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廃神様と女神様Lv1 作者:井口亮

第四章

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シリ/アスって書くとそこはかとなくアスタリスク


 風を追い越し、落ちるロクロータを追う。
 力無く落ちていくロクロータが遠く、焦燥に胸が締め上げられる。
 もの凄い早さで迫ってくるザビアスタ森林地区の緑の重圧が風となって叩きつけられる。
 地表に落ちるロクロータを追いながらチュートリアは自問する。

 ――このままマスターが死ねば解放されるのでは?

 そんなことを考えてしまい頭を振る。

 「――イリア」
 「わかってる!」

 僅かに緩んだ手綱にアンヘルが吠え、チュートリアが叫ぶ。
 加速したアンヘルがロクロータに迫る。
 ザビアスタ森林地区の渓谷に流れる川が見える。
 渓谷の谷を過ぎ、それでも追いつこうと加速し、チュートリアが伸ばした腕がロクロータの手を掴もうと伸びる。

 ――届かない。

 空を切った手を伸ばすが、轟音を立て流れる渓流がもう眼前に迫っていた。
 このまま激突すれば無事には済まされない。
 「構うな!イリア!」
 だが、アンヘルは自身を捨てて吠えた。
 主を守れずして何が竜か、人に従ったとしても竜の誇りを捨ててはいない。

 ――幾度も蘇られる死の痛みなど。

 渓流に追突した衝撃で間違い無く死ぬだろう。
 だが、幾度でも蘇ることが可能ならば恐れることなどあろうものか。
 アンヘルの決死の加速が伸ばしたチュートリアの手をロクロータに届かせる。
 最後に身を捻り、主と騎乗しているイリアを守り、水面に激突する。
 衝撃で水柱が上がり、衝撃がアンヘルを貫く。

 「――イリア!主を――グゥっ」
 「アンヘル!」

 ゆっくりとした時間の中、墜落の飛沫の中でアンヘルが燐光になって消えていく。
 直後に響いた激しい水音と濁流が全てを呑み込む。
 掴んだ手を離さず、激流の中を転がされ、チュートリアは水の中で掻き回される。
 吹き上がった水泡が先に上がり、視界が晴れるともの凄い勢いで川底が過ぎていく。

 ――川底に叩きつけられ、手を離しそうになる。

 だが、それでも掴んだ手を離さず、水面に上がろうとする。
 鎧が重くていくら水をかいても上がれそうにない。
 追って背中を押した水流が水面まで押し上げた。

 「――プハァ!」

 肺が空気を求めて喘ぎ、鎧をマテリアライズする。
 すぐにインベントリに納めようとするがマテリアライズされた鎧を濁流がかっさらう。
 激流に流されていき、手が届かなくなるが追っている余裕は無い。
 掴んだ手を引き上げ、ロクロータの体を引き上げる。
 軽くなった体は水流に押し流され、加速していく。

 「マスっ――ブハ――マスタぁ!ハブッ――ブ――」

 呼びかけようとしても逆巻く水流に飲み込まれ、押し込められる。
 抱きかかえたロクロータの重さに引きずられ、水の中に沈みそうになるのを足を振り回してなんとか耐える。
 振り向けば突きだした岩が迫っていた。

 「ギャウ――」

 激しく背中を打ちつけられ、大きく水を飲み込んでしまう。

 ――何もかも、諦めれば楽になれる。

 そう考えてしまった自分がどこまでも惨めになる。
 ぐるぐると水流の中で回り、縋るようにロクロータを抱きしめる。
 しかし、一向に目を覚まさないロクロータに絶望する。

 「おねが――マス――マスタぁ!」

 叫んでみても力無くうな垂れたロクロータは目を覚まさない。
 起きてさえくれれば、なんとかしてくれるに違いない。

 ――命を奪おうとして、こんな時は縋ろうとしているの?

 そう思った自分の浅ましさに意識が混濁していく。

 「マスタぁ――マス――」

 水に飲み込まれ、沈んでゆく最中。
 やがて渓流の先が途切れ――滝となっているのを見た。
 だが、寒さと痛みで薄らいでいく意識の中、チュートリアは必死にロクロータを抱きしめる。
 一瞬の浮遊感の後、虚空に放り投げられる。
 ザビアスタ森林の緑を最後の視界に納め、チュートリアの意識は沈んだ。

 ◇◆◇◆◇

 寒さに目を覚まし、チュートリアはまだ自分が生きていることを知る。
 ざりざりと響く音が風にそよぐ木々のざわめきだと気がついた時、生きていることを自覚する。
 ごつごつとした石の感覚に体中の痛みを思い出す。
 日に焼けた石の僅かな温もりがどこまでも優しく、体が重い。
 腕の中に抱いた温もりと、足を舐める水の冷たさに鉛のように気だるい体を引き上げる。
 張り付いた髪が水を吸って重い。
 だが、未だに目を覚まさないロクロータを見つめ寒さに震える。

 ――置いていけば、楽になるよ?

