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  ネムリヒメ。 作者:takao
第3章
第18話 恋愛指南(前編)
「へい! 生大二丁お待ち!」
 威勢のよい青年たちの掛け声、炭火の匂い、仕事帰りのサラリーマンや親しい友人たちと騒ぐ若者たち――。
 その晩、行きつけの居酒屋にて。この困った状況で何にかは分からないが、「乾杯ー」ととりあえず千菜と大ジョッキを重ね合わせる一夜。夏の暑さと一日の仕事の疲れを落とす苦い炭酸の泡をごっきゅごっきゅと味わいながら、やはり昨日の気疲れする男女の逢瀬よりも気の合った友人との一杯の方が断然美味い、とつくづく思う彼女であった。

 とは言っても、今まで恋愛話などしてこなかった一夜がすぐに千菜に相談を持ちかけられる訳ではない。そういった話になったのは、やはり何杯かビールを空けほろ酔い気分になり冷酒に切り替わる頃、千菜から「それで?」と話を切り出してきたからであった。
 ちなみに一夜とて飲みすぎればへべれけにはなるものの、女性にしては相当酒に強い方である。千菜などは実は一夜以上に酒が強いほどであった。
「なんで源二くんは、もういいの?」
 とりあえず千菜はそこから尋ねた。これまでのことから、千菜も一夜が恋愛自体から逃げていることを知っている。「何があったの?」とまともに訊いたところで、素直に答えるわけがない。よって先ほどの『源二の食事の心配などしなくていい』と言った一夜の言葉尻を取り、少しずつ崩していくつもりらしい。
 とりあえず千菜自身の悩みもあるのだが既に終わってしまったその問題よりも、前からあやしいと思っていたイケナイ香りのする二人の恋の話の方が、一夜がそんなことを滅多に口にするタイプでないのもあり、気になって仕方ないのであった。

 おばさんかよ、と心の中で突っ込まされつつも、恋の話にはしゃぐ女子高校生のように見える千菜は、一夜から見ても女性らしく可愛いなと思える。それに結局、彼女には勝てないのである。
「別に……。しばらく、家に帰らないって言ってたから……」
 一夜は冷酒の入ったガラスのお猪口を傾けるとぽつりと言った。顔が赤いのは酔っているからだということにしてもらいたかった。
「喧嘩でもしたの?」
 千菜は一夜を覗き込むが、返事は無言。違うなら違うと彼女の性格上言うだろうと、千菜は質問を続ける。
「浮気問題?」
「まだそこまで行ってない!」
 なんで最初から恋人設定なんだよ! と一夜は思わず驚いて否定するが、
「『まだ』?」
あっさりと相手の誘導尋問に引っかかってしまい、がん、とテーブルに額を打ち付ける。

 しかしだからと言ってすぐに口を割る一夜でもない。色恋に関して経験がないわけでもない、というよりも寧ろ一夜と反対で色恋沙汰が大好きな千菜は、彼女の経験と妄想をフル回転させ、ほろ酔い気分も手伝って乗りに乗って一夜を問い詰める。
「っていうと、付き合う前ってことでー、でも何かあったわけだからー、」
 千菜は顎に指を当てるとううーん、と天井を一睨みする。そしてあの少しだけ会ったことのある男子高校生の雰囲気や所作などを思い返し、彼女の保有する男性データと比較して、性格パターンから様々な可能性を考えた後――、
「告白されたか、襲われた!?」
見事にピンポイントで割り出してくれた。

 その見事な勘には、テーブルの上に置かれていた一夜の手も思わずびくんと動き、お猪口の中の冷酒が揺れるほどであった。これは彼女が酔っているからリアクションが大きかったというのもあるが、その動揺はしっかりと千菜にも伝わってしまった。
「あれ? あたり? で、どっちをされたの??」
 ――両方ともアタリだよ! と一夜は思ったが恥ずかしくて何も言えないまま、真っ赤になった顔をふて腐れたように上げる。

