがはっきりと見て取れる。気は優しいが力持ち、を絵に描いたような男だ。
「ゲイドさんじゃねーか。メッザノッテが危険だって止めたのはあんただろ、どうしてこんなところに?」
 腰を浮かして出迎えるほどの元気は残っておらず、セリオは右手を挙げる。失礼、と一声かけて、男──ゲイドは入り口をくぐった。
「君に遅れをとってはいけないと思ってね。若い衆を引き連れてやってきたんだ。うちの女房とこどもは、君の調合してくれた薬のおかげでだいぶ良くなったが、村の女こどもはほとんど全滅だ。いつまでも、手をこまねいているわけにもいくまい。こんなとき、金色の血でも実在すればと思うが、夢物語にすがってもな」
 セリオの隣の椅子に腰を下ろす。手にしていた、手製らしい槍を壁に立てかけた。緊張が続いていたのだろう、長いため息を吐き出す。
「実は、ここまでは以前にも来たことがあるんだ。最初からここで一晩を過ごすつもりでやってきた。危険だといったのは、ここのことを──古代の人(ヴェッキオ)の集落の存在を知っていたからだよ。やつらの縄張りだ、どんな呪いがあるかわからん」
 ゲイドは忌々しげに家屋をぐるりと見て、鼻を鳴らした。そうして初めてフィオーレの存在に気づいたのか、目を丸くする。
「この子は?」
「俺の連れだよ。今朝合流したんだ」
 セリオはとっさに嘘をついた。胸ポケットからガットがなにごとかを囁いてくるが、聞こえないふりをする。
「ほう、君もなかなかやるな。だがアドバイスさせてもらえるなら、その暑苦しい格好をどうにかすべきだ。この暑い土地で、露出しているのが首から上だけなどと、日焼けを気にする娘でもあるまいに。君からもいってやってはどうだね」
 それは、村で最初に会ったときにもいわれたことだった。セリオの出で立ちは、長そで長ズボン、ブーツに革手袋と、執拗なまでに皮膚を覆い隠している。とはいえ、そのありがたい意見については、もうとっくに耳にたこができていた。いまとなっては、まさに馬耳東風の境地だ。
 急に話を振られて、フィオーレはかすかに身じろぎする。怯えさせたと思ったのだろう、ゲイドはすぐに詫びた。
「もうしわけない、年頃の娘さんの扱いには慣れていなくてね。名乗るのが先か。おれはゲイド。君は?」
 フィオーレは沈黙した。ちらりとセリオを見て、それからまっすぐにゲイドを見る。
「……フィオーレ」
 慣れない調子で、そっと告げる。ゲイドは微笑んだ。
「フィオーレか、良い名だ。──セリオ、明日からもここで採取をするのなら、ぜひ我々にも手伝わせてくれ。君が提示した報酬は難しいが、いくらでも身体で払おう」
「わかったよ、頼むわ」
 セリオの返事に満足そうに笑むと、ゲイドは立ち上がった。入ってきたときと同じように、失礼、と一礼し、建物をあとにする。
 すぐに、ガットがポケットから飛び出した。テーブルに移り、ばつの悪そうな顔でセリオを見上げる。
「金の亡者みたいにいって、ゴメンナサイ、セリオ。ちゃんと薬を調合してあげてたのね。ここに来たのも、村の人たちを助けてあげるつもりで?」
 その質問には答えかねて、セリオは曖昧に唇を曲げる。とはいえ、先ほどのゲイドとのやりとりで、助けないわけにはいかなくなってしまったようだ。しかも、正規の報酬をもらえそうにない。
 薬師というのは、基本的に金がかかる。薬の材料となる植物や鉱物は、買うには恐ろしく貴重なものが多いのだ。だからこそ、古代の人(ヴェッキオ)が住んでいたと思われる場所をセリオは見逃さない。そういう場所には、大抵、質の良い材料があるものだ。
「セリオ、ガット。私には、どうもさっきの男のいっていることがわからない。この山は決して危険ではないし、呪いなどかかっていない。それに、女こどもが全滅というのは、どういうことだ?」
 相変わらずの無表情ではあったが、かすかな怒りが見て取れた。セリオは息を吐き出す。それこそ、説明するのは難しい。
「あのね、フィオーレ。古代の人(ヴェッキオ)の技術っていうのは、いまの人間から見るとすごすぎて、わけがわかんないのよ。わけがわかんないものっていうのは、コワイものなの。だからそれを、呪いなんていい方する人間もいるのよ」
 尻尾を揺らして、ガットがそう説明する。腑に落ちない様子で、フィオーレは少しだけ唇を突き出した。自分と父親とが暮らしてきた場所が、侮辱されたように感じるのだろう。
「こういう集落の跡っていうのは、各地にけっこう残ってるもんなんだ。俺は経験あるけど、入り口を通ろうとすると、雷が落ちたみたいに全身が痺れる仕掛けがあるとこだってある。仕組みがわかんなきゃ、呪いと思ってもしょーがねーな」
 実のところ、セリオはこの手の建物の入り口をくぐるのはトラウマになっている。以前ひどいめにあったことがあるのだ。
 それと、とセリオは続けた。
「俺がここに来たのは、薬の材料を採取するってのもあるけど、半分は病の原因をつきとめるためなんだ。最近マッティーノで、原因不明の病が流行ってるらしい。死人は出てないようだが、まずこどもが高熱でダウン、女も次々に倒れたそうだ。ここが古代の人(ヴェッキオ)の縄張りだったってんなら、元凶が見つかるかもってな」
「セリオ……!」
 ガットがガラスの瞳を輝かせた。
「そうだったの! アタシ、てっきり、セリオは他人は見捨てて金目のものを探すためだけにここまで来たものだと。そうとわかってれば、セリオが崖から落ちそうになってるときに、もっとちゃんと応援したのに!」
「いや、それはもういいけどよ。っつーかおまえ、俺のことなんだと思ってんの」
 セリオがげんなりと息をつく。いったいどんな応援をしてくれたのか、興味はあるが。
「父さまは、無事なのだろうか」
 ぽつりと、フィオーレはつぶやいた。もともとあまり良くはない顔色が、蒼白になっている。
「だいじょうぶだろうか。病に倒れてはいないだろうか」
 初めて、感情らしい感情を見たような気がして、セリオは苦笑した。
「なんともいえねえけど。村でも、男衆はまだぴんぴんしてたぜ」
 気休めにすぎないかもしれないが、そういってやるのが精一杯だ。きっとだいじょうぶ、と根拠のないことをいうわけにもいかない。
「セリオ」
 フィオーレは立ち上がった。セリオに向かって、右手を差し出す。
「私はフィオーレだ」
「……は?」
 突然の宣言に、セリオは目を丸くする。しばらくして、握手を求められているのだと気づいた。出会ったときのセリオの挙動を、真似しているのだろうか。
 妙に気恥ずかしい気分になりながらも、拒む理由もないので、セリオは差し出された右手を握る。フィオーレはかすかに、目を細めた。
「いいものだな。名というのは。ありがとう、セリオ」
「笑顔! なあに、フィオーレったら、そんな顔もできるんじゃない!」
 笑顔、というほどではなかったものの、ガットが大げさに飛び跳ねる。セリオは頬が熱くなるのを感じたので、慌てて目を逸らした。どうも、調子が狂う。
「あんたの父さま捜しはあとだ、フィオーレ。明日はゲイドらと一緒に、ここらを散策だ」
 ごまかすように、わざとぶっきらぼうに告げた。