 耳を塞ぎ、雑念を払う。
 そう思った自分に恐怖を覚える。
 鎧の下に着ていた服も水を吸って重くなっていた。
 ロクロータの肩を下から担ぎ、立ち上がる。
 周囲を見渡せば渓谷の下に広がった滝壺から伸びる河岸に打ち上げられたようだ。
 ロクロータを抱えゆっくりと歩き出す。
 一歩一歩が重い。
 心細さと寒さに心が折れそうだ。
 だが、それでも、引きずるように歩き出す。
 ザビアスタ森林地区のどこかであることはわかっている。
 ドラゴンを召喚しようとして、叶わないことを知る。
 貸与されているドラゴンはアンヘルの一騎のみ。
 落下の衝撃で死んだアンヘルの召喚は蘇生するまで叶わない。
 他のドラゴンは全てロクロータの支配下にある。
 チュートリアは頭を振るとロクロータを引きずり、河岸を歩く。
 冷めていくロクロータの体にこのままでは不味いと理解する。
 今は僅かな風ですら身を刺す寒さを運んでくる。
 風を避けられる場所にいかなければならない。
 高くそびえる崖の壁に亀裂を見つける。
 痛む体を引きずり、ロクロータを引きずりそこへ向かう。
 魔物の巣である可能性もあったがそんなことを考える余裕はチュートリアには無かった。
 亀裂は小さな洞窟になっていてそこまでロクロータを運んでチュートリアは一緒に倒れ込むように崩れた。

 「はぁ……はぁ………はぁ……ングっ――はぁぁ……」

 寒さと痛さに目眩がする。
 けだるさが全身を包み、そのまま瞼を閉じてしまう。

 ――このまま投げ出してしまえば、楽になれる。

 ささやきが意識を引きずり起こし、チュートリアは瞳を開く。
 霞む視界に気持ち悪さを覚えるが、地面を力一杯押し、起き上がる。
 洞窟の壁面に背を預け、力無く倒れるロクロータを見つめる。

 ――放っておけばいい。どうせ、ロクデナシだ。

 それが自分の思いだと知ると、途端に涙が溢れた。
 自分がどこまでも嫌になり、壁を支えに立ち上がる。
 ふらふらと洞窟を出て河原に打ち上げられている枝を拾う。
 ささくれが指を差し、抱えた薪の重みに倒れそうになる。
 晴れていた空が途端に暗くなってきた。
 風がどこか湿り気を帯び、チュートリアは雨の気配を知った。
 急がなくちゃ、いけないのに。
 だけど体は動いてくれない。
 転がり込むように洞窟に戻る。
 枯れ草に石を打ち、火をつけると枝を折りくべる。
 やがて大きくなった火が薪に移り、炎になる。
 昔、お父さんと一緒に河に遊びに行った時に、同じように焚き火を作った。
 その時も雨が降って、近くの洞窟でこうやって暖を取ったっけ。
 どこかせつなくなって涙が止まらなかった。
 何も言わず、力無く横たわるロクロータを見て心細くなる。
 やがてしとしとと雨が降り始め、チュートリアの嗚咽を飲み込む。
 膝を抱え、壁に背を預け、くゆる煙が亀裂に飲み込まれ空に昇っていく。
 雨足は次第に強くなり、雨が地面を叩く音が激しく響く。
 気だるい暖かさに何度も意識をもっていかれそうになりながらもチュートリアはロクロータの目覚めを待つ。
 だが、身じろぎすらしないロクロータに不安を覚え、肩を抱く。
 僅かに上下する胸に、未だ生きていることを知り、余計に不安が強くなる。

 ――生きていたから、なんだというの?

