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似たような話があったらすみません。急にみゃうりんの生きた証を、文面にして残したくなり、書いた次第です。
愛猫
作:夢野晴輝


俺はある家の次男として産まれた。
俺の家には父、母、兄、そして、本編の主人公である猫、みゃうりんがいた。
何とも簡素な名前だが、実はみゃうりんは、父と母が結婚する前日、母が飼い始めた。つまり、一番母と長く暮らしていた猫だった。
衛生上、赤ん坊がいるのに猫なんて!と思う方も多いだろう。そして、避けた方がいいのもわかっている。一応。
しかし、現に俺の家にはいて、赤ん坊の俺は何の病気もせずに育った。少なくとも、みゃうりんが俺たち兄弟にもたらしたのは、全員猫好きになった、と言うことだけだった。
余談だが、兄はすでに結婚していて、八ヶ月になる息子がいるが、兄も猫を飼っている。兄の息子、つまり俺の甥っ子も、きっと猫好きになるだろう。


俺の一番古いみゃうりんの記憶は、子供を生んだことだ。野良との間にできたらしい。
朝起きると、みゃうりんの腹に四匹の子供がいた。
小さいながらに必死で母のおっぱいを求める子の姿に、当時は可愛いとばかり思っていた。

ある程度育ち、もとから渡すと決めていたらしい里親に渡されることになった。
引き取りに来た里親は悲惨だったものだ。
ある程度育ったとはいえ、母の愛は健在。見ず知らずの人間に我が子を奪われまいと、毛を逆立て、我が子に手が伸びようものなら引っ掻き、噛みついて阻止しようとした。
その里親は腕中に引っ掻き傷を作っていた。

その努力も虚しく、一匹目の子供は引き取られた。我が子の連れ去られた扉の先に向かってひたすら鳴き続けるみゃうりんの悲しい後ろ姿は、幼い頃の記憶ながら、未だに鮮明に思い出せる。

当時、引き取り先は三人いたらしいが、実際に引き取られたのは一匹だけだった。そこには何かしらの事情があったのだろうが、当時の俺は二歳かそこらだった。理解できぬまま、その三匹は家で飼われていた。

だが、子は親よりも先に逝った。

これは俺の母から聞いた話だが、外に出ることを覚えた子猫たちは、三匹でよく出かけるようになった。
初めのうちは先導していたみゃうりんだったが、次第に好きずきにさせるようになったらしい。
そんなある日。
外に出した三匹の子猫が帰ってこない。
俺の母は心配して探しに行った。
三匹とも、ものの数分で見つかった。
三匹とも、変わり果てた姿で。

交通事故だった。どうして三匹ともがすぐ近くで轢かれていたか。俺の母はこう推測した。
まず、一匹、ないし二匹が車に轢かれた。
動かなくなった兄弟を側で見ていたのだろう。近づいてくる車を避けきれず…。

あくまで推測である。真実を知る術はない。

俺の母は、その三匹をみゃうりんに見せることなく火葬した。

これも俺の母から聞いた話であるが、その日から数日間、いつも子猫を外に出し、帰ってくるはずのベランダの戸の前で、みゃうりんはただただ我が子の帰りを待っていた。
今になって思えば、見せてやるんだったと後悔しているという。



みゃうりんから見た、その後の新しい変化は、俺が小学四年の頃、一つ下の弟が近所に捨てられていた猫を拾ってきたことだ。
近づけば唸り、手を出すことも少なくなかった。
しかし、長く共にいればそれも少なくなり、たまにじゃれあいとして、チビと名付けられたブチ猫と、喧嘩っぽいことをしてみたくらいになっていた。
互いが互いを毛づくろいしあったり、仲良く体を寄せあって寝ている姿も、アルバムを開けば出てくる。

だが、それも長くは続かなかった。

ある夜のこと、突然大きな猫の鳴き声が響いた。
俺を含む家族全員飛び起き、何事かと辺りを見渡した。
ベランダの戸が開いていた。
ベランダから辺りを見渡したが、もう、鳴き声の主の姿はなかった。
おそらく、鳴き声の主であるチビの姿は。

