第7話 訪問者(前編)
次の日、一夜が仕事に行くのはとても緊張したけれど、約束どおり北條は仕事に私情を挟まないでくれていた。そして自分の性格上、強く押されると逃げ出してしまうことを知っているのか、彼は返事を求めることもせず、一夜が呆気ないと思うほど今までと同じように仕事をしていた。
時々、ふと眼が合った時など、どこか優しいような視線に感じてどきっとしたが、それ以上のことは何もなく、日常の仕事と生活に戻ることが出来た一夜は、ほーっと安堵のため息をつき、心の中で北條に手すら合わせたくなる思いであった。
それから二週間後、一度だけ「アイツなんか言ってきた?」と源二が聞いてきた。彼は初対面が最悪だったからか北條のことがどうも気に入らないらしく、苦々しげにそう言った。
どうして気にするのかな、と一夜は少し不思議に思ったけれど、きっと自分があれほど落ち込んでいたからだろう。
だから、「ううん。何も。大丈夫だよ」と笑顔で返しておいた。
彼は「ふーん」と呟くと、それ以上は何も言わずに自分に背を向け、いつものように夕食の片づけをしてくれた。
そしてあの青天の霹靂の日から一ヶ月が過ぎ、まるで何事もなかったかのように時間が流れ始めた、ある夏の初めの日のことだった。
一夜が夕方、いつもの時間に家に帰ってくると、アパートの前にひとりの女の子が立っていた。見たこともない子であるが、制服には見覚えがあった。
――源二と同じ高校の制服だった。
……源二に用事かな?でもあいつ、今日もバイトで夜になるっつってたけどな…。
一夜は不思議に思い、アパートの駐輪場の影にいるその少女に思わず視線を送ったまま、2階への階段を上っていった。一夜の視線に気付いたのか、少女と一夜の眼が合った。
源二の知り合いだろうと当たりをつけた一夜は少女に頭を下げると、少女もぺこりと頭を下げた。
そしてそのまま家に入り、冷蔵庫を開けて急いで作れるもので、カロリーが高そうなメニューを考える――が、一夜は少女のことがふと気になった。
夏至を過ぎたばかりだから六時半でもまだ明るいが、それでももう直に薄暗くなる。このあたりは比較的人通りも多く、危険な目には一夜も遭った事はなかったが、それでも相手は女子高校生だし今の世の中、何があるかわからない。
万が一、源二を待つつもりならば八時近くになるかもしれないぞ……。
職業柄、子供を見るとつい世話を焼きたくなってしまうのが習性となってしまった一夜は心配になって、ドアをもう一度開けると駐輪場を確認した。
しかし、そこにはもう少女の姿はなかった。
――あれ?
一応下にまで降りてきょろきょろと見回したが、やはり、いない。
……帰った、のか……?でも何の用だったんだ??
一夜は首を傾げながら、部屋へと戻っていった。そして夕食を作りながらぼんやりと考える。
でも源二の友達…とかまさか彼女とかならば、あいつも携帯持ってんだから、連絡とればいいのに……。
出来ないってことは、まさか、片思い……とか??
一応、周囲には姉弟と説明しているが、苗字も違うし詮索されることが嫌で、源二は絶対に知り合いに家を教えないようだった。
ということは、あの子…まさか、源二の跡、尾行てきた……とか!?
――てことは、す、ストーカー??
