〜春〜
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
「村田……どうしたの?急に。気持ち悪っ!」
「何を言う!俺が唯一覚えた百人一首を」
「たったの一首!で、意味、わかってんの?」
「お互いに懐かしいと思ってくれ 山桜よ。花のおまえくらいしか、心をかよわす人がいないのだ〜」
聞えてきたおどけたような声に、村田ははっと後ろを振り返る。
石井美夏。この中学で毎年行われる“百人一首大会”のクィーンが現われやがった。
「ま、だいたい、そんなとこかな」
村田の尊大な態度に、美夏の友達のゆうちゃんが飽きれたように言う。
「それで、何でその句をしみじみ、詠んでんの?今日は卒業式でしょ?ちっとも、時と場所に合ってないじゃん……しかも、オヤジっぽい」
そう、卒業式。とはいっても、彼らは中学2年生。今日は、彼らの一つ上の学年、3年生の卒業式なのだ。
「だってなあ。バスケ部のキャプテンを見ろよ。後輩たちに囲まれて、きゃあきゃあと……制服のボタンの争奪戦なんて、信じられない光景だ(俺にとっては)」
ゆうちゃんと、美夏は村田のつぶやきを聞くなり、急にぷうっと吹き出してしまった。
「そっか、さっきの句って今の村田の心情?でも、悲しくない?桜くらいしか心を通わす人がいないなんて」
「失礼な奴だな!俺にだって親友はいるんだぞ」
その時、ひゅうと風が吹き、校庭に咲いた七分咲きの桜の花がはらりと空に舞いあがった。
「誰か呼んだ?」
突然、どこからともなく現われた少年。だが、村田、美夏、ゆうちゃんの三人はもう、驚きもしない。
笹原隆太。
同じ中学のクラスメート。でも、こいつが普通に現われたためしなんかないんだから。
村田が当たり前のように、隆太に言う。
「あれ?お前、何で来たんだ?今日は卒業式で給食はないんだぞ」
隆太の好きなものは学校給食、嫌いなものは学校活動。
「だって、今日は紅白まんじゅうを配る日だろ?あれって美味いよな」
「卒業式はまんじゅうの配布日か?」
え?違うのか?
悪びれる風もなく笑顔を作る隆太に、三人のクラスメートは、“はいはい”と、諦め気分で頷いた。
* * *
「おーい、そろそろ送り出しの時間だぞ。下級生はさっさと並んで花道をつくれ」
そう言って、体育館から出て来たのは、社会の臨時教師、山下慶一だった。
「相変わらず不必要にでかい声!」
美夏はゆうちゃんと顔を見合わせくすりと笑ったが、山下がこちらを見た瞬間、
まずいっ!今日は笹原がいるんだった。
と、大慌てでそっぽを向いた。
「おっ、笹原じゃないか。今日は学校にいるんだな」
案の定、山下は嬉しそうにこちらへやってきた。何故だかしらないけれど、この教師は隆太を気に入っている。
「おっさん、まだ、先生やってんのか。また、K2に登るんじゃなかったのか」
隆太の言葉に山下はしっと言うと、いきなり隆太の頭を抱え込んで2mほど、皆から離れた場所に引きずっていった。
「俺の名はおっさんじゃない。それにK2の事は皆の前では言うな!」
実は山下は登山家で世界第二の高峰、K2の登頂中に遭難し、その時不意に現われた隆太と一緒に時の間を乗り越えてしまったのだ。それ以来、彼は隆太たちの学校で臨時教師として、働きながら再びK2に登る機会をうかがっている。
(*注 詳しくは【時の魔術師〜秋〜】をお読み下さい)
笹原隆太……K2にいた俺を一瞬で、日本の神室山に移動させた少年。一体、こいつは何者なんだ?普段はひょうひょうとして食い物の話ばかりの奴なのに……。
「K2の氷の割れ目に落ちていった親友を探しにゆくんじゃなかったのか?」
「あの山の時間は、地上よりもゆっくり進むんだ。あせる必要なんかない。それに行くにしても今は金が足りん」
山下の言葉に隆太は人の悪い笑いを浮べて言った。
「ま、死んでてても冷凍保存されるしな」
「こらっ、罰当たりな事を言うな!」
