ネムリヒメ。(33/57)PDFで表示縦書き表示RDF


ネムリヒメ。
作:takao



第32話 恋花火(1)


 夏の終わりの昼下がり。もうじき夕方になろうとする頃。
 もう何年も前に母親に作ってもらったものだが、その藍色の布地は決して安っぽくはなく、流行にあまり左右されない柄の浴衣を、一夜は着慣れないながらどうにか格闘して自分で着付けていた。
 着付けが終わった後は軽く結い上げていた長い黒髪を、もう一度しっかりと和装に似合うように、かつ自分の年齢を考えくだけすぎず、老けすぎず、と気を遣いながら結い直す。
 そういう時に限って上手くいかずにイライラするものだが、3度目には上手くまとめ上げることが出来た。思わずこの日のために珍しくも衝動買いしてしまった、夏らしいモチーフのついたスティックを指し、後れ毛の量を計算して垂らす。

 こんなことをしているうちに、いつの間にか非常に真剣になっていた表情が鏡に映っていた。
 そんな自分の顔を見て、何やってんだろう、私……と情けなく、恥ずかしくなりながら、一夜はやるせないため息をついた。


 ・・・・・・・・・・

 数日前、職場のメンバーで納涼会と称して飲み会があった。
 そういう場では仲のよい千菜とばかり話せるわけでもないが、宴もたけなわになり席が入り乱れているうちに、たまたま彼女の隣に座った。
 とりあえず他愛無い話をしていたが偶然、件の花火大会の話になり――、
「もしかして、一緒に行ったりするの?」
周りに職場の人間がいる場なので『誰と』とは言わなかったが、こそっと千菜が聞いてきた。
 赤くなっているのはきっとアルコールの所為だ、と自分でも思いながら一夜はビールをごくりと飲み込み、素直にこくんと頷いた。
「へー。そっかー、おめでとー!」
 千菜は非常に嬉しそうに、だが周りに気付かれないよう小さく拍手をする。先日の話と合わせて、二人の関係の変化を悟ってくれたようだった。
「で、でも、変なことはしてないから!」
 恋愛関係=身体の関係、という図式が今の時代しっかりと出来上がってしまっている。相手が十七歳の高校生ということもあり、そのように誤解されるのは心外であるので、一夜も小声で応戦した。
「わかってるよ。一夜がそんな子じゃないってことくらい」
 千菜はそう言うと、手元のぬるくなった瓶ビールをとりあえず一夜のコップに注いだ。一夜もそのぬるいビールを同じく千菜のコップに注ぎ返してやった。

「でもさあ……」
 一夜に注がれたビールを口にしながら、千菜は感嘆のため息をついた。
「フツーさあ、長く一緒に居たらもうマンネリ化しちゃって会話がなくなって、ただ場をもたせるために、そういうことする時もあるのにさあ。『それ』をしなくても、そういう関係が成立するのは、すごいことだと私は思うよ?」
「……」
「本当に、相手の中身が必要なんだね。よっぽど相手からキモチイイこと以外の、内側から得るものがなければ、出来ない付き合いだよ」
 笑って語る千菜を一夜は真面目な顔で見つめていた。
「だから、そういう関係って、すごくいいと思う。てか、あの歳でそれが出来るあの子は、やっぱすごいいい男だって。大事にしな!」
 そこで一夜は千菜に軽くどつかれた。

 ――あの子、とは源二のことだろう。

 彼には勝手を言って申し訳ないと思っている。勿論、一線を引くことは間違っていない。
 だがきっと世間から見ても、色々な意味で大人である自分が悪い、と言われるだろう。彼は優しいから、そんなの気にするなと言ってくれるだろうが……。
 だけどあの世代の青年が欲求することの全てを自分は抑えつけているのだ。それを超えてなお、自分の我が侭な『ごっこ遊び』に付き合ってくれているのだ。
 客観的に見てもそれは奇跡的なことであろう。
 ――それに対して、自分が彼にどう出来るのか、何をしてあげられるのか、何も分からずにもどかしい。

 その会話の後、他の酔った職員が千菜との間に割り込んできて、この話はこれで終わってしまった。
 『恋人』である源二に心配かけたくもないので、前科者の一夜はこの日は一次会で帰ることにした。
 千菜と北條のことは、どういう関係になったのか少し気にはなっていた。交際していたわけではないが、北條にこのことを報告したほうがいいだろうか……。いやでも、相手は高校生だしせめて『仮』ではなく、本当の恋愛関係になってからの方がいいかもしれない、と一夜は思った。
 だが気をもたせないよう、しっかり断った方がいいのだろうか…。でもこんな曖昧な自分などもう眼中になく、千菜と既に関係が始まっていればこんなこと言うのも馬鹿げているし……。

 千菜は千菜で、一夜の話は面白がってどんどん聞いてくるが、自分のことで精一杯の一夜に彼女の悩みは打ち明けてこない。
 それはそれで申し訳ないと思うが、彼女の世界にもまた土足で踏み込んではいけないと思うので、こちらから聞き出すのも憚られた。
 一次会後、何事か言葉を交わし合う二人をちらりと見やりながら、これはこれでいつか決着をつけよう、と思いつつ一夜は『恋人』の待つ家へと帰っていった――。

