黄の章 13
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荒川宿禰は事務所の椅子に座って、本日2度目の休憩時間をとっていた。
宿禰の視線の先では、たった今バイトにやってきた一個下の女子が、ウェイトレスの制服に着替えをしている。彼女は7時入り。
目ぼしい話題もなかったので、その女の子に1度目の休憩の時の恐怖体験を話してあげた。
「――ってこんな事があったの」
「えー、それって恐くないですかー?」
ネームプレートに『いとう』と何故かひらがなで書かれた女の子は、あまり趣味が良いとは思えないカボチャの形をしたキャスケットを、マイ鏡の前でベストポジションにもってこようと何度も被り直しながら、舌ったらずな声で言った。
「恐かったよー。思わず事務所の鍵閉めちゃったもん」
「ですよねー。私でも絶対そうしたと思いますよー。……っと、完璧ー」
帽子の位置がようやく納得いくものになったらしい。伊藤は満足そうな顔をして、鏡を鞄の中にしまった。
宿禰はその彼女の女子高生らしい仕草にむず痒い違和感を覚える。
伊藤のどか、高校1年生。
しかしその見た目は、高校生というよりもランドセルの似合う小学生にしか見えない。
むしろランドセル選手権とかあったら、本物の小学生をぶっちぎって優勝するんじゃないかってくらいに似合いそうだった。とはいえ本人はそれを気にしている節はない。
なんでも、「これはこれで需要あるんですよー」だとか。
宿禰にはわからない世界だった。
「世の中には色んな人がいますからねー。優しい人も危ない人も恐い人も楽しい人も、それぞれに何の規制もなく、当たり前に世の中に生息しています。荒川先輩は、どこか抜けてそうだから気をつけた方が良いですよ?」
どう見ても幼女にしか見えない後輩にそんな事を言われるのは、微妙に心外だった。
「……私ってそんなに抜けてる?」
「自覚ないですか?」
「うっ……微妙にあるかも」
「ですよねー。何か荒川先輩って、気付かないうちにドツボに嵌ってそうっていうかー、普通に生活していただけなのに落とし穴に落ちてそうっていうかー、しかもその落とし穴を仕掛けた人は先輩を狙ってないのに、罠に引っ掛かってきて大迷惑みたいなー。そんな感じですー」
「…………それってただ不幸ってだけじゃない?」
「そうとも言いますー」
ニッコリと笑顔で言い切る伊藤。
伊藤は、その見た目とは裏腹に毒を吐く人間だった。
「まあ幸運か不幸かなんて、その本人じゃないと測れないものですからー。別に落ち込む必要はないと思いますよ?」伊藤は慰めるような口調で言った。
「でも伊藤さんは私の事を……」
「不幸だなー、って思いますー」
「慰め切れてないよっ!」
「怒らないで下さいよー」
「怒ってないよ。落ち込んでるのっ!」
叫んでからずーん、と俯く宿禰。
それを見て伊藤が、しょうがないですねー、と言いたげな表情を作り、
「全く、しょうがないですねー」と表情をそのまま口にして、続けて言う。
「それじゃあビックリする話を2つしますー」
宿禰は年下のロリっ子に打ちのめされて、慰められようとしているこの状況に、良い塩梅で情けなくなっていた。
それでもその善意を無碍には出来ない人の良い宿禰は、
「……何かな?」と聞き返す。
「えっと、今日ですねー。超カッコ良い人がいたんですよー。濃い青っぽい服来た高校生くらいの人で、背はちょっと低かったですけど凄いカッコ良かったですー」
「あっそう」
宿禰の興味のなさそうな反応に伊藤は唇を尖らせて言う。
「つれませんねー。じゃあこういうのはどうですか?」
「何?」
「今日の4時過ぎくらいにですねー、冷蔵庫が一人で移動してました」
「は?」
宿禰は驚き、というよりも『何言ってるのこの子』という感じの顔をした。
「それでですね、その冷蔵庫に話しかけている男の人が三人いたんです、あれって酔ってたのですかねー?」
「冷蔵庫が一人で移動してた? いやいや、それってその話しかけた人たちじゃなくて、伊藤さんが酔ってたんじゃない? 駄目だよぅ? 高校生がお酒飲んじゃ」子供をあやすように宿禰は言った。
しかし、伊藤にはその手の攻撃は無効らしく、普通に話を続ける。
「違いますよー。私はお酒ダメですからー。……そうじゃなくて、私が言いたいのはー、その冷蔵庫に話しかけていた3人のうちの1人が、先輩の好きな人だったんですよー。前に写真見せてもらったから覚えてました」
「……え? じゃあその超カッコ良い人って?」
「その人とは別人ですー。先輩の好きな人は超カッコ良くはないですー。せいぜい普通にカッコ良いくらいですよー」
伊藤の発言に宿禰は笑顔で暗い声を出す。
「……ちょっとその帽子とってみて」
「嫌ですよー。せっかくセットしたのにー」
「良いから」
「うー、わかりました。取りましたけど?」
一応先輩の宿禰に言われて、伊藤は渋々キャスケットを外した。
「……頭出して」
ちょいちょい、と手招きする宿禰。
「? 何ですか?」
キョトンとした表情で、伊藤は宿禰に頭を近づける。
そして伊藤の頭が宿禰の射程距離に入った瞬間、
「ていっ」
宿禰のデコピンが炸裂した。
「な、何するんですかー!」
ふがー、っと抗議の声を上げる伊藤に宿禰は逆ギレのように言う。
「さすがにムカッと来たのっ」
「何でですかー。かっこ悪いとは言ってないですよー」
赤くなったデコを擦る伊藤。若干涙目だった。
「えっと、普通にってところが何だか馬鹿にされた感じ?」
「感じ? じゃないですよー。せっかく気を使ったのに最悪ですー」
伊藤は憤慨した声で言って、再びマイ鏡を取り出して帽子を被り直した。
「気を使ったって、どういう意味で?」
「色んな意味でですー」
宿禰は伊藤の言った意味が微妙にわからずに、とりあえず気になった事を聞いてみた。
「……正直に言ってね? 伊藤さんは私の好きな人の事どう思う?」
「カッコ良いんじゃないですかっ。私の趣味じゃないですけどー。私はむしろ店長みたいのが良いですー」ぷりぷりとした表情で伊藤は言った。
「えぇっ!? そうなの?!」
宿禰には、あんな変な中年を好きになるなんて信じられなかったが、
「そうですよ? 秘密にしておいてくださいね?」
と伊藤が頬を赤らめたので信じることが出来た。
「どうしよっかなー?」先ほどまでの仕返しとばかりに意地悪く言う宿禰。
「意地が悪いですよー。お願いしますー」伊藤は泣きそうな声で言った。
「わかってるよ。秘密にしておくから安心して」
さすがにあまり苛めるのもどうかと思ったので、宿禰は優しくいった。
「どうもです。それじゃあそろそろ仕事行きましょうか?」
「あ、もうそんな時間だ?」宿禰は携帯で時間を確認する。
6時58分。
休憩のリミット一杯だった。
「じゃあ行こっか」
「はいですー」
二人は荷物を片付けると事務所を後にした。
余談として。
その後、宿禰は再び伊藤に毒を吐かれる事になる。
その時に宿禰は伊藤に、好きな人の事をバラしちゃうよ、というカードで攻撃することになるのだが、
「え? そんな事言いましたっけ?」とか言われて、あの一連の流れが全部慰めだった事を知った宿禰だった。
そして、「この子はどんだけ計算してるんだろう」と背筋が薄ら寒くなったのだった。
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