わかってるさ。あいつの魂はもうこの世にいない事くらい。
山下は少し笑って、隆太の頭を軽くこづいた。
「あ〜あ、隆太を先生に拉致られたな。あんなにくっついちまって、あの先生、隆太に気でもあるんかい」
遠巻きに隆太と山下の様子を見ていた村田が言う。
「まさか、気持ち悪い事言わないでよ」
「でも、もしかしたら……」
美夏が、少し不安げに言ったその時だった。
「笹原隆太って、顔は妻夫木クン似で、そこそこいいけど、えらい変わり者って噂じゃない」
妙にきつい口調の華やいだ雰囲気の卒業生が現れた。
「先輩!卒業おめでとうございます」
テニス部の先輩、工藤美咲の出現に美夏は笑顔で挨拶する。
「あんな変人と友達?辞めときなさいよ。それより、花道を通る時、お花は私にちょうだいね。他の人には絶対に渡しちゃだめだよ」
なれなれしく、美夏に話しかけてくる美咲の姿に、ゆうちゃんは村田にそっとつぶやく。
「この先輩……ずっと、美夏にべったりで、すごく嫌。美夏が好きだった男子テニス部の先輩にちょっかい出したのも、美夏を独占したい為だったんだよ」
「へえ、それでよく石井は我慢してるなあ」
「美夏はそこんとこ、ちょっと鈍感なのよ」
はらはらと桜の花びらが舞う午後に、下級生たちが作った花道を通りぬけ、卒業生たちは校門を出て行く。
思い出をいっぱい胸に抱えながら……
「なあんて言っても、また、戻ってきて写真撮影とかするんだよなっ」
雰囲気ぶち壊しの村田の台詞に、美夏とゆうちゃんはあからさまに嫌な顔をする。
「あ〜あ、せっかく、いい雰囲気に浸ってたのに。ほんと、デリカシーのない奴」
「俺だけにそんな事言うなよ。ほら、隆太なんか……」
村田の言葉に、隆太の方へ目を向けた美夏。
え、寝てるの?それも立ったまんま。
「笹原っ!校庭のまん中でそんな器用に寝ないでよっ」
「え?」
きょとんと目を開いた隆太のまわりで、散った桜の花びらが、くるりくるりとじゃれつくみたいに円を描いた。
「いけね、うっかり寝てた。やっぱり、春なのかなあ」
そろそろ、戻んなきゃいけない頃だよなあ……
隆太が、美夏に何か言おうとしたその時、校門の方から声がした。
「いやよ!行かないって行ってるでしょ!」
美夏の先輩、工藤美咲が車で校門に乗り付けてきた男子に腕をつかまれている。
「何でだよ。卒業記念にドライブしようってんだぜ」
「だって、三浦クン、無免許でしょ!」
驚いて声のした方向を見た美夏は一瞬、口篭もってしまった。
「あいつ、知ってるぞ。高等部の三浦和也だ。たしかテニス部の……」
美夏たちが通っている学校は中高一貫の進学校だ。卒業といっても、ほとんどの生徒は同じ敷地内の高校に進む。
村田にゆうちゃんが相槌をうつ。
「そう、3年生の三浦さん。でね、あの人が例の工藤美咲がとったっていう美夏ちゃんの好きだった先輩なんだよ。かっこいいって評判の人。でも、ちょっと見ないうちにすごく不良っぽくなっちゃって……」
そこに隆太が口を出してきた。
「ああ、あれが去年の夏休みに青い空と入道雲が、すごく綺麗だったにもかかわらず、学校帰りの堤防で石井をこっぴどく振っていや〜な気分にさせたクラブの先輩か」
あまりにも詳しい隆太の情景描写に、村田とゆうちゃんはきょとんと目を点にした。
(*注 詳しくは【時の魔術師】〜冬〜をお読み下さい)
和也の手が無理やり、美咲を車に引きこもうとしている。
「美夏ちゃん、助けて!」
泣きそうな声で叫んだ美咲先輩を、放っておくわけにはゆかない。こんな時美夏はとてつもなく大胆になる。車に駆け寄ると美夏は美咲先輩の腕を強くつかんで引っ張った。ところが……
運転席の和也は、細く剃り上げた眉を大きくしかめた。
助手席にいる美咲。それにくっついてきた美夏は仕方ないとして、
「お前、何処からそこへ入った!?」
後部座席に一人陣取り、ゆうゆうと座っている少年。
“笹原隆太!”
