窓辺に腰掛けていた少女は虚ろな目をして外を眺めていた。
視線の先に背の高いポプラ並木が街路樹として立ちはだかる。花が散ったポプラの木から綿毛の種子が風にのり、きれいに刈り揃えた芝生の上に着地する。庭は季節はずれの雪でも降ったかのように真っ白にされてしまった。
春の終わりを感じた少女は深いため息をつき、景色を見るのをやめ、髪をいじることに没頭した。人差し指に髪をクルクルッと巻き、手を放して戻すという行為を反復して時間を潰す。
コンコン……。
「入るよ」
父親の声が聞こえても少女は返事することなく、指に髪を絡める仕種をやめようとはしない。
「亜里沙、準備はできたか?」
父親は柔和な顔で尋ねる。
「できてるわ」
それまで空虚感に苛まれていた少女の表情が引き締まっていた。気の強そうな瞳でまっすぐ父親を見詰め、大人びた口調で対応する。
「さぁ、お母さんに最後のお別れをしにいこうか」
父親が手を差し伸べると亜里沙はぴょんと出窓から飛び降りた。両肩がカボチャくらいふくらませた黒いドレスを窮屈そうに揺らしながら父親と手を繋いで部屋を出ていく。
家の玄関の前には黒塗りの高級車が2人を待っていた。白い手袋をはめた運転手がサッと近づいてドアを開ける。年齢は50代後半くらいで定年間近でリストラされたのを拾われたのかきびきびとした動きでご奉仕する。
後部座席に2人が乗り込み、車は車寄せから緩やかにスタートを切った。
「ちょっと暑い」
亜里沙のひと言で運転手は敏速にエアコンの空調を効かせた。
「あっ、お母さんのニオイ……」
鼻をクンクンと犬のように動かして亜里沙が顔を歪めた。
「おい、すぐ止めろ。窓を開けるんだ」
「は、はい」
ご主人の指示を受けて運転手は慌ててエアコンを切り、窓を半分だけ開けた。
「今日はなんのお願い事をしたのかな?」
何事もなかったかのように父親が話しを変える。
「窓から見える木を全部切ってほしいって神様にお願いしたの」
亜里沙はいつも跪いて神様に願い事をするのが日課になっていた。
「全部?どうして?」
父親は首を傾げて訊き返す。
「夏になるとセミの声がうるさいから」
「なるほど。鉄は熱いうちに打てというわけか。亜里沙は賢いな」
父親が目尻に皺を寄せた。
「叶えてくれるかしら?」
亜里沙が父親の顔を覗き込みなが訊く。
「神様は亜里沙の願い事ならなんでも叶えてくれるよ。来週には実行されるさ」
「よかった」
亜里沙は後部座席のシートに身を沈めて胸をなで下ろした。
閑静な住宅街の片側一車線の道路を順調に走行していると、信号が赤に切り替わったわけでもないのに運転手がバン!とペダルを力強く踏んで車を急停止させた。
「痛い!」
亜里沙は前方の運転手の座席に思い切り鼻をぶつけた。
「大丈夫か亜里沙?なにやってるんだ!」
「す、すいません。猫が急に飛び出してきたもので……」
ご主人の叱咤で運転手の体は小さくなった。
窓から外を見ると難を逃れた三毛猫がブロック塀によじ登って呑気に後ろ足を器用に使い顎の下を引っ掻いていた。
「いいわよ、早く行きましょう」
少し口を尖らせながらも亜里沙が運転手の判断を許した。
「すいません」
運転手は亀のように首をすぼめて車を再スタートさせた。
交差点を右折してさらに信号で左折して100メートル走ると三角屋根の教会が見えてきた。すでに黒い服を着た人たち数名が亜里沙たちの乗っている車に気づくと軽く会釈をしてくる。
教会手前の駐車場に車を停め、亜里沙とその父親は手を繋いで歩きはじめた。運転手はずっと頭を下げたまま見送る。
「お父様、もうひとつお願い事が増えたんだけど」
「なんだい?」
亜里沙が囁くように言ってきたので父親は膝を折って耳を傾けた。
「あの運転手、クビにして」
「いいよ」
父親の即答に亜里沙は満面の笑みで喜びを表現した。
「鹿内さん」
教会に入ろうとしたとき、女の人が父親を呼び止めた。
「サエ……ああ、これは水島さん。来てくれたんですね」
父親が改まって名字で呼んだ女性は地味な黒いワンピースを着ていたが、整った顔立ちと清楚な雰囲気が勝り、見栄えを引き立てていた。
「お嬢さんですか?」
「はい」
「こんにちは鹿内亜里沙です」
「私は水島サエコっていいます。よろしくね」
水島サエコと名乗った女性は身を屈めて亜里沙と視線を合わせるとニッコリ微笑んだ。
「今日はお一人で?」
父親がとりあえず適当な質問で話しを切り出す。
「はい」
「わざわざ参列してもらって申し訳ありません」
「いいえ、鹿内さんにはお世話になりっぱなしですから。また、あとでお話ししましょうね、亜里沙ちゃん」
水島サエコは長椅子が祭壇まで規則正しく左右に並ぶ真ん中の間を優雅に歩いていく。
「あれが新しいお母さん?」
亜里沙が目を細くして尋ねる。
「気に入った?」
父親は照れくさそうに娘の反応を待った。
「まだ、会ったばかりでわかんないよ」
「そうだね。でも嫌いになったらお父さんにはっきり言うんだよ。魔法のようにすぐに消してあげるから」
「前のお母さんみたいに?」
「そうだよ」
「でも、抜け殻は残ってるよ」
亜里沙は十字架の下で光沢を放つ木目調の棺桶を指差した。
「魂だけ消すのは不満かい?」
「うん、気持ち悪い」
亜里沙が顔をしかめる。
「わかった今度から体も魂も全部消してあげるよ」
「よかった!」
亜里沙の弾む声が教会内に響いた。
〈了〉
|