「そっかあー。やっぱりねえー」
 しかしそれは一夜の極めてプライベートな問題でもあるので、それ以上千菜は問い詰めずに一人で納得しだした。ただどちらであるにしろ、「源二が一夜のことを好きなのだ」という答えには変わりないと確信し、前から怪しんでいたことを確定付けられたことは、千菜としては嬉しかったらしい。機嫌良さそうに「次はサワーでも頼もうかなあ」などとメニュー表などを見ている。
「だからその、『やっぱり』ってなんなのさ……」
 一夜は照れ隠しもあり、苦々しそうに言うと枝豆を口に放り込んだ。
「えー、だって前からそうじゃないかって思ってたから」
 千菜もつられて焼き鳥に手を伸ばした。そして意外そうに自分を見ている一夜に、補足を加える。
「源二くんは絶対に一夜のことが好きだって思ってたよ。あれで好きじゃなかったら、なんなのって感じだよ」
 何言ってんの今更、というように、千菜は少し呆れ顔で次の飲み物を注文し始めた。

 千菜と源二が行き会ったのは、一夜が飲み会でへべれけになって迎えに来てもらった時が数回と、一回だけ弁当を忘れてセンターに届けに来てくれた時だろう。
 その時の彼女の彼への評価は「今時なんて好青年なの!(しかもかっこいいし)」と、日ごろ家事全般を分担していることも知っていることから、源二を褒めちぎっていたのだが、実はそのように見えていたらしい。
 ――そ、そうだったのか……。知らなかった……。
 人にも自分への想いが分かるほどであったのに、最も近くに居た自分が源二の気持ちに気付かなかったことに、一夜は改めてショックを受けていた。
 別にしっかりと「好きだ」と言われたわけではないが、彼の言葉のニュアンスからそうじゃないかと勝手に思っただけで、実はやっぱり違ってるんじゃないか――などと源二に知れればまた怒られそうな考えに走りそうになっていた一夜であったが、あっさりと他人に肯定されて、やはり抗えない事実なのかこれは、と観念する。
 そう思うと周りには分かって、自分には分からない「好き」という感情とはそもそも一体何なのだろう、と一夜は千菜をさておき、つい考えてしまう。

 昨日源二は、そういうことを「性行為をしたいか、したくないか」をひとつの例にしていた。一夜に迫ったのは、「そういうことだから」と言っていた。確かに結婚したり子供を作ったり、と思えばそれもひとつの基準になるものの……。
 何をもって「好き」だと定義するのか、一夜にはいまいちよく分からない。
 しかし一夜も源二が誰か他の少女とそういうことをしていることを想像すれば、嫌で嫌でたまらなかったから、嫉妬で源二よりも先に爆発してしまったのだった。
 性欲以前に、その時に見せるであろう「特別な顔」を、彼が一夜以外の女に見せることが嫌だったのだ。

 では一夜は源二に惚れているのか、今すぐ彼に抱かれたいのかと問われると――、まず大前提として彼は未成年だ。「自分が連れてきた保護責任のある子供」という十二歳の時のイメージがそのまま強く残っており、彼をそのような対象に見ようと思ったことはなく、逆に急にそのように「見ろ」と言われても困ってしまう。
 しかし源二本人からそうしてくれと求められたのが、昨夜の一件なのであるが……。
 確かに襲われたからこそ、源二が「男」である事実を十分突きつけられ、そのギャップが強すぎて、しすぎなほど意識してしまっている。だから源二は一夜の困惑を悟り、距離を置こうと言ったのだろう。そう思うとやはり、彼女が申し訳ないと思うほどいい男なのであるが。

 だからと言って「したいかしたくないか」だけを恋愛対象の判断基準にするのも何か違う気がすると思う一夜は、どうにも答えが出せずにいた。彼女がそんな風に自分の世界に浸っていると、
「っていうか、一夜も源二くんのこと、好きだったんじゃないの?」
千菜に意外そうにそう言われ、昨夜の北條や源二からの言葉を思い出した一夜は思わず眉を寄せた。
「だからなんで、そういう風に思うわけ……?」
「そういう風に見えるんだもん」
「どこが?」
「なんとなく」
 ……そう言えば千菜はこういう子だったよ、と一夜はがっくりと崩れた。千菜はいつも感情論を元に行動しているタイプであったのだ。

