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『これが私の世界だから』
作:カオリ



第三章《はじまり》:はじまりの寓話‐episode.0‐



月日は凡そ十五年ほど前に遡る。

ロヴという名前の子供がいた。少年は今年で十になる。彼は自らの生誕した日など知らなかったが、不思議と自分の年齢を把握することはできていた。それは勘や予想などではない、確信だ。何故わかるのだと問われても、返答に窮してしまうのだが。

ロヴは不思議な子供であった。実年齢より遥に老成したものの考え方をできるできる子供だ。そもそも少年の生活していたこの場所では、思考能力のある子供自体が珍しい存在だった。
この場所には子供が捨てられてゆく。ロヴ自身いつからここにいるのかは分からない。古い日本に在った子捨て寺に近い機能を果たす建物が、貧民窟スラムより遥に廃れた場所に建っていた。
奇跡に近い確率で手に入る食物を分け合い、時に奪い合いながらなんとか命を繋ぐ生活の中で十歳まで生き延びる子供は少ない。そんな厳しい環境の中で、何故だかロヴは死に直面した記憶もないままここまで成長した。飢えを感じることはしょっちゅうあるが、周りの子供が飢餓に倒れてゆく中でロヴだけは滞り無い成長を遂げたのである。少年の身体の栄養状態が十分だったとは、考え難いのだが。

ロヴはその建物から出たことはなかったが、外の世界があることを知っていた。大人に教わったわけではなく(少年はそれまで大人と話した経験が無かった)(内乱の最中を生き延びんとする兵士なら数回見かけた)ロヴにはいつも、音が聞こえていたのだった。
――命の消える音だ。瞳を閉じても、どんなに遠くのことであろうと、人が死ぬ時音がする。それは確かに音なのだが、蝋燭を吹き消すイメージに酷く近かった。
はじめはロヴの暮らす建物の中から。子供が死ぬ時、それは確実に彼の耳に届く。徐々にそれが聞こえる範囲が広がり、その数が増えてゆくにつれ、自然と少年は外の存在を知った。
しかしこれが他の人間にも聞こえるものではないということに彼が気が付くのは、もっと後のことである。

エヴィルはその時五つだった。彼もまた幼いながらに自らの年齢を把握できていたし、周りの子供に比べてずっと成長が早かった。まだ周囲が四つん這いで地べたを移動しなければならなかった年齢で、既に二本の足で立ち上がって他人を見下ろしていた記憶が彼にはある。
エヴィルは一度だけ建物から出たことがあった。食物を求めに行ったのか、何処かへ逃げ出したかったのかは覚えていない。ただその時外へ出たのは彼だけではなかったことは確かだ。
その日、建物の外は戦場だった。銃弾飛び交う紛争の真っ最中にふらふらと外を歩いていた子供達は一人残らず打ち殺されてしまったのだが、エヴィルだけは死ななかった。彼の腹には弾の貫通した穴があり、そこからは致死量の血液が失われていたというのに。

エヴィル達の暮らしていた建物は檻であったが、同時に唯一の安全地帯だったのだ。ただしどちらにしても死の匂いは漂っていたように思う。子供達を待ち構えていたのは、中でじわじわと餓死を待つか外で戦火に巻き込まれて死ぬかの二択だったのだから。
エヴィルはそれ以後――疫病で周りの子供が死に絶えたその日まで、だが――は一度たりとも外に出ていない。彼の身体の傷の治りが異常に早いということに、当時エヴィルはまだ気が付いていなかった。

