最終話 Through the Night(後編)
「一緒に、生きていこうよ。源二が、私なんかでいいって、言ってくれるんなら。こんな、年だけど、私、源二じゃなきゃ……やだよ」
一夜は手を伸ばした。そして、もう自分よりもずっと大きくなってしまったその男の手を取った。あの日のように、その手を優しく引くように。
「私、こんな年なのに、恋愛とかには、まだ馬鹿みたいに子供っぽいけど……一緒に……大人に、なってこうよ」
源二の片手を握って、一夜は彼を見上げた。
あの日見下ろしていた少年を見上げて、あの日に似た、寂しい笑顔で笑った。
――ああ、なんだ。
自分たちは、
あの日から時を止めていたんだ。
あの日から、何も変わっていなかったんだ。
もっと言えば、源二は親を亡くした瞬間から、一夜は父親に裏切られた日から。
子供のまま大人になった――なりゆく――二人。
だけど、それに気付いた二人一緒ならば、今度こそ踏み出せるだろうか。
この、聖域が壊れてしまっても、二人ならば抜け出す勇気が持てる――弱い、似た者同士の二人。
一夜から、想像していた単なる恋の告白以上の発言をされた源二は苦笑した。
一夜としては、今の重かったかな?と高校生の子供相手という自覚はあるので、心配と恥ずかしさからその手を離そうとしたが、少年の大きな手にぎゅっと握り返された。
――まさか、女から言われるとはなー。
源二の苦笑はそういう意味だった。
「……なんかそれって、プロポーズみてーだな」
「……ばっ……!」
変に好きだと言うよりも恥ずかしいことを言ってしまったことに気付いた一夜は、夜の冷たい空気の中でも、顔が熱くなる思いになった。
だが、これは本当に自分の全てを受け入れた上での本心であったから、たとえ相手に拒絶されたとしても、取り消す気はなかった。
それにこれはただの肉欲なんかではない。 男と女の関係でなくても存立する、永久不変の恋愛感情以上の感情であると一夜は思っていた。
だから彼が子供であるとかの問題は関係なく、『彼』という存在そのものへ問い掛けたことであったので、『高校卒業まで』のタブーは破っていないということにした。
……ただ、源二はどう思っているのだろうか。
「……嫌……?」
一夜が心配そうにそう尋ねた時、源二は一夜が握っていた手をぐいっと強く引いた。
そしてバランスを崩した彼女を抱き寄せた。
一夜の耳に源二の低い声が聞こえた。
「――嫌なわけ、ねえだろ……」
少年のその声は、心から安心しているように聞こえた。
ようやく心から救われた、というような。
やっと、本当に欲しいものを手に入れたような――。
――よかった、と少年は思った。安堵で体中から、力が抜けていく。
自分こそ、ようやく彼女にその存在を認めてもらえて、長年の孤独から抜け出た気がしていた。
素直に嬉しかった。何年も何年も欲していた言葉が、ようやく聞けたのだ。叫びだしたいほどの喜びは、彼もまた同じであった。
源二もまたこうなることで、ある意味一夜という呪縛から解放され、彼女に依存した夢を見ることから卒業し、本当の意味で自立し、大人になれるのかもしれなかった。
自分を引き寄せている少年の腕が、自分を守る力強いものである反面、自分に縋る子供のようなそれにも一夜は感じた。
だから一夜は、その力に縋るように、そしてその子供を守ってあげるように。
外で少し恥ずかしかったけれど、誰も居ないし、知らない場所だし、寒いし――と、戸惑いながらも源二の背中にたどたどしく腕を回した。
・・・・・・・・・・
『お試し』だったのに、いつの間にか自然に気持ちが通じ合い、そのうえ思わず将来の約束までしてしまったような……と思うと、一夜は段々気恥ずかしくなってきた。それに、少し寒くなってきた。
想いを通わせ、しばらく寄り添っていた二人だったが、
「車、戻ろうよ……」
一夜は源二の胸から顔を上げながら言った。彼は名残惜しそうだったが、無言で一夜を離した。
そしてどこか甘酸っぱいふわふわとした空気のまま、二人は車に戻り、エンジンと共に暖房を入れた。
人の居ない夜中の公園の小さな駐車場で、一夜が少し車内が暖まるのを待とうかと思っていたところ――、
「――あのさあ、」
隣から源二の声がして、一体何を言われるのかと、一夜はさっきのプロポーズまがいの告白を思い出し、ちょっとどきっとした。
源二は一夜の方を見ずに言葉を続ける。
「よーやく、『仮』期間が終わりそうだってコトだっつーことだよな」
……確かに今の自分の台詞はそうとられてもおかしくはない。第一、もう誰にも源二を譲りたくないと自覚してしまった。
一夜は黙って頷き、源二の言葉を聞いていた。
「こっちも長いこと辛抱させられてきたわけだし――そろそろ、こっちの『貸し』も少し返してもらってもいいワケ?」
「――へ???」
一夜がその言葉の意味を理解できずに聞き返すうちにも、がつっと身体に部品が当たる音がし、運転席のドアに向けて身体を押し付けられ、その上に源二が覆い被さってきた。
「ちょっと――何――!?」
急激に胸を高鳴らせた一夜は反論しようとしたが、その暇も与えず、源二は一夜の唇を塞いだ。
「――ん……っ」
そのまま、また舌を入れられるものの、もう相手を信頼し心で受け入れているという心理状況の一夜。身体もそれに従順になり、今度は簡単に受け入れてしまった。
――恥ずかしい。ぞわぞわする。……ぞくぞくする。
確かに、たとえ恋愛感情を超えたものだとは言えども、男と女が一緒に生きていきたいということは――そういうことであるのだ。
生々しい吐息と、彼の荒い息遣いと、己の微かな喘ぎ。
淫らに聞こえる水音と、滴る透明な唾液。
だけどその粘膜の感触は、ドキドキすぎて感覚は表現しづらいけれど、どこかで『イイモノ』として一夜の中で認識され始めていた。
それは相手への信頼感と深い愛情の自覚から来ているものだった。
よく分からないけれど、きっと今、止められたら物足りない気分になってしまう。またきっと次も、と期待してしまう――。こんなことは、いけないことなのに。
恋する女はこんなに弱いものなのか?
