田の神様の嫁探し
ここは山の中の小さな祠。豊穣をもたらす田の神様の住処だ。
田の神様は稲作や米に関する力しか持っていないが、その力を最大限に活用して参拝に来る人の願いを叶えている。
普段の参拝客は駄菓子を持った小学生ばかりだが、今日は珍しいお客さんが来ていた。学ランを着た高校生だ。きちんと祠にお菓子をお供えして神様に向かって手を合わせている。流石高校生、お菓子もなんだか高級そう。
「――お願いです神様、叶えてくれたらもっと美味しいチョコレートを持ってきますから」
「うむ、貴殿の願いしかと聞き入れたぞ」
田の神様は祠の中から返事をする。
もちろん高校生にその言葉は聞こえない。神様の声は一部の子供しか耳にすることができないのだ。
高校生はもう一度神様に頭を下げ、そのまま山を下りていく。
それと入れ違いに、今度は小学生の男の子が現れた。
男の子は高校生の後ろ姿を見るや祠に駆け寄り、置かれたばかりの真新しいお供え物を見て首を傾げる。
「兄ちゃんがなんでここに?」
「あっ、やっぱ今のヤツお前の兄か。なんか似てるなと思ったんだよ」
そう言いながら神様は祠から飛び出して男の子の前に姿を現した。
この少年は以前田の神様に助けられて以来、神様の一番の信者だ。こんな山の中の小さな祠にお参りにやってくる子供がいるのも、この少年の甲斐甲斐しい布教活動のおかげである。
「兄ちゃんもなんかお願いごとをしたの? 高そうなチョコレートなんか供えちゃってさ」
「それは教えられないな。神様にも守秘義務があるんだよ」
「なんだよケチだなぁ」
「そんなことよりさ、お前『瑞穂ちゃん』って知ってる?」
神様は急に真剣な面持ちになって少年に尋ねる。
「瑞穂ちゃん? ああ、兄ちゃんの同級生で近所に住んでるお姉さんだよ。たまに遊んでもらうんだ」
「ふうん……お前の兄とは仲良いのか?」
「昔はよく遊んでたみたいだけど、最近は一緒に話してるとこも見てないなぁ」
「なるほど、なるほど」
「瑞穂ちゃんがどうかした?」
「少年よ、どうか落ち着いて聞いてくれ」
神様は背筋を伸ばし、やけに芝居がかった口調で言った。
少年の小さな背筋も釣られて伸びる。
「俺、瑞穂ちゃんと結婚する」
少年は思いがけない神様の告白に目を丸くした。
「け、結婚? 神様が? 結婚するの?」
「うん」
「それって、瑞穂ちゃんはオッケーしたの?」
「いいや」
「……多分瑞穂ちゃん、断ると思う」
少年は言いにくそうに、しかしハッキリとそう言い切る。すごく大きな神社ならまだしも、こんな山の中の小さな祠に女の子は住みたがらないだろうと思ったのだ。
しかし神様は少年の言葉なんか意に介さない。
「俺は神様で、向こうは人間だぞ。拒否権はない」
「そんな勝手な……それに瑞穂ちゃんって神様のこと見えるの?」
「多分見えない」
「じゃあダメじゃん……」
少年は呆れ顔で首を横に振る。
しかし神様の次の一言で少年はその表情を凍らせた。
「なに、死ねば俺の姿も見えるようになるさ」
その物騒な物言いに少年は言葉を失った。
しかし少年はすぐに笑顔を作って神様に向ける。優しい神様がそんなことをするはずないと思い直したのだ。少年はその思いを言葉にする。
「瑞穂ちゃんが寿命で死ぬまで待つってことだよね?」
「そんなに待てない。一週間以内に瑞穂ちゃんを嫁にする」
「そんなことさせるかッ!」
少年は神様に飛びかかって地面に倒し、羽交い締めにする。神様は地面の上でジタバタしながら情けない声を上げた。
「痛い痛いやめて!」
「神様が勝手なこと言うから悪いんだぞ! ずーっとこうやって瑞穂ちゃんに近づけないようにしてやる!」
「俺は別に良いよ? 時間はいっぱいあるし。でもお前、学校はどうすんだよ。夜もこうやってテレビも見ず飯も食わずに山の中で俺と生活するのか? 夜の山は暗くて寒いぞ、まぁ握り飯くらいはご馳走するけど」
「そ、それは嫌だなぁ」
今日の夜は見たいアニメがあるし、明日の給食はカレーだ。朝になれば霜が顔を出すような寒さの中、布団もなしに眠ったら風邪をひいてしまう。
少年が悩んでいると、神様は苦しそうに息をしながら口を開いた。
「よし、じゃあこうしよう。瑞穂ちゃんを殺そうとする時はちゃんとお前に宣言してから行動に移す。一週間お前が瑞穂ちゃんを守れたら嫁にするのは諦めよう」
「ほんと? 勝手に瑞穂ちゃんに手を出したら怒るよ?」
そう言いながら少年はより強く神様を締め上げる。神様は目を白黒させながら何度も地面を叩いた。
「いっ、痛い痛い……分かってるよ、約束するから!」
「絶対だぞ!」
こうして神様と少年の戦いが密かに幕を上げた。