 ひとまずの窮地を脱したことにより、とりとめもないことを考え始める。
 自身の主が退けられた敵より、今後、相対しなくちゃならない敵。
 その時にまた、自分は戦わなくちゃならない。
 そうなれば、再び、殺されることになるだろう。
 白老竜との戦いを思い出し、身震いする。
 圧倒的な力に挽きつぶされ、殺される、恐怖。
 イリアとなって力を得て、より強大な力を目の当たりにして――

 ――わたしは、『弱い』ままなんだ。

 遠くへ行ってしまった父を思い出す。
 あの日も、こんな雨だった。
 病弱だった自分の為に薬草を採りにでかけ、そのまま帰って来なかった。
 ずっと一緒に居て欲しかった。
 掴んだ裾を掴む、自分の力が弱くて。
 離れていった父はもう、戻らぬ人になった。
 それからだ。
 自分が眠っている間に大切な人が居なくなってしまうのではないかと不安になって人の寝床に潜り込むようになったのは。

 ――本当は、自分だけが置き去りにされるのが、怖いだけ。

 自分の心の奥底で響く声に、震える。
 眠ってしまえば、そのまま帰って来なくなるんじゃないかと不安だからだ。

 「……マスタァ」

 呟いてみて、それがどれほど惨めで愚かなことか自覚する。
 助けなければならないのは、自分なのに、この期に及んで。

 ――縋れば、また、殺されるよ?

 身が竦む。
 静かに眠るロクロータの横顔を見つめ、恐怖が蘇る。
 この男は、まだ苛酷な戦いに身を投じるのだろう。
 そこで、自分はまた、殺されるのだろう。
 それが、たまらなく怖くて――

 ――殺して、しまおう?

 殺して、記憶を失わせてしまえば。
 自分が、戦わなくてすむ。
 痛くて、怖い思いをしなくてすむ。

 ――それで、殺してしまえばいい。

 いつの間にか、手にはナイフが握られていた。
 獲物を捌くための大きなナイフだ。
 赤い竜と居る時に、炊事をするのに持たされたもので、炎の光に銀色の光を鈍く、煌めかせる。
 心臓が跳ね上がる。
 とても、いけないことをしているのがわかる。
 だけど、怖くて、不安でたまらなくて。
 ロクロータの上にまたがり、ナイフを掲げる。
 死んだように眠るロクロータは目を、覚まさない。

 ――そう、それを振り下ろすの。

 声が囁く。
 チュートリアの中にもう幾ばくも理性は残っていなかった。
 怖い、恐ろしい、助けて――
 日が沈み、炎の暗がりが照らす洞窟の中。
 重なった二人の影が銀の煌めきを振り上げる。

 「……はぁ……はぁ……ハァァ――」

 じっとりと汗ばんだ手の中で、切っ先が震える。
 今にも、ロクロータが目を覚まさないかと恐怖に心臓が激しく脈打つ。
 目覚めたのであれば、また、殺されるだろう。
 殴られ、蹴飛ばされ、銃で撃たれ――剣で斬り伏せられる。
 それが嫌なら――

 ――殺しちゃうしか、ないよね?

 飲み込んだ唾が苦く、頬が熱い。
 力を入れた指先が痺れ、振り上げた腕が震える。
 食いしばった歯がカタカタ鳴るのはなぜだろう?
 どこか厳しい形相で眠っているロクロータが――たまらなく、『怖い』。

 ――殺しちゃえ、殺しちゃえ、殺しちゃえ!

 耳元で声が叫ぶ。
 殺さなくちゃ、生きていけないんだ。
 だから、これは仕方の無いことなんだ。
 だから――

 「ワ――ァァァァぁぁああああああああああああッ!」

――力一杯振り下ろしたナイフが固い手応えを腕に伝える。

 チュートリアは目を見開き、自分が恐怖に瞳を閉じていたことを知る。
 そして、己のやったことに恐怖しロクロータを抱える。

 「ワァァァっ!ワァ――アァァァ!いやぁぁあああ!」

 叫び、涙が零れ、抱きかかえたロクロータを引きずり壁まで後ずさる。
 地面に突き立てられたナイフが炎の照り返しを受け、オレンジ色に輝く。
 その輝きがどこまでも恐ろしく、訳がわからなくなってチュートリアは泣いた。

