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  ネムリヒメ。 作者:takao
第7章
第48話 ひとりぼっちのこどもたち
 よく覚えていたよな、と源二はほんの僅かの間しか顔を見ていない筈のこの男の記憶力に驚いたが、一夜の父親は教師だったという話を聞いていたので、そういう習性なのかな、と勝手に解釈した。もしかしたらあんなことをした後の二人が、余程印象的な妖しい雰囲気を醸し出していたのかもしれない。
 源二は男に向かって、思わずぺこりと頭を下げた。その様子に、男もまたこの少年がただの「作業員」ではなかったと悟ったらしい。「一夜の同僚」という仮定も、ブレザーの制服を着ている時点で有り得ないと分かるだろう。
「……一夜から、僕のこと、聞いているのかな」
 男がゆっくりとした静かな口調で尋ねてくるので、源二は「はい、少し」と頷いた。
 男は、そうか、と言うようにため息をついて少し笑う。そして彼よりも少し背の高い源二を見上げた。
「僕が一夜の、不肖の――父親だった、男です。……君は一夜とどういう関係か、訊いてもいいかな」
 彼のことを調べようとしていたのは源二も同じだ。邪険にする理由はない。そしてそう聞くということは、やはりあの時の自分たちの「男女の空気」に、この男は気付いていたようだ。源二は少々恥ずかしさもあったが、それを表情には出さずに淡々と答えた。
 それは、二人の間の普遍的な答えであるからだ。
「今の、『家族』です」
 男はその源二の視線を真っ直ぐに受けた。そして少し考えた後に、驚いたように一夜とどことなく似ている目を見開いた。
「まさか、結婚してるとか……?」
「違います! 俺まだ高校二年ですよ! ……水倉って家、知ってますか? 一夜の母親の親戚らしいですが。俺の親が小六の時に死んだんで、葬式の時に一夜に引き取ってもらいました……あいつも、母親死んで一人だったんで」
 何も知らなかった男は、ただ驚いて源二を見ていた。
 源二と言えばそのずれた質問に、やっぱりこいつは一夜の親だな、と心の中でため息をつきたくなる感想を持っていた。

 ・・・・・・・・・・

 「一夜は出張でいない」という話をしたが、男――東野トウノと名乗った彼は、「いや、君と話がしたいんだ」と何故か源二を誘った。
 一夜の親父である男と何故自分が、と妙な感じのする源二であったが、言われるままに帰り道にある少々古ぼけた喫茶店に入った。とりあえず家に来るか尋ねたが、それはいいと辞退されたのだ。
 コーヒーを注文した後、無言となった二人であったが、東野がぽつりと語り出した。
「一夜は、元気で働いているようだね」
「……」
「あの施設で」
 無言の源二にも関わらず言葉を続ける東野を、彼はじろりと見た。
 ――元気も何も、どんな思いで……。
 こんな無神経なことを言えることからしても、一夜がこの男に対して、態度を硬化する理由が分からないでもない。自分も彼女の立場であれば、きっと彼に腹を立てたであろう。もう親だとも思いたくないほどに。
 東野は源二の睨むような視線に気付いて、彼を見た。
「呑気なことを言ってるなって、思うよね。人として最低なことをしたのに」
 源二の言いたいことが分かっているかのように、彼は自嘲的に笑った。

「父親としてあの子を育てることを放棄した。それから母親と女二人で、どんなに苦労して生きてきたことだろう。その母親も、亡くなっていたなんて……。どんなに寂しく辛かっただろう、どんなに僕を恨んだだろう。そのうえ、君のことまで育てていて。――あの子をそんな風に苦労させたのは、僕の所為であると分かっている」

 ゆっくりとであるがどこか追い立てられるように、しかしやけに人事のような口調で言い続ける東野。しかし彼の言うそれは事実であり、言葉にすればするほど、彼の犯した罪の深さが源二にも伝わってくる。
 こんなことをされれば、それは一夜だって彼のことをもう思い出したくもない気持ちになるだろう。源二だって、話を聞いているだけで不快になってくるほどなのだ。
 東野はそんなことを考えている源二から視線を逸らすと、話を続けた。

「別にだから、一夜が僕を恨んでいるならそれでいい。許してもらいたいなどと思わない。殺意すら持たれていても構わない。君が代わりに僕を殴りたいならそうすればいい。偶然会ってしまったからこんな話も出来るだけで、本来ならばもう二度と会うつもりもなかった。あの子は僕にもう存在もしていて欲しくないだろう。――僕はあの時、逃げ出した。自分の子供を捨ててまで、自分を守るために。……それから、十三年も経った。一夜は残された母親のおかげで、もう立派な大人になっていた。一体何をすることが罪を償うことになる? 謝ってどうなる。あの子の望みがもしあるとすれば、僕の存在を彼女の記憶から消すことくらいだろう」

