妹の言い分・兄の言い分
本編の半年ほど前の出来事です。
自サイト連載時に「血のつながりはないからネリスとくっつくのかと思った」
というコメントを頂戴した折に、本人達はこう申しております、と書いたSS。
■妹の言い分■
「ネリスのお兄さん、ちょっと格好いいよね」
「そぉ?」
友人に言われて、ネリスは疑わしげに応じる。すると相手はそれを照れ隠しと取ったらしい。わけ知り顔でくすくす笑った。
「そうよ。まあ、美形ってわけじゃないけど……なんかさ、賢そうっていうか、街によくいる連中みたいに馬鹿なことしないじゃない。喧嘩騒ぎとか、店の壁に落書きしたりとか、つるんで女の子を冷やかしたりとか」
「あー、うん、まあ、それは確かにね」
渋々ながらネリスも認めた。フィンが自分の兄になってもう四年あまり経つが、今までフィンがそうした愚行でネリスや両親の機嫌を損ねたことは、記憶にない。
たまにネリスの悪ふざけに付き合ってくれる時もあるが、それとて思い返してみれば、「やめろ」と言うよりは一緒になってやらかしつつ一線を越えぬよう守る、保護者としての態度だった気もする。
「だから面白くないんだよ」
ぼそりと独りごちたネリスに、友人は不思議そうに小首を傾げる。
「ネリスはフィンのこと、好きじゃないの? お兄さんって言っても、血はつながってないんでしょ。ときめいちゃったりしない? 頼りになるし、笑うと結構いいなって、あたしは思うけどなぁ」
「冗談じゃないよ!」
途端にネリスは目を剥いて否定した。さらに続けて、友人がたじろぐほどの勢いでまくし立てる。
「そりゃ、家に来たばっかりの頃はさ、ちょっとこう……なんか色々、期待しちゃったのは認めるけどさ! 一時の気の迷い! 若気の至りってヤツだよ!」
まだ十代半ばだというのに若気の至りもないものだが、ネリスは真剣だった。
「じきに幻滅しちゃったもんね。ありえないよ、ほんと、墓石みたいにくそ真面目なんだから!……ああそっか、あんたは長女だもんね。お兄ちゃんっていいもんだと思ってるでしょ。あたしも昔はそう思ってたよ、でもね、現実には絶対そんなことないから! フィン兄と一緒にいるのなんて、死んだ魚と話す方が楽しいぐらいだもん」
「そ、そこまで言わなくても……」
「これでも控え目なぐらいだと思うけど。たまに見かけて挨拶して、ってぐらいの付き合いなら、まぁ悪くない相手かもね。うん。不愉快になることなんて滅多にないし。でもね、四六時中一緒にいてごらん? 絶っっ対、息が詰まるから! あんたも考え直したほうがいいよ、あんなのと結婚したら大変だよ」
「そう……なの?」
結婚、と話が飛躍しても、少女は動じない。そもそも北の辺境では、男女交際とはすなわち結婚相手を探すこと、なのである。
不安げになった友人に、ネリスは真顔でうなずいた。
「一緒に暮らしてるあたしが言うんだから、間違いないよ。お兄の奥さんになれる人なんて……うーん、そうだね、旦那に稼ぎと力仕事以外は何も期待してないっていう人ぐらいじゃない? 朝から晩までに交わした言葉が、ああとかうんとか、いただきます・ごちそうさまとか、そんなぐらいしかなくても平気な人じゃなきゃ駄目だね」
「…………ぅわ」
会話のない、倦怠期の陰気な夫婦の姿が少女の脳裏をよぎる。さして珍しくもない話だ。新婚の夢さえ見られない相手だとは、と彼女はため息をついた。
そんな友人を眺め、ネリスもやれやれと肩を竦めた。
「あたしとしても、ちょっと心配なんだよねぇ。あれじゃ一生結婚できなさそうだし、無理にさせてもお嫁さんが可哀想だもん。まぁ……何にも言わなくても心が通じるような、ものすごーくよく気のつく人でもいれば、別かもしれないけどさ」
