破綻少女 20
破綻少女
夢を見た。
獣臭い、下卑た笑みを浮かべる一人の青年。
行儀の悪い犬のように涎を垂らす口の中には、鋭く尖った犬歯。
そして充血した真っ赤な瞳。
その姿はまるでこの仮装の日の為に誂えたかのよう。
何か忘却していた過去を視ているような一人の少年。
月明かりの閉ざされた夜空の下で、虚ろに色付く銀色の瞳。
その瞳に私は映っていない。
地に落ちた黄色い傘を叩く雨音。
獣の牙が突き刺さる。
首筋に鋭い痛みが走り、冷えた温血が滴る。
悍しい浮遊感と高揚感。
懐かしい慨視感。
そして、馬鹿馬鹿しい達成感。
漸く、私の瞳に映る彼の瞳に、
私は映る事が出来たのだ。
それが悲壮と後悔の混じったものでも、
私には嬉しかった。
意識を失う瀬戸際の境界線。
唐突に屋敷の硬い門から飛び出してきた、赤い着物を着た銀髪の少女。
彼女の腕が獣の頭を掴み、私と獣が引き離される。
「燃え尽きていろ、下郎」
灼熱の業火を乗せたような彼女の言葉。
断末魔の叫びすら出す猶予もなく、
忽ち、獣が紅い炎に包まれる。
ちりちりと、体の内から舞い上がる明々とした火の粉。
私には、それがランタンのように見えた。
――ああ、今日はハロウィンだったっけ。
*
竹は頭痛に悩ませながら、下駄箱で上履きに履きかえる。
その原因は飲みすぎによる二日酔い、だけではない。
昨日、竹が紅葉とメイド二人と一緒に自宅へ戻った時、佐藤が最初に持ってきた酒は、夜たちのパーティーの終わりを暗示しているようになくなっていて、その代わりに深翠、蒼香、アレクサンドラの三人がリビングにしっかりと補充されていた。
それぞれの手に酒を用意して。
険悪とはまさにこの事。
その空気に十三夜の全員、酔いが完全に醒めている様子だった。
「ごめんなさい」
竹はもうその言葉しか浮かばずに、その様子をみた瞬間に謝った。
各方面に向けて。
しかし、謝って許されるのなら警察はいらない。
当然の如く、竹は全員から烈火のような非難を浴びた。
まあそれも自分で蒔いた種なので、竹は粛々とそれらを受け止めるつもりだったのだが、それよりも先にやることがあったので、それは後回しにした。
有り体に言えば逃げたのだが、やることがあるのも本当だったのである。
その為に、まず竹はリビングに深翠、蒼香、紅葉、アレクサンドラとメイド姉妹を残し、十三夜のメンバーを寝室へと案内した。
残された者たちから抗議の声があがったが、それは紅葉に説明させることで、どうにか収めることができた。
そして、十三夜の面々が寝室に入ると、ベッドの上には竹が戻ってきてリビングへ入る前に寝かせておいた、荒川宿禰の姿。
それを見た時、当然、その場にいた全員が白い目で竹の事を見たが、その後の必死の説明によりなんとか、その状況を納得してくれた。
それから十三夜全員で30分ほど会議。
結論からいえば、宿禰をその日のうちに救うことは出来なかった。
情報が圧倒的に不足していて、宿禰が今現在どうなっているのか、よくわからなかったのだ。
なので、昨日はとりあえず当面の処置として、宿禰のその夜の記憶の忘却、及び身体へ帯びていた、異常性に対する抑制を入念に施しただけに留まった。
ちなみに、その時の処置は誰も手伝ってくれなかったので、竹が一人でやった。
そして治療はその後、もっと情報が集まってからというのが全員の出した結論である。
まあ幸いにも宿禰が、ああなった原因。
紅葉曰く出来損ないの鬼になったらしいが、その原因と思われる青年の死体(かなり焼け焦げているので、研究資料になるのかは不安だが)はあったし、それに関連して『D&』という薬も竹が購入したものがあったので、それだけあれば『意外精神』石渡直也が治療方法を見つけ出してくれるだろう。それに大木が宿禰の治療に対して、異常な意欲をみせていたし。
その会議を終えると、竹以外の十三夜のメンバー全員帰宅モード。
竹は全員にまだいてくれ、と必死に懇願したが聞き入れられず、全員さっさと帰ってしまった。
彼らが帰る時「薄情者どもめ」と竹はお門違いな恨み言を吐いてみたが、
脇に「いや、あんたが最低だからーー!」と実に正論で返されて、ぐうの音も出なかった。
宿禰は同じ高校に通っている本多、松田、大木、そして宿禰の自宅を知っているという八坂真実が、足とお目付け役を兼任して車で送っていった。