 「やぁだぁ……うグッ――ウッ、ウッ――ウァア―ッアァっ!もう、やぁだァ――」

 殺すのも、殺されるのももう、嫌だ。
 帰りたい。
 寂しくても、優しかったヤックモに帰りたい。
 揺れる炎が思い出させる。

 ――焼かれた村を。

 殺された、兵達を。
 封じ込めていた記憶の奥底に眠る、闘争への恐怖――

 「やぁだ――もう、やだ――助けて、マス――誰か――私を、助けてよぉ……うぁぁぁぁん、アァ――ワァァァァアアアア――!」

 それでも搔き抱いたロクロータの頭に顔を埋め、チュートリアは泣き叫ぶ。
 しんしんと降る雨が慟哭を押し潰し、いつまでも鳴り止まない嗚咽が暗く、鈍く、洞窟の中に響き続けた。

 ◇◆◇◆◇

 気がつけば夜が明けていた。
 いつの間にか、眠ってしまったのだろう。
 燃え尽きて消えた焚き火の後が僅かな煙を上げ、燻っている。
 搔き抱いたロクロータは未だ、目を覚まさない。
 静かに呼吸を繰り返しているから、死んではいないだろう。
 しとしとと降る雨の水が足元を濡らしている。
 ぼんやりとした瞼を開き、大きく息を吐く。
 体はまだ鈍く痛むが、幾ばくか体力は回復した。
 チュートリアはここから移らなければいけないと思うと、ロクロータを背負う。

 ――いっそ、捨ててしまえばいいのに。

 そうすれば、楽になるのだろう。
 いや、ロクロータをここに置いておき、周囲に人が居ないか確かめるだけでも。
 それで魔物がここにやってきたら?

 ――それはそれで仕方が無いことだよ?自分で殺せないなら、いっそ――

 恐ろしくなり、背負ったロクロータの手を握る。
 こんな時だというのに、それでも私はこの男に縋るのか。
 ふらふらと洞窟を抜け、森を歩く。
 道無き道を歩けば、踏み固められた獣道を見つけた。
 この道を辿っていけば、あるいは。
 そんな一縷の望みを持って歩く。
 降り続く雨が息を白くし、体温を奪っていく。
 頬に張り付いた髪の毛が気持ち悪い。
 長い髪が水を吸って、重たい。
 いっそ切ってしまいたい。
 だが、それを切ってはいけないと言われたのは何故だったろうか?
 とりとめも無い思考に逃げながら、いつまでも終わらない獣道を歩く。
 ロクロータの足を地面に引きずり、引っかけた枝が頬を裂く。
 じんわりと流れる血の暖かさを心地良いと錯覚しながら、冷たさで感覚のなくなった手でロクロータの手を握る。
 うっそうと生い茂る森はどこまでも続いていく。
 獣道の途中、大きな木があった。
 幹に誰かがつけたと思われる目印が刻まれていた。
 森の中で迷わないようにこうして目印をつけていくのはヤックモにもあった風習だ。
 人が居ることに安堵を覚え、そこで一気に崩れてしまった。
 木の幹に崩れ落ちるように倒れ込み、ロクロータを抱え、背を預ける。
 寒さに凍えないようにロクロータを抱きかかえ、大きく息をつく。

 「……何やってんだろ、わたし」

 イリアに顕醒したのは少しでも不幸になる人を救いたかったからだ。
 ザビアスタ森林地区は魔物が少なくは無い。
 毎年、魔物に襲われて少なくない人が帰ってこなくなる。
 傭兵であった母がたびたび、魔物退治に駆り出されることも少なくは無かった。
 その度に、父のように帰ってこないのではないかと胸を潰した。
 それでも、ヤックモは平和だったのだ。
 オーレーンが始めた戦争なんて遠い世界のことだと思っていた。
 だが、一度始まった戦争は次第に戦火を拡大し、ザビアスタ森林までその手を広げた。
 それはたまたま、隣の村で市が開かれる時だった。
 隊商が来て、森の外の珍しい商品を並べる――思えば、あれが『バザー』だったのだろう――子供であったチュートリアは母にねだって面白そうな物を買って貰える、楽しい行事だった。
 周りの村からも人が集まり、ちょっとしたお祭りになるのだ。
 そのお祭りが、一瞬で阿鼻叫喚の渦に包まれた。
 略奪を繰り返す、オーレーンの傭兵達が村を取り囲み、火を放った。
 燃える村の中、泣き叫び、命乞いする人達を傭兵達は笑いながら殺していた。

 ――あなたのマスターのようにね?

 燃えさかる炎の中で、動けなくなり、チュートリアは母に抱きかかえられその場を逃げ延びた。
 だが、チュートリアの瞳には胸を貫かれ、人形のように崩れ落ちた幼馴染み――トリスティの虚ろな瞳が見えた。

 ――あなたの『お父さん』のようだったよね?

