俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない(ver先山芝太郎)
俺にはみっつ年下の妹がいる。いや、今となっては「いた」と言った方が正確だろう。
なんともありがちな話だが、妹は17歳の時に当時付き合っていた年上の男の子供を身籠った。親達は堕胎を勧めたが、妹は決して首を縦に振らなかった。その年で未婚の母になるつもりなら、親子の縁を切ると親父に言われて、妹はそのままもう二度と実家の敷居を跨ぐことはなかった。
奴の通っていた「名前が書ければ誰でも入れる」レベルのド底辺ヤンキー高校は結局本人不在のまま中退することになった。親父もおふくろも妹を探そうとはしなかった。俺が奴と密かに連絡を取り合ってることを知っていたのか、それは分からないが、どうせその内根を上げて自分から戻ってくるとタカを括っていたのだろう。どうしようもない親だ。
これもまた極めてありがちな話だが、高校中退の妹が働ける場所なんぞ、まあ水商売か風俗くらいしかなかった。せめてもの矜持か具体的にどういう仕事をしているのかは決して口にしなかったが、たまに会うと化粧や香水や煙草や酒の匂いをいつもぷんぷんさせていたところからしてキャバ嬢かホステスでもやっていたんだろう。
女の方が概ね酒に強いものだが、仕事柄飲むことが多かった妹は泥酔して注意力散漫な状態で家路につくことも多かったのだろう。死因は交通事故。加害者は若い大学生だった。前途ある若者の未来をぶっ潰して死んでいくとは、なんともはた迷惑な女である。
奴が事故にあったと連絡が来たのは驚くべきことに民生員を勤める女性からだった。優良企業に勤めている俺に自分のような妹がいると知られると外聞が悪いと思ったのだろうか。兄の存在を奴は誰にも伝えていなかったらしい。本当に馬鹿な妹だ。しかし「水商売で生計を立てる不出来な母親」としては、奴の立ち回りは悪いものではなかった。
奴は児童相談所や民生委員に「息子は自分の手で育てたい。しかし虐待や育児放棄をしてしまわない自信がない。事情があって頼れる家族はいない。だから自分のことを監視しておいて欲しい」とあらかじめ伝えていたらしい。だから児童相談所の担当者も、民生委員もしょっちゅう彼女の家を訪ねて様子を見に行っていたのだそうだ。了承を得て緊急時の連絡先も民生委員の女性にしていた。
実家の連絡先を調べた彼女は、まず実家に連絡をしたらしいのだが、「勘当した娘のことなど知らない」と突っぱねられ愕然としたらしい。死んだ後まで意地を張る必要なんてなかろうに、どこまで馬鹿な親なのだ。とにかくそこで兄である俺に連絡が来た。奴が息を引き取った次の日のことだ。どうやら奴の携帯電話の中に「お兄ちゃん」という名前で俺の連絡先が登録されていたらしい。民生委員の女性は俺の名前も知らなかった。
最初は「オレオレ詐欺か?」と疑ったくらいだが、あいつの息子の名前を出されたことと特に金のことを何も言われなかったこともあって、取るものもとりあえず俺は指定された病院に駆けつけた。
「ともかず」に会ったのはそれが最初だった。奴が勘当されたあと、妹と顔を合わせたことは何度もあるが、「父親に似てるからお兄ちゃんはきっと嫌な気分になるよ」と言って連れてきたことは一度もない。言葉通りの意味だったのかも知れないし、子育てに関して実家を絶対にアテにしないという奴なりの矜持だったのかも知れない。会う度に生活費の足しにしろ、と諭吉を何枚か渡しても奴は決して受け取らなかった。しょうがないから流行りの特撮ヒーローの玩具を現物支給してやったらしぶしぶ受け取っていた。その玩具をどのように説明して顔も合わせたことのない甥っ子に渡していたんだか、今となっては分かったものではない。それは永遠に謎のままだろう四歳そこそこの子供にその説明を求めるのは酷というものだ。
で、まあ、会ってみればなんということはない。確かに知らない他人の面影もあったが、妹の面影もしっかりとある。まあ、こういうのは自分では分からないものだ。俺と妹は子供の頃から似ているとよく言われたものだが、俺達自身はまるで釈然としなかったし、それと似たようなものだろう。
