黄の章 18
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『D&』調査結果。
『D&』はカラフルな色をした錠剤型のドラッグ。
成分、効果は従来の錠剤型麻薬と殆ど変わりないのだが、この麻薬の特筆すべき点として販売価格の安さ(1錠1000〜2000)と常習性の高さ、更に不確定情報ではあるが、その効果の一つに身体能力、五感の強化が含まれていることが挙げられる。
ただし身体能力、五感の強化というのは、服用者の幻覚体験の可能性が高い。
摂取方法は経口。
『D&』の売人は奇数週の日曜午後22時、釜蔵駅付近に出没。
売人は21歳の薬学部に通う男子大学生で、出没する際の目印は黄色のパーカー。
背後に暴力団関係者はおらず、完全に彼が個人で製造、販売している模様。
両親ともに医者(父親は大学病院の教授、母親は開業医)で薬の材料、製造する際の器具、資金源での矛盾点はない。
彼自身も『D&』の常習服用者。
薬自体は夏頃から徐々に若者の間で流行し始めている。
これは10代後半〜20代前半にしか販売されていないことから。
推定使用者数は200〜300名程とかなり小規模だが、その8割以上が常習的に服用している。
新たに流通を始めたものだけに、現在警察の取り締まりは遅れを取っていたが、このドラッグに絡んだ暴行、傷害事件が10月中旬以降に水面下で上昇中。
それ故に、警察の方でも取締りを強化し始めている。
しかし、警察に摘発される前にどこかの組の手に落ちるだろう、というのが大方の予想。
事実、既にシマを荒らされたとして、そちら方面で2つほど動きがある。
このドラッグは元々固有のネーミングがなく、後々使用者たちの間で『D&』という名前が付けられたらしい。
一番有力視されている由来は、ドラッグの形が錠剤型としては珍しい半月状だった事、もしくは麻薬の頭文字Dとドラッグの表面に刻まれた文字『and』から。
*
22時、釜蔵駅前。
安い絵の具で塗りつぶしたような曇天の夜空から、細い雨が降り続けていた。
竹は透明のビニール傘を片手に、だるそうに駅前に立っていた。
駅から降りてくる人。
駅構内に入ってくる人。
誰かと待ち合わせしている人。
ただそこを通り道として歩き去っていく人。
竹は自分の持っている情報と照らし合わせながら、行き交う人々一人一人を眺めるように見ていた。
そんな退屈な作業を10分ほど前から繰り返している。
竹はいい加減その作業にも嫌気がさしてきていた。
たかが10分程度で嫌気がさすのはなんとも根性がない話だが、竹の思考の9割が『さっさと家に帰りたい』で占められている。
その理由は、まだまだ竹の自宅で開催されているパーティーに、一刻でも早く戻りたいという願望と、少し飲みすぎた結果気持ちが悪くなっているという身体的なものだった。
まあ酒に関しては自業自得なので、酌量の余地は皆無である。
とはいえ今の竹は残り1割の職業精神で、この場に留まっている状態だった。
依頼を引き受けた以上、自分の手で解決する必要があるし、脇に調べてもらった情報を考えれば、今日を逃して次の機会があるとは限らない。
帰宅願望と比べると夢のない現実的な話しではあるが、職業精神なんてものに初めから夢はないのである。
竹は携帯で時間を確認する。
無機質なディスプレイには22:02と表示されている。
周囲を見渡してもまだ目的の人物は現れていない。
「……帰りてぇ」竹は心の底から呟き、こんなことなら誰か、というか全員連れてくるんだった、と後悔した。
だが魔法使いやら上位ランクの賞金首やら、人外な連中が関わっているならまだしも、ドラッグの売人の処理などという依頼程度の事で、十三夜のメンバー全員に助力を願うのも気が引ける。
アレクサンドラから直接依頼されただけに、何か裏があるのではと一応勘繰ってはいたのだが、脇の調査内容を読んでもそんな気配はなかった。
それは普段であれば喜ばしいことなのだが、今日に限っては素直に喜べなかった竹である。
何せ、今日は珍しく全員集合しているのだ。
仕事の難易度よりも、皆と一緒にいる事を優先したかった。
「……あー、よし」
竹はもう一度時間を確認して、あと10分以内に標的が現れなかったら今日は帰ろうと決めた。
大した職業精神だった。
そして竹は、ただぼーっと標的を待っているのも退屈だったので、暇つぶしにメールを作成し始めた。
ちょっとした悪戯をする為に。
