第33話 恋花火(2)
夕飯を考えた時に、帰りは遅くなるから作るのも大変だし、非常に混むだろうから駅前でなど食べられない。今から食べてもまだバスは混まないだろう、と源二が淡々と話す判断に、何の段取りも考えていなかった一夜は反論する理由もなかったので素直に従った。
駅前の適当なファミレスに入り彼は一食分がっつり食べていたが、一夜はどうしても屋台モノを食べたかったのでデザート程度にしておいた。
少し休憩できたところで徐々に混み始めてきたバスに乗り、夕暮れが始まる頃、会場の河川敷へと移動する。
一夜は今まで意識したことなかったが、道を歩く時の位置や、バスに乗った時や、よく注意しなければわからないが、何気なくさりげなく自分を庇うように源二は立ったりしてくれていることに気がついた。
少し混み合うバスの中、人混みに背を向けて立っている彼の顔と、自分の横にガードするように伸ばされている腕を見比べる。「何だよ」と相手が文句でもあるのかとまた睨んでくるので、一夜も「別に」と可愛げなく顔を逸らした。
そしてバスに十分ほど揺られて会場となる河原に到着した。
始まるまでまだ一時間近くある。待ち合わせの際の居心地悪さも何処へやら―、堤防の上にずらりと並んだ屋台を見た瞬間、テンションが上がってしまうという、祭り好きの子供のような一夜であった。
河川敷の方にはシートを引き大勢の人々が既に見物する場所を確保していたが、二人ということもあり立ち見をすることにして始まるまでの時間、遊びだす。
そこでようやく楽しくなってきた一夜は、「すげー、何年ぶりだー」と非常に上機嫌であっちへフラフラこっちへフラフラと欲しい物を買い漁り、「あのバカ何処へ行った」と少年は保護者のようにそれを追いかけ、買ったものだの食ったゴミだのを持たされる羽目になる。
非常にジャンキーな夕飯であるが今夜一日なら問題ないと、あれこれ食べている一夜であったが、
「源二も食べる?」
とたまには少年にも分けてやる。
チョコバナナは甘い物が苦手なので断った源二だが、たこ焼き(大阪焼きも食ったくせになお食う)は美味そうな匂いがしたので思わずもらってしまった。しかも両手はこの我が侭女に持たされたゴミと水ヨーヨーでふさがっていたので、こっ恥ずかしくも「はい、あーん」の姿勢で食ってしまうこととなっていた……。
それはさておき、どうにかゴミ箱を見つけてこれまでのゴミを捨て、それでも時間がまだあるので今度は、
「金魚すくいがやりたい」
などと一夜は言い出す。
「どーせお前、捕っても世話しねえだろ」
とやはり子供のように一夜を嗜める源二であったが、別に捕れると決まったわけでなし、やるだけやりたいと一夜が更に我が侭をぬかすので、少年は諦めてやらせてやった。
……しかし案の定、一匹も掬えずに一夜はむくれる始末。
「おねえちゃん、そりゃもうムリだねえ」
と店のおっちゃんに笑われむくれた一夜だが――、隣から突如として大きな手が伸びてくると、僅かに残っていた和紙とプラスチックの枠で、器用にもすいすいっと二匹も掬い取ってしまう神業が披露された。
その手の主…ようは一夜と同行していた源二に、思わず周囲から喝采が上がる。
思わず勢いで二匹掬ってしまった彼だが、
「すげえすげえ」
と一夜に背中をばんばん叩かれても無表情ではあるものの、どことなく誇らしげにも見えた。
二人の隣には「一匹も掬えない」と泣きじゃくってしゃがむ五歳ほどの少年が居たが、その子も泣く事も忘れて、ぽかんと源二を見上げていた。
源二はその少年に、「これやるよ」とその金魚をにこりともしないで渡した。
そして彼に礼を言って何度も頭を下げる若い母親に軽く会釈だけし、妙な注目から逃げるように歩き出したので、一夜も慌ててそれを追いかけた。
「折角とったのに、あげちゃった」
その背中にいつもと同じ速さでは追いつけない一夜が、少し遅れ気味に歩きながら笑って呼びかける。
「どーせ面倒看んの、俺だしな」
一夜が追いついてこないので、源二は足を止めてそれを待った。
「でもあの子もお母さんも喜んでた」
それに追いついた一夜は彼を見上げて笑った。
「いらねーって言われたら困ったけど」
その時、花火大会の始まりの時が近くなっていることを知らせる空砲が鳴った。
思わずその大きな音に立ち止まってしまった二人を、いつの間にか混雑してきた人の波がぶつかりながら追い越していく。
「どっか観る場所探すか」
源二がそう言って歩き出した。一夜はそれを追いかけようとするが、如何せん、下駄と浴衣では歩きにくい。このままでははぐれてしまう、と思わずその広い背中のTシャツを捕まえた。
「速い?」
彼の問いに一夜はこくんと頷いた。
源二の歩く速さが少し遅くなって、一夜がほっとしたのも束の間――、背中でシャツを握り締めていた手を、後ろ手に回してきた彼の手に捕まえられて、強引に手を繋がれた。
「……」
うっわー、人混みだからって、一応そーゆー仲だからって、そこまでやっちゃうー!?と、人前で男性と寄り添って歩いたことなどない一夜には、これまた驚きと抵抗があったが、確かにこの人混みの中では便宜上必要でないこともないと思ったので、大人しく彼にされるがままとなった。
しかも普通に手を繋ぐだけでなく、指と指とを絡めるように握り締めてきた。
確かにこれだと離れにくいので、更に便宜上よいのだろうが……。
指の一本一本とその股の間、そしてそのがっしりとした腕と己の細い腕とが、絡み合うように密着する。
