一夜はずぼっと布団を頭から被った。
――いやだ! いやだ、いやだ、いやだ!!
何がこんなに嫌なのか、彼女にも分からない。
だがまだ少年の源二が誰かと肉体関係を持っていると具体的に想像した時に、何故だか許せない気分になってしまったのだ。嫌悪すら感じた。
そんなのは仕方ないことだと、和歌に会った時から、いや最初に源二を引き取った時からそう思っていた筈なのに――。
それは母親や姉が息子や弟に思う一般的なそれなのか、それとも両親の離婚で「男」という性に一夜自身嫌悪感があるからか、それとも別の理由なのか。一夜にも分からない。
――でも彼女の存在が気になって携帯まで見て、挙句に嫉妬しているなんて、こんなの……変だ!
こんな、気持ちは知らない。こんな気持ちは、絶対に有り得ない。
十も離れた守ってあげねばならない少年に、何を依存する? 何を求めている!?
だが本当は、二人だけで生きてきたこの「聖域」は誰にも壊されたくないと一夜の心は叫んでいた。それは二十七歳にしてみれば、酷く幼稚な望みであり、ただの独占欲でしかない。
優しい源二は寂しがり屋の一夜の傍に黙って居てくれるものの、心は誰か別の人を想っているかもしれない。事実、一時和歌を「特別な相手」として選んでいた。そして相手を愛していなくても、十代後半の少年だ。一夜の知らない「外の世界」で、抑え切れない欲求を満たしているかもしれない。
だが犯罪行為にならない限り、それは大人になりゆく彼の自由だ。初めて出会った時から、彼の幸せを、一人格としてこれから歩んでいく人生を、一夜が心から望んでいたのも本心であるのに――。
自分の気持ちが分からず、だからと言ってそれを相手にぶつけることなど許されず、一夜は泣きそうになって胸をズキズキさせながら、布団の中で苦しんでいた。
その頃。風呂から上がった源二は、一夜は疲れて眠ってしまったのかと思い、片付けられていないビールの缶をやれやれとため息をつきながら捨てていた。
吐き気がするほどの謎の目眩が、ぐるぐるぐるぐると、ネムリヒメを襲う夜――。
・・・・・・・・・・
「おい、起きろ―」
「んー……」
次の日の朝。遅くまで起きていたようなのに比較的素直に起き上がった一夜に、源二は肩透かしを食らった表情になる。
流石に毎日あのハイテンションで起こされるのではなく、一夜も女のため体調の変化が激しく、日によってはやたらあっさり起きたり、生気なく起きたりと様々である。
だから今日もそういう日なのだろうと源二もあえて突っ込まず、「早くメシ食って出てけよ」と声を掛けると、ジャージ姿でいつもより早く家を出て行った。夏休みだが、今日は部活の交流試合があるらしい。
ぼさぼさの頭でキャミソール姿のまま、一夜は彼が作ってくれたいつもと変わらない美味しい朝食をもそもそと食べる。
ぼうっとしているのは、やはり家族の携帯を見てしまったという罪悪感と、そんな最低なことをした自分への絶望が強いからだ。
……何やってんだろ、私……、最悪だな……。
万が一、源二が一夜の携帯電話を勝手に見たとしても、一夜は別に怒らない。千菜との飲み会の約束のメールがあったり、携帯サイトで妙な趣味のサイトをたまに見ていたりする程度だからだ。
だから源二もやましいことがなければ、彼の性格ならば一夜と同じように何も感じないだろうが、ああいうメールがあった以上、さすがに見られていい気分はしないと思われる。
――夫の浮気の証拠を探す主婦じゃないんだから……。
一夜は大きなため息をついた。
しかしどんなに落ち込んでいても責任ある社会人である。出勤したものの一夜は浮かない顔であった。だが勤務先の施設に来る子供達や利用者の前では、そんな顔も出来ず笑わなくてはいけない。
それでもデスクワークの最中や、僅かな休憩時間などは、ふと思い出してため息をついてしまう。仕事中は流石に千菜にもそのような話は出来ないが、頼れる彼女も今日は代休で居なかった。
一夜がそこで誰かの視線に気付き、デスクのパソコンから顔を上げると、上司の北條と眼が合った。ぼうっとしているのを見咎められた気がして、慌てて仕事に取り掛かった。
――そもそも北條に告白されてからだ。一夜と源二の関係がぎくしゃくし始めたのは。
二人だけで毎日暮らしてきて、楽しかった。しかしいつまでも一緒に居られないとこの男に指摘され、ゆりかごのような聖域は現実に揺さぶられた。
一夜は北條のことが男として好きな訳でもなく、源二もまだこの家に居てくれると言ってくれた。だからまだしばらくは、この聖域にも猶予が与えられ安心していた。
しかし既に少年には特別な女性が居たのだ。好きではない、別れたと言うものの、もしかしたら身体の関係はあった――今でもあるのかもしれない。
またそれは源二も男であること、そして彼が一夜との聖域の外に「そういった存在」を求めていたことを表しており、恋人でもない二人に北條が指摘したかったことはきっとそういうことなのだ。
つまり一夜が少々中性的で男嫌いだというのもあり、源二の前ではあえて男だの女だの問わないで来たが、現実に二人は男であり女。一夜はもう大人であり、源二も見かけは殆ど大人と変わらない。
子供のようにいつまでも夢は見ていられない。「外」に現実の居場所を、自分が満たされる場所を、愛や欲の形で求めるようになる日が来なければいけない。
現に、源二は求めていたのではないか。和歌の存在は、まさにそれを証明していた――。
彼の行動をそう考えている一夜は、そのことに最もショックを受けていたのだった。
――聖域の中にずっと居たいと思っていたのは自分だけだ。一夜は己に言い聞かせる。
源二は優しいからその我が侭に付き合ってくれてはいるが、こうして男として成長を見せている。
それを願っていた保護者として、大人としては喜ばなくてはいけないのに……。
この拒否感は何なのだろう。ただ単に自分が幼稚で我が侭なだけか。それとも……?
一夜はどうしてよいのか自分の気持ちがまるで分からず、事務所の隣の書庫で一緒になった北條に、無意識のうちに彼女の方から視線を送っていた。
一夜の珍しく縋る様なそれを、北條は敏感に察知して振り向く。眼が合い、彼は少し心配そうに一夜を見た。
こちらから見たくせに、思わずどきんとした一夜がふと周りを見渡せば、そこには誰もいなかった。北條は書類を手に取り先にその倉庫を出ながら、すれ違いざまそっと一夜に囁いた。
「何か困ってるなら、相談に乗るが」
しかしその言葉に一夜はこくんと頷いたのだった。あまりに素直なその様子に、逆に北條の方が面食らってしまっている。
「室長……。今夜、夕食食べに行きませんか?」
全く色気のない誘い方ではあったが、今は脈なしとばかり思っていた相手に突然誘われた北條は思わず絶句し、その目をしばし瞬かせた。
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