「ともかず」は顔立ちからか、それとも同じ女の股から産まれたという何がしかのオーラを見て取ったのか、俺が奴の縁者であることをすぐに理解した。奴と比べると随分利発なガキだった。「もしかしてギョクサイジャーのおじさん?」と呼ばれて、確かに縁戚としての呼称は伯父なのだが「おにいさんだ」とすぐさま訂正した。二十代半ばの俺はまだおじさんと呼ばれたいお年頃ではない。
それから、「これからはおとうさんと呼びなさい」、と、ごくごく自然に口にしていた。
我ながら考えなしだな、と思う。血は争えないものだ。
***
妹の死亡届を出してすぐ、「ともかず」と養子縁組の手続きを取ることにした。親父もおふくろも俺がシングルファーザーになることに猛反対したが、「じゃあ俺とも勘当するか」と言ってやるとあからさまに怯んだし、「あんたらが勘当なんて言わなきゃあいつは死なずにすんだ」という言葉が止めになったようだ。
俺自身そんな言葉は口にしたくなかった。歴史だけじゃなく、人生にもIFは存在しない。今更そんなことを言っても仕方ないと後悔はしたが、言わずにはおれなかった。
しかし人が一人死ぬ、というのは、人が一人産まれる、よりもよっぽど大変だ。奴は何かあった時のために遺書らしきものを書いていた。葬儀はやる必要はない、改名も必要ない(戒名と書きたかったんだろうが馬鹿だからしょうがない)、貯金は全部「ともかず」の養育費に充てて欲しい、などなど、書いてあったが、誤字だらけだったしそもそも遺書っては公文書だ。こんな走り書きみたいなものは遺書として大体認められない。
ごくごくささやかなものだが、葬儀くらいは開くことにした。そもそも二親等が死んだのに供養の一つもやらないとなってはそれこそ外聞が悪いし、諸々の手続きをするための休みが取れない。
葬儀のあれこれについては両親を頼れなかったので、会社の上司や民生委員、また一族の墓に納骨するに叔母に色々聞いた。が、彼らもあまり詳しいことが分からなかった。だが葬儀屋の言われるままにしてぼったくられては叶わない。妹の貯金も、今後の俺の給与もこいつの養育費や学費にあてなきゃならんのだ。
しかし救いというのは意外なところから現れるものだ。そこで口を出してくれたのが同じアパートで一人暮らしをしているおばあさんだった。子も孫もいない独居老人にとって、隣の部屋にする二人きりの母子は気になる存在で、実際「ともかず」を預かってくれたり、料理のロクに出来ない妹を心配して食事を余分に作ってくれていたりしたらしい。
彼女には先立った夫の葬儀の際、諸々の手続きをした経験が豊富にあった。これはいらない、あれはいらない。戒名は配偶者がいればそれに合わせるけど、妹さんには旦那がいなかったから最低限でいいだろう、お通夜の料理やら仕出しやらは来る人数が少ないからいらないね、と葬儀屋顔負けの勢いでぱすぱすと決めてくれた。結果葬儀の費用は本当に最低限で済んだ。
葬儀には叔母さんと、民生委員のおばさんと、児童相談所の担当者数名と、被認可保育所の先生、件の老婦人、それからいきなり妹の子供を引き取るなんて言いだした俺を心配した上司が顔を出してくれた。それと同業者のママ友がたった一人だけ。商売柄、ママ友社会でお互い嫌われ者だったらしく、仲間を失った彼女はわんわんと泣いていた。民生委員のおばさんも、児童相談所の担当者も、保育所の先生も、老婦人もみんな泣いていた。
親父とおふくろは結局姿を現さなかった。まあ、俺としても自分で娘を捨てておいて今更どの面下げて顔を出せるんだって心境だったし、それについてはむしろ大歓迎だった。
世間様に誇れる生き方ではない、と奴は思っていたのかも知れないが、死んだら泣いてくれる人がこれだけいるなら、お前はお前の生き方を誇っていいんだよ、と、綺麗に死に化粧をしてもらった妹に心の中で語りかけた。外聞が悪くたって、俺はちっともよかったのに。どうせ世間じゃクズ扱いなんだから、金の無心くらいしに来いよ。子供のためならなんでもするのが母親だろ?
