時の魔術師(2/4)PDFで表示縦書き表示RDF


時の魔術師
作:Michel



〜秋〜


 高度7700m、第8キャンプ、北壁ルート。
 最悪の吹雪と嵐、地球上に14座しかない8000m級の山の一つ、世界第二の高峰、K2。
 その頂上アタックを目前にして、方角を失い、視界をなくす。
 手の中にまだ残っている、走っていったザイルの感触。谷底に落ちていったパートナー。
 若手登山家のホープとして名を馳せてきた俺“山下慶一”の強運もついに尽きる時がきたのか。
 急な氷壁の斜面に一人取り残され、途方にくれる。

“山で死ぬなら本望”

 それは、頂上を極めた人間の言う言葉だ。
 俺は、まだ、見ていないんだ。
 超然たる聖域、K2の頂を。

* * *


 東北、神室山。高度1365m。
「おい、隆太はどこへ行った?」
 笹原隆太の親友(自称)−村田は、半ばあきらめ気分で辺りを見まわした。
 青い空、白い雲。
 奴が“秋山登山”に参加した事でさえ奇跡に近い。ましてや、こんな気持ちのいい日に、まともに学校活動をやるわけないよ。
「隆太あ〜!焼き芋できたぞ。だから、出てこいよお〜!」
 中2の俺たちの、テーマは“自然に溶け込もう”
 山小屋の裏での“焼き芋”作りと“自然に溶け込もう”がどう繋がるのか、さっぱり、わからなかったが、笹原隆太が登山に参加した理由があるとしたら、“それ”としか考えられなかった。

 奴の好きな物は、学校給食。嫌いな物は学校活動!

 “焼き芋”も学校給食なのか?

 はなはだ、疑問ではあったが、隆太を呼び寄せるくらいの効果はあるはずだ。
「また、行方不明?笹原って協調性ゼロ。同じ班になった私らの苦労も知らないで」
 クラスメートの石井美夏が、膨れっ面をして言った。
「あいつって学校をなめてるんじゃないの」
 と、その友人のゆうちゃん。
「……せっかく、うまそうな焼き芋ができたのになあ」
「村田は、あいつに甘すぎるよっ!」
 と、怒りながらも三人は、隆太が戻って来てはいないかと、きょろきょろと辺りを見渡した。どーでも、いい奴なのに、何故か傍にいる方がいい。

 村田が、仕方ないな。と焚き火から取り出した焼き芋のアルミホイルに手をかけた、その時だった。

「おっ、いい匂い!」
 手に栗の実をいっぱいに抱えた、笹原隆太が現れた。

「隆太、お前、どこに行ってた!?」
 聞いても無駄な質問。

「ちょっと、栗拾い。これもパチッと焼いてもらおうと思って」
 爽やかに微笑んで、ばらばらと栗の実を、焚き火の中へ放りこむ。
 パチッ、パチッと弾ける音
 だが、突然
 パーンッっと、強く弾けたいがが笹原を直撃した。
「あっ!!」
 やばっ、俺、飛ばされるっ!


* * *

 K2。吹雪はまだ、静まる気配も見せない。
「とりあえず、テントの入口から雪が舞いこむのだけは阻止しなければ」
 風がテントを引き裂いたら、もうどうしようもない!
 若手登山家、山下慶一は、冷たささえ感じなくなった手で、懸命にテントを押さえこんだ。
 テントを押さえるペグが、吹き飛ばされた時、山下は狂おしげにその方向を見た……だが、
「……お前……誰だ?」
「俺?」
 ジャージ姿の少年が、テントの隅にちょこんと座り込んでいる。

「笹原隆太。中学2年」

 少年は、照れたような笑いを浮べ、そう言った。



 ……この世界最高所に、中学生?!