なんだか普通に手を握るよりもずっとやらしい感じがして、でもなんだかドキドキしてふわーっとする感じがして……。
と言いようのない感覚に、一夜は少年の何を考えているのか分からない横顔を見上げながら、人混みの中を彼と自分のじっとりする手の汗を感じながら歩いていった。
手を繋いだまま屋台の並んでいた通りを過ぎると、堤防の上まで花火を見る人だかりが出来ていたので、とりあえずそこで立ち止まった。
「座んなくていーのか?」
源二が自分を振り向き心配してくれたが、一夜は「大丈夫」と頷いた。
二人はそのままそこに立ち止まったものの、その手が離れることはなかった。
その姿勢のまま、二人いつの間にか無言になっていた。
繋いだままでいいのかな、という照れや迷いから、そして自然な筋肉の動きから互いの指が、手が動くたびに相手に触れ、相手を感じる。
たったひとつ、少し、繋がっているだけのことなのに。
そこに全神経が集中したようになってしまう。
骨ばった大きな手。
あの日頬に触れ、引き寄せてきた手。
あの日頭を撫でてくれた手。
あの日救おうと引いてきたつもりで、いつの間にか自分が包み込まれていた手。
所在無く熱い想いを持て余していた一夜であったが、やがて――、
空に一発、炎の華が舞った。
それを始まりの合図とし立て続けに花火が上がり出す。こんなに近くで見たのは久しぶりだった。
「きれいだねえー」
人々の歓声もあり、相手に聞こえていないだろうが、一夜はそう呟いた。
出会った頃に小さな花火大会を二人で観に行ったあの時は、彼も自分より背が小さくて、難しい時期でもあった。だからもっと今よりも鋭く尖った雰囲気を持っていて、心配な子供だと見ていたのだが――。
開会の花火が終わり、紹介のアナウンスがあった後、少し時間を置きまた次の花火が上がった。
その暗がりの中、子供だった筈が自分よりも大きくなり精神的にも落ち着いて、性の対象とすらなり得てしまう少年の顔を、一夜はこっそりと見上げた。
こんな若い男を、行為は伴わなくとも今は『そういう対象』として自分の傍に居てもらうことに、一夜は違和感を覚えた。だがその違和感―背徳感のような眩暈が、妙にぞくぞくと気持ちよかったりもした。
花火を背景に、感慨深げにその端正な横顔を眺めていたら、ふと視線に気付かれて振り向かれた。
自分の眼を見返した彼の眼は、鬱陶しげな視線などではなく、きっとおそらく今の自分と同じ眼で自分を見ているんだろうな、と一夜は思った。
「……」
思わず何かに縋るように、一夜の握る手に力が篭った。
その手を更に強く握り返され、一夜の胸が大きく高鳴った。
炎の華が大きく、鮮やかに、激しく鳴り響き、咲いては散っていく中。人混みに紛れてこっそりと、全てがただの背景であるかのように、言葉もなく、見詰め合ってしまっていた。
黒い夜空に浮かぶ光と炎。大きな大きなオレンジと紫と緑色の華。
爆音。人のざわめき。てのひらの汗。鼓動。ぬくもり。
そしてその、視線と沈黙。
それら全てが大げさかもしれないが、一夜は自分の魂に刻み込まれているような気がしていた。
・・・・・・・・・・
花火の鳴り響く大きな音にその視線は途切れ、どちらからともなくまた夜空を見上げた。
その手はしっかりと繋がれたままに。
――それから、どれだけの時が経ったのだろうか。
花火大会全体の時間としては半分が過ぎたくらいだろうか。
「どーする、最後までいんの?」
源二の声が耳に聞こえたので、一夜は彼を見上げた。
「うーん、バスとか電車混むのも嫌だし、疲れちゃいそうだし、もう行ってもいいかもね」
少しずつであるが周りの人々が動き出し、若干スペースも出来始めてきている。
「お前は、いーの?」
一夜が楽しみたくて連れてきたものだ。源二はふと尋ねた。
「うん、楽しかった」
一夜は笑って頷いた。
まったくいつものように会話をする二人。だが、笑顔の下では熱い手が握り締められたままだった。
それが真実であるのに、そこに踏み込んでしまうことは許されないから、2人して誤魔化すように何事もないように、何の激情も持っていないように会話をし、演技をする。
「じゃあ行くか」とまだ人混みは続いているので、源二は一夜の手をそのまま引いて歩き出した。
「ねえねえ、上見ながらいくから引っ張ってってよ」
ドキドキが収まったわけではないが、長くこの状態でいて、少しだけ相手の手の温度に慣れたのもあって、一夜はそんな我が侭をお願いした。
「はいはい、」と少年からは呆れたような返事が返ってきたが、約束どおり自分がぶつかったり転んだりしないように誘導してくれた。
少なくとも屋台の列が終わるまでは、花火はまだまだ良く見えたので、一夜は夏の終わりの残像を胸に焼き付けて、河川敷に別れを告げた。
再び屋台の棟を過ぎ少しだけ人混みが収まり、駐車場に近づく頃には、一夜もまだ続く花火の音にちらちらと振り返りつつも、普通の速度で歩くようになった。
同じように手を繋ぐ若い男女や、逆に可愛い子供の手を引く親子連れなどが、バス停に向かって歩いている。
堤防の道は街灯が照らしていたが、昼間ほどの明るさではない。人混みといえるほどの人の多さではなかったが、この暗闇に紛れるように、時折会話をしながら寄り添って歩くふたりのそのふたつの手は、未だ繋がれていた。
しかしその人の目を気にしなくてよい闇の異空間も、明るいバス停に到着する頃には夢の時間も終わり、ふたり、どちらからともなくその手は離されたのであった。
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