「さ、ドライブ、ドライブ!」
戸惑う一同を気にもせず、
隆太は元気いっぱいの笑顔を見せた。
「さっさと降りろよ!お前なんか乗せる気はない!」
「それより、車を止めてっ。無免許なんでしょ!」
「何でもいいから、スピード出すのはやめてえぇっ!!」
誰かれなしに叫ぶ声が、車内に響き渡る。
「……んなこといったって、止めれるかっ!」
「えっ、何で!?」
「ブレーキが効かない」
「ええっ!」
「スピード出してんのは俺じゃなくって……」
和也はスピードに取られそうになるハンドルを必死で操作しながら叫んだ。
「この車が勝手に暴走してるんだっ!」
四人の生徒を乗せたシルバーメタルの車は、小気味よさげにきらりと輝くと、学園通りを爆走していった。不思議な事に、普段は交通量の多いこの道路が、今日は車どころか人っこ一人姿が見えない。
クスクス、クス……
後部座席で、楽しげに隆太が笑う。
「笹原っ!笑ってる場合じゃないでしょ。何とかなんないの?!」
助手席で美咲とぎゅうぎゅう詰めの状態からようやく後を振り返り、美夏はあせった声を出した。
「そんな事言ったって、僕は車なんか運転した事もない」
隆太はにこりと微笑んで前方を指差した。
「それより、前から来たトラックにぶつかるぞ」
嫌ああああっ!!
その瞬間、目のまわりに星屑が散らばった。
* * *
星空のパイパス、スカイウェイ。流星のように快走するシルバーメタルの車。波音が聞こえる。潮の香りが胸いっぱいに広がってくる。
美咲と美夏は、車の窓を開け外の景色に見入った。
時間:夜。場所:海沿いの直線道路。季節:夏?
二人の意見はだいたい、こんな所で一致した。
でもこんな事って……私たち、さっき卒業式を終えたばかりでしょ……
時間も場所も季節も、全部が違ってる。
「ここ、何処?」
美夏の問いに、先ほどから運転ばかりに気をとられていた和也が、つぶやくようにこう言った。
「西湘バイパス。忘れるもんか、夏におやじと一緒にドライブした道だ。そして、その次の日にあいつはいなくなっちまった」
「……」
腑に落ちない顔の美夏の耳元に美咲が囁く。
「和也くんのお父さん、夏に亡くなったのよ。事業に失敗して……自殺だったって。でもね、その後すぐお母さんは結婚して……で、彼は少しグレちゃったみたいよ」
ああ、そうか。と美夏の心にしょっぱい気持ちがこみ上げてきた。
だから、先輩はあんなに変わってしまったのか。
西湘パイバス。神奈川県大磯町から小田原市までのほぼ大部分を海岸沿いを通る自動車専用道路。
「ああ、波の音が眠りを誘うなあ」
やっぱり、戻んないとなあ。
一人マイペースを決め込む隆太は、頭の後ろに両手をやると、つまらなそうにごろんとシートにもたれかかった。それから、窓の外に飛んでゆく海辺の景色に目をやった。
走る、走る、暴走する。
流星よりももっと、もっと早く走りたいんだ。
急いで、急いで、ただ急いで
時を早く駈けぬけてしまいたいんだ。
海岸道路を一直線に進んでゆくシルバーメタルの車。
「止めてよ!」
「駄目だ。できない」
「そんな事ないでしょうがっ。ブレーキを踏んで。思いっきり踏みしめてっ!」
「嫌だ、こんな場所では止まれない!」
だが、突然煌いた赤い閃光が、4人の生徒たちの堂々巡りの会話を中断した。
対向車線でガードレールにぶつかった車が、激しく炎上している。
窓の外を覗き込んだ美咲の瞳までが、赤く染まってみえるほどの激しい炎。
「事故?!」
すれちがいざまに、見た人の影。寄り添うように運転席にいる二人。
「炎の中に人がいる……黒い影が車の中で揺れてた」
ほんのその数秒が何十分にも思える長い瞬間。美夏は思わず顔を手で覆い、美咲の膝に身を隠した。
消防車とパトカーのサイレンの音がけたたましく響いてきた。そして、その時、ふいにカーラジオからニュースの音声が流れてきた。
7月23日 午前3時40分。西湘パイパス、大磯西インターチェンジ付近が事故がありました。この事故に17歳と16歳の男女が巻き込まれた模様、ただいま身元を確認中……
和也が苦々しい口調で言った。
「助かってないな。あんな凄まじい炎の中にいたんじゃあ」
徐々に増えてくるサイレンの音が、五月蝿すぎて、耳を塞ぎたくなった。でも、ハンドルを手放すなんて、絶対できない。やったが最後、今度は、自分たちまでがスピードに巻き込まれてしまう。あんな事故の二の舞は御免だ。
「なら、車を止めればいいじゃないか?」
ふいに背後から聞こえてきた声。
「笹原……?」
「ブレーキを踏むだけなんて、誰にでもできる事だよなあ」
投げやりなその言葉。
なのに、その声は、無造作に胸の中に入ってきて、迷っていた心の鍵に手をかける。
思い立ったように和也は足をブレーキに置くと、それを思い切り強く踏みしめた。
こんな事ってあるんだろうか?
