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第二章[黒猫と蜘蛛は、緑の世界で踊り狂う]―――〈1〉
〈1〉


 金曜日の放課後である。
 すでに週の終わりの空気が漂いつつある清林高校の屋上に神谷拓海はいつものように座っていた。
 彼の横には手提げバック。
 彼の眼前に広がるのは、校舎の前に広がる運動場である。
 昨日あんなことがあったというのに、何も知らない生徒たちはいつものように部活動にいそしみ、いつものように勉強や遊びなどで自分の生活を営んでいた。
 それもそのはず。
 堕天人形エンジェル・ブローカーが使う固有結界『紅月((あかつき))』は完全に普通の世界から隔離されている。
 『紅月(あかつき)』の発動を知覚できるのは、魔術師と堕天人形エンジェル・ブローカーのみ。
 魔力の流れを読めない一般人にコレを知覚することはできない。
 それゆえに、今まで堕天人形エンジェル・ブローカーという人類の最大の失敗殺人兵器が世界に知れ渡らなかったのである。
 一般人にはわからない、という事実。それは昨日のことも例外ではないのだ。
 それでいい、と神谷は思う。
 そんなことを知ってもたらされるものに良いものなど一つもない。
 人間の一欠けら―――すなわち少しのDNA情報だけでその姿形をマネできる堕天人形エンジェル・ブローカーは一般人にとってかなりの恐怖になるだろう。
 その恐怖は、『目の前に居る友達は友達の姿をした”なにか”かもしれない』、という疑心暗鬼を呼ぶ。
 誰もが人間不信または情緒不安定な学校など、通ってもなんの楽しみもない。
 『教会』の中では世界に魔術の存在をバラそうという派閥があるようだが、ほとんどの魔術師は『秘匿』を望んでいるのだ。
 そう。
 そんなことを考えてしまう事もいつも通り。
 しかし、神谷拓海にとって今、この瞬間は、『いつも通り』ではなかった。
 いや違う。
 正確には今日の朝からだろうか。
 いつもは学校の校門前で挨拶運動をしている会長がその場にいないのが少し気になりながらも、いつも通り遅刻ギリギリで学校に登校したときのことである。
 靴箱を開くと、そこには見慣れたものが置いてあった。
 便箋が入っているであろう封筒がハートマークのシールで綴じられている―――いわゆるラブレターだろう。
 ラブレターを貰った。
 内容はありきたりな文章で、簡単に言うと放課後に屋上に来てほしいとのことだった。
 またか、という感じ。
 いつものことで、対して反応を示すようなことじゃない。
「………え?」
 確かに、周りからしてみればそうだろう。
 しかし、神谷拓海にとってそのラブレターは到底信じられるようなものではなかったのだ。
 差出人。
 ―――秋川桜。
 どうしよう名前の後にハートマークが付いているかわいい。
「………、」
 そんなことを思ってしまう自分はもうダメなのかもしれない。
 学校の屋上で朝の出来事を思い出し、不意にそう思った。
 手提げバックの中から、その手紙を取り出し(前のときのようにぐちゃぐちゃにするのでなく、かなり丁寧な扱いである)その文面をもう一度見る。
「………まったく、こんなに歪なハートマーク初めて見た」
 思わず苦笑する。
 よほど無理してハートマークを描いたのだろう。線対称であるはずのマークが、ただの変な形をした丸みたいになっている。
 これではただの記号だ。
「………、」
 実際のところ、この手紙の目的が『告白』ではないだろうと思う。
 自分で言うのもなんだが、神谷拓海を秋川桜に惚れさせるにはまだ時間やら好感度やらが足りないのだ。
「昨日のこと………かなぁ」
 そんなはずはない、と思いながらもそれ以外に思い当たる理由はない。
 ただ話すだけならともかく、呼び出される理由が。
 ということは。
 秋川桜は、昨日の出来事を―――覚えているのだろうか?
 しかし、そんなことがあるはずがないのだ。
 神谷拓海自身が、秋川桜の昨日の記憶を消したのだから。
 消した、と言っても脳を傷つけないように『その記憶を曖昧なものにする』ような簡単な処理である。
 昨日何かあったことは覚えているけど、”何が”あったかを曖昧にする。
 プロの魔術師ならば、適当な障壁に阻まれるであろう魔術だが、運良く秋川は魔術師ではない。
 神谷の魔術を無効化することなどできるはずがない。
 そう、だから大丈夫。
 神谷は必死に、自分に言い聞かせるようにそう呟く。
 ―――秋川桜には何も起きていない。
 だから大丈夫。心配することはない。
 今日の呼び出しだって、きっと大した用じゃない。昨日秋川の家に彼女をおぶって行ったことに文句を言われたり、もしくは感謝の言葉をくれたり、どちらとも違うかもしれない。
 大丈夫。
 神谷拓海の望んだとおり、秋川桜は普通の女子高生でいるはずだから。
「すまん、待たせたな」
 そんな少年の願いを叶えるかのように、神谷の背中に当たり前のように秋川の声がかけられた。
 いつも通りの、はきはきとした声だった。昨日に何かがあったことを感じさせない、普通の声だった。
 大丈夫。
 やっぱり彼女に異変はない。
 だから、後は自分がいつも通り軽口を叩いて振り返れば日常(いつも)は始まるはずだ。