メールを打っている最中、竹は今回の標的について考える。
自分の目的はその標的を捕えること。
それは良い。
だがその標的の目的はなんなのだろうか。
脇の調査ではその辺りには触れられていなかった。
安値で若者だけにドラッグを提供している、ボンボンの大学生。
社会に対する不満か、ただの愉快犯か。
そんなところだろう。
竹はそう結論付けて、考えるのをやめた。
そんな事は会ってから聞いてみれば良いことだし、大した興味もなかった。
それにアルコールによって酩酊した思考では、それ以上の答えは浮かばないだろう、というのが自分でもわかったからだ。
竹がメールの作成を終えて最初の3通を送り、本文を微妙に変えてから残りの1通を送ろうとしている最中、ぱちぱちと携帯を操作していた竹の指が止まる。
夜でも目立つ、黄色いパーカーを着た青年がビニール傘を差して、竹の前方20メートルにいた。
竹がそのB-boy風の格好をした青年へ抱いた第一印象は、『似合ってねえな』だった。
普段、キャラに嵌まったB-boyを目にしている竹から見ると、頑張りすぎて外しちゃった中学生みたいな感じに見えた。
インテリが無理をすると、ああなるのだろうか、と憐れみの感情が竹を支配した。
そんなどうでも良い事を考えながら、竹は編集途中だったメールをそのまま最後の1人に送信した。
22:11、今日はまだ帰れないらしい。
竹は電源を切った携帯をポケットに仕舞うと、何食わぬ顔をして青年に近付いた。
青年は近付いてきた竹に一瞬警戒の表情を見せたものの、竹から発せられた第一声で表情を和らげる。
「ちょっとすみません。この辺に風邪薬売ってるとこってありますか?」
まだ人通りのある時間帯なので、竹はなるべく直接的な表現は避けてそう言った。
青年はそれで竹が買い手だと理解たようだったが、ニヤニヤ笑って意地の悪い感じで返してくる。
「あ? 風邪薬? だったらそこのコンビニにでも行けばあるんじゃねえの?」
警戒心というよりも、年下をからかって遊んでいる感じである。
馬鹿な会話だな、と思いつつも竹は青年の遊びに付き合ってやる。
この青年がこうやって遊べるのは、最悪の場合これが最後になるのだから。
「いや、あそこのコンビニだと、カラフルな感じのがなかったんで。知りません? あったら少し多めに買いたいんすけど」
竹が多めに、の部分を強調して言うと、青年は表情こそニヤついているものの、すぐに食いついてくる。
「いくつ?」
竹は片手の指を広げて見せ、「かける3でお願いしたいんすけど」と言った。
「15?」
「個じゃなくて万の方で」竹はそう付け加えて、ニッコリ笑顔で頷く。
青年は表情を戻して、5秒ほど竹をじっと値踏みするように見た後、
「……ついてこい」と言って歩き出した。
黄色パーカーの青年の後ろを、5分ほど人の流れとは逆へ逆へ歩いていくと、低いビルに囲まれた人通りの薄い、小さな駐車場に到着した。
駐車場には数台の車が停められていて、青年はその一番奥に停められている外車まで歩いて足を止めた。
「お前、初めてだよな?」
ここに来るまでの間、ずっと無言だった青年が口を開いた。
降っていた雨は、今は霧雨程度になっている。
「そうっすね。直に買うのは初めてです」青年の問いに竹は頷いた。
変に丁寧すぎても、フレンドリィ過ぎても警戒されてしまう気がしたので、竹は先ほどから体育会系風の適当な敬語を使っている。
「誰からこの話し聞いた?」青年は大物ぶりたいのか、上からの口調で言う。
「高校の知り合いからっすね。そいつから前に1錠もらって調子良かったんで、場所と時間聞いて。あ、今の相場って1ついくらっすか?」
「前から変わってねえよ。1錠で2000だけど、お前15万買うんだろ? だったら1500にしてやるよ」青年はそう言って傘を折畳み、車に立てかけてから、トランクを開けて、その中にある鞄を漁りだした。
1錠の相場が1000〜2000だと知っていた竹には、恩着せがましいとしか聞こえたが、相手の気分を損ねるのもよろしくないので、竹は喜んだように言う。
「マジっすか。ありがとうございます」
「おう。それじゃ先に金もらえる?」青年は、鞄からカラフルな錠剤の詰まった小瓶を2つ取り出すと、それをチラつかせながら言った。
「ういっす」竹はそれを確認して、邪魔な傘を折畳んでから青年の車とは別の車にそれを立てかけ、財布をポケットから取り出す。
竹に売るのとは別に取り出したのだろう。