誰に対してのお目付け役かは、言うまでもなく三人ともである。
しかし、何故八坂真実が宿禰の自宅を知っていたのかは謎だ。
十三夜のメンバーが帰った後、それからの時間と空間は竹にとって真実地獄でしかなかった。
もう飲むまいと思っていたのに、翠、蒼、紅、橙の少女がそれぞれ持参してきた、酒を注がれては断れず、
激しい戦火の中心地に置かれ、
更に発射される言葉の矛先は最終的には竹に向けられて、全弾着弾。
それが、おおよそ3時間。
針のムシロからサンドバック、そして肉食獣たちの餌へと成り果てたその間に、竹が発した言葉は三つ。
『はい。その通りです』。
『全て僕の責任です』。
『ごめんなさい』。
竹はその時、初めて本気で死にたいと思った。
最終的に、4人の少女による戦火は広がりを見せただけで終結には至らず、丑三つ時を過ぎた頃に一時停戦という運びになった。
第一次大戦は、時間切れによる引き分け。
主な結果は、自らの規律と規則、信念をぶち曲げて、飲酒した者が2名。
そして、犠牲者が1名。
それが昨日の夜の話。
竹は、第二次大戦の勃発を回避するにはどうしたらよいか、ずっと考えていた。
そして、それがどう考えても不可能という結論しか出ない為に、頭が痛いのである。
本音を言えば、今日は自宅で静養して英気を養っていたかったのだが、昨日の今日で下手に休んだりなんかしたら、教室でお怒りであろう蒼いのと翠のの恰好の的である。
それに、宿禰の様子も気になる。
なので、竹はダブルの頭痛を抱えつつも、ちゃんと登校してきたのだ。
しかし、既に時計の針は3時間目に突入しているので、ちゃんと登校というのは疑問である。
憂鬱な表情で上履きを履き終えた竹は、のっそりとした足取りで教室へ向かう。
2年生の竹の教室は2階。
二日酔いの体を引きずり、ちんたら階段を上っていると、踊り場に差し掛かったところで階段の下からドタドタ、人の走ってくる音がした。
なんとなく、自分と同じ時間に遅刻してきた者に興味が湧き、竹は足を止めてちらりとそちらの方を見た。
「あっ」
「あ」
タイミングが良かったのか、悪かったのか、下から駆けてきた人物と竹の目が合う。
遅刻仲間は荒川宿禰だった。
宿禰はそのままテンポ良く階段の踊り場まで上がってくると、満面の笑みで、
「おはようっ」と普段にも増して元気よく挨拶してきた。
昨日の今日で、気まずい心持だった竹だったが、その笑顔を見て学校では珍しく自然と微笑み返す。
「おはよう。遅刻するのは珍しいね」
竹に微笑まれて、宿禰は顔の表面温度を上げながら答える。
「えへへ。実はさ、ちょっと昨日、バイトの帰りに具合悪くなって倒れちゃったみたいなの。それで一応、病院に行ってから登校してきたんだっ」
「そっか。それで登校してきたって事は平気だったの?」
竹は、宿禰が昨日の事をちゃんと忘れている事に安堵しつつ、体の方に異常がないか、さり気なく聞いた。
「うんっ。今は平気だよっ! っていっても私、自分が倒れた時の事とか覚えてないんだよね。だからそもそも自分が具合悪いって自覚ないんだー」宿禰は、あははー、と照れたように笑って言った。
「そりゃ、自分が倒れた瞬間は覚えてないんじゃない?」竹はその答えを聞いて、安心感を強めると、仲の良い連中にしか使わない、茶化したような口調で言った。
「うーん。そういう事じゃないんだけどね。でも良かったよー。丁度私が倒れた時、近所のお屋敷に住んでる人が見つけてくれてね? その人に家まで運んでもらったんだっ」
「あー、そうなんだ。そりゃ良かった」
宿禰は今の秋野の屋敷の近くに住んでいるらしい。
そして、だから宿禰はあんな時間にあの場所にいたのだろう。
二つ謎が解けて、すっきりした竹であった。
謎が氷解して気分の良い竹が、そろそろ教室に行こう、と言おうとした時、
「あ、そうだ!」
不意に宿禰が何かを思いついたらしく、竹を非難の目で見て言う。
「天倉君さっ。誰にも言わないでって言ったのに、話したでしょっ?!」
「……えっと? 何をでございましょう?」
昨日から非難の視線を浴びせられ、更に宿禰に初めてそういう視線を向けられた驚きも入り混じり、竹はもはやそれが条件反射のように敬語で返した。