「いいよ、気にしなくて。会長の方から呼び出してくれるなんて初めてだからね。ちょっと、舞い上がって早く来ただけだし」
 後ろを振り向くと、清林高校の制服に身を包む秋川が、屋上の入り口のドアを後ろ手で閉めているところだった。
 バタン、と鈍い金属音を響かせるドアを背に、秋川は屋上に吹く勢いのある風で一瞬だけ動きを止め、神谷の方へと歩き始めた。
「本当にすまない。すぐに済ませなくちゃならない仕事がいっきに押し寄せてきてな、ちょっとばかり時間をくった」
「へぇ……珍しいね、予定にない仕事なんて。夏休み前だっていうのに、会長は相変わらずだ」
 仕事、というのは十中八九生徒会のものだろう。いわく、今日中に済ませなくてはならないことを今日依頼されたせいで待ち合わせに遅れたのだと。
 秋川はほんとうに申し訳なさそうに、神谷に謝罪の言葉をのべた。
 本当の仕事場ではあるまいし、生徒会にそんな急に仕事が入るとは思えないのだが、近日に行われた秋川による『学校改革』で無理したツケでも払っているのかもしれない。
 学校改革という、本来ならば時間をかけてゆっくりとやっていくべきことを数ヶ月でやった結果、今の生徒会が多忙になっていることは学校では有名な話である。
「で、その仕事はきちんと終わったの?」
「もちろんだ。誰も文句が言えないほど完璧に終わらせてきた」
「わお……さすがは会長、仕事がはやいね」
「ちゃかすな。お前との約束に遅れたことには変わりない」
 気にしなくていいのに、と神谷は苦笑する。
「そういえば、初めてだね。会長と俺の二人で屋上に来るの。この前まで校則違反はしたくないとか言って絶対に一緒に来てくれなかったのに」
「当たり前だ。私が校則を破るのは、お前が校則を破るのとは違うんだよ。私は会長なんだ」
「生徒の手本となるかいちょー様だもんね。あきちゃんったらかっこいー」
「だまれ」
「でも、いいの? 今ここにいる時点で校則を破っちゃってるわけだけど」
「ああ、それなら大丈夫だ。先生に特別今日だけ屋上を使う許可はもらってる」
「えー。かいちょーそれって職権乱用じゃないのー?」
「…………そうかも、な」
 会話を切り上げるかのように、秋川は神谷の横を無言で通り屋上の端まで歩いた。
 足から(スネ)程度の高さしかない壁(そもそも壁と呼んでいいのかわからない)以外には落下防止のフェンスすらないそこから学校より外を秋川は眺める。
「なぁ、神谷」
 不意に。
 そう、秋川は隣まで歩いてきた少年に向かって話を切り出した。
「あそこにある廃屋、見えるだろ」
 屋上から見えるビルのような、大きな廃屋を指差して、
「あそこで数日前、変死体が見つかったらしいんだ。知ってるか?」
「知ってるよ。なんでも『死因がわからない死体』なんだって。今のところ検死のミスっていう話らしいけど……」
 唐突な話題の転換に戸惑うことなく、神谷は昨日のテレビで偶然見たニュースの知識を口にする。
 神谷の言葉に、秋川は頷いた。
「ああ、そうらしいな。他殺か、自殺かも、わからないそうだ」
 不思議な話だよな、と少女は平坦な声で呟いた。
 そんな秋川を横目で見ながら、神谷は一人、怪訝そうに眉をひそめる。
 目の前の少女はいったい何を言いたいのだろうか?
「………会長、まず確認しておきたいんだけど、この手紙を俺に送ったのは会長でいいんだよね?」
「名前、書いてあっただろ?」
 ひらひらと振られる手紙から目を逸らすようにして、秋川は答えた。
 封筒に書いてある『From秋川桜』という字をもう一度見て、神谷は手紙をズボンのポケットの中へと納める。
「で、わざわざ呼び出してまで秋川は俺になんの用なの」
「は? ………お前、手紙はちゃんと読んだのか?」
「読んだけど……言いたいことがあるって書いてあるだけで肝心の内容がなかったよ」
「えっ………いやいや嘘つけ! 私はちゃんと書いたはずだぞ!!」
「えー、ウソダー」
 凄まじい速度で顔を俯かせ、書いたよな、書いただろ、書いてるはずだ!! と独り言を呟きながら少女は目まぐるしく表情を変化させる。
 そんな秋川の焦りようを見て神谷はクスクスと笑った。
 その時だった。


「意外だな、気づかないのか……神谷」


 後ろから、そんな声が聞こえた。
 一瞬、それが誰の声なのか神谷拓海にはわからなかった。
 この屋上には秋川桜と自分以外には誰もいないはずだ。
 秋川は神谷の前にいる。だというのに、その声は後ろから聞こえてきた。
 ”秋川桜の声が後ろから聞こえてきた”。
 同時。
 神谷拓海の首筋に一本の刃が突きつけられた。
 それは日本刀だった。しなやかに反った刀身は鈍く輝き、七〇センチもの刃の先には金色のつば
 紅い柄を握る手は適度に力を抜いており、使い慣れていることが一目でわかる。
 清林高校の制服で、肩まである黒髪に勝気な瞳。折り目正しく、規律正しいが似合うこの少女の名前を神谷拓海は知っていた。
「あ、……き……」
「動くな」
 ピタリと、日本刀の刃を少年の喉筋に当てて少女―――秋川桜は冷徹に言い放った。
「少しでも動けば、すぐに首をはねる」

急展開ワロタwwwwww

って感じですよねホント(笑)
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