***
なんにしても、その葬儀をきっかけに俺の交友関係は変な方向に広くなった。独居老人と奴のママ友は心配だから連絡先を聞いておいたし、民生委員のおばさんにはそもそも連絡先が割れている。子育ての経験のない俺にとって児童相談所の職員や保育所の先生などの専門家は何かあった時に話を聞ける相手になるだろう。奴には品ってものはなかったが、愛想だけはよかったから、彼らも何かと気にかけてくれている。
今まであったこともなかった上司の奥さんには俺の顔が気に入ったんだか、義務もないのに妹の息子を引き取ろうという心意気に感激したんだか、「何かあったら連絡してね」とケー番とメアドを押し付けられた。
それと、もう一人、俺には知人が増えた。
何とも因果な話だが、妹を撥ねた大学生の青年である。
目撃者も数名いて、酔っぱらった妹が歩道からふらふらと出て来たところに運悪くぶつかってしまった、というのがことの顛末らしい。誰がどう見ても明らかに妹が悪い。彼なりに救命措置も行ったらしいし、すぐに119番と110番に連絡したらしいが、どうにもならなかった。
客観的に見ても主観的に見ても彼に非はないが、彼はもちろん、彼の両親も一緒に、俺に泣きながら土下座して許しを乞うた。だが、残念ながら許すだのどうこうという話をするのは、俺ではない。「ともかず」だ。俺は彼と彼の両親と話し合って、将来「ともかず」が大人になって、物事の分別がつくようになったら、恨み言を聞いてやって欲しい、一発くらいなら殴られても我慢して欲しい、と言った。青年は何も言わずにもう一度土下座した。
裁判についてもこちらから示談を申し出た。そもそも彼に非はないわけだし、正直妹のアパートを引き払ったり、相続や養子縁組や銀行の手続きなどやることがやまほどあるのだ。とてもじゃないが裁判なんてやってられない。自分が飲み過ぎたせいで前途ある若者の未来を潰すのは妹だって本意じゃないだろうし、何より裁判が「ともかず」に無用な不安を与えるのを心配するだろう。我ながら身内が死んだのに淡泊だとは思うが、死人は何も思わない。生きてる人間が納得出来ればそれで良いのだ。
弁護士の話では、示談の結果がどうであれ青年が刑事責任を問われることはまずないだろうと言っていた。だから熱心に示談交渉をする必要はないのだが、青年の両親は、うちの馬鹿親どもと違ってとても情の厚い人だった。シングルファーザーになる俺に何かと助言してくれたし、青年は将来、「ともかず」がどんな進路にでも進めるように、今から貯金を始める、と宣言していた。俺はそこまでしてくれなくてもいい、と言ったが、そうしなければ彼が自分自身を許せなかったのだろう。今時あり得ないくらいの好青年だ。妹の交友関係は狭かったようだが、その狭い交友関係でも彼女は良縁を得ていた。加害者にすら恵まれているとは、なんともなんとも、因果な話である。惜しむらくはそれが生前に発揮されなかったことだろうな。
***
俺と「ともかず」だが、どうにかうまくやっている。俺の顔立ちが奴に多少似ているというのもあるだろうし、「ギョクサイジャーのおじさん」――ではなく「ギョクサイジャーのおにいさん」であったのもこのガキが打ち解けるとっかかりになったのかも知れない。
とはいえ、子供を一人育てる、というのは大変なことだ。「ともかず」を俺の戸籍に入れる手続きからして相当大変だったが、俺は昼間仕事に出ているわけで、以前住んでいたアパートからは距離が離れているから保育所も探さなきゃいけないわけで、ご存じのとおり今時分保育所は大体どこだって満員なわけだ。
叔母は遠方に住んでいるし、上司の奥さんは預かってあげるわよ、と気安く言うが、まさか上司の家に自分の息子を預かってもらうなんて恐ろしい真似が出来るはずもない。仮に出来たとしてもせいぜい一日二日のことだ。