 山下は、妄想を吹き飛ばすかのように、2、3度、頭を横に振った。
だが、
「ここ寒いなー。おっさん、ここで何してんの?」
 笹原隆太は、屈託なく笑う。
「何してんのって?それは、こっちが言いたい台詞だ!ここは、世界第二の高峰、K2だぞ」
「えっ、K2ってエベレストの次に高い山の?やばっ。そんな所まで飛ばされてたのか」
 まいったなと、隆太はテントの端をめくり、外の景色を覗き込もうとした。
「や、やめろっ!テントをめくるなっ!」
 ところが、
 吹雪は嘘のように静まり、西から回り込んできた太陽が山の雪肌を、オレンジ色に染め上げていた。
 K2の夕暮れ。羽衣のような薄い雲が、長くたなびいている。

 「すごい、すごい!こんな絶景、初めて見た」
一瞬、はしゃぐ少年が姿が山の景色と重なりあった。稜線の向こうに沈んでゆく太陽にとり込まれるかのように。
山下は無意識に、隆太の首ねっこを引っつかんだ。
「さっさと、中に入れ!お前、そんな格好で外にいたら、凍傷になって手足の指を全部なくすぞ!」



 「馬鹿げてる。まったく、信じられない……ジャージでK2に登頂?学校の遠足じゃないんだぞ」
 山下は自分のリュックからヤッケを引き出し、それでも着てろ!と、隆太に放り投げた。
「あ、俺、今日は遠足だよ。秋山登山。“テーマは自然に溶け込もう”」
「……」
「せっかく、村田が“焼き芋”作ってくれたのに、食べそこねたなあ。ちぇ、思い出すと、腹がへってきた。おっさん、何か食うもんない?」
「おっさんは、やめろ!俺には山下慶一って名前があるんだ。あいにく、食料はほとんど、雪崩で流されてしまった。リュックを探れば、非常食の残りくらいはあるかもしれないが……」
 えっ、困ったなあ。と隆太は自分のポケットをごそごそと探りだす。

 栗の実、ブナの葉、鉄釘、そして、ぴょこんと飛び出したアオガエル。

「お前のポケットは、地球の裏にでもつながってんのか?!」
 どこの登山家が、高度7700mでアオカエルを見るんだ!?あきれ返る山下を気にもせず、隆太はうれしげに笑った。
「あった、あった。おやつにとっておいたチョコレート。えーっと、俺と、おっさん……山下だっけ、それと……」
 少し、俯いて隆太が言った。
「あんた、一人?」
「今……はな」
「今はって?」
「俺のパートナーは、北壁の割れ目の深い谷底に……落ちていった」



 山では弱気になることは、禁忌だ。くじけた心では、気が遠くなるような雪渓を乗り越える事はできない。
「まだ、日があるうちに、このテントの周囲を見にいってくる。うまくルートが見つかれば明日は下のキャンプ地におりれるかもしれない。」
山下はわざと明るい声で言った。そして、
お前はここを絶対に動くな、隆太にそう言い残すと、外へ出て行った。
「あ〜あ、ここ、退屈だよな……」
 隆太は、少し頬を膨らませると、ごろんとテントに横になる。
 さわさわと外の雪がきしむ音

 
 あのおっさん、このままだと、死ぬな……


* * *


「まいったな、ここまで積雪があるとは……」
 山下は口を真一文字にくいしばった。
 膝上まですっぽり、雪に埋もり身動きがとれない。山の上部ではまた、風が激しく舞いだした。
 耳元をびゅうと、風が通り過ぎた時、

 パキッ

 氷の裂ける音がした。
「しまった!クレバス(氷の裂け目)に……」
 驚く間もなく、山下は積雪で隠されていた、その落とし穴に
引きずり込まれていった。 

 
 真っ暗な奈落に落ちて行く。だが、突然、開けた明るい景色に目をみはる。
「ここは……?」

 青い空、白い雲。

 がさごそと、手を伝わってくる落ち葉の感触。

 “俺、今日は遠足だよ。秋山登山”

 隆太の言葉が頭をよぎる。
 山下は思わず笑みを浮べた。差し迫った現実から、一瞬、目をそらしたい衝動にかられたのだ。
 だが、
「馬鹿な!K2の雪と氷と風は幻なんかじゃない。俺を騙すのはやめろっ!!」



 
 再び吹雪に閉ざされた雪稜で、山下は天を仰いだ。
 
 “ちぇっ、何でもどってきちまうんだよ”

 風がその足元の雪をふわりと舞い上げた。
 
 

 一面の白い世界が強風にさらされ、激しく揺れうごいている。

 もう、無理だ。これでは一歩も動けない。

 山下は、何かを諦めたかのように、その場に膝から崩れおちた。だが、岩とは違う硬い感触を手元に感じ、はっと、そちらに目をむける。

 これは、あいつのピッケル……?

