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『これが私の世界だから』
作:カオリ



第四章《慟哭》:立浪草と曼珠沙華(2)



「……、」

鼓膜が小さな音を拾って震えた。少女はそれにゆるりと閉じていた目蓋を押し上げる。自分を、呼ぶ声。

「サン」

どこにいるの?
柔らかい声がもう一度耳を擽って、少女――サンドラは小さく笑んだ。あの子がどうやら自分を探しているらしい。

「こっち。ここよ」

“あの日”から数か月。サンドラは、黒髪の少女テトラ(その後ルカと名付けられるのだが)とその仲間と行動を共にしていた。体中の傷が癒える迄には時間を要したが、幸いなことに後遺症は残っていない。
行幸だった、と思う。今時分が生きていることさえ、奇跡だと。

「こんなところにいた」

やっと見つけた、言いながら嬉しそうに駆け寄ってくる少女の頭をサンドラは優しく撫でる。まだ肩に届くか届かないかの位置で揺れる真直ぐな黒髪を梳いてやれば、気持ち良さそうに目を細めた。その表情に、なんだか心臓の辺りがもどかしくなる。
こういうのを《愛しい》というのだと、未だ彼女は知らない。仲間を愛していた、その感情の名を知るのはもう少し後になってからだ。サンドラはこれから後の人生で、多くの物を得るこてになる。

驚くべきことにその当時、つまりサンドラと出会った当初のルカ――テトラはまだたった四歳だった(推定年齢、であるが)。けれど他でもないこの少女に、サンドラは命を救われたのだ。
あの雨の日――黒髪の幼女がサンドラを連れ帰ったところに待っていたのは、ロヴ、エヴィル、そしてミクと言う名の子供だった。
サンドラがやってきた数週間後にアレキサンダーと言う名の大柄な少年が加わり、その後は六人で生活している。
はじめのうちサンドラは、いつまた自分の体が血を求め殺したくなるか――そしてその時、この少女をはじめとする新しい仲間を殺してしまわないかを怖れていた。

(どうして、かしら)

不思議なことに、結局それは杞憂に終わる。ルカに救われてからはそんな衝動に駆られることはなく、不安は形にならずじまいだったのだ。身を守りこそすれ、自分から殺しに出掛けることは完全に。

(まだ、気は抜けないけれど)

幼いサンドラは空を仰いだ(良い天気だ)。天上の青が眩しい。空がこんな色をしていることに気付かせてくれたのはこの子だ。自分を慕って笑顔を向ける、隣の少女。

「今日はねー、ロヴがご飯当番だから。きっとおいしいよ」

“テトラ”は屈託なく笑ってみせる。ロヴというのは彼女達のリーダーにあたる少年の名だった。年令はサンドラの一つ上で、信じられないほど頭の回転が速い。現に彼の知恵と策略は、子供達が生き延びるのに欠かせない物となっている。
少年ロヴはこの年にしてあまりにも大きな野望を持っていた。その実現の為だけに子供たちは活動していたし、誰もそのことについて疑問など抱かなかった。彼の作り上げる新しい世界こそが子供たちの希望であり、夢であり、少年の約束した“目的地”だけが生きる理由だったのだ。そしていつしかサンドラも、それを共に追いかけるようになる。

(……私は)

絶大な信頼とカリスマ性を持つロヴ。子供だけの生活が成り立っているのは、彼がいるからだとサンドラは思う。彼について行こう、何度も堅く誓った。それからあの子を守るのだ。自分に新しい世界と、手を差し伸べてくれた少女を。

仲間に出会ってからというもの、彼女の毎日は新鮮だった。
汚れたフィルターが、一枚ずつ剥がされていくような。こういうのを幸せと呼ぶのかもしれない。
この気持ちを、感謝を、仲間への愛を。
どう表せば良いのか、まだわからなかったけれど。









(幸せよりも美しく、優しさよりも悲しくて。愛しくて切ないそんな記憶を、『想い出』と誰かが言ったの)



*



ルカ達と行動を共にするようになってから半年を過ぎた頃。サンドラは、新たな仲間を得て以来初めて人間を殺した。

生きるために様々なことをして生活していた子供たちは既に多くの犯罪に手を染めていた。夜盗に襲われる事も多々あり、相手の命を奪うのはもう当たり前のこと。身を守る手段はそれだけで、時にはこちらから先手を打ったこともある。
何度かそれを経験するうちにサンドラは、自分とレックス以外の四人が暴力的なまでの“何か”を持っていることに気が付いた(特にルカのそれが残る三人を凌駕していたことにも)。
彼女がそれに疑問を抱くことはなかったし、不気味にも思わなかったけれど。レックスもそうだ。何故だろう、すんなりと受け入れられてしまったのだ。
何が正しいのか正しくないのか、正常と異常の曖昧な混沌とした世界で彼らは仲間だった。それ以外に理由はいらない。

“その日”サンドラが殺したのは、彼女が収容されていたあの、悪魔の施設の監視役をしていた男だった。
気に入らない“世界”の“大人”と“政府”に制裁を加えることを活動の一つとしていたロヴが、あの施設をターゲットにしたのは全くの偶然である。サンドラが仲間達に、自分の出身がここだと打ち明けたのは作戦を決めた翌日だ。そして彼女は、自らがこの施設を“潰す”最前線に立つことを望んだ。――施設の中には、彼女に代わる次の“サンドラ”がちゃんと補充されていた。

六人の“堕天使”達は収容されている子供たちに危害は加えず、上層の人間を全て始末し子供たちを解放した。実際は解放というより、無理矢理外の世界に放り出す形になったのだろう。
施設の支配から解き放たれた、彼らのその後はわからない。生き抜いた者も野垂れ死んだ者もいたかもしれないが、あのままよりは良いような気がした。それがエゴだと言うことも、子供たちは理解していた。

施設の建物は燃やさずに放置した。ロヴがそう希望したからだ。
あの国の中では珍しくしっかりした造りをしていたからだろうか、ロヴはいつかあの建物を買い取って再利用するつもりなのだと言う。改善して新しい施設にしてやるよと、彼は笑っていた。

「“Diabolism(悪魔主義)”なんて、俺たちにぴったりだろう?」

“悪魔の仕業”の名の如く、“神への冒涜”を心から。歌うように呟いた少年を微笑みながら見つめた少女たちはそれぞれ、聖人の名とカトリック教徒の侮蔑名を持っていた。
サンドラはその光景をはっきり覚えている。笑う子供達の背後に、血の花畑と死んだ建物。

(さよなら、十九人目の殺人鬼)

サンドラが殺した警備員は、ビリー・ジョーンズと言う名の男だった。
この日少女は誓う。この仲間と共に、仲間の為だけに生きていくこと。仲間の為に殺すこと。
ジョーンズの姓を名乗ることで、サンドラはそれを胸に刻んだ。

「ねぇ、生きるってどういうことかしら」
「さぁ、どうだろうな」
「だって今生きてるし」
「良いんじゃないのか、それで」
「そんなものよね」
「それだけで、良いんだよね」









(――曼珠沙華には、毒が有った。その狂おしいほどの恋しさに依存した)

(でもね、勘違いしないで)

(あれは、『悲しい想い出』なんかじゃないの)













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