第15話 目覚めのキス!?(2)
どうしてよいか分からず、言うべき言葉すら思いつかずに細い腕を震わせている一夜の耳に、しばらくして源二の声が聞こえた。
「……なんだよ、そりゃ」
それは何故か怒りの消えた声であったが逆に随分呆れたようにも聞こえ、かえって恥ずかしい。一夜の身体がかあっと熱くなる。
源二と言えば膝の上に右手で頬杖をつき、一夜の剣幕と激白に毒気を抜かれたような表情をしていた。そして床にへたり込む一夜を何やら言いたげにじいっと見ていたが、やがて頬杖をついていない方の手で下に垂れる長い黒髪を、一筋さらりと掬った。
艶やかでさらさらとした感触。それは無意識の行動だった。それによって、一夜の赤くなった頬が露わになる。
頬と口元のすぐ傍にある大きな手に、彼女はびくんと反応した。しかしもう怒ってはいないような、そして侮蔑もしていないような空気を感じ、少しだけ安堵していた。
しかしそんな一夜に投げかけられた言葉は、彼女の予想しないものであった。源二は何事か考えながらぼそりと、
「なんかさ、それって……、」
少し言おうかどうか迷ったようだったが、ひと呼吸置いた後、言い切った。
「お前さ……、俺のこと、好きなの?」
「……へ?」
一夜は思いもよらない源二からの言葉に、思わず彼を見上げた。一夜の髪を手にしたまま、彼は真意を確かめるように彼女を見ていた。その視線にたじろぎ、また俯いてしまう。
「って、図々しいこと言ってんなあ、俺……」
源二は頬杖をついたまま、独り言のようにぶつぶつと呟いている。
対して一夜はショックを受けていた。彼女にはそんなつもりなどなかったのに、北條だけでなく、源二自身にもそんな風に感じたというのだ。
恋心など持つ筈もないと思っていた。なのに十も年下の、家族のような少年を性的な目で見ているだなんて。そんなこと、あってはならないのに――。
「なんで……、みんな、そういう風に言うの……?」
呆然と、困ったように呟く彼女の言葉に源二の手はぴくりと反応し、思わず髪をすべり落とした。
「千菜にも、室長にも、言われた」
前者には以前から恋人同士みたいだと冷やかされ、後者は源二のことを男として意識していると指摘され、そして挙句には当人にすら――。
「違うなら違うでいいじゃねえか。でもお前の話聞いてると、そういう風に聞こえたから」
一夜の口調から彼女が否定したがっているように思ったのか、源二は少し突き放すようにそう言った。
「うん……」
――違う、と思っていた。なのに違う、とも言えなかった。一夜自身にも、もうよく分からない。
しかし万が一そんなことを肯定したら、困るのは源二ではないか?
彼だって同世代の人間と恋愛をしたいだろうし、一夜は恋愛対象ではなく、「保護者」のままでいてほしいのではないか。
そう思った一夜がそれをどう言おうか迷っていると、源二の苦笑が聞こえてきた。
「でも好きでもねえのに、人の携帯見たり、他の女とヤるなって言われたり……ワケわかんねー」
再び嘲笑するような表情で、彼はソファに凭れ掛かる。
「ごめん……」
どうしてそんなことをしてしまったのか、自分でもよく分からなくて一夜は俯いたままでいた。それでもはっきりと否定もしない彼女を、源二は不可解なように見ていたが、やがてこの距離では顔がよく見えず本心も分からないとばかりに、一夜の隣に膝を立てて座り直した。
「――で、実際どうなんだよ」
近くで聞こえる声につい顔を上げてしまう一夜であったが、先ほどまでよりも更に顔が近い場所にあり、やはり居た堪れなくなる。
確かに源二の言うとおり、己の異常な行動はそうとられてもおかしくないものだと自覚している。だがそのような感情は、世間体的にもよくないことで、源二にとっても迷惑なだけだろうとも分かっている。
彼は、一夜にとって何よりも大切な存在だ。だから彼が不幸になったり、重荷になるようなことは決してしたくない――とすれば、答えはひとつしかない。
一夜はぽつりと呟いた。
「違う、よ……」
「……ふーん」と源二は面白くなさそうに答えたが、一夜のことを見つめたまま、そこから退くこともしなかった。逆に彼女の揚げ足を取るように質問を続けてきた。
「でも他の女とは寝るな、と」
「そ、それは……、もう、いいよ。仕方ないよ。別にもう、勝手に、どうぞ……」
そう言って逃げるように顔を背ける一夜の頬が、大きな手で捕らえられた。それにどきりとする暇も与えられず、彼の方に顔を向けられる。
「さっき、あんなに嫌だって怒鳴ってた癖に?」
「――っ……」
先ほどの制御出来なかった激白を思い出すと、言い逃れも出来ない。
耳の近くで響く声に、一夜の脳が痺れたようになり身動きがとれない。この真っ直ぐな瞳を見てしまえば最後だと思った。しかしこの真っ赤な顔が、言葉に出来ない不可解な想いも全部如実に表している気がした。
「だって……っ」
しかしこの手を解放してほしい一心で、眼を逸らしながら一夜はどうにか反論した。
「そ、そんなこと、いいわけないじゃないか! 源二は子供で、私は大人で。第一、源二だって嫌でしょ? ショックでしょ!? だったら、違うってことでいいじゃないか! なんでみんなしてそんな風に言うんだよ、今までどおりでいいじゃないっ!」
やはり子供染みた啖呵でしかないと分かっている。しかし一夜は今までの説明のつかない感情を全部リセットしてしまいたかったのだった。
北條から告白され、そして和歌が現れた。その間、ずっともやもやしたものを抱えていた。不安でたまらなかった。
それらによって感じた一夜自身持て余していた未確認な感情を、もう全部なかったことにしたかった。男と女の辛さなど知らなくてよかった、あの居心地のよい時間に戻りたい――と彼女は焦っていた。
北條や和歌が悪いのではない。この複雑な感情の原因は、源二とは「保護者」と「子供」だと思っていたのに、身体だけは既に大人同士――寧ろ、まだ子供だと思っていた相手の方が大人かもしれないという逆説に、一夜が混乱を起こしてしまっていたからだ。嫉妬や劣等感などの醜い感情を、「子供」の彼に抱いてしまった。
こんなこと、もう無しにしてしまいたかった。醜い感情をこれ以上守るべき彼に抱きたくない。そんな汚いことを考えもしなかった頃に戻りたい。
――なのに……。
「迷惑じゃ、ない」
……え……?
リセットしたい、という一夜の強い願いは、脆くも崩される。いつか聞いたのと同じ真剣な低い声が、その赤い耳に吹き込まれる。
「寧ろ、『それ』が違ってたり、今までどおりの方が、……困る」
一夜は源二のその意外な言葉にどきりとして、また反射的に顔を上げてしまう。目の前に彼の顔があった。
……今のは、どういう……?
どきんどきんと心臓がうるさく音を立てて動いている。
――何かが、ぱりんと壊れる音がする。
――何かが、始まる恐ろしい予感がする。
顔をまた逸らそうとしたが、今度は食い入るような視線がそれを許さず、頬に添えられた源二の手に力が篭った。
「や……」
一夜は小さく呟いた。身体が震える。
――恐い!!
本能的にそう思った。この目の前の、「男」が。
しかし身動きがとれなかった。逃げ場を求めるにはあまりにも距離が近すぎた。
そしてそのまま……、一夜は源二に唇を奪われた。
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