第16話 目覚めのキス!?(3)
「――……え…」
それは一瞬のことで、すぐに顔を離され、絶句の後に、目の前の精悍な顔に一夜はぽつりと問いかける。
何が起こったのだろうか。
一瞬の口付けでは、感触も何も残らない。
今のは、夢――?
そう思ったのは相手も同じようで、もう一度確認するように、唇を重ねられた。
今度はさっきよりも長い時間、その感触を確かなものにするように。
じんわりと伝わる熱と、柔らかさ。一夜は恥ずかしくなり、見開いていた眼をぎゅっと閉じた。
心臓が壊れそうなくらいどくどくと蠢いている。
なんで、なんでコイツとこんなことしてるんだ?
どうして、コイツは自分にこんなことするんだ!?
自分はコイツを保護すべき立場ではなかったのか?こんなこと――…。
答えは戒めが解かれるまで分からない。
やがて彼の舌らしきものが自分の唇とぎゅっと閉じていた歯に当たり、何をされるか流石に察した一夜は、咄嗟に力を込めて顔を背けた。それは相手も強要する気はなかったようで、頬を支えていた手はようやく外れた。
――どうしよう―。
どうしてよいのか一夜が分からずただ固まっていると、そのまま少年に引き寄せられ、抱き締められた。
「げ、源二……!?」
思わずその名前を呼ぶけれど、答えは返ってこない。そしてこの身を離されることもない。
汗臭い広い胸。力強く拘束の解けない逞しい腕。
――男の人の、それだ―。
身体が熱い、息苦しい。
どうしよう、どうしよう!!
いつもぐーたらでだらしない自分を叱って世話を焼いてきた少年。自分のことは保護者として、反面ダメ女だと認識されていると思っていた。
こんな恋人にするような行為をされるとは、そういう対象に見られると思っていなかった一夜は、ただただ驚いていた。
しかし少年からの行為はこれだけで終わらなかった。
一夜の視界がぐるんと回る。
「ひゃっ」
ことん、とそのまま少年に床に押し倒されてしまったことを、一夜は悟った。
「な、なにするの!?」
意味もなく叫ぶが、少年は無言のまま、両腕を押さえつけた一夜を射抜くように見つめ続ける。その『男』の力に身動きがとれない。強い視線と圧倒的な力の差の恐怖に言葉など奪われてしまう。
見慣れた天井、見慣れた顔が、同時に視界に入っているという違和感とこの危うい状況。
しかしまるで何か心の箍が外れてしまったかのように、少年は止まらない。
そのまま源二は一夜の上に覆い被さると、Tシャツの広い襟首から出ている鎖骨や白い首筋に唇を這わせてきた。そしてその大きな手は、薄い服の上から女の身体にそっと触れ始めた―。
「――!!」
さすがにここまでされれば、いくら鈍感な一夜でも彼に何をされてしまうのか分かった。
――恐い!恐い!恐い!!
突然自分にもたらされたその感触、この感覚、この状況は、今まで男を遠ざけてきた女にとっては恐怖そのものでしかなかった。戸惑いだけが心を覆う。
このままでは、だめだ!自分の心が、身体が、壊れてしまう――。
その自己防衛本能から、
「やだ! やめて!源二っ!!」
一夜は咄嗟に叫ぶと―言葉だけでは止まってくれない彼の頬を、その手でぱん、と強く叩いた。乾いた音が部屋に響いた。
しかし効果はあったようで源二は、はっと理性を取り戻すと一夜に圧し掛かっていた身体を起こした。
そして自分でも「しまった」というような呆然とした顔をして、怯えた眼で自分を見ている一夜を見た。
「――悪い……」
しかし殴られてまで拒否されたことは少年もショックだったのか、謝る割にはぶすりとした釈然としないような顔で、頬を拭うような仕草をして一夜から眼を逸らした。
一夜はよろよろと床から身を起こすと、Tシャツの胸元をぎゅっとかき寄せた。
――どうして――。
どうして、『その対象』が自分であったのか。最後までしてしまったらどうなっていたのか。
和歌がいるのに、他の同世代の女の子がいっぱいいるのに。どうして彼にとっては保護者にあたる、自分を襲ったのか。それって――…、
「誰でも、よかったの……?」
またもや目の前の少年に絶望を感じ、ショックな気持ちになりながら、一夜は呟いた。
和歌だろうが、自分なんかだろうが――。
