黄の章 15
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時刻は8時前。
店は一日最後の入店ラッシュの時間帯を迎えていた。
しかしラッシュといっても、昼時ほどの客足はない。
この店はあくまでも喫茶店。
お酒を出さないので、夜の営業時間はどうしても居酒屋などに客をもっていかれてしまうのだ。
それでも今日は、いつもよりも少し混みあっていた。
何故なら今日がハロウィンキャンペーンの最後だからである。
「いらっしゃいませー」
とはいえこの時間帯を乗り切れば客足は衰え、あとは閉店までゆるゆると仕事をするだけ、そう考えているウェイトレスたちの接客の声は若干明るい。
弛緩しつつある店内の空気。
それが一瞬で緊張に凍り付く。
一人の少年の来店によって。
「――」
その少年が店に入ってきた時、レジ打ちをしていた宿禰は声が出なかった。
特に理由もなく。
まるで声を失ってしまったように。
しかし、それも数瞬。
宿禰は自らの業務を思い出して、
「――あっ、いらっしゃいませ。何名様ですか?」と硬い声で言った。
宿禰が声を出す頃には、店の空気はいつの間にか元の緩んだ空気に戻っていた。
まるで先ほどの時間が幻であったかのように。
「3人で。タバコはどっちでも良いです」
答えたのはその少年でなく、彼の後ろにいた少年だった。
細いというよりも、ガリガリの体型をしたその少年、それは昼過ぎに来た大食いキングの一人だった。
彼が人数を答えると、すぐに伊藤がやってきて、その3人を席まで案内した。
3人の案内を終えると、伊藤が宿禰の元へやってきて言う。
「ほらほら、あの人ですよー」
「えっと、何が?」
「何がって。さっき言ってた、カッコ良い人のことですー」伊藤がたった今案内した3人の席を、遠目で見ながら言った。
「さっき? ああ、何か言ってたね。でもあの人ってどの人?」宿禰も伊藤と同じ方向を見ながら聞く。
「どの人って、カッコ良い人は一人しかいなかったじゃないですかー」
「ごめん。よく顔見てなかったの。……何かそれどころじゃなくて」
「どうかしましたか?」伊藤が首を傾げる。
「……いや、どうもしないけど」宿禰も首をかしげた。
「意味わかんないですよー」
「うん。私もそう思った。だからあまり気にしないでくれるかな? それで? どの人がカッコ良かった人?」
「えと、あの人ですー」間延びした声で、伊藤が一人の少年に向けて指を指す。
宿禰はその指の先を追う。
「……あの青っぽい服の人?」宿禰が聞いた。
「そうですそうです。あの青っぽい人です。カッコ良いですよねー」伊藤がうっとりとした顔で頷いたとき、二人の横から声がする。
「あれは青じゃなくて藍色っていうんだよ。それと伊藤ちゃん、お客様を指差さないの」
そう言って、何故かレジまでやってきたキッチンの山田は、伊藤の頭を叩いた。
「いたいですよー」
「痛くない」
伊藤がぶーたれたのを、山田は瞬断する。
「えっと、山田さん、どうかしたんですか?」宿禰は叩かれた伊藤の心配はせずに、突然キッチンからレジに出てきた山田に聞いた。
伊藤は誰にも心配されなかったので不満そうだった。
「ん、ああそうそう。店長が両替あったらしてきてくれってさ。派遣部隊ってやつよ」
「両替ですか。ちょっと待ってください。今確かめますから」宿禰はそう言ってレジを開けて、足りないお金がないか確認し始めた。
宿禰が確認作業を行っている間、伊藤と山田が会話を始めた。
「確かに伊藤ちゃんが言うとおり、あれはカッコ良いね」
「ですよねー。参りました?」
「参るか。あたしは女の子の方が好きなの。そうね、例えば荒川さんみたいな?」
「あー、そういえばそうでしたね」
山田の爆弾発言に伊藤はさも当然のように頷いた。
宿禰も当然その発言は聞こえていたが、恐かったのでスルーしておいた。
今日は恐い目によくあう宿禰だった。
「ん? そういえばあれって大食いキングじゃない? だよねぇ、荒川さん?」
山田が3人のうちの一人を見ながら言った。
「ひゃいっ?!」山田に話を振られて宿禰はビクリと声を上げた。
スルー出来なかったのがバレバレだった。
実際、宿禰は必要な両替の数を今の一瞬で忘れてしまった。
そんな宿禰を見て、伊藤は笑いを堪えるように下を向く。
宿禰はあとで報復をしよう、と考えながら山田の問いに答える。
「ええっと、そ、そうですねっ。夜来たのは初めてだと思いますけど、あれは大食いキングだと思います!」
山田は取り乱す宿禰にニヤニヤしながら言う。
「だよねぇ。夜来るなんて何かあったのかしら?」
「別に友達同士で来てみただけじゃないですかー? 皆同い年くらいだし。たまたまですよ、たまたまー」山田の疑問に伊藤が適当に答えた。
「友達ねぇ、でも友達にしちゃ随分と色とりどりだわね」
山田がその3人の格好を興味深そうに見て言った。
一人は、山田曰く藍色の洋服で上下を固めたジャニーズ風。
もう一人は、RPG風の格好をしたガリガリの大食いキング。
あと一人は、だぼだぼの黄色のパーカー、太いジーンズに薄茶色のブーツと見るからにヤンチャなB-boy。この人物は宿禰以下二人とも初見だった。
傍から見ると、確かにちぐはぐな取り合わせである。
「でも格好は好みですからー」
「まっ、そりゃそうだわね。考えてもわからないし」伊藤にそう言われて山田も納得したように頷く。
山田はあまり深く考えない人間だった。
伊藤は初めから考えていない。
「っと、荒川さんそろそろ終わった?」
「あ、はい。これでお願いします」
宿禰は両替で必要なお金を書いた紙と、その分のお金をレジから抜いて山田に渡した。
わざわざ紙に書いたのは、先ほどのようなハプニングで忘れない為である。
「おっけー。んじゃ、ちょっくら行ってくるから待ってて。伊藤ちゃんもさっさと仕事に戻りなさい」山田は宿禰から紙とお金を受け取ると、もう一度軽く伊藤の頭を叩いて、店の奥へ戻っていった。
「またぶたれましたー。これは被害届でしょうか」伊藤は唇を突き出して、不満を宿禰にアピールして言った。
「……馬鹿なこと言ってないで行きなって。ほら、呼ばれてるんだから」
宿禰はウェイトレスを呼んでいる客を首で示した。
「あー、ホントですねー。それじゃあまた後でー」伊藤はそう言って、すぐにその客の方に行った。
伊藤がいなくなった後。
「あ」
そういえば、と宿禰が呟いた。
宿禰は、伊藤に対する報復をする事を忘れていた事に気が付き、
「でも、まあ良いや」と一人ごちた。
何故なら、山田が去り際に余分に伊藤の頭を叩いていたからである。
あれ以上やったら可哀想だ、それが宿禰の結論だった。
そうやって、宿禰は自己完結して、別の事に気が付く。
もしかして、山田は自分のために余分に伊藤の頭を叩いたのではないか、と。
「……」
藪を突いて大蛇が出てきたら笑えない。
浮かんだ考えを、今度は完膚なきまでにスルーすることにした宿禰だった。
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