一夜はひとりで考えて、ひとりで盛り上がって動揺していた。
それでも夕食を作らないと間に合わないので作業を続けるものの、切った野菜がつい大きくなってしまったり、鍋を焦がしたりと散々な夕食になってしまった。
……でも、可愛い子ではあったよなあ。
焦げ臭い台所で、それでも一夜は先程の少女のことを思い返す。
一夜くらいの年齢になると、子供はみんな可愛く見える。しかも女子高校生なんて、もう存在自体が貴重な可愛いものだと思っていた。
しかも今日の彼女はその中でも黒目がちの大きな眼に、肩までの黒髪という日本人形のような――とても清楚な感じの少女であった。
化粧の濃い、派手な雰囲気の女子高校生と源二が付き合うのは、あまり想像がつかない。まあ一夜の職場から見える限り、あの高校にはそういう子も少ないが……。
どちらにしろ、なんかあいつが好きそうな感じの子だよな、と源二の女の好みは知らないが、一夜は勝手に思っていた。
それに先日の高校のグラウンドで見かけた件でもないが、源二は運動神経もよいし、頭もよい。
引き取った頃は、勉強のことなど具体的に保護者としてどうすればいいのか分からず心配していたが、なんのことはない。生活態度には問題ないし、通知表の成績はオール5に近い素晴らしいものであり、そのくせ本人はそれに無頓着だし嬉しそうにもしなければ愛想もない。
心配はないけれどなんと可愛げのないガキかと、何度も思ったものである。
背も高いし、顔も……少なくとも、一夜はカッコイイ方だと思っている。
学校やアルバイトの話をたまに聞けば男友達は多いようで、義理堅いから慕われているのだろう。
それらから総合的に判断して、ストーカーかもしれないけれど、彼女はきっと源二が好きなんだろう、と一夜は女の勘で結論付けた。
――でもあんな可愛いストーカーだったらいいじゃないか。
源二、うらやましいなーと、男嫌いな一夜は寧ろ女性の方が一緒にいて楽しかったので、そんな馬鹿な感想すら抱いていた。
……そっかあ。おモテになるんだねえ……。
そして、何故だかそのままそのことについて一夜は考え始めてしまっていた。
確かに中学の時にも、ヤツには女の子から電話が掛かってきていたようだった。
自分のようにおしゃべりではない源二の、特に女性関係などどうなっているかはわからないが、金がないからとアルバイトに明け暮れ、夕食は家で食べた方が金が掛からないからと毎晩きちんと帰ってくる様子からしても、それこそ女の影などなさそうだが……。でも、今時の若い子は分からんしな……。
この前の話ではないが、彼だっていつまでも自分の傍には居てくれない。
たとえこの家に住んでいても、心は誰か別の人を想ったりする日は来るだろう。
なんだかあの少女からその現実を垣間見た気がして、一夜はちょっぴり複雑な思いになり始めていた。
・・・・・・・・・・
そして、噂の男が帰ってきた。
なんか焦げ臭えな、と思っても文句も言わず残さずにがつがつと食べてくれる。やはりこいつはイイ男である。
「誰か下にいた?」
まだ気になっていたので一夜は源二に尋ねたが、
「は? 誰もいねえけど」
と彼は不思議そうに眉を寄せ、食事の邪魔をするなとばかりに、二杯目のご飯をかき込む。育ち盛りは大変である。
そうか、あの子は帰ったのか……と一夜はふむむと頷き、焦げ臭い五目煮をもそもそと口の中で噛み締める。
その一夜の言葉から、まさか北條のアホがストーカーにでもなっちまったんじゃねえだろーな、と源二は源二で非常に的外れな心配をしていた。
一夜が黙り込めば、会話が無くなる家なので、無言のまま夕食が過ぎていく。
しばらくして先に食べ終わった源二は、そんな風にもそもそとゆっくり食事を口に運ぶ一夜を見ると、はー、とため息をついて言った。
「なんだ、そのヘンな顔は」
はい?と一夜はその顔を源二の方に上げる。
その顔は確かに、眉間に皺がより、唇を尖らせ、むーんと何かを思い悩んでいるような、悶々とした表情だった。
「変とはなんだ! 失礼な!」
どーせ、あの女子高校生みたく若くも可愛くもないですよー!という気持ちがどこかにあったので、思わず怒り出した一夜であったが、その元気な様子を見て、先日北條に告白され落ち込んでいた時とは全く違うので、あそこまで心配することはないかな、と源二は内心思っていた。
――まあ、でも『何か』はあったんだろうが……。
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