幻のように消えてしまったシルバーメタルの車と直線道路。
暗い明かりのない海岸で、4人は漆黒の海を見つめていた。静寂の詰まった空間には、
ざざざ……ざざざと
波が運ぶ砂の音だけが響いている。
その中で目を凝らし
石井美夏、工藤美咲、三浦和也、そして笹原隆太が
見つけたもの。
それは……
海の波間にほのかに灯る四つの漁火。
目が暗さに慣れてくると、漁火の灯の中に人の姿がぽうっと浮かんできた。
一つの漁火に一人の人影。
それが四つ。
白い木綿の上着を着て、腰には小さな竹篭をつけている。
ざざざ……ざざざと
幻影のような四つの姿は浅瀬の穏やかな波の中に、同じ間隔を開きながら横一列に立っていた……沖の方角に体を向けて。
そして、お互いの腰と腰を細い綱で結び、竹篭につけられた小さな漁火だけをたよりに静かに海をすくっているのだ。
海女……?海に潜ってはいないけど、多分、貝か海草を採っているんだ。
話す事も、顔を見交わしさえしないで、波の中で、ただ黙々と、すくった何かを篭に運んでいる……。
漁火が波の上に四つの影を映し出す。そして波が動くごとに、それらは沖へ流されてゆくのだ。
隆太を除く3人は、その光景に小さくため息をついた。
「まるで時間が止まったみたい……」
ぽつりとつぶやいた美咲に隣の和也が無言でうなずく。
だが、珍しいほど鮮明な笑顔で隆太が言った。
「違う。時は止まってなんかいやしない……緩やか過ぎるほど緩やかに、ここの時間は動いてるんだ」
そうして、遠い夜明けを待ちながら、海をすくい続けているんだよ。
あの人たちが持った、小さな漁火とお互いを結び合った細い綱
ちっぽけだけど、それがなければ、暗い海をさまようばかりだ。
「笹原、どうしたの?今日はいつになく真面目モード?」
美夏は不思議そうに隆太の顔を覗き込む。その台詞に美咲がくすりと笑った。
「そうやってると、笹原も男前に見えるよ」
もともと俺は男前だ。
ふつりとつぶやく隆太に、和也はちょっと眉をしかめた。
「さっきの事故の二人は時を早く駆けすぎたんだよ。けれども、ここの時間は遅すぎて、何だか哀しい感じがする」
隆太の言葉を待っていたかのように、空が白んできた。
それでも海の中のあの人たちは、だた、黙々と波の中に立ち続けているんだ。
夜明けがもう近いのに……
「あ……私、何か泣けてきた……」
知らず知らずのうちに、涙があふれ出て、美夏は思わず袖で顔をぬぐった。悲しさよりもほろ苦いような思いが胸いっぱいに広がってしまったのだ。
急いで、ただ急いで
時を早く駈けぬけてしまいたいか?