あれほど大人と子供のラインは超えられないと抗ってきたのに、気丈に突っぱねてきたのに、愛することを知った今、脆くも崩れそうになってしまう。甘い誘惑に情けなくも、溶けそうになってしまう――。
やがて源二は狭い車の中で、一夜の座っているシートを倒した。その反動で、一夜も一緒に倒される格好となる。
「……や、だ……ダメ……っ!」
――こんなところで、人に見られたら嫌だし、やっぱりよくないことだし、何よりこんな場所で奪われるなど――。
源二が器用にも後ろ手に車のエンジンを消し、車の鍵を掛けながら、自分を必死に押し戻そうとする一夜を片手で抱き寄せ、耳元でこう囁いた。
「……心配すんな。少し、返してもらうだけでいい」
――って。『少し』って、……何だよ、このエロガキー!!!!!
自分は恥ずかしいやら緊張するやらで、もう声も出ないというのに、相手は相変わらずの無表情で、飄々としている……ように一夜には見えた。
そんな源二の心の内――長年辛抱を重ね、ようやく好きな女に自分を認めてもらえ受け入れられたことで、抑えが利かなくなってしまった切羽詰った男心――まで理解してやるには、一夜にはまだまだ時間と経験が必要のようだった。
しかし、もうなんだか逆らえない。この自分の遂に打ち明けてしまった気持ちに、ずるずると引っ張られている。
――少しってことは、最後までじゃないってことだから、ち、ちょっと触らすくらいならいい……のかな。確かに家だったら少しって言っても止まらなくなりそうだから、こういうちょっと体勢と具合の悪い場所の方がいいのかな……などということを、一夜は言い訳のように考えている。
源二に唇で、頬や耳、首筋などに優しく触れられ、時には舌でちろりと舐められ、ぞくぞくと身体が震える。
初めてのことに、びくんびくんと、触れられたところから身体が敏感に反応してしまう。
ぼうっとなる頭の中で、後からきっと突っ込みたくなるんだろうなと分かっていながらも、一夜は固く緊張した身体を徐々に源二へと預けていった。
非常にドキドキしているし、いけないと思うのだけれど、素直にその先を知りたいような気分になっていることには自分でも驚いた。いつの間にか――自分のこんな『女』の部分まで、『目覚め』てしまっていたようだった。
その大きな手が自分に触れてくる。今度は一夜が彼を受け入れていることを分かっているからか、荒々しいものではなく、そっと、優しく。
カーディガンのボタンを外した手が、カットソーの上から胸に触れる。両手でゆっくりと解きほぐすように、源二にしては意外に繊細な動きで触れてくる。
唇を離し近い距離で、とろんとしかけた自分の顔を見下ろしている源二の眼と眼が合い、その射抜くような真剣な眼差と、こんな真っ赤な顔を見られていることが恥ずかしくて、一夜はぎゅっと眼を閉じ顔を背けた。
「……っ…」
その手が徐々に身体全体を愛撫していく。甘い吐息が自然と漏れる。
車の窓ガラスを二人分のそれで曇らせていく。
一夜は真っ白になりそうな頭の中で、それでもどうにか途中で止まれるよう、それ以上理性を飛ばさないように懸命に踏みとどまろうとする。
彼を愛しく思う気持ちと、単純な肉体の本能に負けそうになるが、やっぱり彼を世間様に顔向けできる大人にしてやりたい。言い訳できるくらいの『少し』だけにしてもらって、この手は離させないと――と。
そんなパニックと罪悪感の中、ふと冷静に一夜は考えた。
でもこんな時間に、こんなことして疲れて――明日の仕事、絶対に起きれないよな。でも明日こそもう仕事休めないし……どうしよう。
……どうやら、想いを遂げたネムリヒメは、明日は眼の下に隈を作った情けない顔でお目覚めになることが決定のようだった。
そして遂に目覚めたネムリヒメの、長い夢の夜が終わり、まばゆい夜明けがやってくる――。
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