 谷に落ちていったパートナーの。
 
 その時、一瞬、途切れた雪の間から、頂上付近が垣間見えた。

K2の聖なる頂……何故、お前は俺たちを拒むんだ!

 再び視界は閉ざされ、日は暮れて、闇までが近づいてくる。
 俺は、ここで死ぬのか……雪に埋もれて、たった一人で……。

だが、

“一人じゃない……んだよなあ”

頭上から突然響いてきた声。信じられないくらいK2に不釣合いなジャージ姿の少年

 笹原 隆太……

「お前、何でそこにいるっ?ついて来るなと言ったのに!」
「だって、秋山登山に誘ったって、来やしない。だから、教えてやろうと思って」
「何っ?」
「雪崩が来るんだよ」

 音もなく波のような雪が流れてきた。
 そして、隆太は鮮やかに笑った。

 “山が人を拒むものか。山はそこに居るだけだ”


* * *


「隆太、遊んでないで早くやれよ。終わってないのは、俺たちの班だけなんだぞ」
またまた、うるさい村田がやってきた。
 学校の社会の時間。今日の課題は、秋山遠足のレポートをパソコンでまとめる作業。
「ちょっと待てよ。今、ネット小説読んでるんだ」
「はあ?それって、おもしろいんか。読みたいなら休み時間に読めよ。時間がないんだから、さっさと、画面もどせ」
隆太からマウスを、奪い取った村田は、あれ?とパソコンのトップニュースに目をやった。

「先日、世界第二の高峰K2(8,611m)の北壁で雪崩が起き、登山中の日本山岳隊隊員、佐伯数馬、山下慶一が巻き込まれた模様。死亡を確認……ま、死んでも、仕方ないわな。そんな高い山に登るんじゃ」

 その時、担任教師に付き添われ、教室に見知らぬ男が入ってきた。
「今日から来てもらった、産休の先生の代わりの先生を紹介するからみんな、着席」

 えっ!
 何っ?!

 互いに顔を見交わす、隆太とその男。
「何でお前がここにいるんだっ!」

 笹原 隆太!!

 やっぱり、ついて来たんだな。でも……この展開は以外だったなあ。

 隆太は照れたような笑いを浮べた。

 おっさん、名前は……山下慶一



 社会が終わった後の廊下。隆太を山下がとっ捕まえる。
「こらっ、待てっ!俺にきちんと説明しろ」
「何だよ。もう、帰るんだから邪魔するな」
「帰るな!まだ、2時間目が終わったところだ」
「あんたなんか、知らない」
「しらばっくれるな!」

 あの雪崩の後
 何で俺は神室山(東北の)にいたんだ?
 お前は何故、K2に現われた?
 そして、
 何で俺は生きてるんだ?!

“時の間を飛び越えてしまったんだよ”

 え?山下の頭に響いてきた無言の声

「あの後、この学校の知合いに頼みこんで、先生の職を世話してもらったんだ。登山家の山下慶一の名は伏せて。その説明も四苦八苦だ。考えてもみろよ。K2で死んだはずの男が、3日もしないうちに日本にいるなんておかしすぎる」
 まくしたてるように山下は言った。
「ほとぼりが冷めたら、俺は、またK2に登る。あの山で別れたパートナーの事が心残りでならないんだ」

 しらばっくれてるのも、面倒だな。ふうと一つ息を吐くと、隆太は笑った。
「おっさん、また、死ぬぞ」
「死ぬものか。K2の頂を俺はまだ、見ていない」

  ふうん。なら、勝手にすればいいや。

「俺、帰るから。今日の給食は、一番まずい酢豚チャーハンなんだ」

 廊下の窓からひゅうと秋風が飛びこんできた。舞いこんできた銀杏の葉がくるりと宙を舞った瞬間、目の前から突然、隆太がいなくなった。
「あいつ、堂々と消えやがった」
 
 もう、驚く気にもなれない。山下は、苦い笑いを浮べると、次の教室へ歩き出した。

 はらはらと舞う銀杏の間を縫うように、風が通り過ぎてゆく。


 “山は人を拒まない。だから、人は山を目指すのか……”

 
   時の間をすり抜けて



    時の魔術師〜秋〜  −完−

















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