恨みを買いました
どうしてこんなことになったんだろう。
この世とは思えない――実際この世じゃないのかもしれない――光景に溢れた真夜中の森の中、ランドセルを背負ったまま私達五人の女の子は泣いていた。
他の四人の女の子の泣き声を聞きながら、私、大内歩美はぼんやりとここに来る前のことを思い出していた。
◇◇◇
とある田舎のとある地区に、同い年の六人の少年少女がいた。
と書くと、三人の女の子と三人の男の子なのかと大体の人が思うだろう。
実際は女五人、男一人の学年だ。
私、大内歩美はこの地区の女の子五人組の一人で、小学五年生。家は近所、親同士だって仲が良いし、通学班登下校で朝も夜も一緒。仲良くなるのは当たり前だ。いつも五人一緒で、朝から晩までお喋りしていた。ただ……。
「歩美ちゃん、あいつだよ! 多田野!」
友達の一人がそう言って指をさした。多田野くんは、私達の地区で唯一の男の子だ。
そして、みんな何故か多田野くんを嫌っている。理由は分からないけど……。そんでもって、見つけ次第、多田野くんめがけて石を蹴りつけたり、大声で囃し立てたりする。正直いうと、私はこんなことより好きな番組の話とかアイドルのこととか話したいんだけど……でも次は自分がこうなりたくないから、皆に調子を合わせるだけに留めておく。積極的に加担はしないけど、否定もしない。
「ちかよんないでよー! ネクラ!」
「生まれながらのストーカー! 女の子多いとこ狙ってくるとかサイアクー!」
グループのリーダー格のアイちゃんやサナちゃんはそう言って囃し立てる。足元では石を多田野くんに向かって蹴りつけている。私は石を蹴らないかわりに、「そうだ、そうだ」 とか細い声で囃し立てるだけにしてる。それでなんか私のキャラが内気でシャイな不思議ちゃんになった。石を蹴らなくていいなら別にそれでいいけど。
あとの二人、チヅルちゃんとリサちゃんは「何でここにいるわけー? 消えてよー」 「この地区に男の子なんかいらない!」 とか言ってる。どうしてそこまで言うのかな。というか、家近所なのに……。でも止められる力なんて、自分にはない。
ひとしきり幼馴染達の罵声に耐えた彼は、やがてきっと私たちを睨みつけて去っていった。「ああせいせいした」 前でそんなことをアイちゃんが言ってる。
せいせいなんかしないよ。多田野くんの目、私ずっと怖い。
◇◇◇
どうしてこんな苛めまがいな事になってるのか、私は昔を思い出した。
あれは小1の時だった。子ども会の小旅行で、私達の学年の担当のおばさんがぽつりと洩らした一言。
「もし女の子だけだったら、この旅行は完全に女の子向けに出来たのにね」
アイちゃんがそれを聞いて、もし女の子だけだったらどうなってたのかと尋ねた。その結果、多田野くんがいなかったらアイちゃんの理想のような行程になっていたらしい。それを聞いたアイちゃんはきっと多田野くんを睨んだ。
「なんで女じゃないのよ、空気読んでよ!」
サナちゃんまでそれに乗っかった。
「あんたが女の子なら、私達が好きなとこ行けたのに!」
担当のおばさんは、それを聞いて「ほんとよね、そうしたら経費も楽だったのに」 とぼやいた。旅行を楽しんでいる私は、何て言っていいか分からなかった。チヅルちゃんやリサちゃんも「残念だった」 「行きたかったな」 と言って多田野くんを睨んだ。あれ、これ多田野くんが悪いってこと? よく分からないけど、仲間はずれはイヤだし……。自分も多田野くんを睨む。
多田野くんは、光の無い目で空を見ていた。そしてあれ以来、みんなの多田野くんに対する態度はきつくなった。
◇◇◇
ある日、私は教室に忘れ物をしたのに気づいて、校門にアイちゃん達を待たせて校舎に戻った。忘れ物は教室に戻るまでも無く、廊下に落ちていた。それを拾ってさあ戻ろうと言う時だった。
「……えー、何だよそれ、多田野すげえ、ハーレムじゃん、ハーレム」
「女に囲まれた地区って勝ち組だよな!」
教室の中で、多田野くんとその友達数人がお喋りをしていた。こっちには気づいてないらしい。そして内容は私達のこと。ちょっと気になって、聞き耳を立てる。次に聞こえた言葉に、私はぞっとした。
「何もすごくないよ。あいつらみんな死んじまえばいいのに」
聞いてはいけないものを聞いてしまった。そう感じた後は一目散に逃げることだった。
「歩美ちゃん、おそーい」
校門のところでは、他の皆が待っていた。大丈夫、恨まれるとしても、私だけじゃない。安心して笑顔になった私の顔は、直後に凍りついた。
「危ないみんな!」
皆の後ろから、暴走トラックが突っ込んでくるのが見えた。皆も私も、逃げ切れずにそのまま――。
◇◇◇
と思ったら、この世界にいたのだ。死後の世界なんだろうか、それとも漫画みたいな異世界……?