 源二はいい年こいたこの大人に、彼の言うとおりもう何も出来ないのだということが痛いほど分かるからこそ、徐々に苛々してきた。
 ――じゃあなんで、てめえは今、此処にいるんだよ!?
 そう口を開こうか、東野の話が終わるのをもう少し待とうか、一瞬悩んだ時、
「でもね、」
東野は泣きそうな顔で笑った。
「元気でいてくれて、ちゃんとしっかり生きていてくれて、よかったと思ったんだよ」
「――」
 源二が言いかけた言葉を失ったその時、コーヒーが運ばれてきた。
 苦いそれを、互いに湯気を挟んで口にする。味など分かる状況ではない。
 この男は何を言いたいのか、親とは一体何なのか、一夜はどうすればいいのか、源二は分からなくなってしまい、ただ黙って東野の様子を窺っていた。

「僕は最低なんだよ。あの時、仕事で大きな失敗をして、悩んで、追い詰められて、どうしていいのか分からなくなって、家族だったのに、妻にも子供にも打ち明けられずに――、逃げ出した。仕事も辞めた。その時、妻には話せなかったことも話せて、こんな僕を支えてくれた女性の元へ行った。……滅茶苦茶なことをしているだろう?」

 ――って、高校生に何話してんだよ! 情けなくねえのかよ、この親父は……と源二は思ったが、それはもしかしたら「一夜の唯一の家族」として少年である源二を認めてくれているからかもしれなかったし、彼の精神的な危うさを表しているように思えた。
 そして母親に似て気丈なところはあるが、一夜の不安定さはこの父親に似ているような気もしていた。

「そんな最低でボロボロの僕を雇ってくれたのが、あのこの前の講演会の先生だった。今は贖罪のつもりにもならないけれど、親の居ない子の世話をしている」
 東野は飲みかけのコーヒーを置いたまま、苦しそうな笑顔で、まるで独り言のように喋り続ける。
「償うこともできない。ただ事実として一夜を苦しめた罪が僕にはあるだけだ。だから彼女に幸せに生きてほしいと願うのも、僕のためでしかないんじゃないのか。つまり、僕は最初から最後まで自分のことしか考えていない――」 
 その時、ガシャン、とコーヒーカップの触れ合う音がし、飲みかけのコーヒーが揺れた。
 源二がテーブルの足を蹴ったということに、東野は気付いた。

「あんたは、」
 東野は自分を激しく睨みつける源二を見る。
「俺に、どうして欲しいんすか?」
 まだ高校生の彼が自分の話を不快に思い、一夜と同様に自分を許せないだろうと思うことは、東野にも分かっていた。
「殴られたい? 詰られたい? それとも殺されたいとでも思ってるんすか?」
 言葉を探しながら低い声でゆっくり呟く源二の声に、東野はある「確信」を持ちながら聞き入っていたが、やがてため息と共に吐き出した。
「そうしてもらえるなら……、きっと、楽だろうね」
「いい年こいて甘えんなよ」
 間髪入れない少年の声に、東野は苦笑した。
「……そうだね」

 ――死ぬまで苦しまなくてはいけない。心から笑える日などもう二度とこなくていい。
 自分の罪を償うのは、それくらいで足りるだろうか?――そんなわけはない。
 それくらいでも、まだ全然足りないと思うのに、どうすることも出来ないのだ!!

 謝る? それすらも、自分が楽になりたいだけだろう。
 自分の声など聞きたくない、顔も見たくないほど恨んでいるのだろうから、顔を見せてもあの子にとっては嬉しくもなんともない。
 這い蹲って土下座したって、彼女は救われない。
 この汚い存在自体が既にもう、彼女に不快感を与えるものなのだから。
 ――でも……。
「一生苦しもうと思っていたのに、一夜は幸せになってくれていた。君みたいな子が『家族』でいてくれるなら、尚更。僕は最低なことをしたのに、そんな僕の望みが叶ってもいいんだろうか。そのことに、困っている」
 おそらくこの「罪悪感」と「事実」こそが、今、東野が源二に自分の罪と思いを語る理由であった。
 一夜本人には到底話せない、彼女の方が口もききたくないだろう。だから彼女が最も信頼しているであろう、そして彼女のことを今最も愛しているであろう少年に聞いて欲しくなった、という東野の弱い気持ちが表れていた。
 しかし源二はその甘えを撥ね付けるように東野を睨んだ。

