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  ネムリヒメ。 作者:takao
第2章
第13話 迷走する夜(後編)
 先手を打たれたような形になり、北條は動かしかけた手を止めて一夜を見た。
「私なんて、今言ったとおりですよ?」
 劣等感のままに、彼女は思わずそんなことを北條に尋ねてしまった。
 それは確かにずっと不思議に思っていたことである。自分など北條のような大人の男には到底似合わない―― 一夜はそう思っているからだ。

 北條はグラスを傾け、いつの間にか渇いていた喉を水で潤してから、少し考えた後に苦笑した。
「そういうものは理屈じゃないと思うが……いつの間にか、いいと思ってたんだし」
 その言葉に少しどきりとしながらも、それもそうかと一夜も思った。恋愛とは、元々そういうものではないか。
 しかし上司である男にいきなり女に見えると言われ戸惑うのは当然だ。北條もそれは理解できるらしくまたしばらく考えると、ぽつりと言った。
「あえて言えば、頑固なところ、かな」
「頑固……?」
 一夜は驚いたように繰り返した。それは褒め言葉なのか?と、彼女には男が女に惚れる理由としてはそぐわないような気がした。
 ――普通綺麗だとか胸が大きいとか、優しいとか家庭的とかじゃないの……って全部私に当てはまらないじゃないか、と一夜は益々目の前の男を不思議に思う。
 ちなみに北條としては、一夜に対し「綺麗」は十分当てはまっているのだが、あえてそれは理由に挙げないでいた。外見の好みだけで選んでいると思われたくなかったからだ。

「……私ってそんなに頑固ですか?」
 一夜は残った食事に再び手をつけながら、北條を見上げた。「ああ」と彼は微笑んだ。
「それこそ恋愛に固いところも、仕事に対しても、女一人で弟養って生きていこうとするところも」
 ――確かに男嫌いだし、ぐうたらだし、怠け者だし、「弟」の源二には依存しているし……。一夜はやはり褒められているように思えず北條を見たが、彼は優しく彼女を見ていた。

「鎌田一夜は、心配なくらい、頑固で真っ直ぐだ。それは、俺にはないところだ」
 ――だから、惹かれた。

 その痛いくらいの真剣な視線に、その時一夜は、今夜彼を誘ったことを心から後悔した。
 自分をそうやって、そこまで誰かに認めてもらえたのは心から嬉しかった。
 なのに……何かが足りない、と彼女は思ってしまったのだった。

 この違和感こそが、一夜が北條の想いを受け入れることが出来ない理由だ、とこの瞬間に確信させ、そこまで優しくしてくれる北條に対し申し訳なく思ったのだった。
 ――本当にそう言って欲しいのは、この男からではない。その違和感、その寂しさ。その罪悪感。
 では誰に言って欲しいのかと言えば分からないのであるが、少なくとも、彼、ではなかった。それだけは、今分かった。
「すみません……」
 結局、相談に乗ってもらったうえに、ここまで言ってもらって、こんなことしか言えない。そう思った一夜は、優しい北條を傷つけただろうことに自己嫌悪に陥りかけていた。俯いて居た堪れない気持ちで謝る。
「ほら、そういうところ」
 北條の声に一夜が思わず顔を上げると、彼は悔しそうに苦笑していた。
「経験無いくせに絶対に流されないな、鎌田は」
「――」
 やはり褒められているのか、一夜にはよく分からない。しかし彼女はそういったところが、相手に益々手に入れたいと思わせていることに気付いていなかった。

「つまり、そういうことだ」
 口説くことを中断すると、北條はまた一夜を諭すように言った。これも彼にしてみれば、相手を落とすための策ではあったが。
「恋愛なんてそんなもんだろう。誰に欠点と言われようが、そこを付き合う相手がどう感じるか。それだけじゃないか?」
 先程の自分の劣等感に対しての答えであるということが分かった一夜は、北條の言葉にこくんと素直に頷いた。
 ――そしてその時、家に帰ろう、と思った。
 ここまで自分を想ってくれる北條にはやはり申し訳ないが、彼の話を聞いていたら、自分も確かめてみたくなったのだ。源二が、自分の劣等感を本当はどう思っているのかを。和歌のことも、そしてこのふたりぼっちの聖域のことも。
 一夜が此処にいない男のことを、やはり自然に思い出してしまっていると……、
「そこまで頑なだってことは、鎌田には好きな奴がいるのか?」
「はい??」
まるで自分が考えていたことを見透かしたように言われ、その唐突な質問に驚いた。
「そ、そんなの、いませんよ!」
 一夜が即答したのは、そんな相手が自分にいるわけがないと思っているからだ。しかし、
「……『弟』君、とかさ」
まるで一夜の頭の中が見えていたような、その核心をついた質問にどきりとさせられた。
「な、なんで、そうなるんですか……!?」

 ――私が!? 源二を!??
 確かに彼のことはずっと考えてはいたが、それはそんな意味では――。それこそ想像もしていなかった答えに、一夜は思わず立ち上がってしまった。
 冗談かと思った。なのに北條の目がこれまでになく真剣な色をしており、彼は冗談などではなくそう言っていることが分かる。そして人間として信頼している上司の言葉だからこそ、一夜は焦った。
「違うのか?」
「違うも何も、源二はまだ子供ですよ!?」
 それこそあの日小さな手を引いて歩いた、「ひとりぼっち」の大切な子供だ。そして同属だからこそ守りたいと思った、失いたくないと思った。
 ――それだけだ。そんな恋心だなんて性的な感情など持つ筈がないし、持ってよい筈もない。