幸いうちの会社は福利厚生がしっかりしており、会社に託児所があったので、保育所が見つかるまではそこで預かってもらうことになった。ただ本来は毎日子供を預けるような場所ではないので、祖父母は頼れないのか、と文句を言われたが、そこは事情を把握している上司がとりなしてくれた。
そういうわけで俺が仕事中の「ともかず」のことについてはひとまずどうにかなったのだが、そもそも男の一人暮らしのワンルームに、いつまでも小さな子供を住まわせておくわけにはいかない。せめて2DKの部屋くらいは借りたかった。
さらに大変なのは家事だ。四歳の子供に手伝いなんて期待出来ない。食事は今までのようにインスタントやコンビニ弁当で済ませるわけにもいかないし、食器やゴミや脱いだ服をを出しっぱなしってわけにはいかない。衣服を初めとする小物も増えるし、「ともかず」がおねしょをするので洗濯の回数が増える。服については奴のママ友の子供が一つ上だったので、古着を融通してもらってどうにかしている。女の子の服だけど、まあ、それは……しばらく我慢してもらおう。いや、学校に上がる頃にはどうにかするつもりだが。
そんなわけで、今までのように頻繁に残業をするわけにはいかなくなった。定時で帰れるようにとにかく仕事の効率を上げた。俺が営業職でなかったのは幸運と言うほかない。そんな訳で俺は出来る奴と認識されるようになったのだが、「ともかず」のために休日出勤や残業で予定が崩れるのを出来るだけ避けたいと上司に申し出ている。付き合いも悪くなった。
出世はもう期待出来ないかも知れない。「ともかず」とうまくやっていけるような奇特な奥さんが出来れば話は別だが、ただでさえ「あなたといてもつまんない」「本当に好きなのか分からない」とか言われて振られて来た俺だ。ただでさえこれから出費が多くなるのに、頭が痛くなってくる。
それでもなんとかなったのは、「ともかず」が出来のいい子供だったから、と言う他ない。俺が料理に失敗しても文句ひとつ言わずに食べたし、玩具やお菓子を欲しがってだだをこねたりもしない。まあ、一緒の布団に寝ていて粗相をされるのと、母恋しさの夜泣きには多少辟易したが、それは当たり前のことらしいし、可愛いものだ。
だけど、もう少し我儘を言ってくれてもいいんじゃないか、と思うのは俺がおかしいのだろうか。妹が出来なかった分まで、俺を頼ってくれてもいいのではないか、と、そう思うのは、俺の我儘なのかも知れない。
***
そんなこんなで一年が経った。
「ともかず」はたった一年でずいぶん大きくなった。口数も大分増えた。口調がなんとなく妹に似てきた気がする。俺は料理も家事も、家計の管理も、大分手慣れて来て、料理はほとんど失敗しなくなった。
妹の葬儀で大泣きしていたママ友は、奴の葬儀からの縁で、保育所の先生と結婚することになったらしい。ああ、もちろん保父さんだ。彼女はもう、水商売はすっぱりやめて、落ち着くまではパートをしながら主婦をやるつもりだそうだ。出来れば何か資格を取れたら、と言って勉強もしているらしい。ま、その方がよっぽど健全だよな。
独居老人のおばあさんは、世話を焼く相手を亡くしてしばらくふぬけていたらしいが、よくわからんが何かのボランティアを始めたらしい。「年寄りの冷や水」なんて言ったら怒られた。まああの調子なら大丈夫だろう。女ってのはババアになっても逞しい。まあ、いつ何があるかわからんから、死に水くらいはとってやるよ、と善意から申し上げたらさらに怒られた。百まで生きるな、この婆さん。
民生委員のおばさんとは時々連絡をとって、相談に乗ってもらっている。というより、反抗期の息子への対応について、むしろ今は俺が相談に乗っている。今度「ともかず」も連れてお茶を飲むことになっている。何か、反抗期の息子の進路相談に乗ってやって欲しいらしい。どうやらおばさんの中で俺は大分美化されているようだ。