**************
一日目午前7時ごろ。
寝ぼけ眼をこすりながら少年が起きると、神様が何食わぬ顔で椅子に座っていた。
「なにしてるの」
少年が不機嫌そうに言うと、神様は朝の挨拶をすませてから小さなクマのぬいぐるみを掲げた。
見覚えのないそのぬいぐるみに少年は首を傾げる。
「なにそれ」
「瑞穂ちゃんが鞄に着けてるクマのぬいぐるみだ。これに呪いをかけておいた。これを瑞穂ちゃんに渡すと死にます」
「そんなことさせないぞッ!」
少年は慌てて神様に飛びかかるが、寝起きでは流石に神様には勝てない。神様は軽い身のこなしで少年のタックルを避けてしまう。
しかしその反動で神様はクマのぬいぐるみを落としてしまった。
「うわぁしまった、このぬいぐるみをお前の兄ちゃんが瑞穂ちゃんに届けてしまったらせっかくかけた呪いが消えてしまうー」
「に、兄ちゃんが? よし、良いこと聞いたぞ!」
少年は素早くクマのぬいぐるみを拾い上げ、兄の部屋に駆け込む。
兄はちょうど学校に持っていく教科書の準備をしているところだった。少年は兄にぬいぐるみを半ば無理矢理押し付けて言う。
「兄ちゃんこれ瑞穂ちゃんに渡してー!」
弟の突然の乱入に兄は困り顔。
「えっ……なんでだよ、自分で渡せば良いだろ」
「兄ちゃんじゃなきゃダメなの! じゃないと瑞穂ちゃん死んじゃう!」
「ええ……分かった分かった、良くわかんないけど渡すよ」
兄がしぶしぶぬいぐるみを受け取るのを見届けると、神様はそそくさと少年の家から出ていってしまった。
二日目午後8時ごろ。
楽しみにしていたアニメも見終わり、少年がお風呂に入っていると突然お風呂場の窓が開いて神様がひょっこり顔を覗かせた。
「やぁ少年」
「なにしてるの」
「今から瑞穂ちゃんを呪い殺します。その宣言をしに」
「ちょっ、ズルいぞ! 僕お風呂入ってるのに!」
「うーん、じゃああと10分待ちます」
「よし! うおおおおおお!」
少年は大袈裟な叫び声を上げながら頭をガシガシ洗い始めた。
「じゃあ俺も浸かって待ってるか」
雄叫びを上げながら体を洗う少年を横目に、神様はちゃっかり湯船に体を沈める。途端に湯船のお湯は白く濁ってしまった。まるで米のとぎ汁のようだ。神様は田の神様なので、お湯に浸かるとついついお米成分を放出してしまうのである。神様は少年にお湯の濁りがバレないよう、さり気なく浴槽に蓋をして顔だけを外に出した。
お風呂がよほど気持ち良かったのか神様はなかなか浴槽から出ようとせず、結局少年と神様がお風呂を出る頃には約束の10分をとうに過ぎていた。
神様は焦ったようにジタバタしながら少年を急かす。
「ヤバイヤバイ! 早くしないと……」
「よし! いつでも来い!」
バッチリパジャマに着替えた少年。体から湯気を出しながら神様の前に立ちふさがる。
「よし行くぞ、やー!」
神様は両腕を前に突き出し、少々恥ずかしそうに声を上げた。
しかし少年はきょとんとするばかり。
「なにしてるの?」
「今瑞穂ちゃんに呪い電波を送っています」
「あっ! ちょっと止めろよ!」
「ダメダメ。もう送っちゃったもん」
「なんだよそれ、ズルいぞ!」
「あーあーこのままだと瑞穂ちゃん死んじゃうな、可哀想に。でもお前の兄ちゃんが瑞穂ちゃんに電話をしたら、俺の送った電波が妨害されて助かるかも」
「に、兄ちゃんが? よし、良いこと聞いたぞ! 兄ちゃーん!」
少年は兄の部屋に飛び込み、勉強をしていた兄に飛びつく。
「兄ちゃん! 瑞穂ちゃんに電話して!」
「……なんでだよ、なにか用があるなら自分で電話すればいいだろ」
「ダメなの! お兄ちゃんじゃなきゃダメなんだよ!」
「なんでだよ、用も無いのに電話なんてできないだろ」
「用なんて何でも良いよ! 電話しないと瑞穂ちゃん死んじゃう! 死んじゃうよ!!?」
「お前それこの前も言ってたよな。学校で流行ってんの?」
兄は少年の必死の願いを受け流すようにヘラヘラ笑うばかり。一向に電話を手に取ろうとしない。
神様は兄の部屋の扉から顔だけを覗かせ、意味深なカウントダウンを始めている。
感情が高ぶった少年は、とうとう地団駄を踏みながら涙を流してぐずり始めた。
「はぁやぁくぅ!! じゃないと瑞穂ちゃんっ、じんじゃうのお!!」
「えっ、何泣いてんだよ。近所迷惑だろ」
「はやくはやくはやくはやくはやく!! じんじゃう、じんじゃうからぁ!」
「わかった、わかったから! もうなんなんだよ……」
ぶつくさ言いながらも兄は携帯電話を手に取り、これから戦場にでも行くのかと思うくらい深刻な顔でボタンを押す。しばらくの沈黙の後、普段よりトーンの高い声で兄が話し始めた。