竹が傘を畳んでから金を抜き出す、ほんの少しの間に、青年は『D&』と呼ばれるそのドラッグを数錠、大げさに口に放り込んで飲み込んだ。
デモンストレーションのつもりだろうか。
それとも先ほども思った通り、大物ぶりたいだけなのか。
どちらにせよ、この青年は自己顕示欲の高い人間だと竹は分析した。
そんなどうでも良い分析をしながら、竹は財布から抜き出した15枚の万券を青年に渡した。
青年は渡された万札の枚数を数え終わると、
「じゃあこれが商品。1つに50入ってる」と言って小瓶を2つ竹に差し出した。
「どうもっす」竹は軽く頭を下げて普通に受け取る。
もう薬が効いてきたのだろうか、手渡される時、青年の手は震え始めていた。
息も若干荒くなってきている。
竹は錠剤型の割には随分即効性の高い薬だな、少し不信感と覚えながら、渡された小瓶の片方はポケットに納めて、もう一つをその場で開け中身を数錠取り出した。
取引は終了だが、竹は別に薬を買いにきたわけではない。
今までの行動は、あくまでも仕事の一環である。
そして、今回の依頼を解決する為に、これが目的のものだと最後の確証を得る必要があった。
何らかの力を行使して、100%の確証を得るのが手っ取り早くて良かったのだが、今回の仕事は人の内でのものだ。
人の内での事に、人外な力を使って解決をしたくはなかった。
なのでこうやってわざわざ出向き、地味に最終確認しているのである。
まあ脇に調査依頼した時点で、その理念は破綻しているのだが、そこは自分ルールで黙殺している。
竹の手の平に転がる赤、青、黄、緑と外国のお菓子のように、カラフルな色をした半月状の錠剤。
それに刻まれた『and』の文字。
『D&』で間違いなかった。
竹はそれを最終確認とすると、取り出した錠剤を瓶の中に戻す。
そして、仕事を終わらせようと青年の方を見た瞬間、何か悪い予感が全身に過ぎった。
青年は口の端から涎を垂らし、自分で自分を抱き、ガタガタと何かに恐怖するように震えている。
青年の充血した目と、竹の視線が交錯する。
何だ?
禁断症状か?
とにかく何かまずい!
竹は自分の長年の経験と勘から、今の状況が危険であると瞬時に判断して、青年がどうしてこうなっているのか、という結論を出さずに、まず真っ先に青年の意識を刈ることにした。
それからの竹の行動は早かった。
放たれた竹の掌底が、狙いすましたようにピンポイントに青年の顎に炸裂。
青年は意識を失い、だらりと地に伏した。
これで暫くはこのままだろう。
竹は倒れた青年を見てから、酒に酔って完全に油断していた自分に腹を立てた。
たかがドラッグの売人を潰す仕事、と高を括って突発的な不確定現象を全く想定していなかったのだ。
とはいっても、とりあえず失敗したわけではないので、反省は後でしようと前向きに逃避して、今後の処理を考える。
1、このまま車ごと警察に引き渡し、青年の情報等をマスコミに流す。
2、このままその筋の人に引き渡す。
3、薬に関するもの全て青年の記憶、及び周囲から抹消し、その上で警察に引き渡す。
4、薬に関するもの全て青年の記憶、及び周囲から抹消し、その上で放逐。
5、事故を装って青年を車ごと海に沈める。あとは知らん。
さて、どれにしたものか。
竹は個人的には5に魅力を感じたが、それも今からやるとなると面倒に思えたので、無難に1にしようと決めた。
そう決めて竹は、うつ伏せに倒れた青年を車に詰める為に、青年を持ち上げようと手を伸ばす。
「なっ?!」竹が驚きの声を上げる。
竹が伸ばした手を引っ込めるのと、倒れていた青年の体が跳ね上がるのは同時だった。
驚愕の眼差しで青年を見つめる竹と、起き上がり狂喜の眼差しで竹を見つめる青年。
勿論、手加減はかなりしたが、それでも竹が喰らわせた一撃は、生身の人間であれば30分前後は意識を失わせられる一撃だったはず。
なのにこの青年は意識を取り戻した。
いや、竹が真に驚いたのはそこではない。
青年の体は起き上がったのではなく、まるでスーパーボールのように跳ね上がったのだ。
「……お前、何だ?」
竹はそう言うと、やはり油断し切っていた自分への情けなさに下唇を噛み、スイッチを入れ替える。
少なくとも、今この状況は正常ではない。
異常だ。
お前に普通など許されない、そう誰かに言われているようだった。
青年は竹の問いかけに答えず、低く獣のような呻り声を上げて、充血した目を向ける。
その表情には先ほど恐怖は見て取れず、狂人の如き恍惚の何かが浮かんでいる。