でもそんなの、奇蹟みたいなもんだよねぇ。それにそんな人だったら、お兄よりもっといい相手と結婚してるよ。
――などと、本人の居ない所で好き勝手に評していたネリスだったが。
後年、自分の台詞がまさか実現しようとは、想像してもみなかった。もちろん、そんな相手に出会えば墓石兄貴の態度も軟化するかも、などということも。
■兄の言い分■
街に小麦粉を届けて帰ってきたら、意外な来客が待っていた。幼馴染のタズだ。孤児院で一緒に育って、今は見習い水夫としてあちこちの港へ荷物を運んでいる。
「よお、お帰り」
我が家のようにくつろぎながらそう言ったタズに、フィンは呆れたふりも出来ず笑ってしまった。
「久しぶりだな、戻ってたのか」
「ああ。……いい家だな」
タズは部屋を見回して、少し小さな声で言った。フィンもうなずき、微笑む。
「オアンドゥスさんたちも、良くしてくれるよ。おまえは? 船はどうだ」
「悪くない。荒っぽいのが多いのは確かだけど、根は気のいい連中さ。ちょっとおだてたらすぐに機嫌を直すし、酒があったらほかはどうでもいいって奴もいる。まあ、仕事さえちゃんとやってりゃ、寝床も食い物も心配ないし、陸に上がった時にはちょっと休みがもらえるし」
まるでもう一人前の海の男のような口ぶりだ。フィンは笑いを噛み殺し、からかうまいと口を引き結ぶ。が、タズはその表情に気付いてしかめっ面をした。
「へぇへぇ、笑いたきゃ笑えよ。でもな、知ってるか? 船乗りには秘密の店ってのがあちこちの港にあるんだぜ。上等の酒とか、女とか……」
「行ったのか? おまえが?」
冗談だろう、とフィンは眉を上げた。タズはお調子者だし遊び好きでもあるが、まだ大人の娯楽には縁がないはずの歳だ。育った環境が良かろうと悪かろうと、髭も生えない子供では、酒場の亭主も商売女も、相手にしてくれない。少なくともフィンが知る限りではそうだ。
タズはにやりとしただけで、否定も肯定もしなかった。
「船乗りは陸者より早く男になるのさ」
などと知ったようにうそぶいて、どうだ羨ましいかとばかり、にんまりした。フィンは目をしばたいて肩を竦め、返事をごまかす。羨みも妬みもしないが、まるっきりどうでもいいと言うのでは、タズもがっかりするだろう。
それでフィンは、曖昧な口調を作って答えた。
「ふうん。そういうものか」
「無理するなよ、羨ましいくせに」
案の定タズは深読みして、にやにやしながら肘で小突いてきた。フィンはむっとしたように彼の体を押しやった。
「別に。どうでもいいさ」
強がっているふりをすると、本当になんだか羨ましいような気分になってくる。だがフィンがせっかくその気になった時には、タズの方が諦めていた。
「ちぇっ、どうせおまえはそういう奴だよ。それに、商売女にカネを払わなくたって、おまえにはいい相手がいるもんな」
「……なに?」
怪訝な顔になったフィンに、タズは声を潜めてささやいた。
「さっきちらっと見たぜぇ。ネリス、可愛くなったじゃないか。え、この」
「おい待てよ、俺はそんなつもりじゃ」
「とぼけるなよ。なんなら賭けるか? 次に俺がここに来た時には、おまえが粉屋の若旦那になってて、ネリスはでかい腹してるだろうよ。二、三人、子供が……」
「タズ!」
怒鳴ると同時に、フィンは幼馴染の胸倉を掴んでいた。流石にタズがたじろぎ、その目に驚きと怯えが浮かぶ。フィンは自分でも予想外の激しい反応に戸惑いながら、ゆっくり手を離した。