それとも、哀しいほどに緩やかに
夜明けを待ち続けるのか。
「俺は嫌だ……そんな風に生きるのは」
和也の声が響いたとたん、
ふわりと風が通り過ぎた。
* * *
ちらちらと舞う桜の中で、美夏はきょとんと目を見開いた。
卒業式の後、写真撮影と雑談を終えた生徒たちが、次々と校門から出てゆく。
「帰ってきたみたい……」
美夏の呟きを聞いた美咲は、少し離れてたっている和也にいぶかしげな視線を送った。
夢?ううん。違うわ。和也の後ろに止まっているあの車、
あれは、確かに、私たちを乗せて西湘パイバスを爆走したシルバーメタルの車だもの。
「美夏!美夏ったら、急にいなくなっちゃって何処へ行ってたのよ!?」
少し頬を膨らませたゆうちゃんが、村田をひきつれて、こちらの方へ駆けてきた。
「隆太は何処だ?親友の俺を置き去りにするなんて、そんなのアリか?」
だが、そう言ったとたん、村田は呆れ顔で近くにあった桜の木の下に目をやった。
「寝てやがる」
桜の木の根元に腰をおろして、すやすやと寝息をたてている隆太。
「おいっ、起きろよ、こんな所で寝るな」
村田がそう言った時だった。
「お前ら、何やってんだ?卒業式はもう終わったんたぞ」
校庭の方から、社会の臨時教師 −山下− がやってきた。
“ヤバイ、車に乗ってきたのが見つかっちまう”とっさに、美咲の後ろに身をを隠した和也だったが、もう遅かった。
「高等部の三浦和也……か。お前なあ、校内でやんちゃするだけなら、まだ情状酌量の余地もあるが、無免許運転は法律違反だ。日本全国、いや世界に出たってそれは罪だ!わかってんのか?警察に知れたら、お前、即退学!書類送検」
俯いた和也は山下を上目づかいに見た。でも、何も言葉が出ない。
その時、美夏がぱっと目を輝かせ言った。
「そうだ!三浦先輩、車のキー持ってるよね。それを私に貸して!」
「そりゃ、持ってるけど、どうすんだよ?お前が運転するってか?」
“違うわよ”
「はい、運転するのは、“先生”。免許証持っているんでしょ」
と、美香は受け取った車のキーを山下に向けて差し出したのだ。
「何?!……という事は、俺に三浦を家に送らせて、こいつの無免許運転は知らん顔をしとけってつもりなのか?」
美夏、美咲、とりあえずよく場面を把握できないでいたが、ゆうちゃんと村田……そして三浦和也。こくこくと、首を縦に振る5人。
「先生、頼むよ。俺、きちんと免許がとれるまではこの車は運転しない事に決めたんだ。髪の色ももとに戻すし、学校にもきちんと来る……退学なんて嫌だよ。俺はもっとじっくりとこの学校で、みんなと色んな事がやりたいんだ」
こいつ、何を言い出すかと思ったら、やけに真剣な目で
仕方がないかと、山下は、しぶしぶ首を縦に振った。
「わかった。キーを貸せ。でも、三浦、お前の家って何処なんだ?」
「大丈夫、車だったら、学校から30分」
「30分?帰りはどうすんだよ。俺はまた学校に戻んなきゃなんないんだぞ」
村田が言う。
「電車があるじゃん」
山下は憮然とした表情で言った。
「交通費出せよ」
うわっ、セコいっ!顔を見合わせ美夏とゆうちゃんは目と目で語りあう。
「……で、そこで寝てる笹原のことだが、それも、どうにかしておけよ」
桜の木の下の隆太を指差して山下が言う。
「だって、先生、さっきから何回も起こしてるのに、こいつ気持ち良さそうに眠ってて全然起きないんだ」
「保健室にでも寝かせとけっ。俺が帰ってきても寝てたら、たたき起こして帰らすから」
山下はそう言うと、和也と二人でシルバーメタルの車を飛ばして行ってしまった。
「あれって、スピード違反じゃないの?」
美香とゆうちゃんが苦笑いを浮べる。
「じゃ、俺、隆太を保健室に連れてゆくわ」
よいしょと隆太を背中にしょって、歩いてゆく村田に美香とゆうちゃんが“ご苦労様”と声をかけた。その二人に美咲が言った。
「じゃ、またクラブでね。高等部になっても、クラブ交流はあるもんね」
それと、
今まで、わがまま言ってごめんね。
美夏はその笑顔に同じような笑顔で答えた。
* * *
保健室に続く廊下、隆太を背中にしょいながら、村田はふと窓から飛び込んできた桜の花に目をやった。
くるくると舞って隆太の頭に落ちてきたひとひらの桜。
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
ふと村田の心にそんな句が浮かび上がった
この句の意味って?何だっけ……
山桜よ。花のおまえくらいしか、心をかよわす人がいないのだ……
「桜しか心をかよわす人がいないなんて……そんな事ないよな」
村田は隆太の顔をちらりとうかがってつぶやいた。
「俺とお前は親友なんだろ?」
* * *
「まったく、無駄に時間をくっちまった」
和也を自宅まで送り届け、学校へ戻ってきた臨時教師の山下は小さく息をついた。もう時間は夕刻にせまり、校舎に人影は見当たらない。
そういえば、笹原はどうしただろう?
