挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマークする場合はログインしてください。

嫁が決して捨てないたった一つのもの

作者:想 詩拓
 俺の嫁は物持ちがよいという方では決してない。ライフスタイル系の雑誌やTVのドラマのような「明るくキレイな家」を維持するのにかなりの労力を割いていて、古くなって洗っても汚れがおちなくなったり、要らないと判断したものはキッパリ捨ててしまう。
 俺も、緊張感を持って暮らさなければ捨てられる。そう思っている。

 そんな中で嫁が決して捨てないものがたった一つある。おもちゃの小さなピアノだ。
 電池で動く電子ピアノで、ボタンを押せば普通の電子音のほか、猫だの蛙だの犬の鳴き声に変えられる……らしい。
 らしい、というのは俺はその音を聞いたことがなかったからだ。壊れていて電池を入れても音は一切出さず、カタカタと部品同士が接触する音しかしない。
 使わないものはキッパリ捨ててしまう嫁はなぜかそのピアノだけ捨てようとしないのが長年謎だった。
 嫁に聞いても「わたしの宝物だから」という以上は答えなかった。俺が知りたいのは壊れたおもちゃのピアノを宝物ととする理由だ。

 * *

 ある日、仕事で遠出することになった際、嫁の実家に泊まった方が朝が楽である、という状況になったとき、嫁無しで嫁の実家に行くチャンスはそうそうない、と思い、長年思っていた疑問をこっそりと義父、義母に尋ねてみた。

「ああ、アレね」

 せっかくなので晩酌を一緒に、ということで義父に瓶ビール(こだわりのキリンラガービールである)を注いでいるところに、義母が焼いた子持ちシシャモともやし炒めを卓の上に並べながらもすぐに思い出したようだった。

「割とおもちゃは買ってたんだけど、一番のお気に入りはあのピアノだったな。暇があれば遊んでた」
「そうそう、将来はピアニストになるのかしら、だったら早めに教室を探さなきゃ、みたいな心配もしたのよね」


 簡単な童謡の練習曲が添付されていたので、嫁はそれを毎日毎日練習していた。
 ちなみにピアノ教室は行かなかった。お気に入りの理由が猫の音だったからだ。「大きな栗の木の下で」等の整った音階を猫の声で「にゃーにゃにゃ にゃにゃにゃー にゃにゃにゃにゃにゃー」と歌わせるのが面白かったらしい。

 それでもしょせんはオモチャだった。小学校に入る直前あたりで、急に一切鳴らなくなったのだ。電池を取り換えてもダメ、生産終了して修理サービスもすでに打ち切られていた。
 嫁の落ち込みようは相当なもので、小学校に入る前に引きこもりになるかと義父母が本気で心配したほどだった。
 ふとカタカタとそのピアノを弾いてみては、もう鳴らないことを再確認してしまい、絶望してさらに暗くなってしまう、ということを繰り返してなんというか、沼にズブズブ沈んでいく落ち込みぶりだったらしい。

 そんな時、近所に住んでて同じ小学校に通う予定の男の子がいて、この家に小学校の集団登校などもあるので親子揃って「これからもよろしく」と挨拶に来た。
 しかし、絶賛絶望中だった嫁の様子を見て、事情を知って、「新しいのを買ってあげれば?」のような話をしていたところ、その男の子は嫁のそばにいって、そのピアノを弾き始めたそうな。

 鳴らないのであちこちのスイッチをいじったり、試行錯誤していた。嫁は大切なピアノを直してもらってると思ったのだろうか。取られていても怒ったりはしなかった。
 やがて、男の子はあきらめたのだが、その次の行動で全ては解決した。