 そう、私を逃がす為にお母さんに――

 「――っ!」

 気がつけば、周囲を『囲まれて』いた。
 なぜ、気がつけなかった。
 それは森の木々の間から、じっと赤い瞳でこちらを睨み付けている。

 「――ホーンハウンズ!」

 青白い炎に包まれた骸骨となった狼たちだ。
 朽ちた狼たちの死骸に魔界のアストラを宿すとホーンハウンズになると言われている。
 本来、瞳のある場所に魔界の炎を宿し、チュートリアのアストラを捉えていた。
 魔界のアストラを持つ魔物達はニ・ヴァルースの生ける者のアストラを喰らう。
 雨の日の森は、魔物が獲物を求めて闊歩する。
 油断してはいけなかった。
 アリスウィングをマテリアライズして、構える。

 ォォォ、ォォォ――ォォォァアアア!

 大気を震わせる不気味な咆哮を上げて一斉に襲いかかってくる。

 「――っやぁ!」

 振り抜いた槍の一閃で三匹を薙ぎ払うと、返す突きで一匹を叩き落とす。
 そして、五匹目が横からチュートリアを押し倒す。
 肋骨を蹴り上げ、吹き飛ばすと追撃しようとして――

 ――傍らで肩口と、太ももを齧られているロクロータを見つける。

 「マスタァ!」

 叫んでも起きる気配は無い。
 助けに駆け寄ろうとして――

 ――放っておけばいいよ?自業自得でしょう?

 恐怖に身が竦む。
 だが、さらに首や腹に噛みつきはじめたホーンハウンズを見て駆け出す。

 「う……うぁああああ!」

 突進し、蹴散らし、滅多に槍を振るう。
 腕を噛みつかれ、腹を喰われる。
 痛みに、再び、恐怖が胸を締め上げてくる。
 本来であれば、チュートリアの技量で駆逐できない相手ではない。
 だが――『殺される』恐怖に竦んだチュートリアの戦い方は不様としか言いようがなかった。
 滅多に振るったアリスウィングがホーンハウンズの頭を砕き、青白い炎が飲み込む。

 「やぁああっ!やぁあっ!」

 噛みついたホーンハウンズを蹴飛ばし、その頭を殴りつける。
 何度も何度も叩き、砕いて、殺す。

 ォォォァアア!ォアォオ!

 ホーンハウンズの咆哮に挫けそうになる意志を生き残る為だけに奮い立たせ、槍を振るう。
 体が、覚えていた。

 ――落ち着け、お前の耐久力じゃ死なねえ。『スウィング』からの『ピアッシング』だ。

 薙ぎ払い――『スウィング』からの強烈な突き込み――『ピアッシング』。
 纏めて宙に浮いたホーンハウンズを瞬足の突き込みの連打――『ランページピアッシング』で一掃する。
 霊環に触れてサンクチュアリを展開しようとして――

 ――全てのホーンハウンズが駆逐されたことに気がつく。

 「ハァ……ハァ…ン、ハァァ……ハァァ……」

 荒く息をつき、窮地を脱したことに安堵する。
 痛みに顔を顰め、治療をしなくてはと思う。
 ヒールを使用することを考えたが、魔法を使えば今の状況を上手に切り抜けられたことを思い出す。
 魔力を温存しておかないと、いけない。

 ――準備はしっかりしておくこと。ポーション類は常に余裕を持っておけよ?

 どうして、今まで気がつかなかったのだろう。
 このような時の為に、ポーションを準備しろとあれほど言われたのに。
 ポーションをマテリアライズしようとして――残り少ないことに気がつく。
 白老竜との戦いで使い込み、追い込まれ――補充することにすら恐怖を抱いていた。
 ポーションの瓶を開いて、視線の中、傷ついたロクロータを見つける。
 肩口と腹から、じくじくと血が零れ、雨に流されている。

 ――このまま、死んでくれれば。

 そう思って身震いする。
 主の死を願うイリア――いや、他人の死を願う自分が居る。
 そんな不遜な考えを払拭するようにロクロータに駆け寄り、膝の上に抱き起こす。
 口にポーションを宛がい飲ませようとする