昔見せてもらった母の手帳には

1997年7月8日、チビがいなくなる

と記されていた。
俺が小学五年のことだった。
わずか一年余りで、チビはいなくなった。

せめてもの救いは、チビが見つからないことであった。

きっとどこかで生きてる。
そう思うことができたから。



それまで、何匹もの猫と出会い、別れたみゃうりんだったが、みゃうりんにもそのときは来た。今から五年前。

みゃうりんの食が細くなり、一時期何も食べなくなった。
病院に行き検査を受けた。診断結果は簡単だった。

『老衰』

生物である以上、免れることのできないことだった。
考えれば簡単にわかることだった。みゃうりんはその当時、既に19歳だった。猫にしたら長生きだったろう。

処方してもらった薬が効いてか、何とか物を食べるようになったが、それも微々たる量だった。

それから一週間も経たないうちに、みゃうりんはまた食べなくなった。
いや、食べられなくなった。

一時期全く食べなかったのが災いしたのか、それとも老衰が進んだのか、みゃうりんの口の中が腐り始めたのだ。
おそらく、それによる痛みのせいで、みゃうりんは水を飲むのがやっとの状態にまでなっていた。

みゃうりんの側に寄ると、口の中の腐食による異臭が鼻についた。
だがそんなことはどうでもよかった。
ただ、少しでもみゃうりんを見ていたかった。

時折、生存本能からか、みゃうりんは自分の足で動こうとした。
その時々側にいた誰かがそれを制止し、水ならここにあるからと、トイレならここでしろと言って、極力みゃうりんを動かさなかった。

ある日、学校から家に帰ると、ベランダの戸が、猫一匹出られる程度開いていた。
血の気が引いていくのを感じ、家中探した。

いなかった。『飼い猫は死ぬとき、飼い主に姿を見せない』
その言葉が頭を支配した。
仕事をしていることなどお構いなしに、泣きながら母に連絡した。
当然、受話器の向こうでも大慌てになり、母はその日会社を早退し、家に帰ってきた。

母が帰ってくるより先に、俺はみゃうりんを捜し始めた。
歩くことすらままならない、その足では遠くには行ってないと信じ、家の周り、近くの川縁、草むら、近所の畑。考えつくところをくまなく。

一時間近く走り回ったところで、最悪のケースのことばかりが頭に浮かび、涙を止めることができなくなった。
もっと範囲を広げ、捜し始めたとき、母に呼び止められた。
母がいた場所は、俺の家から徒歩五分もかからない、従姉妹の家だった。
母はタオルを抱えていた。
近づいて見ると、タオルにみゃうりんがくるまれていた。
小さく鳴き声をこぼしたみゃうりんを見たとき、その直前までとは違う涙がこみ上げ、また止まらなくなった。

おそらく死に場所を求めたみゃうりんが、フラフラと彷徨っていたのだろう。
従姉妹の家の前を通ったところを、偶然叔母に見つかり、保護された。
俺はこのとき以上に人に感謝したことはなかった。
それから今までも、まだこのときに勝るほど感謝したことはない。

無事に見つかり、そのまま家に帰ったみゃうりんだったが、猫の性からすれば、余計な、飼い主の自己満足だったかもしれない。

それから三日後。
居間のすぐ隣に寝室があり、そこにみゃうりんを寝かせていた。
母はそこでみゃうりんを見ていた。
その日、母が何時になっても夕飯を作らなかった。
いい加減腹が減り、俺は文句を言った。
無言で母は台所に立ち、夕飯を作り始めたが、もう、そのときにはわかってしまった。

見たくないものを見るように、そっと寝室に顔を向ける。
みゃうりんが寝ていた。その側には大量に、使われたあとのティッシュペーパーが散乱していた。
みゃうりんに触れてみた。



母の反応、それを見た時点でわかっていた。
だけど、無理だった。
涙が止まらなかった。
どんなに触れても、呼びかけても、みゃうりんは起きなかった。
いずれこうなるって、わかってたはずなのに。

2003年11月8日

みゃうりんは永い生涯を終えた。

母も、兄も、俺も、弟も、もう猫は飼わないと決めた。
余りにも悲しすぎた。



その三年後、叔母が子猫をつれてきた。
うちでも一匹飼うんだから、もう一匹は飼いなさい!
強引に押しつけられた猫をにゃんちと名付け、また猫を加えた生活が始まった。


都合、俺の人生のうち、猫がいなかったのは三年だけだった。それは兄も、弟もだが。
三年も猫がいなかったことすら信じられないでいる。
これから先も、出会いと別れを繰り返すと承知で、俺は猫と暮らすだろう。
愛猫家って、多分俺と同じ考えなんじゃないだろうか。

今開いているアルバムを見て思い出し、みゃうりんのことを書き綴った、そんだけのお話でした。


私的な内容に付き合っていただき、ありがとうございました。動物好きな方がいたら、何かしらの批評、お待ちしております。もちろん、文章表現などの批評も歓迎です。













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