「にゃーにゃにゃ にゃにゃにゃー にゃにゃにゃにゃにゃー(´∀`*)」

 鳴らないピアノを弾きながら、それはそれは楽しそうに自分で歌ったのだという。
 嫁はパッと顔をあげると、男の子と一緒ににゃーにゃー歌い始めた。

 それから嫁は、壊れたピアノの音の代わりに自分で歌い、元の楽しみを取り戻したのだそうな。


 以上が、義父母の語る嫁のおもちゃのピアノの思い出話だった。

 俺は内心複雑だった。小学生未満のガキとはいえ他所の男(おそらく同い年だろう)との思い出の品を後生大事に持っていると聞いたのだから。
 だいたいその男の子だってピアノが鳴らないからっていきなり自分で歌うとかちょっと頭おかしかったんじゃないのか。

 このくらいの嫉妬心はむしろ必要だ、と思ってその気持ちを素直に伝えると、義父母はきょとんとしていきなり大笑いした。爆笑、とはこういう状態をいうのだろう。
 訳も分からず、きょとんとしていると、義父母は笑って申し訳ない、俺が知らないことを知らなかった、と言ってあることを教えてくれた。

 * *

 次の日の仕事は、早めに終わった。このまま会社に帰ってほかのことをする予定だったが、今は家に帰りたい。嫁の顔が見たかった。

 俺が知らなかった事実。それは俺と嫁が幼馴染だということだった。
 小学生の低学年の時に一度転校していたのは憶えている。だが転校前に住んでいたのが今の嫁の実家の向かいの家だったなんて夢にも思ったことがなかった。

 そう、鳴らないピアノを弾いてにゃーにゃー歌い出した頭のおかしい男の子は俺自身だったのだ。

 嫁と会ったのは大学の時だと思っていた。歌うのが好きで声楽部に入ったときに妙に気に入られたと思ったら、ずっと小学校低学年の時に引っ越したっきりだった俺のことを憶えていたのだ。
 母親経由で俺の進路を探り、同じ大学に追いかけて入り(偏差値的に結構な無茶だったらしい)、同じ部活に入り(とりあえず入ろうと思ってた部活に俺がいたので大喜びで両親に報告したらしい)、それから俺が知るように猛アタックを開始した。
 実父母、義父母、嫁、俺、当事者の中でその流れを知らなかったのは俺だけだった。

 俺に彼女がいたり、アプローチをかけても拒絶されたりしたら、あの日の絶望が再現されると思って両親はハラハラしていたらしいが、この目的のために女子力を磨いてきた甲斐はあって俺はあっさり陥落して本当にホッとしたと義父母は語っていた。

 知らせなかったことを責めるつもりは全くない。でも、なんというか。そこまで強く想ってくれていたことを知って、俺は改めて嫁を愛おしいと思ったのだった。


 家に帰り着いたときは、まだ昼下がりで定時には程遠い時間だった。
 こんな時間に帰ってくるとは思わないだろう。きっと驚いてくれると思って俺は帰宅予定時間も連絡しなかったし、家に入る時もそうっと扉を開けた。
 中に入ると歌声がした。

「にゃーにゃにゃ にゃにゃにゃー にゃにゃにゃにゃにゃー(´∀`*)」

 床に座って例のピアノを弾きながら猫の声で歌っていた。

 そういえばこのピアノ、割とすぐにとれる場所に置いてあった。位置も頻繁に変わってた気がする。
 つまり、俺のいない間にこっそり使ってたのか……。

 俺がそれこそ(´∀`*)←こんな顔で見つめているのに気づいたとき、嫁は顔を手で覆って顔を伏せてしまった。そのまま一時間動かなかった。


 俺の嫁は物持ちがよいという方では決してない。ライフスタイル系の雑誌やTVのドラマような「明るくキレイな家」を維持するのにかなりの労力を割いていて、古くなって洗っても汚れがおちなくなったり、要らないと判断したものはキッパリ捨ててしまう。

 例外はない。
 嫁が大切にしている壊れてならないおもちゃのピアノも、捨てるときは捨てるだろう。それは、きっと俺に愛想が尽きた時だ。
 俺も、緊張感を持って暮らさなければ捨てられる。そう思っている。
 そして、俺は嫁の俺に対する思いの外深かった愛情に精一杯応えてやりたいと思っている。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
― 感想を書く ―

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項をご確認ください。

名前:

▼良い点
▼気になる点
▼一言
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