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  ネムリヒメ。 作者:takao
第2章
第10話 嫉妬(前編)
 かんかん照りの太陽、うるさいくらいのセミの声――。そして夏休みがやってきた。都会と比べれば涼しい地方ではあるが、それでも一年のうちで最も暑いのには変わりない。
 一夜の家には電気代の節約のため、クーラーは一台だけ居間に置いている。互いの部屋にも扇風機くらいはあったが、最も暑い時間帯や夜などには、居間に二人して居座ることが多かった。

 仕事も終わった夜。風呂上りの一夜はクーラーの真下で胡坐をかき、火照る身体を冷やしていた。
 これも裸で行いたいくらいであるが……というより彼女も一人暮らしの時はそうしていたのだが、今は同居人の少年の手前、出来ない。上はパット入りのキャミソール、下はハーフパンツという出で立ちにタオルを肩に掛け、半乾きの長い髪からまだ少し水分を滴らせた一夜は、缶ビールを片手に一日の疲れを癒していた。
 源二が中学で部活をするようになってから風呂はいつも一夜が先に入っている。それを待っていた間、クーラーの効いたこの部屋で夏休みの課題とやらをやっている彼を一夜はちらりと横目で見る。

 夏休みと言っても大人に夏休みはない。一夜の勤め先は夏休みこそ、利用者が増えて仕事も増えるのだ。
 暑い中、今日も子供達と走り回り、正規職員である一夜達はそれ以外に事務仕事や外仕事など、やってもやってもきりのない仕事に追われ、今日も時間が来たところで切り上げた。
 しかしこの勤労少年・源二は、夏休みだからと言って家でゴロゴロ寝ているわけではない。夏休みこそかき入れ時だとアルバイトに精を出すほか、時には学校で部活をしたりと青春らしいこともしている。
 昼間は散々身体を動かしているくせに、夜は夜はでやはりゴロゴロすることなく家事はするわ宿題するわというあたり、若者は元気だというか、品行方正というか……。簡単に言えば彼は一夜とは正反対なタイプなのである。

 そこで一夜の不穏な視線に気付いた源二は顔を上げた。
「何だよ」
 丁度切りがよかったらしく、彼は英語の辞書を閉じる。一夜はにんまりと笑うと言った。
「肩揉んで」
 どうせそんなこったろうと思った、といつもどおりの流れに、源二は言葉もなく苦い顔をしたのであった。


「今日は午後、プレゼンの資料作ってたからパソコンばっかり見てたんだよー」
 一夜がぶつぶつと言うが、源二は最早何も言わずに大人しく肩を揉んでやっていた。逆らえば逆らったで、色々と報復があるのである。
 スポーツをやっているので、先輩に習ったとかいう彼のマッサージは、男で力があるからか、とても気持ちがよく一夜は気に入っていた。指や腕の筋力もあるので、そう簡単に疲れたとも言わない。本当に、至福のひとときである。
「あー……キモチいー……」
 揉まれている時は不思議なもので、自然と声が出る。そのまま涎でも出てしまいそうである。後ろの源二がどんな気持ちでいるか全く知りもしない一夜は、幸せそうな恍惚の表情を浮かべて彼からのマッサージを受けていたが――うっとりとした妙な声を出す頃、
「終わり、」
と軽く肩を叩かれ、今日も突然マッサージを中断された。

「えー。もうすこしー」
 一夜はぶーぶーと文句を言いながら、立ち上がった源二を見上げるが、
「あんまりやりすぎんのもよくねえんだよ」
と分かったような分からないようなことを吐き捨てると、源二はあっさりと背を向けて立ち去ってしまった。
 同じく一日動いているまだ高校生の少年に無償でやらせていることなので、それ以上文句も言えない一夜は、それでも少し軽くなった肩をぐるぐる回しながら、「ありがと」と告げた。既に風呂へと向かった少年に、それは聞こえたのか聞こえていないのか分からないが、彼女は缶ビールをぐびぐびと飲みながらソファへと腰を落とす、
 この前の話のように高校卒業後もこの家に居てくれるらしいということは、またこれからも肩を揉んでもらえるだろうか、その頃には腰も痛くなりそうだしな……と風呂場の音を遠くに聞きながら、一夜がそんなことを企みほくそ笑んでいると――。