 翌日も快晴だった。
 ゲイドに率いられて、村からやってきたのはぜんぶで十二人。体力自慢の、若い男たちだ。その全員と、セリオとガット、フィオーレは、朝早くから太陽の下に集合していた。
「俺、朝弱いんだけど」
 村の男たちよりも数歩うしろに控えて、セリオが大きなあくびをする。まだまだ寝ていたいところを、ゲイドの善意で起こされてしまったのだ。材料の採取を手伝っていただけるのはありがたいものの、早起きと朝の集会は、できれば遠慮したい事項だった。
「セリオは静かに寝るのだな。父さまはいつもいびきをかいていたから、そういうものなのかと思っていた」
 セリオの隣で、フィオーレがごく真面目にいう。セリオはなんともいえない気分になった。それ冗談なの、といいたいところだが、相手はフィオーレだ。真剣に学習したに違いない。
「セリオだって、いびきぐらいかくわよ。ひどいときなんて、ほんっとに眠れないぐらいよ」
 胸ポケットから顔を出し、ガットが少し抑えた声で参加してくる。その紫色の頭を、セリオはぐいと押し戻した。
「そういう情報は別にいらねえだろうよ」
「いや、興味深い。私もいびきをかくことがあるのだろうか」
「……さあどーでしょうか」
 馬鹿馬鹿しくなって、適当に返す。
 セリオは友人が多い方ではない。というよりも、実のところ、あまりひとと深く関わらないようにしている。薬師という仕事柄、ひとと接するときには大体が売り手と客という構図になる。しかもセリオは、これといった拠点を持たない旅人だ。特定のだれかと親しくなったところで、すぐに別れが訪れるのは目に見えていた。
 それでも、フィオーレがほかの少女たちとどこか違うということぐらいはわかる。姿にしろ、口調にしろ、どう考えても異質だ。
 それがセリオには、ありがたかった。薬の調合法はわかっても、イマドキのオンナノコへの接し方など、未知の世界なのだ。
「セリオ、こっちへ来てくれ」
 名を呼ばれて我に返った。朝の挨拶、今日の意気込み等を長々と語っていたゲイドからのご指名だ。挨拶以降はまったく聞いていなかったセリオは、思わずどきりとする。
「えーと……なんで?」
「薬草の解説を、ということらしいが」
 フィオーレのフォローで、セリオは唇をへの字に曲げる。いまさら断る流れに持っていけるはずもなく、ゲイドに促されるままに一番前へと進み出た。
 これはなんの罰ゲームだ、とセリオは閉口した。若者らの視線が集中している。あれが薬師なのか、まだこどもじゃないか、本当に薬なんか作れるのか──だれも口に出してはいわないが、そういうマイナスの感情というのは充分に伝わってくるものだ。
 ごほん、とゲイドが咳払いをした。
「くり返すが、おれの家族が回復したのは彼のおかげだ。まだ若いが、薬師としての腕はおれが保証する。──セリオ、悪いが、必要な薬草の特徴なんかを教えてやってくれんか」
「薬草、ねえ」
 愛想笑いをしようとしたのだが、苦笑いになった。薬の調合といえば草、という考え方をしている時点で、彼らがセリオの望む材料を的確に採ってくる確率は恐ろしく低いことがわかる。そもそも、こうやって前に出されて、ちょっと解説したぐらいでどうにかなるものではない。
 十数秒間思案して、ジャケットの内ポケットから、しなびた草を取り出す。昨日、足をすべらせるよりも前に入手した、チュッフォという名の草だ。解熱作用を持つ成分が含まれている。
「これ、この葉っぱ。日陰に群生してることが多い。ある程度育つと白い花をつけるけど、花が咲いたのはもう使い物にならない。この、ギザギザの葉っぱが目印。──そーだな、あとはなんか、珍しそうな植物とか石とか、気になるのがあったらぜんぶ一応とっといて」
 簡単な説明をして、草を示す。全員の目がチュッフォを追うので、セリオはそれをゲイドに手渡した。そうすれば、矛先は自分から逸れるだろう。
「……だいじょうぶかしら?」
「使えるもんが手に入ればラッキー、ぐらいにしか思ってねえよ」
 ガットの囁きに、身も蓋もなく返す。胸ポケットのなかで、小さなぬいぐるみが呆れたような気配がした。