「はあ? べっつに一夜はあんたのために幸せになるワケじゃねえだろ。あんたなんか、もう関係ねえんだよ。一夜は自分ひとりで頑張って、自分ひとりの力で今の場所手に入れて、その結果が『今』なんだろ。あんたは一夜のトラウマではあるだろうけど、一夜が受け取る結果とか幸せとかなんだかは、全部あいつだけのものなんだよ。あんたには関係ねえ。……あんたが、どう、感じようともな」
 源二もまだ子供の部類である。だからこの「父親」であったことがある、自分よりも四十年近く長く生きている男にどんな言葉を掛けていいのかなど知るわけもない。
 本当は彼は、一夜に詰って欲しいのだろう。今までの恨みをぶつけられることで、彼女を救えるならばどんなにいいことかと思っているのだろう。
 だが、その全ては無意味なことなのだ。何をしたところで、彼が居なくなってからの彼女の人生が、彼女の負った哀しみが換わるわけもないのだ。
 一夜がひとりで生きてきた努力の結果が今であることと、だからこそ、これからの彼女の人生にも彼の存在など全く必要ない事実には変わりない。

 ただ二人の間にあるのは、血の繋がりということだけ。東野が彼女を中学生まで育てたという過去だけ。
 もしそのことに感謝はしたとしても、それ以上の思いはない。一夜は立派な大人になった。
 もう、何もかも過去に取り残してきてしまったのだ。逆にこれから親孝行しろなど言われても、それこそする義理はないと撥ね付けたくなるのが人の情――。
 そしてそれは東野と一夜の関係であり、源二には関係ない。だから感情を抜きにしたただの現実を東野に突きつけたのだが、結果、図らずとも東野の今の心に最も当てはまる答えとなってしまったようだった。
「本当に、どうしようもないな、僕は……」
 東野は大きなため息をつくと、コーヒーを口にした。
 源二はやはり無言であった。この父娘の生き方に何かを言うつもりはないし、自分にその権利はないと彼は思っていた。だから今から言うこれは、「源二の」経験であり、思いであった。

「……俺も親に捨てられた」
 東野は声のトーンが少し落ちた源二の方を見た。
「本当のところは分からねえけど、車の事故じゃなくて心中だって、誰かが言ってた。親父は仕事何してたのかよく分からねえ放蕩親父だったけど、お袋とはやたら仲よかったし、心のどこかでそうじゃねえのかって俺はずっと疑っていた」
 これは源二もまだ一夜には話したことがないことで、彼女の話を聞いてしまった以上、彼女を守りたいと思った以上、もしかしたらもう一生口にしないことかもしれないことであった。
「だから葬式の時、俺は誰にもいらねえ人間なんだって思ってた。そうしたら、一夜が現れた」
 そして記憶はあの日に戻る。
「――『同じひとりぼっちだ』って、あいつは俺を見て言った」
 それはきっと、今思えば環境的なことだけじゃなかったのだろう。
 あの眼は源二の心を見てくれていてた。
「だから俺はあいつと一緒に居ることにした。あいつは俺が一番自分のことを分かってくれると思っているし、俺もそう思っている」
 それはどんなに自分たちを誘惑する他人が現れても、決して補完できない部分。
 誰にも埋められない、心の空白。孤独。――だから、
「あんたの言うあいつの幸せとかはよくわかんねえけど、俺は一夜を絶対に裏切らない」
 向こうが勝手に心配していても、自分は勝手に傍に居る。
 裏切れるわけがない。依存しているのは、自分なのだ。
 ――己を裏切らない永久不変の愛情を求めているのは、俺の方なんだ。

「それに……」
 源二はこれを言おうかどうか一瞬迷った。
 だが思わず言ってしまった。東野に対し失礼になるかもしれなくとも、大切な一夜を過去に苦しませたこの男に、純粋に腹が立っていたからかもしれなかった。
「もし、この先『親』になることがあれば……俺は絶対に、子供を泣かせるようなことはしねえし、捨てたくも裏切りたくも、ない」
「……」
 それを聞いて、東野はまたふっと笑った。しかし今にも泣き出しそうに見えた。
 そして源二はその表情を見ながら、この男のしたことは許せないことであるが、それでも自分が今この言葉を言ってしまったことを、もしかしたら何年か後に――そう、親になった時に、言わなければよかったと思う日が来るのかな、と何故かぼんやり思っていた。
 だがその言葉に嘘はなかった。そして彼はまだ子供であるけれど、言うことで漠然と覚悟が出来た。
 そうなる未来がもしもあれば、その隣に居るのは、一夜であって欲しい、と――。

 そして東野は県外の――彼が家を飛び出した時から一緒の女とやらと暮らす地へと、帰っていった。
 一応連絡先だけは交換したが、東野は一夜の心情を慮ってもう二度と会わないと決めているらしい。
「君と話せて、本当によかった。僕が言えることじゃないけれど……一夜を、よろしく」
 最後に彼はまた切なげに笑うと、こう言い残していった。
 ……てめえに言われるまでもねえよ、と源二はまた捻くれたことを思ったのだが。
 


◇拍手&簡易メッセ◇

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