 辞書等と一緒に居間の机の上に置いてあった源二の携帯電話が、突如として着信メロディを鳴らした。
 いきなりのことに、一夜はびくりとした。
 しかし当人は風呂に入っている。思わず一夜は見るともなしに、ひとりで鳴っている電話を見た。

 ――そう。何故かその時、それは後から思えば、女の勘、というものだろうか――が働いた。
 側面のサブディスプレイに表示されている名前を、一夜はつい見てしまったのである。

 その淡く光る小さな画面に表示されていた名前は――、『尾川和歌』。

「……」
 この前の美少女の顔が蘇る。一夜の心臓がどきんと大きな音を立てた気がした。
 別に、偶然見てしまっただけだ。気にしなくていい。見なければそれまでのことだった。
 ――でも……もし?
 もし今それを見ていなかったら……?そうしたら自分の知らないところで、あのニ人が――?でもそんなのは自分の介入することではないし……。
 ぐるぐると考えていた一夜であったが、
 ――ダメだ! こんなことしちゃいけない!!
 そう思うのに、机の上の着信音も終わり静まりかえっている携帯電話に、どきんどきんと高鳴る胸の音の中、震える指を伸ばしていた。

 ……自分はどうしてしまったのか。どうして、こんな卑怯でいやらしいことをしているのか。
 こんなの、まるで――……。

 彼女自身にもよく分からない恐ろしいほどの罪悪感の中、だけど何か凄く嫌な予感がし、一夜は源二の携帯電話をドキドキしながらも、開けてしまった。
 今のは電話の着信だったようだ。そしてそのまま、いけないことだと思いつつ、一夜は自分でも理解できない感情に突き動かされ、気になって気になって――。
 その焦燥感を制御出来ずに、彼に届いたメールの受信履歴を遂に見てしまったのであった。

「……」
 自分の意思でそれを見た癖に、一夜は言葉を失った。

 最新のメールはやはりあの少女からだった。その内容は、あの清純そうな姿からは想像つかないような――いや今思えば、あの思いつめた様子には、それくらいの激しさを秘めていた、だから彼女を初めて見た時からこんなに不安になっていた。そう思えてくるような過激な文面であった。
 罪悪感と羞恥と恐怖で、文章を一言一句しっかりと読めるほど画面を直視することなど出来なかったが、内容は十分把握できた。

 ……今時の高校生ってみんなこうなの……?
 確かに一夜達の時代にもそういうタイプの少女はいた。一夜自身や仲のよい友達がそういうタイプでなかっただけだ。
 内容は二件分確認するだけが精一杯だった。それ以上は源二が風呂から出てくるかもしれず、一夜も手が震え、読むことが出来なかった。源二からの送信メールなどそれ以上に読むのが恐ろしく、そして躊躇われもし、これ以上何も見ることはなかった。
 一夜は震える手のまま携帯電話を閉じると、源二に対する申し訳ない気持ちで一杯になりながら、よろよろとソファから立ち上がった。自分から卑怯なことをして知ってしまったくせに、可能性として予測はしていたものの、どうやら彼らは実際に「そう」しているようでショックだ――と複雑な気持ちになっている。
 しかしこんな動揺している表情をしていたら、携帯電話を見たこと自体が知れてしまうので、源二が風呂から出てくる前に、一夜は自分の部屋へと閉じこもった。そしてそのままベッドへと倒れ込む。
 そしてメールの内容を思い出せば、源二と和歌、二人の関係を想像して妙に胸が高鳴りながらも、頭ががんがんとし、何故か気持ち悪くて吐き気がしてくる。

 和歌からのそのメールの内容とは――。
 文面の全てなどショックでとても思い出せないが、
『もうよりを戻すのが、だめならだめでもいいから、最後に一度、「して」ほしい』
といった、あの可憐な姿の彼女からは想像もつかないような過激な内容であった。有体に言えば、和歌は別れた男である源二に、高校二年生という年齢で『抱いて欲しい』と頼んでいたのであった。
 


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