黄の章 08
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「買い物に行こう!」
午後4時を少し回った頃、いきなり竹が言った。
何の前触れもなく突然竹が声を上げたので、ぽかんと一瞬停止した佐藤と松田は、その直後に爆笑した。
「声! 声でけぇ」松田がゲラゲラ笑いながら言った。
「え? 嘘?」普通の声量で言ったつもりだった竹が佐藤に聞く。
「やばいでかかったって」笑いながら佐藤が答える。
「そんな馬鹿なっ!!」無意味に立ち上がってそれを否定した竹だったが、「あ、いや今のはでかかった」と照れ笑いをして座りなおす。
松田はそれを見て更に笑う。どうやらツボに入ったらしかった。
「まあとにかく買い物に行こう。食料も尽きたし、タバコも買いたいし」竹は佐藤に向けて言った。松田はまだ笑っているので、まともに返答できそうになかったからだ。
しかし、竹の発言に答えたのは佐藤でなく松田だった。
「えー、良いんじゃない行かなくて。もう出前とるっしょ?」
松田の意見に竹は首を横に振る。
「いや、出前を取るにしろ取らないにしろ、食料は必要だろ。どうせ深夜までこんな感じだろうし、今後の為にも。……てかお前はだるいだけだろ?」
「まあそうだけどー。てかKjも動きたくないでしょ?」松田が佐藤に同意を求める。
佐藤は甘えるような声で「動きたくなーい」と松田に同意した。
松田も佐藤もかなり良い感じに酔いが回っている。
だが竹はそんな二人の意見を一蹴する。
「駄目。今行きます」
「それはきついっしょー。完璧Sじゃん」松田が不満そうに言った。
「Sとか関係ないから。いやオレはSだけどね? でも考えてみなさい。逆に今行かないと後はもっとだるくなって絶対行かないだろ」
「あとで行くよ。ねえKJ」とにかく今は動きたくない松田が断固拒否する。
「うん」
「いや、オレはあとになったら行かない」
「何それ」竹の我侭発言に、さすがにむっとする松田。
しかし、その感情は竹の次の発言で一変する。
「てか行けません。さっきちょっと立ってわかったけど……オーレーはーいーまー膝にきてるの」右膝をぺちぺち叩きながら、間延びした声で、自分のライフが限りなく0に近付いている事をアピールする竹。
それに妙に納得したように頷いた松田が言う。
「ああ、じゃあ今動かないと二度と動けない系だ?」
「イエス」竹が頷く。
「じゃあ仕方ないかー」佐藤も納得したように言った。
「だべしょ。だから今行こう。はいっ、準備して準備。スタンダップ!」これ以上時間を置くとまた反対意見が出そうだったので、さっさと準備を始めさせる竹。
二人は竹に促されて「うーい」とダラダラと外に出る準備を始めた。
竹はそれを見て、買い物に出る方針が固まったと確信して、トイレを経由してから一度寝室へ戻る。
3分ほど後、竹はリビングへと戻った。
リビングには松田の姿はなく、佐藤だけだった。
「あれ、松は?」
「トイレ。って着替えたの?」佐藤が寝巻きから着替えて戻ってきた竹に言った。
「うん。外に出るし、さっきの寝巻き、なんか酒臭かったから」
「……それって酒こぼしたからじゃね?」佐藤が何言ってんの、という感じで言った。
「え?! オレ酒なんてこぼしたっけ? いつ?」
「こぼしたよー。最初の方」
「ん、ああ。そういえばこぼしてたなオレ。ってかやべぇ完全に忘れてたわ」
ほんの数時間前の記憶がすっぽり抜け落ちていた竹は、やばいな、という顔をして言った。
「やばいべ」佐藤も自分も含めて、この状態で今から外に出るやばさに同じような顔をする。
そこにトイレに行っていた松田が勢い良く戻ってきた。
竹と佐藤の視線が松田に向けられる。
「やっべぇ、超おしっこ出た。ってあれ?」
二人が自分を見ている事に気付いた松田が、何でこっち見てるの、といった顔をした。
「そんな報告はいらないから。てかおしっこ言うな」
「え? でもおしっこでしょ?」
「まあそうだけど」竹はそう言いながら佐藤を見て、こいつもやばいぞ、という顔を作る。
佐藤はそれに小刻みに頷いた。
「んじゃ行くか。準備は良い?」竹が二人に聞く。
「おっけーい。携帯はいらないっしょ?」松田がテーブルに置いていた財布をポケットに入れながら言った。
「いらないんじゃない? オレは一応持ってくけど」竹はそう答えて、佐藤と松田に先を歩くように促しながら玄関の方に向かう。