「……あっ、もしもし……俺だけど……ああっと、今ちょっといいかな……えっ、寝るとこだった? ご、ごめんなら良いんだけど……少しなら良い? あっ、ごめんね……うん、大した用じゃないんだけど……」
どうやらちゃんと電話できたようだ。
ホッとする少年。しめしめと笑う神様。
神様は「最低10分は会話しろよ」と吐き捨て、そそくさと家から出ていってしまった。
三日目、四日目、五日目、六日目……
少年はやる気満々。おもちゃのバットと自転車用ヘルメットで武装して待っていたのに、神様は少年の前に姿を現さない。
七日目。
四日間も神様が来ないせいで少年も緊張感を無くし、神様との約束も半分忘れかけていた。
いつものように夕方のアニメを見終わり、母に呼ばれて少年は食卓に着く。今日のご飯はさんまの塩焼き。少年にとって特に好物でもないけどガッカリご飯でもない、至って普通の夕食だ。
しかし一口食べて、少年は驚きのあまり目を見張った。この世のものとは思えないほど美味しかったのだ。とは言っても美味しかったのはさんまではない。茶碗に盛られた白米である。
「お母さんこのお米どうしたの……?」
「ああ。このお米ねぇ、昨日お兄ちゃんが商店街の福引で当ててきたの。一緒に当たった遊園地のチケットを使って、今日はお友達と遊園地に遊びに行ってるのよ」
「……ぼ、ぼくちょっと用事思い出した!」
「え? ちょ、ちょっと」
食事の途中だというのに、少年は箸をおいて家を飛び出してしまった。
向かったのはもちろん神様のいる祠だ。
「神様! いるんでしょ、出てきてよ!」
そう祠に向かって叫ぶと、神様は寝ぼけ眼を擦りながら祠から這い出てきた。
「なんだよ、今日は朝から忙しかったから眠いんだけど」
「神様、お兄ちゃんになにかしたでしょ!」
「……何の話かな?」
「とぼけたって駄目だよ。あのお米、神様が小細工しないとあんなに美味しくならない! 美味し過ぎて不自然な味になってたよ」
質問にも答えずそっぽを向く神様に少年が詰め寄る。
その時、背後から迫る足音を感じて少年は振り返った。
「……こんなとこでなにやってんだ?」
祠にやって来たのは少年の兄だった。なんとも驚いた顔で少年を見下ろしている。少年も驚きのあまり口をポカンと開けて兄の顔をじっと見つめた。
「お兄ちゃんこそ、なんでこんなとこに?」
「いや、まぁ、お礼……というか」
兄はそう言って手に持っていた袋を軽く上げた。袋には高級チョコレート「GODOVA」のロゴが印刷されている。高級チョコレートが似合うとは言えない小さな祠に、兄は「GODOVA」を供えて手を合わせた。
「神様に一体なにをお願いしたの?」
「いや、その……恥ずかしいんだけど……瑞穂ちゃんと付き合えますように、って」
兄は真っ赤な顔を背けながら小さな小さな声でそう言った。
その瞬間、少年はようやくすべてを悟ったのだった。
「おっ、お前にも助けられたから! やるよ! じゃあな!」
そう言って少年にもチョコレートを押し付け、兄は小走りに山を下って行く。
残された少年と神様は夕暮れの薄暗い山の中、二人並んでチョコレートを頬張る。先に口を開いたのは少年だった。
「なんで僕に教えてくれなかったのさ」
「なにが?」
神様はとぼけたように首を傾げる。
少年はチョコを乱暴に齧り、不貞腐れたように頬をふくらませた。
「なにがじゃないよ! お兄ちゃんを焚き付けるために僕を利用したんだろ? 言ってくれたら協力だってするのに」
「お前のあの必死さや迫力は演技じゃ出ないだろ。あれくらいしないとお前の兄は行動しないと思ったからさ。まぁでも、あいつも案外やればできる男だったな」
「だからってあんな物騒な嘘つかなくても……」
「あんなバレバレの演技を見破れないお前もどうかと思うぞ」
神様はそう言って思い出したように吹き出した。
少年は神様に言い返したりはしなかったものの、相変わらずムスッとした顔をしている。
「ねぇ、またお風呂入りに行っていい?」
神様が尋ねると、少年はそっぽを向いて冷たく突き放した。
「ダメだよ。神様が入るとお湯が濁るんだもん」
「あっ、バレてたか。でも米のとぎ汁は肌にいいんだぞ」
「……嘘だよ、入って良いよ」
こうして仲直りした神様と少年は、また一緒にお風呂に入ったりお菓子を食べたりするようになった。
そして神様は、少年が神様をやっつけるためにおもちゃのバットを用意していたことを知って、もうあまり少年を怒らせるようなことはしないでおこうと密かに思ったのだった。
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