「そういうことだ。いま病に苦しんでいる全員分の薬を作るには、大変な量の材料が必要らしいから、気合い入れて探してくれ!」
 セリオはこっそりと嘆息した。このゲイドという男、実は相当したたかなのかもしれない。善意の塊の行動のようにも見えるが、こうやって人手を与えられてしまえば、あとから薬を調合した際に、多少の値段すら要求しづらくなる。
 もちろん単純に、病に苦しんでいる人間を助けたいという気持ちはある。しかし、だからといって無償で働いていたのでは、自分の生活に関わるのだ。──そんなことを口に出せばガットになにをいわれるかわかったものではないので、思うだけにとどめているが。
「あと、もう一つ。皆わかっていることと思うが、ここは古代の人(ヴェッキオ)が縄張りとしていた地だ。どんな恐ろしい罠、呪いがあるかわからん。よく注意してくれ。病の原因である呪いを突き止め、おれたちの村に平和を取り戻そう!」
 ゲイドの声に呼応するように、おお、と若者たちが吠える。セリオは肩をすくめ、そそくさとその場をあとにした。フィオーレのところまで戻ると、案の定、彼女は不機嫌そうに目を細めている。
「気にすんなよ。ステレオタイプの化身に説明するほうが疲れるぞ」
「わかっている。それでも気に入らないのだ」
「ま、そーだろうな」
 わざわざ機嫌をさらに悪くすることもないので、セリオはそのまま口をつぐんだ。呪いではないにしろ、実際には、村で流行している病の原因がこの山にある確率は非常に高い。意図したものであろうとなかろうと、古代の人(ヴェッキオ)の残したなにかが災害の引き金になったり、病を流行らせたりということは珍しくないのだ。そういう厄災は、彼らが争いをくり返した時代の名残だといわれている。
 それだけではない。もしかしたら、という思いがセリオにはあった。それはほとんど確信に近かったが、それこそ口に出すのはためらわれた。
「なあ、ゲイド」
 若者衆のひとりが、いいにくそうに声をあげた。
「ここが、本当に古代の人(ヴェッキオ)の縄張りだってんなら……もしかしたら、あるんじゃないか、金色の血が。それさえあれば、村のやつらの病もすぐに回復するんじゃないのか」
 眼鏡をかけた、線の細い青年だ。周囲の若者たちがざわつき始める。
「金色の血、という言葉、昨日も聞いたように思うが」
 フィオーレがセリオを見る。しかし、セリオは答えなかった。その名が出た瞬間から、セリオはあらゆる感情を表情から廃していた。金色の血──だれもが知る「万能薬」の名だ。
「それは夢物語だろう。実在など」
 ゲイドは首を左右に振った。しかしそれは、決して力強い否定ではない。
「……とはいえ、すがる気持ちはわかる。そういうことは、薬師のほうが詳しいのかな。セリオ、なにか知っているか?」
「俺に振るのかよ。そういうのは、古代の人(ヴェッキオ)研究家に聞いてくれ」
 ぶっきらぼうに答える。ゲイドも、ほかの若者たちも、それでもセリオを見ていた。セリオは大きく息を吐き出した。
「……古代の人(ヴェッキオ)が、生きた人間の血液を媒体とした薬の開発にはまってたってのは、薬師の間じゃあ有名な話だ。腐ることのない、常に最高の状態での、血液中に含まれる薬。金色の血っていうのは、そういった類の総称ともいわれるし、本当に万能薬があったともされる。どっちにしろ確証がないし、あんたらのいうところの呪いの産物だぜ。そんなもんに夢見てるひまがあったら、草の一つでも探したほうがよっぽど現実的だ」
 淡々と、薬師としての知識を吐き出す。感情を舌に乗せてしまえば、どんな言葉が飛び出すかわからなかった。
 負の感情を感じ取ったのか、ゲイドはそれ以上は言及しなかった。ぱん、と手を打ち鳴らし、若者衆の視線を集める。
「では、まずは薬草を探すこと。そして呪いの原因を突き止めること! なにがあるかわからないから、できるだけ集団で、少しずつ奥へ進もう。行くぞ!」
「遠足かよ」
「仲良しねー」
 セリオとガットが、思わずぼやく。列を成して歩き出す彼らからは多少距離を取りつつ、セリオたちもあとに続いた。


