どことなく気まずい雰囲気で夕食を囲む二人。だが源二の作ったぶり大根はいつもどおりの味だったので、それをつつきながら「おいしい」と一夜は素直に呟いた。
――何があったかは知らないが、尋ねてよいものか分からない。それで傷を深くしてしまってもいけない。源二もそう思い何も言えずにいた。
無言のままの食卓であったが、そうは言ってもこの傍若無人な女が大人しいのは調子が狂う、と源二が痺れを切らしたように、
「で、何があったんだよ」
話を切り出したのは、食事が済み食器も片付けられ、食後のお茶がテーブルに置かれる頃であった。
「うん……」
しかし返ってきたのは生返事。彼は思わず、ずるっと古典的に崩れそうになる。
「仕事?」
テーブルの上に右手で頬杖をつきながら、左手ではとんとんとテーブルを叩き、源二は一夜を誘導尋問する。
「うん……まあ、そんな感じ……」
言いたくないものを無理に聞き出そうとは思わないが、いつまでもこの食卓から離れない一夜の様子からして、どうやら自分に話を聞いて欲しいのではないか、とこれは今までの彼女との付き合いの中から源二は直感で判断していた。だが何か言いにくそうにしているので、こちらから尋ねてやることにしたのであった。
そこで源二は仕事というキーワードと、先週の金曜日の苦々しい思い出から――察しよくその答えを導き出した。
「……あの北條とか言う男か」
一夜はぴくんと湯飲みを持つ手を反応させた。分かりやすいその反応に、源二は軽くため息をつく。
「ど、どうして、分かるわけ……」
今の手の動きでそれを肯定してしまったと分かり、観念した一夜は唇を尖らせてこの末恐ろしい高校生を睨み付ける。
「まあ、勘ってヤツだ」
それはあながち嘘ではなかった。あの男が家に来た時から、何とも言えない嫌な予感が彼にはしていたからだ。
だがこの様子からすると仕事で叱られたとか、この前の金曜日のことを怒られた――後者はあの北條の様子からしてなさそうであったが――などではないだろうな、とこれも源二は察した。
いつも飄々とした一夜のこんな困ったような、ショックを受けたような表情など、この五年間殆ど見たことがない。今まで仕事上での失敗があった日は、落ち込むどころか自棄酒を煽って逆切れするほどの勢いであったのだ。
――ということは、やはり……。
「何だよ、この前のこと盾にとられて、セクハラでもされたのかよ」
源二はふと胸に抱いた仮定を冗談ぽく言ったのだが、また一夜の手がびくんと動き、今度は動きが大きく緑茶を零してしまう程だった。
「……マジかよ」
彼は思わず真剣な顔で一夜を見る。
「ささされてない! 断った!!」
「ってマジで誘われたのかよ? 訴えてやれ、あんなエロオヤジ」
「夕飯に誘われただけだって! 何考えてんだっ! このエロガキ!!」
腹立たしそうに吐き捨て乱暴に湯飲みを源二に、零したお茶を拭きつつ、赤くなって慌てつつ、と忙しい一夜はついつい全てを暴露していく。
「メシっつったって、その後はわからんだろーが! お前なんか酒飲ませりゃそれまでだしな。あのオヤジよっぽどのタラシか、もしくはお前に気があるかのどっちかだぞ」
自分からその話をふったくせに段々不機嫌になっていく源二は、苛々する様子を隠しもしないで吐き捨てる。しかし源二が最後の台詞を言った後、一夜がぴたりと黙ってしまったので、体を横に向けていた彼も思わず黙って、正面の彼女をまじまじと見た。
一夜の顔は、源二の言葉から先程の北條からの告白めいたものを思い出し、赤くなっていた。
「……って、マジ……?」
源二も唖然としてしまう。
「…………」
しばし無言であった二人だが、はー、という大きなため息と共に口を開いたのは源二が先だった。
「ふーん、やっぱりなー。よかったじゃねーかよ、結婚相手が見つかってさ。お前も適齢期だもんな。あのオッサン条件はよさそうだし、お前も今男いねえし、ラッキーなんじゃねえの」
源二としては自分でも何故こんなことを言っているのか分からなかった。
心にもないことを、つっけんどんに言っていた。思うことと正反対のことを言っていたが、本当に思うことは言ってはならないと思っていたからだ。
だからそれを彼女に否定して欲しくて、こんな言い方をしているのだった。
「うん……」
しかし一夜から返ってきたのは、またもや肯定でも否定でもない生返事であった。そのうえ彼女のその表情は、男に言い寄られている割には、浮ついたものでも逆に迷惑そうなものでもなく、最初家に帰ってきた時と同様、哀しいような寂しそうな表情をしていた。
「……なんだよ。嬉しくないのかよ」
その妙な表情が気に掛かり、源二はからかうことを止めると、今度は背もたれに肘をつきながら、向かい側に座る長い髪の女を見やった。
「私は、どうすればいいんだろう……」
一夜は心底困ったように大きなため息をついた。源二は残ったお茶を飲み干しながら、不思議そうな顔をする。
「好きならOK、そうじゃねーならゴメンナサイ、でいいんじゃねえの? それだけだろ」
意思がはっきりとしたこの少年らしい答えに、一夜は思わず少し笑った。