どっちにしろ、ここには自宅がない。ご飯を作ってくれる人がいない。トイレもない。ただただ呆然としてると、闇の向こう、遠くから獣の声みたいなのが聞こえてくる。
「火を焚こうよ」
リーダー格のアイちゃんの声でみんな我に返り、慌てて枯れ枝を集めだす。なんとか火をおこして、その前で輪になって温まる。食べるものがないから、ただじっとして朝になるのを待つ。誰かがぽつりと言った。
「……なんでこんなこと……誰か悪いことでもしたの?」
サナちゃんだった。私は多田野くんを思い出したけど、他の皆はそうでなかったらしい。
「そういえば、私リサちゃんから消しゴム返してもらってない」
「! 私の所為って言いたいの! そういうならアイちゃんなんか仕切り屋だし!」
「なっ! なんなのあんたら! チヅルちゃん! 何か言ってよ!」
「なんで私? おなか減ってるんだからやめてよ……サナちゃんはスケープゴート出したいみたいだけど」
「ちょっと、何その言い方!」
おなか減ってイライラしてるから、その言い争いは延々と続いた。私にも矛先は来たけど「黙ってばっかで卑怯」 「前から頭弱いと思ってた」 で終わったから別にいい。ところで、誰も多田野くんのことは思いつかないんだね。
やがて、言い争いに疲れたアイちゃんが「もういい! トイレ!」 と場を離れた。紙とかどうするのかと思ったけど、すぐ戻るだろうと思った。
実際あとで会えたのは、アイちゃんだけだったんだよね。
◇◇◇
あいつらむかつく。普段は人を矢面に立たせといて、いざとなったら全部私に押し付ける。あいつらだって散々やらかしたくせに!
いらいらしながら、できるだけトイレの音が聞こえない距離まで行こうと歩く。すると、向こうから何か来るのが見えた。獣? 気配を押し殺して草むらに身を隠す。
「……伝説の……」
「この辺り……」
聞こえてきたのは日本語で、話し声は二人分だった。何故かなんてこの際いい。そして日本語から判断するに、まるで……。
「あの」
思い切って声をかける。黙ってたって飢え死にするだけだとも思った。二人の男の人は私を見るなり驚いて跪いた。
「おお! 貴方が勇者様ですか!」
その言葉に安堵ともに、興奮が沸き起こる。そうなんだ、ここ、そういう世界なんだ!
「はい、私が勇者です」
満面の笑みで答える。男の人達は喜びに溢れ、しかしすぐに周囲を見回す。
「おお! お探ししておりました! しかし、貴方様一人で……?」
「はい、私一人です。目が覚めたら誰もいなくて混乱しました」
あいつらのことなんて知らない。人を馬鹿にした罰よ。それに勇者は何人もいらないでしょ。有名になったあとにでも戻ってきて、あいつらを召使いにすればいいんだわ。
「……分かりました。ではどうぞこちらへ(一人か……どこまで釣り上げられるかな)」
私はニコニコ顔で森を抜ける。ここを抜けたら、素晴らしい未来が待ってるんだ。ああ、早く出口に行きたい!
◇◇◇
いつまで経っても戻ってこないアイに、全員が不安を隠せなかった。
「サナちゃん、どうしよう……」
「……アイちゃんに何かあったのかな……探しに行ったほうが」
チヅルちゃんもリサちゃんも弱気だ。私も……今動くのは怖い。
「……なんなのよ、私はアイの奴隷じゃないのよ」
むすっとしたサナちゃんに、リサちゃんが答える。
「え、でもいつも二人一緒だし」
「アイがしつこいからでしょ、私、もともとアイなんか嫌いだし」
「そんな……」
場が微妙な空気になった。何も言わなくても分かる。皆、視線でサナちゃんを責めてる。『あんた、私達のことも友達じゃないって思ってたの?』 と。
「……分かった! 探しに行ってくればいいんでしょ!」
人一倍気が強いサナちゃんは、すっくと立ち上がって森の奥に向かった。そして、チヅルちゃんとリサちゃんは追い出したくせに、サナちゃんが出て行ってから愚痴りだす。
「やりすぎだよ、リサちゃん」
「何で私!? チヅルちゃんこそ……」
「だって私悪くないでしょ、何も言ってないもん」
「……何でそうやっていっつも人のせいにするわけ!?}
喧々諤々(けんけんがくがく)。おなか減ってるんじゃなかったのかなあ。しばらく時間がたつと、二人は「もういい! こんな人と一緒に居られない! そこの黙ってるだけの卑怯者とはもっと無理!」 と言い捨てて反対方向に歩き出した。私は一人、ぽつんとその場に留まった。
「……どうしよ」
◇◇◇
三人から離れたサナは、ずんずんと暗い森を歩いた。
「ふん! ふん!! 戻ってなんかやらないから!」
皆して私を責めるような目で見て。私が何をしたっていうの。どーせ私とアイが居なきゃ何にもできない三人組のくせに。少しは思い知るといいのよ。
どこまでもある森を歩く。二度と帰らないつもりで。しかし、出口が見えないのを感じると、どんどん心細くなっていく。所詮小学生だ。
「や、やっぱり戻ってあげてもいいかなあ……」
後ろを振り向く。そこでぎょっとする。
目だ。光る目がいくつもこちらを見ている。最初に聞いた、あの遠吠えの獣なのか。私、ずっと付けられてた?