桜の木の下で眠り込んでしまっていた隆太。
村田に保健室に連れて行けと言っておいたが、まだ、そこにいるんだろうか?
何だかやけに気になって、山下は保健室へ向かう廊下を足早に歩いていった。
窓から1枚、また1枚と飛び込んできた桜の花びらが、くるり、くるりと舞いながら、その後を追う。
保健室の扉を少し開いた時、山下は一瞬、その手を止めた。
おかしい……この向こうの空気……何か、違う。
くるりと鼻先に舞い降りてきた桜の花びら。その瞬間、はっと目を見開き、山下は力まかせに保健室の扉を開いた。
「笹原っ!!」
桜、桜、桜の花が……!
保健室全部を薄桃色に染め上ている。
上下左右に乱舞する桜吹雪!
山下は唖然と、保健室の机に座って彼を見ている隆太の方に視線を移した。
「あれ、おっさん。何で来ちゃったんだよ」
「笹原!?お前、ここで何してるっ?!」
「何って、もう、戻るんだよ」
「戻るって何処へ!?」
山下の言葉に隆太は少し笑って言った。
“時の中心へ。時の彼方へ”
「心配すんな、1年もすれば戻ってくるから。でも、本当は嫌なんだ。いつかは帰って来れなくなるから……その場所で時を見据える。それが、俺の仕事だから……。
春を迎え、夏を過ごし、秋を羽包み、冬を見守る
四季の守人
桜色の空気が元にかえってゆく。それと共に隆太の姿も薄まり出した。
「い、1年たったら、戻ってくるんだな!?今回は戻ってくるんだな」
「もどってくるよ。まだ、俺はみんなと遊んでいたいから」
「1年後のいつ?!」
「1年後の春に」
こいつが普通じゃないのは、前からわかっていたんだ。けれども、こんな別れは御免だぞ。山下はまくしたてるように、大声で叫んだ。
「約束しろっ!必ず1年たったら、帰ってくると」
「約束?おっさんにしては、かわいい事を言うんだな。なら……」
「なら……?」
隆太の言葉に山下はぐっと息を飲み込んだ。
すると、隆太は鮮やかに笑った。
「時を止めておくよ。春のまま。次に帰ってくるその時まで」
お、おいっ、冗談じゃないぞ!時を止めてゆくなんて、そんな事、困る!
激しく舞い上がった桜吹雪。
クスクスクスと……
その中いっぱいに広がった隆太の笑い声。
それが、やがて聞こえなくなった時、保健室には山下一人が取り残された。
人っ子ひとり、ひとひらの桜も残さずに……。
「行っちまいやがった……」
山下はただ、唖然と保健室の窓から暮れてゆく空を見つめていた。
* * *
夏
「結局、夏が来たじゃないか。笹原の奴、時を止めるなんて言いやがって」
葉桜になった桜の木でがなりたてるミンミン蝉が五月蝿くて、山下は眉間に皺をよせた。
「あ、先生。留学生のマイクがワンゲルサークルに入るってよ」
校庭の向こうから駆けてくる村田とゆうちゃんに山下は笑顔を作った。
「へえ?留学生か。誰でも大歓迎だ。これでメンバーが3人だな」
「美夏もテニス部と兼部してくれるかもしれないって」
今年、山下が、学校で発足させたワンダーフォーゲルのサークル。といっても、メンバーはこれから集めるのだが。
「笹原が帰ってきたら、即入部させるしな」
と、村田が笑った。
「でも、俺はまだ信じられない。隆太に海外留学なんて似合わなすぎだ」
苦し紛れに言ったものの、やはり無理があったかと山下は笑う。
村田たちと別れてから一人で校庭を歩いていると、他の生徒たちの声が山下の耳にふと響いてきた。
「この桜の木っておかしいんだよね〜。春からずっと上の方に1輪だけ、枯れない桜の花がついてるんだ」
「うっそお。誰かがいたずらで偽物をつけてんじゃないの」
「わざわざあんな高い場所に登ってまで?」
走り去る生徒たちを入れ替わるように、桜の木の下にやってきた山下は真上を見上げて、にやりとほくそえんだ。
花よりほかに知る人もなし……
「そうか、あの桜の花の時だけをお前は止めていったのか」
葉桜の中に、鮮やかに映える薄桃色の桜の花。
季節は移り変わってゆく。そして、この日の時は夏。
【時の魔術師〜春〜】 完
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