 「ゴフッ!ゴフゥッ」

 意識の無いロクロータの口からポーションが零れる。
 険しくなった顔つきから、まるで助けられることを拒んでいるかのようだ。
 どうすればいいか途方に暮れる。
 そうしている間にもロクロータの血がじわりじわりと広がり膝を汚していく。

 「どうしよう……」

 ヒールを使おうか迷った。
 こんなことなら、多少値は張っても魔力を回復させるポーションも用意しておくべきだった。
 時間が経てば暗くもなる。
 灯りを用意しながら戦うとなれば、魔力は温存しておきたい。
 チュートリアは意を決してポーションを口に含むとロクロータの唇を塞いだ。

 「ん……」

 慎重にポーションを口移しでロクロータに飲ませる。
 ロクロータの鼻を摘まみ、ポーションを嚥下したことを確認する。
 ゆっくりとだが、傷が塞がっていくのを認めると、安堵の息を零す。
 冷たい唇の感触にこれが自分のはじめてのキスだと思い出し、そうすると、途端に今、自分のしていることが恥ずかしくなり、頬に朱が差す。         
こうなればいいな、と夢想したこともある。
 イリアとして顕醒して、素敵なレジアンの元に使わされて、そして――
 だが、実際はどうだっただろう。
 戦女神を導いた精霊は果たしてその名に恥じない武勇を見せてくれた。
 しかし、それは彼女の思い描いていたものとはとてもかけ離れて峻烈だった。
 その後ろ姿に、憧れたことが無いと言えば、嘘になる。
 その所業は悪党すら霞む、残虐非道の数々だ。
 戦女神を導いた勇者は、とても厳しく、容赦が無かった。
 しかし、厳しさの中に、自分達へ向ける幾ばくかの優しさを有していたことも感じていた。
 だから――恨み切れない。

 「ン……」

 静かに瞳を閉じ、最後にもう少しだけ唇を重ねる。
 静かに、弱く、ロクロータの吐息を感じる。
 ゆっくりと名残惜しく離れた唇を伝い、雨の滴が落ちた。
 眠ったままのロクロータの傷も静かに浅くなってゆく。
 チュートリアは意を決してロクロータを抱え上げると、再び立ち上がる。
 雨足が強くなってくる。
 日が暮れるまでには人里を見つけたい。
 もし、見つからなければせめて雨風を凌げる場所を。
 どこまでも続く獣道を歩けど歩けど、森は晴れない。
 足が棒のようになり、負ったロクロータの重さに腰が悲鳴を上げている。
 掴んだ手からは冷たさが無くなり、やがて温もりもなくなった。
 全身が雨の冷たさを感じなくなり、少し、楽になった気がした。
 視界がぼやけてくる。霧が出たのだろうか?
 ヤックモに帰りたい。
 小言の五月蠅い母の作った温かいスープが飲みたい。
 固くても、温かいベッドに入って、母の隣で眠りたい。
 どれだけ歩いたのだろうか?まだ、歩かなければならないのだろうか?
 チュートリアは自分が気がつくことなく、意識を落とし、倒れ伏した。

 ちゅーとりあのにっき

 きがつけばわたしはじーしょのむらにいた。
 ざびあすたのひがしがわにあるむら、らしい。
 わたしはますたーをかかえてこのじーしょのむらのまえできをうしなっていたらしい。
 たまたまじゅんかいにでていたひとにみつけられて、たすけてもらったのだ。
 わたしはつぎのひにめをさましたけど、ますたーはみっかくらいめをさまさなかった。
 じーしょのむらのひとたちはわたしたちによくしてくれた。
 むらのはずれにあったものおきごやをすめるようにしてくれて、わたしたちにかしてくれた。
 くすりしのねーなはきさくでやさしいし、ておはらんぼうものだっていうけどわたしにはやさしくしてくれる。
 ろーおじさんはなんだかいつもふきげんだけど、ものおきごやをすめるようにしてくれたし、なにかがたりなければいわなくてももってきてくれる。
 もあおばさんはおだやかなひとでろーおじさんといっしょにわたしたちのことをきにかけてくれる。
 いきなりころがりこんできたわたしたちをこころよくうけいれてくれた。

 ますたーがめをさましたのはじーしょのむらにきてからみっかめのことだった。
 きおくをまきもどしたってうさぎのおんなのこはいってた。

 だけど、これはきおくがまきもどったとか、そんなれべるのはなしじゃねえ。
 あいつきおくをけしとばしやがった!
 このひと、いったい、だれなのよ?
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