「そうなんだけど……そうじゃなくて……」
一夜にしてみれば、自分が悩んでいる本当の訳など、言える筈がなかった。
男と女の生々しいことなどいらない。いつまでも源二と気楽に暮らしているのがいられれば、と本当は思っていた。
彼とは五年の付き合いになり、出会った瞬間から「ひとりぼっち」という同属意識のようなものを互いに感じたからこそ、気が合っていると思っている。
だが今から北條と付き合い、本当にそこまでの関係になれるのか――いや、もし結婚などということになれば、体の関係も含めてそれ以上深く分かり合う関係にならないと、一生を共にすることなど出来ない。
そして彼とそれが出来るのか、と問われれば素直に頷けない自分が彼女の中にいる。だから彼が本当に一夜に好意を抱いていたとしても、それを受け入れることを不安に感じていたのだ。
しかし北條の言うとおり、源二の方が同じ気持ちでいるわけはなく、彼の人生を考えればいつまでもこのままではいられないのは事実。
一夜はちらりと源二を見た。
彼女の真意を測りかねている彼が、じいっとこちらを見ていたので、その眼と眼が合ってしまい気まずそうに俯いた。
――いつか彼は大人になって、此処を出て行くだろう。もういい歳なのに、こんな夢みたいなことを考えている自分の方がよっぽどおかしいし、子供だと一夜は思っている。
だからこそ、こんな自分など北條には似合わないとも思っていた。
だが再びひとりぼっちになった後、その先どうするのかを真剣に考えてみた時に、ただ単に北條のことを好きか嫌いかかだけで、この問題から逃げてはいけないような気もしていた。
――これは自分の未成熟な心が抱える根本的な問題なのだ。
こんな悩みを源二に言えば、さぞ自分のことを重く感じるだろう、若くして保護者となった自分に恩を感じていてくれるくらいで、丁度いい。迷惑に思われたくない。
一夜はそう思っていたが、だからといって、自分がどうすればよいのかも分からないのであった。
源二は一夜の気持ちを探るように、じっと彼女を見つめていた。そして彼女の態度が腑に落ちなかった彼は呟いた。
「……アイツのこと、好きなワケじゃねーのかよ……」
「……」
一夜はこくんと頷いた。
「だったらフッちまえよ」
その短絡的で、源二らしい答えに一夜は再度苦笑した。
「そりゃ、今すぐ付き合う気はないから、OKはしないけどさ……。でも私も歳だしなあ。そろそろ将来とか考えないといけないし」
さっき源二も適齢期だと言ったじゃないか、と一夜は困ったように笑うと頭を掻いた。
源二は好きでもない男との結婚を匂わす、そんな打算的な態度の一夜を睨むと言った。
「バッカじゃねえの。そんな気持ちで結婚しても、上手くいくワケねえだろ」
自分自身にはまだ遠い話だと思っているが、中学の同級生で子供を作って結婚したという話も身近にあり、結婚という形態を考えれば高校生の彼でもそれくらいのことは分かる。
第一自分だったら……そう仮定すると、相手がそんな気持ちであれば腹が立ち、一夜がそのような気持ちで誰かのところへ嫁ぐと言うならば、それこそ一発説教してやらないと気がすまない、と彼は思っていた。
「それは、そうだよね……」
一夜は源二の目を見ないでまた困ったように髪をいじった。
こんな風にはっきりと答えてくれる源二はいい男だよな、と心から思う。自分もそんな風に出来たらいいのに、とも。
だが、この漠然とした不安を解消する方法が、彼女には思いつかなかったのだ。
この少年にこれ以上依存するわけにはいかない。それだけは、彼に対し保護責任のある大人として決めていることだった。だがその先の孤独をどうしていいのかも、分からない。
源二は苛々したような表情で一夜をじっと見ていた。
一夜がどうして自分の眼を見ようとしないのか、察しのよい源二でも分からなかった。そのことにも、益々苛々させられた。
――今すぐ付き合う気はないと言うが、所詮大人同士だ。いつ何のきっかけで「そんな関係」になって、そのまま恋人同士になってしまうか。その境界は非常にあやふやなものである。体さえ繋がれば言葉や約束などなくても、なし崩し的にそういう関係が成立してしまうのだ。
「とにかく、いくら適齢期だっつっても早まるなよ。そんな中途半端な気持ちで嫁に言っても、祝福なんかしてやんねえからな」
……中途半端な気持ちじゃなくても、祝福する気はさらさらないが、という言葉を源二は飲み込んだ。
「……わかった」
それは自分を心から心配してくれてのことと分かったので、今度は源二の方を見て笑うと、一夜は頷いた。
彼のこういう真っ直ぐなところに、一夜はいつも安心させられていた。それに恥じないようにしたいと思う。そう思えることも、彼女のひとつの居心地の良さに繋がっていた。
だからと言って、やはりこの場所が永遠に続くとは思っていなかった。
源二だってきっとこの先、誰か本当に心を埋めてくれる相手と出会い、先程の真っ直ぐな答えのとおり相手を大切にし、生涯を共にするのだろう。
◇拍手&簡易メッセ◇
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