 ちなみに帰宅後、源二にへべれけでない状態を厳しくチェックされ、「まあ合格、」と偉そうに言われたというおまけつきであるが。


 ・・・・・・・・・・

 そんなこんなで今日の初デートに至る。源二の先日の傷の治りもよいようで、痕は残っているが見た目にもそれほど痛々しくない程度になった。
 今日の彼の予定は、午前部活の午後バイトと忙しいようで、会場の最寄り駅で待ち合わせすることとなった。
 隣の大きな市の花火大会であるので、二人の知り合いも大勢行くことだろう。ただ県内で一、二を争う規模の花火大会なので、会場も非常に混雑する。おそらく夕闇と人混みに紛れれば特に怪しまれることはないだろう、何より家族なのだから言い訳は幾らでも出来る、と二人それぞれ内心で計算していた。
 だから会場で待ち合わせた方が都合はよいのである。
 車で向かうことも考えたが、浴衣で渋滞の中を運転することが億劫だったので電車で行くことにした。

 時間を今一度チェックした後、一夜は鏡の前で最後の仕上げに入る。
 いつもそうであるが、年齢も年齢だし薄化粧はしている。だが着飾ること自体が苦手だし、『女』になることが――いつもの自分でなくなることが恐くて、日焼け止めとくすみを隠す程度のナチュラルメイクというやつである。
 ただ女性によく「え?それで化粧してるの?」と訊かれるので、そんなに化粧下手なのかとか、だったらするだけ化粧品代が勿体無いのかとか、一夜は密かに悩んでいるのであるが……。

 そうは思うもののとりあえずまだ日も出ているので、日焼け対策も兼ねて塗るものは塗る。
 眉を描きながら、髪は最後にすりゃよかったと後悔したりもする。ひとつしか持っていない青系統のピンクの口紅を、薄い唇に引く。
 そして最後の仕上げに、以前人からの土産でもらった身体用の練香を、髪を上げた耳たぶの後ろに指で付ける。

 そんなことをしながら、一夜はまたため息をついた。
 花火大会といえば、自分の市の小さなそれに、引き取ったばかりの子供らしくない源二を無理矢理誘って連れて行ったことがある。
 その時とも、今までみたいに一緒に買い物だのなんだのに行った時とも、今日は……違う。
 ――なんなんだ。この緊張感と、この妙な、高揚感は。
 男の為に一生懸命自分を色づける、そんな鏡の中の『女』をどこか汚いようなものに感じるのに、それでも今宵を『楽しみ』だと感じる自分がいる。

 そんな自分への驚きと嫌悪感。

 だけど、毎日合わせている顔だからこそ、こんな風に恋人ごっこをして待ち合わせをしていることが、妙に新鮮でわくわくしてしまう。

 自分でも、自分がよくわからない。
 一夜は練香の蓋を閉じると、少し強く机の上に置き、その姿勢のまましばし考えていたが――、「よしっ」と男らしく頷き立ち上がった。

 変に悩んでいても仕方ない。『自然でいろ』と源二にも言われた。
 今日は自然体で、思う存分楽しんでやる!
 一夜はそう気合を入れると、下駄をつっかけ、巾着袋を持って自宅を後にした。


 ・・・・・・・・・・

 久しぶりに乗る電車の揺れる音を聞きながら、十五分程度外の景色を眺める。
 同じように浴衣姿の子供や女子中高生、土曜日であるから一夜と変わらないような年齢の女性もちらほらと乗っている。
 自分たちの住んでいる市もそれほど人口が少ないわけではない。とりあえず大勢の乗客の中に、知り合いの姿はないようなのでほっとする。
 デートをするカップルや待ち合わせに急ぐ女の姿、というのは今まで生きていて普通に見てきたが、どれも自分には関係ない別世界の生き物だと思っていた。まさか自分がそのリングに上がるとは思っていなかった。
 かれの待つ場所へと急ぐ自分。恥ずかしくて帰りたい気持ちと、やはり楽しみな気持ちが、半々で鬩ぎ合う。
 一夜は誰も見ていないのに、ひとりで自分自身に照れていた。

 そうこうしているうちに電車は、終点の県庁所在地のある駅に到着した。ここから会場の河川敷まではバスに乗る。
 ありきたりでそれも恥ずかしいが、駅を出たところにあるバス停横の噴水は待ち合わせには最適のわかりやすい場所である。
 一夜がカラコロと下駄を鳴らして歩いて行き、更に緊張を高めながら噴水の周りをぐるりと見渡すと――、ほどなく他にも複数の人が座っている噴水の石段に、少年がどっかと座って携帯電話をいじっている姿が見つかった。

 うわ、本当にいやがった、やっぱ帰ろうかなあと、居なければ居ないで落ち込むくせに、一夜は支離滅裂なことを考えていた。
 しかし相手は一夜の視線に気付いたか、顔を上げて少し手前で立ち止まっている彼女を見た。
 その瞬間、ああ逃げられない、このリングのゴングが勢いよく鳴った――と大げさにも一夜は頭の中でそんな風に思いながら、気が遠くなりそうになっていた。
 そんな一夜の心境を知る由もなく、源二は立ち上がり一夜のところまで歩いてくると、
「先になんか食ってこーぜ、腹減った」
といつもどおりの愛想のない態度でそう言いながら数歩歩き出し、立ち止まったままの一夜を振り向いた。

「……んー、わかったー」
 しかし彼のその変わらない態度に、一夜もいつもどおりの自分で受け答えが出来た。それにより恥ずかしさも少しは和らぎ、ほっとした。そしてその後をカラコロと音を立てていつもよりも小さい歩幅でついていく。
 どうでもいいが彼は部活だのバイトだのをしていたのに、荷物をひとつも持っていない。修学旅行でも恐ろしく小さいバッグを持っていく男だったよなと一夜はくだらないことを考えていた。

「いつ着いた?」
「今さっき」
 信号待ちをしながらそんな会話をしたが、彼ならばたとえ30分前から座っていてもそう言うだろうな、と一夜は思った。







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