 予想はしていたことだったが、若者衆が次から次へと持ってくる植物や鉱物は、その大半がはずれだった。最初はひとつひとつ物色していたセリオも、十回目あたりで面倒になり、「薬になりそうなもの置き場」と銘打ったスペースの隣でのんびりとあぐらをかいていた。
「やってられねえなあ」
 心のなかにとどめるつもりが、つぶやきとして漏れてしまう。
「なにがやっていられないのだ。セリオは草を探さないのか?」
 ガットと共に「探検」に出ていたフィオーレが、セリオの顔をのぞきこむ。少し考えるような素振りを見せ、セリオの真似をして横に座った。
「オンナノコがそんなはしたない座り方しちゃだめなんじゃねーの」
 スカート姿であぐら。ロングスカートなので、致命的なことにはなっていないが。
「セリオはいいのか」
「俺はいいだろうよ。っつーか探検はどうしたんだよ」
 あぐらについて説くのも面倒なので、早々に話題を変える。フィオーレの腕のなかからガットが飛び出し、セリオの膝に着地した。
「セリオがヒマしてるといけないと思って、戻ってきてあげたのよ。それに、フィオーレったらすごいのよ。このあたりのこと、なんでも知ってるの。フィオーレに聞けば、いいもの採れる場所とかわかるかもしれないわよ」
「なんでも聞いてくれ」
 あまり意味がわかっているとも思えないが、フィオーレが得意げに胸を張る。セリオは、その姿を改めて観察した。
 出会ってまだ丸一日と経っていない。それなのに、様々な表情を見せるようになった少女。
 助けてやりたいと、思った。それはごく単純な思考だ。
「フィオーレ、あんたはあんまりここにいないほうがいいかもな。町まで送ってやるよ。……いや、その前に、あんたが父さまと住んでた場所ってのに連れて行ってもらえるか?」
「どうして? どうしたの、セリオったら」
 不思議そうにガットが聞いてくる。それには答えず、フィオーレの返答も待たずに、セリオは立ち上がった。
 きょとんとこちらを見上げてくるフィオーレに、手を差し伸べる。
「善は急げだ。厄介なことになる前にな」
「──セリオ! セリオ、来てくれ!」
 突然、悲鳴に近い叫び声が響いた。セリオの手をつかむ寸前だったフィオーレが、声に驚いて身をすくめる。なにごとかとセリオがふり返るよりも早く、ゲイドが駆けてきた。
「なんだよ、ゲイドさん。真っ青だぜ」
「ロットが倒れた! 薬はあるかっ?」
 ロット、とセリオの知るはずのない名を出すほどに、ゲイドは狼狽しているようだった。それでもすぐに状況を理解し、セリオは手短に尋ねる。
「場所は? 一人か?」
「奥の──林のなかだ。石碑のようなものがあって、そこを調べていたらしい。案内しよう。倒れたのは一人だが、数人が不調を……」
「わかった。ゲイドさん、あんたはまだ歩けるやつらを集めて、すぐに山を下りたほうがいい。このままじゃ全滅する」
 ゲイドの指した方向を確認し、セリオはそう告げると、地を蹴った。この山に原因がある可能性が高い以上、こうなる危惧がないわけではなかった。しかし、一日、二日なら問題ないだろうと高をくくっていたのだ。走りながら、セリオは舌打ちした。
「やばいな。こりゃ、ほんとに村そのものがなくなるかも」
「どうすんのよ! 薬、足りないんでしょ?」
「足りないね、ぜんぜん」
 ガットをポケットに押し込む余裕もない。肩に乗せたままで、走る。
 示された林のなかを進むと、村人のひとりがセリオを待っていた。彼にゲイドのほうへ戻るよう指示し、セリオはさらに奥に進む。
 そうして、息を飲んだ。
 そこには、ゲイドのいったとおり、石碑のようななにか──大人三人分では足りないほどの、巨大な岩があった。
 岩のまわりに円を描くように、そこだけ植物が枯れていた。緑色のなかに、命の気配のない茶の空間ができあがっている。草や木々が、まるで遠巻きに岩の様子をうかがっているかのようだ。
 岩にもたれかかるようにして、男がひとり倒れていた。彼がロットなのだろう。頬は土気色で、見るからに生気がない。
「セリオ、薬を──! このひと、死んじゃうわ!」
 ガットにいわれるまでもなかった。ロットの脇に膝をつくと、脈をとり、薄手のシャツをまくり上げて皮膚を見る。
「手遅れだ」
 一言、つぶやいた。ガットが震えるのがわかる。しかし、セリオにはどうしようもない。
「どうしてかしら、ねえ、この岩ってなに? これが病気の原因なの?」
 ガットが泣きそうな声でまくしたてる。その声に、セリオはかえって落ち着いていくのを感じた。落ち着かなければならない。ここで自分まで取り乱してはいけない。
「これは墓だ」
 自分のなかで情報を整理するように、ゆっくりと口にした。
「墓? だれの?」
「だれのかはわかんねえけど。たぶん、古代の人(ヴェッキオ)の。こういうのは各地にあるから、古代の人(ヴェッキオ)の墓っていうのは確かだ。古代の人(ヴェッキオ)の技術で作られたものは、弱い植物や生物を拒絶する。集落がそうだったろう。ここらの植物が死んでるってことは、古代の人(ヴェッキオ)の集落から運ばれた岩ってとこか」
 ガットはセリオの肩から飛び降りた。恐る恐る、岩に近づいていく。
「でも、このあたりの草、最近枯れたって感じだわ」
 それは、セリオも考えていたことだ。
 つまり、ずっと以前からあったものではなく、最近作られた墓だということだ。そして、そこを調べようとしてひとが倒れたということは、この岩が村での病の原因と考えるのが妥当だろう。
「セリオ──! これ!」
 岩のうしろに回り込み、ガットが悲鳴をあげた。
 セリオも急いで裏側へ移動する。
 後頭部を殴られたような衝撃が、セリオの脳を揺さぶった。
 岩を彩る、赤黒いなにか。
 セリオは目を見開いた。あらゆる思考が停止した。
 調べるまでもなかった。
 これが、そうだとするならば、すべて説明がつくのだ。
「血だわ──」
 ガットの声が、遠い。
 ひどく、ひどく遠い。