上司とその奥さんだが、「ともかず」にかかりきりで彼女を作ろうとしない俺にしょっちゅうお見合いの話を持って来ようとする。気にかけてくれているのは有難い。有難いのだが、ありがた迷惑という言葉を教えて差し上げたい。今は色恋沙汰より息子が第一なのだ。まあ、「ともかず」がもう少し大きくなって、新しい母親を受け入れられそうなら考えます、と今のところ躱している。
児童相談所の職員たちは、もう俺に構っている場合ではないらしい。ちょっと毛色の違う職業の友人、という程度の立ち位置である。とはいえ、彼らから聞く仕事の愚痴は何かと生々しくて、身につまされるところはある。そういえば「ともかず」のおねしょについて相談してみたら、「脳が発達途上にある証拠だから、おねしょが治るのが遅い子はむしろ賢くなる事が多い」とのなんとも心強い返答が帰って来た。
親ばかかも知れないが、「ともかず」は利発な子だ。当面、シーツを洗濯する回数は減らないだろう。俺からすれば切実な問題なのだが、彼らはいつも「あんたのつまらん愚痴を聞いてるとほっとする」とこぼす。子供が好きだからこそ、精神的に過酷な仕事なんだろうな。今度何か差し入れでもしよう。いや、公務員にそういうのはダメだったか?
”加害者”の大学生とは、時々飲みに行って近況を報告し合っている。どういう心境で妹を殺した相手と飲みに行くんだ、と言われそうだが、お互い心配だし、何よりなんとなくウマが合う。
刑事責任が問われなかったとはいえ、事故の件があったから心配だったが、親の伝手で就職が決まっているらしい。妹のへまに巻き込まれた若者の前途の多難が一つ潰されて喜ばしいことだ。後は事情を理解した上で連れ添ってくれる嫁を見つけて欲しい。俺にだって父親としての矜持があるから、貯めている金は自分の子供に使うと気持ちを変えてもらえないだろうか。
まあ、本人には当面彼女を作るつもりがないらしい。――というか時々、俺を潤んだ目で見つめてくるんだが――もしかしてこいつ――いや、まさかな。偏見はないつもりだが――うーん、男三人の家族ってのはちょっとむさ苦しいから遠慮したいものだ。
叔母は遠方にも拘わらず時々「ともかず」の顔を見に来てくれる。やはり、生前姪っ子に何もしてやれなかったのが引っかかっているのかも知れない。「ともかず」も懐いているし、遠のいていた縁がまた繋がるのは良いことだ。
ちなみに俺にも「ママ友」が沢山出来た。主に会社の同僚である。俺は知らなかったが、働きながら子供を育てている母親は思っていたより数多くいるらしい。まあ、シングルファーザーの俺は今のところ黒一点だが――愚痴を言いあったり、悩みを共有できる相手がいるのは心強いものだ。マダムからのボディタッチはちょっと勘弁して欲しいが。旦那にやれよ、旦那に。
とにかく、皮肉なことに、クズ扱いされていた妹は、最期に結構な置き土産を残して行った。それは息子という一人の人間や遺品や走り書きの遺書や手続きの手間だけではない。
奴の死を契機に、多くの人の生活が変わった。
それは、俺を含めて今挙げた人々に限ったことではない。
百が日に何もやらなかったので、一周忌の法要もやるつもりはなかったのだが、周囲の勧めもあって、簡単な法要をやることになった。
当初は叔母と俺と「ともかず」だけでやる予定だったのだが、どういう風の吹き回しか、親父とおふくろも来ることになった。この一年間、完全に無視していたのが相当に答えたのか、叔母達周囲の説得が功を奏したのか。まあ、一年も立てば多少態度も軟化するだろう。それでも妹を悪く言うなら仏前だろうと容赦なくぶん殴るがな。