しかし一夜のその台詞は、少年にとって途轍もない怒りを感じさせたようだった。
「はあ!? 何言ってんだ!? 違えよ!」
本当に犯しそうな勢いで、源二は一夜の横の床にだん!と手をつく。しかし今の彼女の怯えた様子から、それ以上のことはしなかった。
「だってだって、和歌ちゃんがいるのに! どうせあの子ともしたんだろ、だったら私みたいなおばさんなんていらないじゃないか!私なんかでもいいなら、誰でもいーのかって思っちゃうだろ!?」
「――って……」
一夜のその言葉に、怒りやらショックやらで、今度は源二の頭がくらくらしてきた。
「こ…んの、バカ!! 人の気も知らねーで何言ってんだっ!!」
あームカついた、もームカついた、と言わんばかりに、今度は源二が何も考えられずキレる番だった。
しかし襲われた上に、怒られる謂れはないと思う一夜も激高して反論する。
「バカって言うな! 最初にワケわかんないことしたのは源二だろ!?」
人の気なんて、私の気も知らないくせに!との一夜の言葉に源二は一瞬だけ、ぐっと押し黙る。それももっともだと思ったのであった。
「どーせ男なんか誰とでもやっちゃえるんだろ!? この変態エロガキ! そっちは和歌ちゃんとよろしくやってればいいじゃないか!!」
しかし一夜の『男性』全てを嫌悪しての罵声に、源二の怒りが再び爆発した。
「だから、してねーっつーの!!」
そしてもうどうにでもなれと、少年もまた一夜の知らない5年間の鬱屈が溜まりに溜まっていたので、一夜の酷い思い違いに腹を立て、遂に叫んでしまったのであった。
「人がどんっっだけ我慢してきたと思ってんだ!! このバカ!好きでもねえヤツとそんなんしねえよ! 第一オメーがそーゆー考え、嫌がるからしねえんだろーが!! 世間一般の男はどーだか知んねえけどなあ、人の苦労も知らねーで俺を勝手に当てはめんな! アホ!!」
・・・・・はい?
言い切ってしまった後に、源二も先ほどの一夜と同様に「言ってしまった、」と言うような放心した顔をしていた。五年間、ずっと抑圧されていたものが爆発した瞬間だった。
しかし言ってしまった以上、もう最後だ。もう二人はどこにも戻れない。進むしかない。
源二は覚悟を決めたように、一夜を睨み付けて立ち上がった。
「――つまり、そーゆーコトだから、」
そして捨て台詞のように言い残すと、バタンと勢いよく扉を閉めて、今度こそ自分の部屋へと篭ってしまった。
またもやひとり取り残された一夜は、ぽかんと今起きた夢のような出来事を思い起こしていた。
……えーっと、和歌ちゃんとしたと思って騒いでたけど、実はしてなくって、でも騒いじゃったから私が源二のこと好きなんじゃないかとか思われて、でも迷惑じゃないって言われて、それでキス…されて、そのまま変なことされそうになって、誰でもいいのかヘンタイとか言ったら、好きな人とじゃないとそういうことしたくないって言われて……って、
……え??
えーっと、自分が好きでも迷惑じゃないとか、好きな人とじゃないとそういうことしたくない源二に自分がされそうになったということは…、……え???
『つまりは、そういうコトだから』
「はいいいいいい!??」
ようやく彼の言いたかったことに気付いた一夜の間抜けな絶叫が部屋まで聞こえてきた少年は、「あのアホタレが…」と真剣に思っていた。
・・・・・・・・・・
――なんのことはない。
目覚めを施すものは、聖域を壊す原因は、この聖域の城の中に、最初からあったのだ。
最初から息を潜めて、彼女の直ぐ隣に居たのであった。
ネムリヒメに施された、口付けの、意味。
聖域は、壊れた。守りの城は崩れた。いや、自分たちで、壊したのだ。
この、一緒に居るのに、どこか孤独なのだと嘆き、もっともっと幸せを得たいと浅ましく望むようになり、そのもどかしさと寂しさの欲望に負けた、愚かな自分たちの互いの手で。
壊れたガラスの空間は、もう元の形には戻らない。
このまま目覚めるのか、それでも眠り続け永遠の眠りに入るのかは――彼女次第。
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