「私のバイトの事! 本多君とか大木君とかに話したでしょ!? 昨日バイト先に来たんだよっ?!」宿禰は何か確信を持った口調で言った。
「あ、そうなの? でもそれで何でオレが本とかに話した事に?」
偶然とか、そういう考えは宿禰にはないのだろうか、と竹は疑問に思って聞き返した。
まあ、竹が宿禰のバイト先を、大木に教えたのは大正解なのだが。
人の口に戸は立てられないとは、よく言ったものだ。
竹に聞き返されて、宿禰は言葉に詰まり、呆けた顔をした。
「あれ? えっと……何でだっけ? ちょっと待って。今思い出すから……あっ、そうだ! 昨日、倒れた私を送ってくれる最中の車の中で、本多君たちが話してるのを聞いたのっ!」
「……」
――あいつら何してくれてんだ。
人の口に戸は立てられないとは、よく言ったものだ。
竹は、昨日の車の中で、宿禰の話題で盛り上がったのであろう三人の不注意に怒りを覚えつつも、そ知らぬ顔で誤魔化す。
「いや、それはないでしょ。何で本とかが荒川さんを送る車の中にいるのさ」
「……あれ? そうだよね? おかしいな。でも確かに聞いたような気が……」宿禰は自分の発言の不可思議に、困ったように首を傾げて言った。
竹はそのまま畳み掛けるように誤魔化しの言葉を紡ぐ。
「気のせいだよ」
「そうかなぁ?」
「そうそう」
竹はこのまま押し切れると踏んで、最後のダメ押しをする為に、咄嗟に頭に浮かんだ言葉を使った。
「夢でも見てたんじゃないの?」
「……夢?」
「そう。夢」竹はそう結論付けるように言うと、
「それじゃあ、そろそろ教室行こう」と続け、宿禰の事を見た。
暗々とした黒の中に白銀が潜む瞳に、宿禰が映る。
「――あ」
その瞳に映った自分を見た宿禰の中で、
ぱきり、と何かが壊れた。
「あーーっ! 思い出したっ! 思い出したよっ!!」
「なっ、何を?」唐突に大声を出した宿禰に、竹は動揺しながら聞いた。
「昨日の夜の事っ!!」
宿禰は戸惑いの表情を浮かべる竹を、嬉しそうな顔をして見つめて言う。
「は? え?」
「あははっ! 全部思い出しちゃった!! そっか、そっかー。そういうことだったんだー。あ、それじゃ私、先に教室行くねっ!」
宿禰はすっきりした顔でそう告げると、ただの少女とは思えない、速度と跳躍で一気に階段を上り教室へと駆けていった。
まさに電光石火。
踊り場に残された竹は、怒涛の事態に理解が追いついていない。
「……思い、出したぁ?」
竹は混乱した頭で、どうにか宿禰の先ほどの台詞を思い返すように呟いた。
それは、何度頭の中で反復しても気になる言葉だった。
*
黒き古書のページが進む。
第五幕。
人の血を吸う鬼になる少女の物語は、
破綻したまま全てを繋げて閉幕し、
物語は第六幕へ。
次の役者は、藍の矛。
神の複製品の物語は、
冬の氷で貫かれようと続いていく。
いつか来る、終幕を目指して。
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少女は、宝石が数多に散りばめられたオリハルコン製のベッドの上で、虹色の髪を撫でながら呟く。
「物語に登場するはずなかった人間が、ただ登場しただけでなく物語の中心になった。
そんな破綻した物語の上では、何も解決することは出来ないのね。
全く、なんていう無能なのかしら。
まあ少しは楽しめたから良いのだけれど。
私が手放して、何の介入もしなかった物語の結末としては上々だわ。
そして良い経験にもなった。
そんな事、私には最初からわかっていた事だけれど」
自分の言った言葉が可笑しかったのか、少女は口元を緩めた。
「例え破綻した物語でも、それは一つの物語の中だけ。
次の物語には影響しない。
あなたがどう足掻き、何を書き換えようと、それも私の手の平の上。
鏡のあなたは、私が映すべき実像を与えてあげなければ、何も映せないのだから」
少女は自分の名と同じ極光の天蓋を眺めて言う。
「さて、それじゃあ、次の役者を動かしましょう。
4年ぶりの再会。
ラストシーンは決まっているのだけれど、そこに辿り着くまでに、どんな歴史を見せてくれるのかしら。
――とても気になるわ」
『唯一の一』は黄金の瞳を細め、一人嗤う。
(了)
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