いつもの女の子みたいなおさがりではなく、「よそゆき」の服を着せられた「ともかず」は、これから何をしに行くのか、無邪気に聞いた。
この年頃の子供に「死」というものが理解出来ているのか、俺は未だによくわからない。正直、俺にだって「死ぬ」というのがどういうことなのか、説明出来ないのだ。というより、多くの哲学者や宗教家がさんざ議論して未だに答えの出ていない問題を、俺なんぞに答えられるはずがない。
とりあえず俺は、無難な答えを返す。
「お前のお母さんが天国に行って一年経つから、仏様にお母さんをよろしくお願いします、ってご挨拶しに行くんだよ」
「ふぅん。ほとけさまとママはどこにいるの」
「それは、おまえ、天国だよ」
「てんごくは、どこにあるの?」
「それは俺も知らん」
「じゃあはかせは知ってる?」
「多分博士も知らないな。お坊さんも、となりのばーちゃんも知らないだろうなぁ」
手を繋いで歩きながら、俺と「ともかず」はそんな風に大真面目な顔で会話する。時々言われるのだが、俺達のこの表情がまるっきりそっくりらしい。道行く人には俺達が本当の親子に見えるのだろう。微笑ましげな視線がちらほらと送られてくる。
「そうなんだ。じゃあ、ママは凄いんだね」
「ほー、サトコがなんか言ってたか」
ああ、そういえば言い忘れてたな。妹の名前は「さとこ」。智子って書いてさとこ。俺の名前は太一。まんまたいち、だ。
で、「ともかず」は智一って書く。あいつの自称「遺書」に書いてあったよ。
「智一の一の字は、お兄ちゃんからもらいました。はずかしいからだまってけど。お兄ちゃんみたいに、まともにそだってほしかったから」
じゃあ自分の名前から文字持ってくんなよ縁起でもないとか、お前他に漢字知らないんじゃないだろうなとか、言いたいことは色々あったが。
「お兄ちゃん、だいすき。智一のことをよろしくおねがいします。お兄ちゃんがお兄ちゃんがなかったらコクってたよ」
全部吹き飛んだ。
妹よ、俺は恥ずかしいぞ。お前、ブラコンだったんだな。俺があの世に行ったらこのポエム……じゃなかった遺書、突きつけてやるわ。せいぜい恥じるがいい。
大体お前、ちょっと兄貴を買いかぶり過ぎだ。今まさに俺は、まともな人生コースから外れているからな。四分の一しか血の繋がってないガキを奇特にも引き取ってるんだから。
まあ、そんなことはいい。
てんごくとやらについて、お前が何を言ってたのか、お前の息子から聞いてやろう。
「あのね。ママはいつもお風呂に入るとおじさんみたいな声で言うんだよ。「はあぁ~、てんごく、てんごくぅ」って」
智一の物まねでその台詞を言った時のぶっさいくな顔面を容易に想像出来たもんだから、俺は思わず吹き出してしまった。いや、というか想像すると笑いが止まらん。ゲラゲラと笑う俺を見て、智一もよく分からないなりに楽しそうだ。
妹よ、どんなお偉方でも答えの出せなかった問題に、いともあっさり答えを出したもんだ。
親父どもが「智子なんてなんでこんな似合わない名前を付けたのか」なんて言ってたが、とんだ間違いだ。
アンドリュー・ワイルズよりもお前は賢いよ。まさに真理だ。可愛い我が子とゆっくり浸かる風呂。これ以上の天国はこの世にもあの世にもきっとないだろう。今の俺なら分かるぞ。
死が二人を分かった今でもお前は可愛い妹だが、世間様は国立大を職業し新卒一発コースで優良企業に就職した俺と奴を比較して、「出来の悪い子」だと言う。
でもな、俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない。
お前は世界で一番出来のいい、最高の妹だよ。
これは小説と読んで良いのでしょうか。
というより、小説の定義がよくわからなくなっている昨今でございます。