竹はこれ以上の問いかけは無意味と判断し、とにかく今はこの青年をぶちのめす事が最優先事項であると判断した。
しかし、竹がそう判断した瞬間に放たれた刹那の殺気。
それを感じ取った青年の行動は、竹の足が前に出るよりもコンマ数秒早かった。
青年は先ほどのように跳ね上がると、後方の外車の上に跳び乗り、更に上へと跳び上がる。
ビルの窓枠を利用し、低いビルの屋上まで3回の跳躍で上りきったそれの動きは、密林を移動する猛獣の類に見えた。
青年は、自分が安全圏に避難した事で安心したのか、絶対的な優位を表情に張り付かせ、血走った眼で地上を見下ろした。
青年が見たのは、退屈そうな表情で自分を見上げる銀色の瞳。
「――ひっ」青年は悲鳴を上げる。
ただ純粋な恐怖によって。
自分を見上げるソレが、自分の理解の外にいる化物だと理解したのだ。
――逃げろ。
――逃げなければ殺される。
獣と化した青年の本能が、凍り付いた理性を溶かし、竦みあがった体を動かす。
青年は少しでも竹から離れる為に、跳ぶように移動を開始した。
「あれは人なのか? それとも獣なのか? どっちだ?」
慌てて逃走を開始した青年の姿が視界から消えてから、竹は自問するように呟く。
こちらの問いに答えなかったり、動きそのものは獣に見えたが、悲鳴を上げたり、見せる仕草は人のものだった。
「……まあどうでも良いか、そんなこと」竹は面倒そうに溜息をついて続ける。
「それよりも、酒はダメだな。暫くやめよう」
竹はそう言って、傘は差さずのんびりとした足取りで追跡を開始する。
*
あの青年が人であろうと獣であろうと、彼は竹の殺気に反応して行動していた。
だったら彼にだけわかる殺意を向けてやれば、人通りのない方へ人通りのない方へと誘導し、追い込むことは簡単だろう。
青年を追い込んでいく最中、何か前にもこんな事があったな、と竹は思ったがそれがいつの事だったか思い出せなかった。
小雨が降る中、傘もささずに十数分追いかけてやると逃げ切れないと悟ったのか、それとも腹が据わったのか、脅えるだけだった青年の感情に変化が生じた。
青年の足が止まり、竹も足を止める。
そこは目の前に竹林が広がる人気のない郊外だった。
唯一、視界の端にどこかで見た武家屋敷のような建物が映る。
人通りは完全にない。
そういう場所へ追い込んでいったのだから当然だろう。
しかし、撚りにもよってこの場所とは。
元耶麻寺早雲の屋敷にして、今は一人の少女が従者とともに住んでいる屋敷。
人家がそれ一軒しか見当たらない冷たい寂しい道。
ここは、この時間だけでなく、普段から人があまり通らない道なのだ。
この辺り一帯には、そういう人を拒絶するモノが張られていたから。
そして、それは今現在も。
だが、運悪く。
不幸にも。
不運にも。
普段は人どころか野良猫すら通らないような道を、彼女は黄色い傘をさして歩いていた。
曇天により一層不気味な雰囲気を持った、竹林の道を早く抜けようと精一杯の早足で。
何故、彼女がこの時間帯にこの道を歩いていたのかはわからない。
それは、普段であればただそれだけの事である。
だがその時ばかりは、運が悪かった。
竹の反対方向から、つまり青年の背後から彼女は歩いてきていた。
獣だからなのか、それとも人だからなのか、その行動は愚かだった。
彼女が青年の脇を通った瞬間、青年が彼女の手を引いて抱きかかえた。
人質に取るように。
青年が取った行動を見てから漸く竹は思い出した。
2年前にもこんな事があったということを。
突然の出来事に彼女は小さく悲鳴を上げる。
それを今度は軽く聞き流せず、一瞬躊躇った。
いつもなら、万全の状態なら何てことない一瞬の躊躇。
だがそれが致命傷。
だがそれが致命症。
それこそ、天倉竹の無能。
それこそ、荒川宿禰の不幸。
それこそ、
――2年前に始まり、
ハロウィンのこの日、
十三の夜と近付いていった、
破綻した物語で、この少女が引き込んだ症状。
夜空から落ちていた小さな滴が、弾幕のように降り注ぎだした。
お読み頂きありがとうございます。
友人の知り合いが、蒼香と深翠のイラストを描いてくれてハッピーな気分で書いた今話です。なので調子にのってミスが多発しているかもしれません。もし発見しましたらご指摘ください。
今章は残りエピローグ+1話で終わりです。
エピローグの方は明日更新します。
それでは残り2話、よろしければお付き合いください。
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