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  ネムリヒメ。 作者:takao
第2章
第9話 未確認の感情
 取り付く島もない源二の様子に、あれから謎の少女のことが話題にされることはなかった。
 あの夜の源二とのやりとりが少し気になる一夜であったが、次の日には彼の様子もいつもと変わらなくなり、一夜も日が経つにつれてあの時の複雑な思いや緊張が夢であったかのように忘れ始めていた。
 ――しかしそういった出来事は、忘れた頃に蘇るものである。
 夏休みまであと数日という夕方。梅雨も終わりいよいよ暑さ本番となってきた。その日、土曜日の出勤を終えて一夜は午後五時頃、家に帰ってきた。
 今日は子供達と水遊びをした。仕事中は動きやすいTシャツとパンツスタイル(時にはジャージ姿)である彼女だが、今日のような暑い日は、帰りは涼しげな綿の布地の長いスカートに着替え、髪も解いて帰ってくる。
 そうして帰宅した一夜がアパートの下で眼にしたのは……いつか見た、あの日本人形みたいな可愛らしい少女であった。

 今日は制服ではなく、シックな色と素材のノースリーブのワンピースにサンダルという、「ちょっぴりオトナなセクシー日本人形」と一夜に形容される服装で佇んでいた。
「……こんにちは」
 二度目であることと、やはり子供相手ということから習性になっていて、一夜は少女に声を掛ける。驚いたように振り仰いだ少女からは、ふんわりと甘い香りがした。
 背も一五〇センチ台中盤と言ったところだろう。一六〇センチ台前半の一夜よりも低いところに顔があるので、尚更可愛らしく見える。
「ご、ごめんなさい……!」
 少女は第一声に一夜に謝った。
「?」
 一夜は首を傾げた。
「あ、あの……私、尾川って言いますが……。源……水倉くんに、よ、用事があって来たんですが……」
 真っ赤になって一生懸命言う少女を見下ろして、やっぱり可愛い子だなあと思いながら、一夜は全てを理解した。
 この前此処を訪れた時に制服姿であったため、彼女が源二と同じ高校なのは明白な事実だ。だから正直に、一夜に「源二に用事がある」と話したのだろう。
 そして用事があるが、連絡は取れない……だから源二を尾行してきたか、もしくは彼の仲のよい友人に聞くなどして調べてこの家を突き止めた、それに対する謝罪の言葉なのだろう、と一夜は納得した。

 ――でもそれほど悪い子でもないような気がするけど……。
 源二とどういう関係か尋ねるのは無粋だが、一夜が少女にとりあえず何かを言おうとした時、先に少女の方が一夜に問い掛けてくる。
「水倉くんの、ご家族の……方、ですよね……」
 おずおずと自分を見上げる純粋な目線に、一夜は思わず、うっ、となりそうになったが、そこはこれでも大人だ。頭を掻いて、落ち着いて一言答える。
「……そうだよ」
 ――多分ね、などと言えるわけもなかった。

 その仕草が源二に似ていると思った少女は、この綺麗な人はお姉さんなのだろう、と勝手に思い込んだ。
 一夜は少女の気持ちは分からないが、これ以上困ったことを聞かれる前に、彼女よりも先に口を開いた。
「源二なら、もうすぐ帰ってくると思うよ」
 今日の昼間はアルバイトで、帰りは夜にはならないと言っていた。たまには早く帰って勉強でもするのだろうか。進学もそのための貯金もせねばならない彼の毎日は忙しい。――それはさておき、一夜の言葉に少女はぴくんと顔を上げた。
「暑くなかった? ウチ上がって待ってる?」
 それは一夜も親切心からで、よく熱中症にならなかったなと色白の少女を見て心配になってしまったからだ。しかし少女は首を振る。
「い、いえ、いいです。ここで待たせてもらいます」

 ……でもなあ……。
 一夜が再び心配そうに、そのセクシー日本人形を一瞥した時、聞き覚えのある中古の原付の音がした、と思ったところ、噂の少年が帰ってきた。それを駐輪場に止めた源二は、ヘルメットを外すとその近くに並んでいた二人の女の存在に気付き、視線を向けた。
「和歌……」
 第一声に、少女の姿を確認した彼が愕然としたように口の中で低く呟くのが、一夜にも聞こえた。それは少女の名前だろう。
 源二の硬い表情に申し訳なさそうに身体を小さくしている少女・和歌が可哀想で、一夜はため息をつくと言った。
「この子、源二に用事があるんだってさ。家、上がってもらう?」
「いや、いい」
 源二は即答した。和歌の身が益々固くなるのを一夜は感じる。好きな男にこんな態度をされれば、誰だって哀しくなるだろう。これでも一夜とて女だ、それくらい分かる。なので二人のうちのどちらかが口を開く前に、一夜は源二の傍に立つと、
「じゃあ、話だけでも聞いてあげたら」
笑うでも叱るでもなくそう言い残し、一人で家へと入っていった。