 


 ──すばらしい!

 男がこちらを見ている。
 茶の瞳には興奮が溢れ、狂気を帯びてさえいた。
 彼は、その目を知っていた。
 ずっと見てきた目だ。
 ずっと憧れていた目だ。
 ずっと慕っていた目だ。

 ──なんてすばらしいんだ! これほどとは! 私の、私たちの力が、これほどとは!

 男は両の手を掲げ、空を仰ぐ。
 称賛の言葉が自分に向けられたものなのか、それとも自らに向けられたものなのかはわからなかったが、それでも彼は、嬉しいと感じていた。
 認められたのかもしれない。
 愛してもらえるのかもしれない。

 ──わかるか、わかるか! この偉大さが、わかるか、息子よ! おまえはだれからも愛され、だれからも求められるだろう! 称賛されるだろう! このすばらしさが、わかるか!

 わかるよ、といおうとした。
 しかし、うまく声にならない。
 彼は手を持ち上げた。血に濡れた手。どうしたことだろう、全身が血にまみれている。
 痛みはない。しかし、ひどく大きな虚無感が、身体の中央で巣を成していた。
 わかるよ、ともう一度、口を開こうとする。
 わかるよ、父さん。
 だからぼくを見てよ。
 ちゃんとぼくを見て。
 ぼくなんでもするよ。なんでもする。

 ──なんて恐ろしいことを。

 女が泣いていた。
 男の向こう側で、膝をつき、うちひしがれ、ただ泣いていた。

 ──なんて愚かなことを。確かにこの子は求められるでしょう、称賛されるでしょう。

 泣かないで母さん──その言葉さえも、喉の奥から出てきてはくれない。
 彼は動けなかった。
 自身の血に捕らわれてしまったかのように、そこから動くことができなかった。
 これほどの液体に包まれて、それでも喉が渇いている。からだが乾いている。なにかがどうしても、どうしても満たされずにいる。
 男が笑っている。
 女が泣いている。
 でも、と女は続けた。

 ──この子はひとりだわ。ずっとずっとひとりだわ。なんてかわいそうな子……!