「でも一夜は男嫌いなのに、源二くんのことは家族ってことを差し引いてもよく気にかけてるなあって思ってた」
 一夜の杯に冷酒を「まあ飲みな」と注ぎ、自分はライムハイのジョッキを手にしながら、千菜はようやく自分の気持ちを自覚しつつある友人の様子に満足したように頷く。
「いい大人なのに、見てる方がもどかしいよ」
 その言葉に、お猪口に口をつけた一夜がぴくんと反応した。
「その、『いい大人』が十も離れたガキんちょを恋愛対象にしていいのかな……ってか、第一犯罪じゃん……」
 自分の気持ちを認める認めない以前の問題で、このことが気に掛かり、そもそも恋愛問題としてこれを悩んでよいのかどうかも一夜には分からない。千菜は言われてみればそうか、という顔をした。

「確かに、うちの職場で淫行条例違反で捕まったらやばいよねえ……」
 うぬぬ……と千菜は人事なのに心底困ったような顔をして腕組みをする。
「そうでしょう? やっぱりいけないことだ――」と一夜がどこかほっとしたような、残念なような気持ちになりかけた時、
「でも本当に好き合って結婚まで前提にしていれば、誰かに見つかったりしなきゃいいんじゃない? 普通訴えるのは年齢に達してない子の『保護者』だろうけど、それは一夜なんだし。後はうちの職場や源二くんの学校関係の人にバレて茶々入れられなければ」
と千菜はとんでもないことを言ってきた。
「なに、言って……」
 倫理的にやばいんじゃないかその発言は、と一夜は眼を白黒させたが、
「そりゃ確かにそういうニュース見ると、いい大人のくせに、ほんとに相手のこと考えてあげてんの? とか思うおかしなものもあるけどさ、一夜たちは真面目すぎるというか、それこそちゃんと筋通そうとするでしょ? だから余計に、かなあ」
 一夜は注がれた酒を飲むのも忘れて、恋を語る目の前の友人を見る。

「というかラインが十八でしょ? 下手すりゃもう一年もしないうちに結婚だってできるわけじゃん。だったらあとはただ単に、時間来るの待ってればいいんだし。しかも源二くんがあのナリでああいう大人びた性格だからねえ、全然違和感がないんだよ」
「……」
 ――それは確かにそうかもしれない。
 源二の年齢ももちろん問題であるのだが、それは時間が解決することだ。本当のところは「保護者」になって彼を守ろうと決めた己がそれを裏切る立場になろうとしていることが、一夜の中で最も気になり、抵抗となっているのであった。

「だから法律は法律としてちゃんと守ったとしてもさ、向こうもかなりしっかりしてるし、気持ちのうえでは好き合ってたって問題ないんじゃないの? 『周り』から見て変だとかじゃなくて、当人同士が好きか嫌いかでしょ?」
 一夜が源二や自分自身の気持ちから逃げようとしているのではないか、と察した千菜は彼女の目を見て説き伏せた。互いに互いを痛いほど想っているのに、外野ながら見ていてもどかしい。
「少なくとも源二くんは一夜を歳関係なくそういう対象に見てるんだからさ、あとは一夜が彼とそういう仲になりたければ、それでいいじゃない」
 感情論で生きているとは言ったが、源二と同様、千菜もまた意思がはっきりとしていて迷いがない。気持ちいいほどのはっきりした結論に、一夜はまだ答えを出せない命題ではあれ思わず頷いてしまった。

 千菜の言葉を借りれば、自分は向こうを子供と見ていたけれど、向こうはいつの間にか、自分を対等に、恋する対象の女として見ていた……らしいのだ。あくまで本人にはっきりと言われたわけではないが。
 そして一夜もまた、相手を「守るべき子供」とばかり思っていたのに、源二や北條や千菜に言われるように、携帯電話を見たり嫉妬をしたり、相手のことを他の男性よりも気に掛けていたり、と一見、女が好きな男に対してとる態度と変わらないものを無意識のうちにとっていたのであった。

 ……これはいつからそうだったのだろうか。最初から、だろうか。それとも相手の身体が大きくなり、精神的にも落ち着きが出てからだろうか。
 ――いつからか、なんてもうよく分からない。
 一夜にも見えない心の奥底で、何か小さな変化があったのだろうか?
 源二の気付かなかった変化と同様、密やかに何かが育っていたのか――。
 その変化は何なのか……「恋」と呼んでよいか分からないが、それを考えると何故だか一夜の胸が、ドキドキと高鳴ってくる。 
  


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