 一夜の眼を源二はじろりと見たが、ふいっと逸らされ背を向けられた。彼はそんな一夜に苛々してきた。が、一夜の話から和歌が何度も此処に来ているというのは事実だ。それはどうにか解決しなくてはならない。
 源二は俯いている和歌を見ると、ぼそりと声を掛けた。
「……場所、変えるか」


 家に入り、ドアを閉めた後、一夜は何故かドキドキと胸が高鳴ってきた。
 ――和歌を見た時の源二の表情。恐いものであったが、きっとあれは一夜には向けられないものだ。
 「家族」である一夜には向けられない、「外」の顔。そして「そういう存在」――「女」と認めた者だけに向ける顔、ではないだろうか。

 あの場では仕方がなかった。今にも泣き出しそうな女子高校生がどうしても可哀想であり、千菜の言葉ではないが、それこそ同棲相手の恋人と間違えられても困ると思ったのだ。
 ――どういう関係なのかな……。これで付き合ったりとかするのかな……。
 ドキドキが違う感覚に変わり、一夜は段々息苦しくなってきた。
 それを解消しようと思い切ってドアを開け、お似合いの二人の姿を確認しようとしたが――。
 何処へ消えたか、そこには夏の夕暮れがあるだけで、二人の姿はどこにもなかった。
「――」
 一夜自身にも分からない、焦燥感、拒否反応。

 益々やるせない気持ちになって一夜は再び部屋に戻ると、力尽きたように床に座り込んだ。
 ――自分は大人だ。子供の頃から面倒を看てきた源二の成長は、喜ばなくてはいけない。いつか彼は此処から居なくなる。誰か一番、大事な人を見つけて。だからこそこの前あんなにもその先について、自分は悩んだのだから。
 あの時は、高校を卒業してもこの家に居てくれると彼は言った。
 今日明日のうちに居なくなるわけじゃない、居てくれるだけだったら「物理的には」、まだしばらくは自分の傍には居てくれる。自分の隣で、心の中で誰を想おうと、外で誰とどんな関係になろうと、彼の自由だ。

 一体、私は何を焦っているんだ?
 「何」を奪われたくないと思っているんだ?

 一夜の答えが出ないまま、青い空がオレンジ色に移り変わってゆく……。
 
 ・・・・・・・・・・

 それから一時間後、源二は帰ってきた。彼が帰ってきた時、一夜は居間のソファに座って、ぼーっと外を見ていた。
「……ただいま」
「おかえりー……」
 心ここに非ずな一夜の声。源二は何処となくばつが悪いような表情をしたが、夕飯を作ろうとそのまま台所に立つ。
 その背中を一夜は振り返る。
 ――和歌と何を話したのだろう。間違いなく彼女は何か思いつめていた。
 何か問題を抱えていて彼に相談に来たのか、彼に想いを伝えにきたのかは知らないが、一番好きな男を頼ってきたのだろう。源二はそれにどう答えたんだろうか。
 道を外す男ではないと思っているが、所詮は十七歳の少年。抑え切れないものもあるだろうし、分からない。

 そんな視線に気付いたのか、源二が振り向いたので一夜はぎくりとした。
「ゆ、夕飯、何かなー」
 一夜は取り繕うように、あえて明るくそう言うと、冷蔵庫の中を漁りに彼女もまた台所へと立った。
 おなかすいた魚肉ソーセージでも食べようなどとぶつぶつ言っている一夜だが、心は落ち着かない。
 この一時間で彼が和歌と何を話して来たのか、どんな表情を見せたのか、彼女と何をしてきたのか……一時間あれば十分いろいろ出来るしな、と一夜はぐるぐると疑念ばかりを抱いていた。

「電気代、勿体ねえぞ」
 一夜がはっと気付いたのは、源二がそう言って、冷蔵庫の取っ手を握っていた彼女の手の上から、大きな手で押さえつけるように扉を閉じた時だった。
 魚肉ソーセージや牛乳などを出しておいてから、そのまま開けっ放しの冷蔵庫の前にうずくまっていた一夜は、夏だからか熱いくらいの少年の手の感触に現実へと戻り、思わずびくんと手を引く。
 ――この温かい手で、あの子にも触れたのだろうか。
 そう思うと、また胸が疼いてきた。
 一夜が顔を上げると、彼女をじっと見つめている源二と眼が合った。明るくしているつもりでも、何処かぼーっとしてしまっている心を読まれているに違いない。
 しかしそこで源二は呟いた。
「気になる?」
「え?」
「――さっきの」
「……」