 かわいそうじゃないよ──彼は必死に訴えようとした。
 ぼくはかわいそうなんかじゃない。
 だから泣かないで。
 ぼくを見て。
 ぼくの声を聞いて。

 血だまりから、紫色のぬいぐるみが、身体を起こした。
 虚ろなガラスの瞳を、彼に向ける。
 彼は、自分が泣いているのだと気づいた。
 涙さえも血の匂いがして、なにもかもが血で濁っていて、きっと声を出すことが叶っても、それすらも血にまみれているのだろうと思った。

 ──カワイソウなコ。

 小さな小さな、紫色のそれは、ぽつりと告げた。




「──……リオ! ねえ! セリオったら!」
 金切り声に我に返る。鮮やかな紫が飛び込んできて、セリオは目をまたたいた。ほんの一瞬の昏倒。セリオの頬を、いやな汗が伝っていく。
「ねえ、ぼうっとしている場合じゃないわよ! これが原因なら、なんとかしないと──」
「フィオーレ」
 ぽつり、とつぶやいていた。ガットが小さな手でセリオの頬を叩く。
「ちょっと、白昼夢でも見てるの? しっかりしなさいよ! フィオーレだってやばいわよ、こどもでしかも女の子なんて、すぐに病気にやられちゃうわよ!」
 ガットの声は聞こえてはいたが、その内容まではセリオのなかに入っては来なかった。
 セリオの思考は、もっとも考えたくはない結論に、行き着こうとしていた。
 最初に会ったとき──自分を崖から引き上げようとしたとき、彼女はなんといっていただろう。
 ごく平然と、それでも確かにいっていたはずだ。
「崖から落ちて、けがをした……」
 うわごとのように、セリオの口からこぼれる。
 フィオーレはいっていた。自分も落ちてけがをしたから、放っておけなかったのだと。
 けがをしたのはいつだ?
 病がはやり始めたのはいつだ?
 ぐるぐると考える。しかし、本当は、もう考えるまでもなかった。
 フィオーレを置いてきたという事実。彼女はゲイドたちと共にいるだろう。会話を交わすだろう。
 ゲイドたちがもし、フィオーレが本当はこの山で育ったのだと知ったら、どう思うだろうか。どんな行動に出るだろうか。
「行くぞ。このままじゃ、どっちもやばい」
 短くつぶやいて、セリオは走り出した。

