第2話 遠い日の…
それは五年前の春のことだった。
一人の黒い服を着た十二歳の少年が部屋の片隅に座っていた。
突然の父と母の事故死。会ったことのない『親戚』たちが目の前で話をしている。
よくわからないが親は実家を継ぐべきだったところを駆け落ちし親戚とは絶縁しているらしく、この大人たちは警察などに言われて仕方なくやってきたというように見受けられた。
彼らにとって何よりも厄介なのは自分の存在であると少年は分かっていた。祖父母も既に他界しており、親戚が引き取るべきか、やはり施設に…なんて言葉も聞こえてくる。
生命保険など入る余裕もないほどだったから、両親の財産は何一つない。だから少年の存在などただのお荷物なのであった。
――施設でいい、それでいいから早く帰れ。
大人たちの言葉が少年の耳には煩わしくて仕方なかった。
そうして既に泣くこともせず、何もかもがどうでもいいように虚ろな眼で座っていた少年の前に、ひとりの人影が真っ直ぐに近づいてくると、だん、と片膝をついた。
短いスカートの喪服であるのでそんなことをすれば、黒いストッキングの腿が丸見えであるのだが、その黒く長い髪の女はそんなこと気にもしないで、切れ長の眼を少年にぶつけた。
何だよ、と少年も女を睨み返したが、真っ直ぐに交わされた眼差は、厳しいものだったけれど今までに出会ったどの大人とも違う、真っ直ぐで優しいものだった。
その少年からの視線を確認した後、女は静まった部屋の中で言い切った。
「私がこの子引き取るよ。それで、いいだろう」
呆気にとられている親戚たちの間を―いや、呆然としていたのは少年・源二も同じであったが、その女は彼の手を引きずんずんと部屋を出て行った。
「こーゆーのは市役所行けばいいのかな」
外に出て、自分の手を引いたままぶつぶつと言う女であったが、そこで源二はようやく我に返り彼女に向けて呼びかけた。
「お、おい……」
女は源二を振り返った。そして、何も言わずに笑った。
――けれどそれは何処か寂しげで、そして何処か自分に似ている、と源二は直感でそう思った。
そう思ったからか、夕日に照らされたそれが綺麗だったからか、何故だか心臓に直接響くように、どきっとさせられた。
それは今でも忘れられない程、鮮やかに色濃く、胸に刻まれた残像。
それが源二が初めて一夜に出会った日のことであった。
彼女の母親と自分の祖父が従兄弟か何かにあたるらしいのだが、連絡が一応来たから葬式に来たと女は言った。(自分たちの本家はかなり大きな旧家らしい)
その女は自分にも親は既に居ないと笑った。彼女の母親は父親と離婚し、その母親も数年前に亡くなったという。
「同じ、ひとりぼっちだ」
女はまた微かに笑った。
自分が彼女と暮らす理由も、彼女が自分と暮らす理由も、それで十分だった。
・・・・・・・・・・
源二はまどろみから眼を覚ました。
時計を見るとまだ午前六時前。春の終わりの朝はもう明るくなっていた。
――あれから五年。
あの日見上げていた女の背は二年後に追い越した。
身体は大きくなったけれど、―まだ、足りない。
源二はベッドの上に起き上がり、その大きな手をぐっと握る。
足掻いても足掻いても、届かないもどかしさ。
壁一枚向こうに眠る女。たったそれだけの距離なのに。
あの日から抱き続けてきた自分の気持ちなど、何も気付かずにあいつは眠り続けているのだろう。
それは深い闇、妄執、渇望、衝動。
父親が家を出て行ったことも男嫌いの一因か、一夜がどちらかと言えば中性的で、男性に興味がない朴訥とした性質であるのは幸いした。お陰で今日まで彼女は結婚することもなく、自分が知っている限り仕事や生活に追われ、男も作っていないようだ。
また男を寄せ付けない理由のひとつに、彼女自身が非常に手固い、というのもあった。
確かにその芯の強さは魅力でもあり、自分もあの出会った日からずっと救われて続けてきたものであるが、だからこそどこか奥手で、手が出しづらいというのもあった……。
ただひたすらに、眠る女。
ネムリヒメ。
難攻不落の相手に対し、源二は何度ついたか分からない深いため息をつくと、もどかしそうに頭を乱暴に掻いた。
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