 一夜は俯くが否定はしない――のは肯定だと源二は思った。
 そしてこの前のおかしな質問からも、突然の少女の出現に一夜が戸惑っていることを源二は察した。どうして、これほど彼女が気にしてくれるのかは分からないものの……。

「少しの間だけ、付き合ってた」

 ――ずくん。
 彼からの正直な告白に一夜の心が疼く。

「それだけだ」

 予想はしていたが、源二が誰かひとりの女の子と恋愛関係になっていたということは、たとえ健全な付き合いだったとしても、妙なショックを一夜に与えた。
「でも、とっくに別れてる。もう会わない」
 ショックであったが、その言葉には少し救われる思いで一夜は顔を上げる。源二はこの話はこれで終わり、とばかりに既に台所へと身体を向けていた。

「……好き、だったの……?」
 怒りながらもいつでも自分には優しかった彼が、誰かひとりに特別な気持ちを抱いていたことに、一夜どこか寂しい気持ちになっていた。
 この前も好きな人がいるかもしれないようなことを言っていたことを、一夜は思い出す。ただの「家族」なんだから仕方ないと、彼女も頭では分かっている。
「好きでもねえのに付き合ったから、ダメだったんだろ」
 一夜の方を見ずに、野菜を洗いながら言うその言葉に、先日の北條との一件で彼が自分を叱ったのは、彼自身の経験があってのことだったのか、と一夜は今知った。
 こちらの方が年齢は大人なのに、恋愛では向こうの方が経験豊富なのか――そう思うと悔しくなってくる。だが少女のことを「好き」ではなかったと聞き、酷いなあと思いつつも妙に安心する彼女も居た。
 だからと言って、現代の高校生。好きではないからと言って身体の関係になっていない、なんていう保障はどこにもないが……。それを想像すると、一夜は何故かまた落ち込みそうになったが、流石にそこまでは詮索してはいけないと思っていた。

「そっちこそ」
「え?」
 悶々と考えていると急に話を振られ、一夜はどきりとして彼を振り仰ぐ。
「なんでそんなに気にすんの?」
 冷蔵庫の前に座り込んでいた自分を再び見下ろす源二の眼は、この前自分を問い詰めた時と同じ、真剣なものになっていた。
 ――まずい、と一夜は思った。
 「答え」など自分でも分かっていないからだ。
 それなのにあの眼で問い詰められても、困ってしまう。

 一夜は魚肉ソーセージと牛乳を持って立ち上がると努めて明るく言った。
「べっつにー。そんな素振りも見せなかった源二くんが、実はけっこーご盛んだったことにちょっとびっくりしただけだよーだ! あーんな可愛い子とつきあってたなんて、この面食い!」
 一夜は冗談ぽく言うと、何も持っていない方の腕で彼の広い背中をぐりぐりとどついた。

 またはぐらかされたうえに、言われたくなかったことまで言われ、源二は舌打ちをすると黙り込んだ。
 ――そういう風に、「誰とでも付き合える」と思われることが嫌でそのことを隠してきたのに。だが、たとえどんな理由があれどんな短期間であれ、誰かと「付き合った」という事実を残したのには変わりなかった。
 このことを一夜には知られたくなかった源二はこれも一夜に、そして和歌に嘘をついた報いかと深いため息をついた。


 ……あーびっくりした。
 居間で魚肉ソーセージをもぐもぐと屠りながら、一夜は先程また迫られそうになった時のことを思い出し、未だどくどくと鳴る胸を押さえていた。
 とりあえず源二が生身の男に見えてしまったのは、ショックはショックだったが、過去のことだと彼は言うし、そのことは不問とすることにしよう。
 ――まあ、彼女とどこまでしちゃったのかは、何か気になるけれど……。
 一夜は一見大人と変わらないほど背の高い少年の、引き締まった身体をちらりと横目で見た。

 それよりもこの前の和歌の出現から、どうして自分はこんなに一喜一憂させられるのか、そしてどうしてそういう話になると源二は恐くなるのか、彼は何を怒ってるのか、何を自分に言おうとしているのか。
 そしてそういう雰囲気になるとどうしてドキドキするのか――。
 一応大人の部類ではあるのに、恋愛に関しては今まで眠りを決め込んでいた一夜は、ようやく表れた己の心の変化に疑問を抱き始め、首を傾げていた。
 


◇拍手&簡易メッセ◇

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