第1話 春眠暁を覚えず
図書館、児童館etcの機能を持つこの施設に、一夜が短大卒で就職出来たことは幸いだった。
五年前、まだ若い一夜が源二を引き取ることが出来たのも、このような給与や福利厚生がしっかりとした職業に就いていたからであった。
図書館司書の資格を持ち此処へ就職した一夜であるが、異動で昨年の春から児童館に勤めている。特に子供が好きだと言うわけでもないが、十歳年下となる源二と生活していた経験は役に立っているし、逆にこの施設で子供達と前から接していたからこそ、彼と暮らすことにも抵抗はなく、放っておけなかったのだろうと今にして思う。
そんな一夜の午後の仕事の殆どは、小学校低学年の子供たちの面倒を看ることだった。
この施設は、県下一の進学校である県立高校と隣り合わせに建てられていいる。 よってその高校とは連携を取り合い、高校からの実習やボランティア活動なども受け入れていた。
また児童館で預かる子供たちとは、勉強やおやつの時間の他に遊びの時間もあり、散歩の途中に隣の高校のグラウンド脇を通るのは子供たちにも人気のコースであった。
春の穏やかな夕方、今日は一夜が子供たち数人を連れてセンター周りを散歩に出掛けた。
子供たちにとっては、やはり大人よりも少年少女の方が魅力的に映るのか彼らは高校生に興味があるようだ。
グラウンドで行われている競技を真似して遊びだす男の子も居れば、「あのおにいさんカッコイイ」などと言い出すませた女の子もいた。
それらに相槌を打ちながら危険のないように眼を配り、しばし子供たちと一緒にグラウンド脇に留まっていた一夜であったが、グラウンドの中に見知った顔を見つけた。
この進学校では部活動――特に団体競技には力を入れていないと聞いている。広いグラウンドの交流センター側の場所では、サッカー部らしき集団がやたら和気藹々と楽しそうに練習していた。
と言っても現在は個人練習らしく、二、三人で組になっているようであった。その中に一夜は見知った少年…もとい源二の姿を見つけたのだった。
実は彼は、その隣の高校に通っているのだった。
しかも「家から一番近いから」という理由でこの進学校を選び、あっさりと合格してしまったという訳であるから小憎たらしい。
それはともかくとして、この後バイトもあるのに、若者は元気だなあと、一夜は機敏に動き、青春よろしく汗を流す源二の姿を見てしみじみと思う。
タダ飯食いは嫌だと生活費の足しにアルバイトに精を出している源二であったが、やはり学生のうちはこうして青春して、汗を流すのがよい…と、いくら干物女であってもこうした少年らしい姿を見るとどこか嬉しくなる。
そんな自分の視線に気付いたのか、グラウンドの向こうに居る子供達の一団の方を源二は見た。
そして眼が合った――気がしたので、反射的に一夜は手をひらひらと振ってやった。
しかし元々無愛想な彼のことだ。
Tシャツの首元で汗を拭いながら、ふい、と目を逸らされた。
「せんせー、しってるひとー?」
隣に居た女の子が自分を見上げたので、
「うん。親戚の子だ」
と一夜は嘘のないようそう答えると、行こう、と子供たちを促した。
その後、「なんだお前今の美人なおねーさんは紹介しろー云々」と源二はグラウンドに居た少年達に散々絡まれたものだが、さっさと歩き出した一夜の目にその受難の様子は入ることはなかった…。
・・・・・・・・・・
そして午後六時。迎えの来た子供たちは帰っていき、一夜たちは仕事の片付けをしていた。
勤務時間も一応六時までなので、メールの受信に気付いた一夜はいつものように携帯電話を開いた。
それは源二からであった。内容は、ぶっきらぼうに一言。
『七時半』
そしてそれは帰宅時間のことであった。家では先に帰った方が夕飯を作ることになっているため、大体の帰宅時間を知らせ合うことがルールとなっている。
一夜は帰宅時間が午後六時半から七時と決まっているので、自分の場合はそれがずれる時だけ彼に連絡をしている。つまり今日は自分が夕食当番だ。
それを確認した一夜が携帯電話を閉じると、不意に声を掛けられた。
「源二くん?」
顔を上げると、そこには一夜と対照的な茶色の短い髪に、くりくりとした大きな眼の少し童顔な女性―同期の千菜がにまにまと笑って、自分を見ていた。
「……夕飯どーしよーかなー」
一夜は大食漢の息子を持つ親のような気持ちで、そうぼやくと長い髪をひとつに縛っている頭をがしがしと掻いたのだが、
「なんか、同棲してる恋人同士みたい」
それはメールのやり取りを指しての事だろう。仕事の上でも友人としても価値観が合い、一夜とは親しい間柄である千菜は、ふふふーとやけに嬉しそうに笑ってそう言った。
いや、そんな色めいたモンではないんだけどな…と一夜は眉を寄せたが、しかしそこでふと新しい視線を感じ、今度はそちらの方向に顔を向けると、この部署の責任者で上司にあたる室長の北條と眼が合った。
三十代前半にして管理職となった切れ者の男性の何かを見透かすようなその視線に、今の話を聞かれたか、と一夜は一瞬ひやっとした。
自分たちの関係を説明するのが面倒であり問題視されても困るので、親しい人間以外には源二のことは弟だと説明してあるのだ。
―が、
「京屋、補助金の申請はどうなっている?」
「はい! すみません! あさってまでですよね!」
すぐに北條の視線は千菜へと移り、彼女は慌てて机の上をひっくり返し始める。
……とりあえず気のせいか…、と一夜は安堵した。
・・・・・・・・・・
「今日、手ぇ振ったの分かった?」
帰宅後、大味だが急いで作り無事に迎えた夕食の時間。
育ち盛りの少年向けにカロリーの高い揚げ物を囲み、呑気に尋ねる一夜を「ああ?」と二杯目の飯をかき込みながら源二は睨んだ。
……分かったも分からねえも…。
あの後女性に免疫がない上に、源二が女嫌いなのを知っている友人たちにやたら絡まれたことを思い出し、彼は不機嫌そうにざくっと揚げ物に箸を刺した。
「もーガキじゃねーんだからよ…」
苦々しくそう言う少年に、まだじゅーぶんガキだろーが、と思う一夜はわざとらしくため息をついて言ってやった。
「ひとりで大きくなったよーなコト言っちゃって」
「……」
これを言われると未成年は弱い。
「おかわりは?」
一夜はにんまり笑うとその細い手を差し出した。
……居候、三杯目には、そっと出し。
――これだからこの女には、逆らえないのである。
それ以上言い返すことも出来ず、源二は悔しそうに茶碗を突き出した。
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