 第一、自分が誰かに恋をするなど一夜は考えたこともなかった。それもあの日拾った十も離れた子供相手に――と、鋭い眼力を持つと信じている相手に言われてしまった。
 そんなことは有り得ない。確かに、彼の携帯電話を見てしまったのはそれに似た行動だが、あれは自分だけが取り残されそうな気がしただけで、寂しく悔しかっただけで――。
 しかも源二には和歌のように、似合いの同世代の少女がいくらでも居る。一夜のような歳の離れた女とそんな関係になるなど、想像もつかないことだ。

「『弟』、だから有り得ないってのはないのか?」
 困惑していた一夜は、北條の問いにはっとした。あまりの突飛な仮定に驚き、そこを誤魔化すことをすっかり忘れていた。
「い、いえもちろん、そうですけど……」
 そしてやけに焦っている自分が恥ずかしくなり、再び席に座った。しかし北條の指摘はまだ続く。
「今日のことも、彼の話じゃないかと思ったが?」
「――!」
 ――全部、悟られてる!?
 一夜はもう言葉もなく、ただ赤くなった。それは確かに当たっている。だが、
「でもあいつのことを、そんな対象になんて、考えたことないですから……」
 ――それだけは、確かだ。確かだと思っていた。
 むきになって否定しているのではなく、本当にそのように考えたことがないらしい一夜の様子に、とりあえず自覚はないか、と思った北條は、それ以上彼女を攻めることはしなかった。
 しかし一夜は、何も言わずとも北條には既に源二が「弟」などではないことを勘付かれているんだろう、と察していた。


 店に入ってから約一時間半後の、午後九時近く。どことなく気まずい雰囲気の中、二人は店を出た。
 少しだけ前向きになれたものの、北條に再び告白されたこと、意外な相手を恋愛対象として指摘されたこと……しかもこの北條が、まだ高校生の源二をライバル視していたなんて、と一夜はかなり動揺していた。
 だが男と女のことが知りたくて北條を誘い、源二と和歌の一件についてもまだ心がもやもやするままだが、結果としてあの聖域に早く帰りたくなってしまった。一夜にとって男と女の息の詰まる駆け引きは、やはり居心地悪く感じてしまうものだったからだ。
 確かに食事は美味しかったし、北條が紳士的に自分の話に付き合ってくれたのも有難かった。男女の空気とはどんなものかという最初の好奇心も、十分満たされた。

 これで用は済んだとばかりに、一夜は北條の車のリクライニングのきいたシートで、ほう、と小さくため息をついていたが、
「――この後は?」
「えっ!??」
彼の一言にまたもや驚かされてしまう。源二にも以前言われたが、確かに大人の付き合いなのだ。そういうこともあるかもしれないが……。
「す、すみません……。それこそ、『弟』の手前、これ以上遅くなれないんで、帰ります……」
 言い訳のように、源二の「高校生」という立場を使ったが、嘘ではない。そこまで源二に嘘をつきたくはなかった。そして仮に彼が和歌と「そういう関係」であったとしても、そこまで自暴自棄になりたくはなかった。
 自分の身体を傷つけるような行為には慎重にならねばならない。恋情を抱いていないこともあり、彼にこの身まで捧げられるほど心を預けてはいなかった。それにこの先北條のことを尊敬できる上司に見えなくなることも、一夜はしたくなかったのだった。

 それもまた先ほど北條の言った一夜の「頑固さ」であり、彼女らしい良いところだと北條も思うものの、全く靡いてくれないのも流石に男としては切ないものがある。
 ――それでもこの恋愛経験のない女性と無理矢理行為に及んだとしても、それこそ心に傷をつけるだけで、自分に好感を抱くどころか逆効果になってしまうだろう。
 そう考えた彼は、既に三十を超えているだけあってそこまで焦ることもなく、一夜の性格もよく分かっていたので、食事だけでも行けたことをとりあえず進歩とした。
「それは、残念だな」
 一夜が気にしないよう冗談ぽくそう言うと、北條は律儀にアパートまで彼女を送っていった。


「室長、今日は本当に付き合わせてしまい、すみませんでした。……あと、話聞いてくださって、ありがとうございました」
 どっと疲れた気分ではあるが、それだけは本当に助けられた。自分のプライベートな問題に上司を巻き込んで申し訳ないとも思う。しかしそれを「借り」ではなく、今夜だけのことにしたく、車から降りた一夜は深々と頭を下げ謝罪と礼を言った。
「おやすみ。明日は元気な顔で仕事しろよ」
「――はい」
 車の窓越しにそんな声を掛けられ、いつもの上司に戻ってくれたかと一瞬ほっとした一夜であったが、
「今度誘ってくれる時は、泊まりの言い訳も考えておいてくれ」
再びどきりとするようなことを言われ、また赤くなってしまった。そんな一夜の表情を見た北條は、ふっと相好を崩すと車を発進させた。

 ほーっと、一夜はもう一度大きなため息をつく。
 ――男と女の関係というものは、疲れるもんだな……。これに本当に身体の関係など加わったら……と思うとぞっとする。
 源二は子供なのに、こんな緊張する駆け引きをしていたのか? すごいなあ……でもやっぱりなんかむかつくけど……などということを考えていた一夜であったが、いつの間にかかなり汗をかいていたことに気付く。早く帰って風呂にでも入りたい、とくるりと後ろを振り向いた――ところ、
「うわっっ!!」
振り向いたそこには、いつの間にか見知った顔が立っていた。
「源二……」
 一体どこから見ていたのか。近所のコンビニエンスストアの小さな袋を、ポケットに入れた手首からぶら提げていた同居人の少年が、無表情に一夜を見下ろしていたのであった。
  


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