   *

 わけもわからず、フィオーレは走っていた。
 ここは危険だから、すぐに離れようとゲイドにいわれ、なぜと尋ねた。ここにいては病に冒されるという返答に、ずっと暮らしてきたが病になどなっていないと、反論した。
 どういうことかと聞かれた。ありのままに、素直に話した。セリオには昨日会ったばかりだということ。自分はこの山から下りてきたところで、父を捜しにいくのだということ。
 急に、ゲイドたちの顔が変わった。なにか恐ろしいものに変貌した。
 だから、逃げ出した。本能が身の危険を告げていた。
 毎日、少しずつ、少しずつ下ってきた山道を、一気に駆け上がっていく。林のなかに飛び込み、あちらこちらへ方向を変え、ひたすらに走る。
「待て──! この魔女め!」
 怒号が聞こえる。フィオーレは、得体の知れない恐怖に身体を震わせた。
 魔女とはどういう意味だろう。自分はただ、父に会いたいだけなのだ。追われる理由など、かけらも思いつかないのだ。
 自分を残して、動かなくなってしまった父。いつのまにか、それが骨になってしまっても、それでも父は帰ってこなかった。
 いつか父が話してくれたことを思い出し、岩を運んで骨を埋めた。そうすれば、ありがとうといって帰ってきてくれると思った。
 もしかしたら、捜しに行くのを待っているのかもしれない。自分から捜しに行こうと決意した。
 魔女ではない。魔女などではない。
 ずっと静かに暮らしてきた。
 気の遠くなるほどの長い年月を、一人で、過ごしてきた。
 帰らない父を待って。最後の薪だけは、決して使わずに。
 それは、それほど罪なことなのだろうか。
「──……!」
 足がもつれ、転倒する。地面から飛び出した枝に頬が切れ、血が流れる。
 手のひらで乱暴に血を拭い、それでも立ち上がろうとした。しかし、声はすぐうしろから聞こえた。
「おいつめたぞ……おまえの、おまえのせいで、村はめちゃくちゃだ。やはり呪いだったのだな。古代の人(ヴェッキオ)の遺産が、山奥で眠っていたとは」
 ゲイドは、肩を上下させながら、それでも少しも衰えない怒りを宿し、フィオーレを見据えた。
「呪い、などと、なにをいっているのかわからない。私は本当に、なにもしていない」
 その目をまっすぐに見上げ、フィオーレはできるだけゆっくりと告げる。できることなら、混乱したこの思いを、そのまま伝えてしまいたかった。
 自分はなにもやっていない。こうして憎しみをぶつけられるいわれなどないのだ。
 ゲイドは鬼のような目を奇妙に細めた。
「呪いを解いてくれと願っても、古代の人(ヴェッキオ)の遺産に話など通じないのだろう。なら、償ってもらう。おまえが本当に古代の人(ヴェッキオ)の遺産なら、その身体に流れているのは、金色の血なのだろう──!」
 ゲイドのうしろでは、ゲイドと同じ顔をした男たちが数人、フィオーレを見下ろしていた。
 その表情には、恐怖と、畏怖と、期待と、様々なものが混じり合っていた。フィオーレは震えた。父親以外で唯一、心を開くことのできた相手も、この場にはいない。
「本当にわからないのだ! 私はただ──!」
 フィオーレは立ち上がった。とにかく、この途方もない誤解を、どうにかしなくてはならないと思った。ゲイドにすがろうと、彼のむき出しの腕に触れる。
 瞬間、ゲイドの肉体が波打った。
 目が大きく開かれる。筋肉が膨張しきって、そのまま固まってしまったかのように、フィオーレのつかむ腕が硬直する。
「……?」
 フィオーレはすぐに手を離した。ゲイドの左腕に、フィオーレの血の跡。
「どうし……」
 たのかと、問いは言葉にならず、その意味も成さなかった。
 ゲイドの見開かれた両目から、かすかに開いた口から、赤い血が流れる。彼はそのまま、どさりと倒れた。
 恐ろしいほどの沈黙が、ひどくゆっくりと、フィオーレのまわりをとおり過ぎていく。呼びかけようとして、名はなんだったろうかと、そんなことを考える。
 昨日のやりとりを思い出し、フィオーレは静かにその名を呼んだ。
「ゲイド」
 セリオが、そう呼んでいたはずだ。ゲイドさん、と。自分にも名乗ってくれた。フィオーレという名を、良い名だといってくれた。
「ゲイド」
 もう一度呼ぶ。
 しかし、声は返ってこない。
 血を流したゲイドの目は、これ以上ないほどに見開かれ、虚空を見つめている。その鍛え抜かれた肉体には、もはや一片の力も込められないであろうことが見てとれる。
 ああ、とフィオーレは理解した。
 こうなったものを見るのは、初めてではなかった。
 帰ってくるからと約束し、出て行こうとした父。その言葉に心など込められておらず、それを許せば二度と帰ってはこないだろうという予感がした。
 行かないでくれとすがった。殴られ、疎まれ、蔑まれ、それでもすがった。
 流れた血に触れたとき、父は倒れた。そのまま、動かなくなった。
 フィオーレは、父が「行ってしまった」のだと思った。いいつけどおり待っていれば、いつかは帰ってくるのだろうと思った。
 いま、あの日の父と同じ姿になったゲイドを前に、彼女は理解した。
 もしかしたら、本当は、知っていたのかもしれない。
「死んだのか」
 一言。
 永遠を意味するもの。自分にとっては、ひどく遠いもの。 
「呪いだ──!」
 だれかが叫んだ。フィオーレはびくりとして、声の方向を見る。ゲイドと共にフィオーレを追ってきた数人の男たちが、青ざめた顔でフィオーレを見ていた。
「呪いだ」
「呪いだ!」
 口々にいう。男たちの姿がすべて同じに映り、罵る唇だけが浮き上がっているかのようだった。
 フィオーレは両耳を塞いだ。
 聞いてしまっては、折れてしまうと思った。
 もしかしたら、本当に──
「私が、殺したのか……」
 それは疑問でも確信でもない。彼女にとっては、可能性ですらない。意味を持つ以前のなにかだった。なにか恐ろしい、それ自体が呪いであるかのようだった。
「そいつを殺せば、もとどおりになるんじゃないのか」
 だれかがいった。
「そうだ、こいつを殺せば、悪い夢は終わる」
「こいつが病の元凶なら」
「こいつさえいなければ」
 フィオーレのこころが、黒い霧に浸食されていく。
 そうかもしれない、と思った。
 どうせ、名すらなかった身だ。存在そのものが、本当は、最初からないものであったのかもしれない。
 男たちが、得物を構える。棒きれに刃をくくりつけただけの、ひどく簡素な武器たちだったが、それでも少女ひとりの息の根を止めることはたやすいだろう。
 フィオーレは目を閉じた。
 抵抗することも、主張することも、考えることも、なにもかもを手放した。
 複数の刃が振り下ろされる。
 身体から、鮮血が飛び出す。
「フィオーレ──!」
 名を呼ばれた気がして、目を開ける。
 返り血を浴び、赤く染まる男たちの向こう側に、フィオーレは信じられないものを見た。
 大木の根本に、咲き誇る花。
 だれにも疎まれず、また疎まれようともまっすぐに顔を上げ、こちらを見ている赤い花。