そして、松田は玄関で靴を履きながら、今更のように言った。
「竹着替えたんだ?」
竹は着替えた理由を説明せずに、「着替えた」とだけ答えた。
酒のくだりを2度説明するのがだるかったからだ。
玄関に鍵を閉め、三人はエレベーターを使って1階まで降りる。
エレベーターから降りた三人は無言だった。
何故なら、先ほどのテンションで外を出歩いたら、完全に不審者扱いされてしまうからだ。
つまり、ここからはどれだけ素面ぶれるかの勝負なのだ。
それを三人の表情が如実に物語っていた。
しかし、マンションの玄関から出た三人の表情は一瞬でおかしなものに変わった。
何故なら、大型の冷蔵庫が一人で歩いていたからだ。
それもずんずんと勢い良く三人の方へ向かってくる。
「へっ!?」松田が大げさに驚きを声で表した。
冷蔵庫が歩くなんて馬鹿な状況に、自分だけが幻覚でも見ているのかと心配になっていた竹は松田の驚き具合に安心する。
そして、「うるせぇよ。お前驚きすぎ」と突っ込んだ。
だが突っ込んだものの、目線は向かってくる冷蔵庫に目線は釘付けだった。
その冷蔵庫が竹たちの横を横切ったとき、
「あっ!」「んっ?」「おおうっ!?」
松田、佐藤、竹が三様の驚き方をした。
この時、一番煩かったのは竹だったが、皆それはスルーだった。
全員、そんな事に突っ込んでいる余裕もないくらい驚いていたからだ。
三人の驚きに、「へ?」という反応が返ってきた。
その声は冷蔵庫から、ではなく冷蔵庫を持っていた作業服の少年が発したものだった。
大型の冷蔵庫は歩いていたのではなく、その少年に運ばれている最中だったのだ。
「いいちゃんじゃーん。うぃいー」松田が真っ先にその少年に声をかけた。
「おおっ、まっつん。うぃいー。皆も何してんの?」
飯泉和典は大型の冷蔵庫を一人で軽々と抱えたまま、三人の顔を見てそう言った。
「うちらは竹んちで飲み。いいちゃんは?」
「引越しのバイト中」
「マジで? 大変じゃーん」
「大変だよー」
全く大変そうじゃないナイスなスマイルで応える飯泉に、竹が突っ込みを入れる。
「大変とかいいながら普通にそれ持ってるけどね」
「それ一人で持つとかマジ鬼でしょ」
松田が大型の冷蔵庫を見ながら言うと、佐藤が冷蔵庫を持ち続ける飯泉の二の腕を触りながら、「相変わらず良い筋肉してるねぇ」と言った。
小柄な体型にみっしり筋肉が詰まった鋼鉄の体を持つ、十三夜の肉体派……むしろ筋肉担当。
それが飯泉和典である。
飯泉の二の腕を触り続ける佐藤に続いて、松田も二の腕を触って言う。
「いいちゃんもこれから竹んち来る?」
「いやー、これからまだ一件仕事あるんだよねー」
「そっかー。じゃあバイト終わったら来ちゃいなよ」松田が親指でマンションを指しながら言った。
「何時に終わるかわかんないよ?」
「平気平気ー。明け方までいるつもりだから。ねえ?」松田が明け方までいても良いでしょ、という含みを持たせて竹に話を振る。
竹は一瞬、こいつら明け方までいる気か、と思わなくもなかったがテンションに身を任せて飯泉勧誘の流れに乗った。
「何時でも良いから、顔だけでも出す感じで来たら? あとでおいちゃんとか本とかも来るから」
「……じゃあせっかくだから、仕事終わったら行くよ」
飯泉が了承すると、「ケンジ触りすぎ」と竹が佐藤に突っ込みを入れた。
佐藤は、自分がほぼ無意識で触り続けていた事に気付いて、漸く飯泉の二の腕を触るのをやめた。
「かなり酔ってるね」飯泉が苦笑いしながら言った。
「いやー、かなりきてるねー。でもまだまだこれからだから」松田が酒を飲むジェスチャーを飯泉に見せる。
「いくねぇ」
飯泉は比較的まともそうな竹を見て言ったのだが、飯泉の期待に反して「いっちゃいますよ」という答えが返ってきた。
既に酔いが回って竹もまともではなかった。
とはいえ、飯泉がバイト中だというのは承知していたので、竹は「それじゃあ、とりあえずまた後で」と言って会話を切り上げられるようにした。
すると飯泉はややほっとした様子で、「じゃあまた後で」と言って、持ち続けていた大型冷蔵庫を苦にした様子もなくマンションの中へ入っていった。
三人はそれを見送ると、やっぱいいちゃんはすげぇなあ、という全く同じ感想を抱きながらコンビニへ歩き出した。
その頃には、素面ぶるというお題は三人の頭からすっかり消え去っていた。
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