「……やめろ。俺は恥知らずじゃない」
「悪かった」
タズはひとまず謝ったが、よれた上着を整えると、懲りずに続けた。
「けどよ、真面目な話、おまえがネリスと結婚して粉屋を継ぐってのも、ありなんじゃねえの? オアンドゥスさんがおまえを引き取ったって聞いて、俺はてっきり、そういうつもりなんだと思ったけどな」
「俺は孤児院から放り出される寸前で、オアンドゥスさんは人手が欲しかった。それだけだ。ネリスがちゃんとした相手を見つけたら、俺は軍団に入るよ」
「もったいねえなぁ」
あくまでも養父母に義理立てするフィンに、タズは呆れ声を上げた。
「そんな堅苦しく考えなくてもいいだろうに。まあ、おまえはそういう奴だから仕方ねえけどよ……俺だったら今からネリスに唾つけとくけどな。あんな可愛いのに」
そう言ってタズが物欲しげな目を台所に向けたので、フィンはしかめっ面になった。
「妹に変な真似をしたら、いくらおまえでも、そこの崖から海に叩き込むぞ」
「うおっ、怖ぇ。なんだよ、やっぱりおまえが欲しいんじゃねえの?」
「違う!」
フィンは苛立たしげにぴしゃりと否定し、それからため息をついた。
「あのな、あいつは毎朝人のベッドに飛び乗って起こすんだぞ。最初は本気で口から内臓がはみ出すかと思った。一度なんか頭がぶつかって、一日中目の前に星が飛んでたんだ。何かと言っちゃ俺のことを馬鹿だの面白くないだのこき下ろすし、自分が無駄遣いしたからって俺の部屋から勝手に蝋燭を取って行ったりするし……」
たまにファウナが菓子を焼いたら、必ずフィンの分はネリスに取られるし。要領よく「ついでにやっといて」の一言で細々した仕事を押し付けられるし。
しまいにフィンの台詞はほとんど愚痴のようになり、仕上げに、はあ、と深いため息が漏れた。タズは腹を抱えて笑うだけで、同情してくれない。
「ははは、それじゃ……仮に結婚したって、尻に敷かれるのは、ははッ、目に見えてるな! おまえ、それが嫌で軍団に入るのか?」
「そういうわけじゃないが」
むっつりと応じたフィンに、タズは面白そうに問いかけた。
「それじゃ、俺がネリスを嫁にしたいって言っても、おまえは止めたりしないな?」
「……真面目な話なら、止めはしないさ」
フィンは肩を竦め、それから白々しく平静に言い足した。
「ただ、おまえが寝小便した布団を取り替えて俺に罪を着せた前科があるってことは、ネリスやおじさんにも教えるけどな」
「うわっ、何年前の話だよ!……あーあ、本っ当、おまえって面白くねえなぁ。分かったよ、この話はやめよう。終わりだ、終わり」
降参、とタズは手を振り、話題をすっかり変えた。
船での生活、港での仕事や珍しいもの、商人たちの噂話など、彼が仕入れた話はどれも新奇で面白かった。代わりにフィンは、タズが離れている間のナナイスの状況を、あれこれと報告した。
そうこうしている内に日が傾き、ファウナが夕飯の用意をするからタズも一緒に、と誘った。
「フィン、悪いけど、ちょっと薪を取ってきてくれる? それと、お父さんも呼んで来てちょうだいな」
「はい、分かりました」
すぐにフィンはうなずき、席を立つ。その背が戸口の外に消えると、タズはなんとも複雑な顔でファウナを見た。
「……ありゃあ、駄目ッスね」
「やっぱり駄目かしら」
「望みなしですよ。あいつに粉屋を継がせるのは、考え直したほうがいいです」
「残念だわ。フィンなら、ネリスとも上手くやって行けると思ったのにねぇ」
「あ、それじゃ、代わりに俺、どうスか」
おどけて自薦したタズに、ファウナはくすくす笑っただけで、答えなかった。
(終)