 赤い髪が、花みたいに見えたんだよ。

 セリオの言葉が、皮肉なほど鮮明に、脳裏に蘇った。
 フィオーレ。古代の人(ヴェッキオ)の言葉で、花を意味する言葉。
「私の、名だ──」
 ならば、とフィオーレは思った。
 私も、あのように生きてはいけないだろうか。
 ここに在ること、それ自体に誇りを持って、生きることはできないのだろうか。
「生きたい……」
 フィオーレの目から、涙がこぼれ落ちる。
 ──しかし、彼女の命は、そこで途切れた。


 その惨状を前に、セリオは唇を噛んだ。
 ガットが飛び降り、赤い死体をいくつも乗り越え、一際赤いフィオーレのもとにたどりつく。そうして、その小さな首を左右に振った。
「間に合わなかった……」
 血のにおいのなかで、セリオのつぶやきが虚しくかき消える。ガットは、フィオーレの頬を濡らす涙を優しく舐めた。
「この子も、古代の人(ヴェッキオ)の遺産だったのね。『血』を持つ遺産が、まだいたなんて」
「……致命傷を与えられなければ、俺たちに寿命はない。毒の血を持つ遺産なんて、聞いたことなかったが──」
 続きは、声にならなかった。
 後悔ばかりが押し寄せた。
 古代の人(ヴェッキオ)が没頭した、生きた血を媒体とした薬の開発──そのなかに、毒薬があったとしてもおかしくはない。
 フィオーレに出会ったとき、もしかしたらという思いはあった。しかしそれを、こういう形で病とは結びつけられなかった。
 父を捜すといっていた少女。山を下りるなかでけがをし、血を流したのだろう。成分が空気に紛れて村まで運ばれ、抵抗力の弱い女こどもが倒れた。
 そうして、いま。フィオーレを殺そうと刃を突き立てたものたちは、皆、その返り血によって息絶えた。
「父親ってのは、遺産を利用しようとした古代の人(ヴェッキオ)研究家か──なんにせよ、実の父親じゃないだろうな。でなけりゃ、名前もつけてやってないってのは、おかしな話だ。手に負えないと判断して、逃げたか……」
 あるいは、あの岩が本当に墓の意味を成しているのならば、すでに死んでいるのかもしれない。
 セリオは、フィオーレの傍らに膝をついた。
 血に染まる手を握りしめる。
 こうなるはずではなかった。阻止できたはずなのに。
「それで、セリオはどうするの」
 ガラスの瞳が、静かにセリオを見上げた。
「あなたは、生きているものは救えない。でも、与えることができる」
 ガットの声はひどく淡々としていた。その矛盾を覆したくて薬師をやっているという、生き様そのものを否定するかのような言葉だったが、セリオは反論など口にできなかった。
 ひとの手でつくる薬には、限界があるのだ。
 どんな病も治す万能薬など、存在しないのだ──この世界の、どこにも。
 セリオは、フィオーレを抱き上げた。
 小さな頭を持ち上げ、足に乗せる。
「これは、俺の罪だ」
 救えなかったことも。いま、やろうとしていることも。
 セリオは、皮の手袋を外した。動かない男の手から刃を抜き取り、むき出しになった皮膚に、突き立てる。
 傷跡から、血液が流れた。
 金色の血。
「……不平不満その他はいくらでも聞いてやる。死にたいってのだけは、勘弁しろよ」
 そうして、腕からしたたる金色の血を、彼女の口に流し込んだ。



 ***



 メッザノッテの麓の村、マッティーノを襲った流行り病は、原因不明のままに幕を閉じた。
 村人を救おうと、勇んで山へ登った十数人の男たちは、結局、そのまま帰ってくることはなかった。遭難したのか、それとも病にやられたのか──のちに村人が山へ探しに行ったときには、死体すら見つけることができなかった。
 男たちが姿を消してすぐ、旅の薬師という少年と少女が村を訪れた。奇妙なことに、二人ともが皮膚のほとんどを覆い隠すような衣服に身を包んでいた。
 それでも、彼らの腕は確かだった。村人全員が回復するだけの薬を無償で与え、彼らはすぐに旅立っていった。


 金色の血。
 その一滴で、どんな難病も、どんな怪我をも、無の状態に帰す奇跡の血。
 それを手に入れたものには、永遠の光が約束されるという──







 
 了
読んでいただき、ありがとうございました。
心からお礼申し上げます。
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