恐怖に駆られて、サナはいきなり走り出す。大人しかった獣も音を立てて走り出す。
「来ないで! なんで、私なにもしてないいい!!!」
そんな言葉は獣に通じない。とにかく一心不乱に走り続ける。やがて出口らしき明かりが見えた。
「あっ!」
森さえ、森さえ抜ければ、見晴らしのよいところに出ればいつかは人家も見えるだろうと思っていた。 しかし、出た瞬間見えたのは大きな月と、どこまでも続く崖だった。さらにそのことを実感するより先に、足の浮遊感に気づいた。
「あ……」
その言葉だけを残して、サナの身体は谷底へ消えた。あとに残された獣達は、獲物の無駄死にに怒りのような唸り声を上げた。
◇◇◇
「リサの分からずや! 歩美の卑怯者! 何なのよ!」
チヅルは、そんな声をあげながら夜の森を徘徊していた。しばらくは自分勝手な奴らを捨ててきたと爽快な気分だった。
「……ここ、どの辺りなのかなあ」
今まで考えないように、思いつかないようにしてきたこと。
私、重度の方向音痴なんだよね。
「な、なんとかなるよ。歩いていけば、いつかは……」
森で一番高い木のてっぺんにとまっている、梟のような獣はじっと見ていた。一人の少女が延々と同じところを回っているのを。そしてそれが餓死するまでの数日続くのも、これから見ることになる。
◇◇◇
「チヅルちゃんも歩美ちゃんも知らない! 私は一人でも行動する!」
リサは目に涙を湛えて歩いていた。しかし夜の森は暗く足元も悪い。平和な日本で育った少女には苦行だった。
「……人、いないかな。どこかに……」
すぐ音を上げて助けはないかとチラチラ辺りを見回す。すると、遠くにチラチラと火の影が見えた。
元の場所に戻ってきた? それとも他の誰か? 何にしろ天の助け! リサは喜び勇んで駆け出した。
「すみませ……」
声をかけてから驚愕した。人相の悪い男達が何人もたむろして、足元に金貨のようなものを置いて勘定している。盗賊? いや山賊?
混乱は一瞬だった。なんにしろ、人だ。上手くやれば水や食料をもらえるかもしれないんだ。そう思って事情を説明しようとした。
「アニキ……」
「分かってる。目撃者は消す、迅速にな。おい、お前らは埋める準備しとけよ」
大剣を持ってこちらに何の情もなく近寄る男を、私は黙って見ていた。
どうして、こんなことになったんだろう。
剣に私の顔が映った。死んだような目で涙を流す自分がいた。
◇◇◇
「待たせたな。……お前、一人か?」
私、歩美は結局、あれから朝までその場に留まっていた。慎重というより、臆病だったからだと思う。でも正解? だったらしい。迎えが来たのだ。男達と、何か妖精のような生き物が。この人達が私達を呼んだのかな?
「あの、私一人じゃありません。喧嘩して、争いになって、それで一人出て行って……」
最後までは言えなかった。妖精さんが後ろの男達に指図して、彼らが出したのは……。
「それ、そこの女の子のことか? ったくあいつら廃人になるまでやらかしやがって……」
明後日の方向をを見つめたまま、口から涎を垂れ流しにして何かぶつぶつ言うアイちゃんがそこにいた。
「ア、アイちゃん!? 妖精さんこれは……」
「選ばせてやるよ、同じようになるのと、一瞬で死ぬの、どっちがいい?」
選択肢は、無いも同然だった。
◇◇◇
周りの人の話から察するに、私は人身御供が欠かせない異世界に来たらしい。特に妖精さんはその辺のことをぼやきまくっていた。
「恨みをかってる少女という条件で、一気に五人呼べたと思ったら一人しかまともに殺せないとは……この方法は効率が悪いか」
その恨みが誰なのか、私には、私にだけは分かっていた。だから、私だけは恐怖心がないまま死ねる。それだけが救いだった。
穴に落ちる瞬間、どうして人の恨みを買ってはいけないのか、こんな形で実感するなんてなあと思いながら、私は意識を手放した。