ロヴが十歳、エヴィルが五歳になったとき、黒髪黒目の少女は三歳だったと予想される。
彼女は幼すぎたのだろう、自分の年齢を数えることなど考えもつかなかったし、自分に名が無いことさえ気にしていなかった。ただし、自分が普通ではないことだけはわかっている。
少女は知っていた。この世に産み落とされた瞬間から、自分という存在が異端であることを。
彼女もまた他の二人同様、精神的にも肉体的にも通常の数倍早い成長を遂げていた。
ここで言う肉体とは背丈やがたいの話ではなく、あくまでも身体機能のことである。少女は小さな身体に似合わないほどの脚力で駆け回ることができたし――実はその能力は既に成人男性をもゆうに凌いでいた――冷静に周囲を見据えることも可能だ。言葉も達者だったが、喋ろうと思ったことはなかった。同じ年齢の子供は皆成長の具合がすこぶる悪く、会話など望めない状態だったので。

三人は同じ建物内で生活していながら、それまでは一切接触を持ったことが無かった。他の子供たちが全て病に倒れ、生存者が残り三人となったその日が彼らの初対面である。
一目見た瞬間わかった。自分達は、同胞なのだと。



*



三人の中で、外の世界の様子を知っていたのはロヴだけだ。エヴィルの知る僅かな“外”は戦場だったし、名無しの少女にいたっては生活していた建物の、その中のたった一室から出たことが無かったのだから。
一番年長でもあったロヴに、残る二人がついて行く形になったのは自然な流れだっただろう。ロヴは黒髪の少女に“テトラ”という仮の呼び名を与えると同時に、その日まで生活してきた建物に火を放った。

(何も残らなければ良い)

少年は立ち上る赤にそっと目を伏せる。彼らは今日、再び生まれた。
紛争が始まる前は病院だったというその廃墟は、病魔に蝕まれた子供達の遺体と共にみるみるうちに灰になってゆく。エヴィルも、テトラと名付けられた少女も、その光景には何の感慨も呼び起こされなかった。

どれだけそれを眺めていたのだろうか。気が付いたときには建物は跡形も無くなっていた。
焼け跡には灰白色の砂と黒く酸化した鉄骨だけが残り、時折何かがぱちぱちと音を立てる。

「おやすみ」

そう呟いた少女の声を、二人の少年はきっと忘れないだろう。
灰の中から出てきた小指ほどの細い骨を、真っ白なそれをテトラが拾ってポケットに入れるのを、二人は目に焼き付けていた。



*



ロヴの行動は迅速だった。
生き残った子供の年齢を全員分足しても成人に達することはないかわり、三人の能力は常人を遥かに凌駕している。
生まれて初めて、支え合うことを知った。まだ幼い彼らが世界に及ぼした影響を、誰が予測できただろう?


ロヴが世界の中心だった廃墟を燃やしてから十日後、当時その国で勃発していた紛争のうち二つが集結した。集結、せざるをえなかったのだ。
その日、内乱の主軸となっていた過激派の活動本部が何者かの手によって壊滅状態に陥れられる。同時刻、それと激しい争いを繰り広げていたテログループも三つ消えた。
それらが全てこの戦争の犠牲となって生きてきた、たった三人の子供の仕業であることを知るものはいない。この世には、いない。

ロヴが二人を率いて最初に行ったこと、それは大人たちへの報復であった。自分達をあの場所へ押し込め放置し、身勝手な理由で多くの命を奪った連中。
死んでいった子供の仇を討ちたかったわけではない。ただ、少年はその汚さが気に入らなかったのだ。
ロヴの思考は、この時ばかりは単純かつ短絡的だった。(気に食わないなら消してしまえ。そうして、目にもの見せてやれたらいい)愚かな子供っぽい考えだと、笑うものもいるだろう。しかしロヴは正真正銘の子供であり、幸か不幸か、彼には力があったのだった。

一度計画を立ててしまえば、後はトントン拍子に事が進んだ。彼のサポートにあたる少年少女は優秀で、その外見から彼らが事の首謀者だと疑うものなど存在しない。
子供たちは人間を殺めることに無頓着だった。彼らの日常にはいつも傍らに誰かの遺体があったし、銃声と爆音は生まれたその日に聞いた。
誰が彼らに、いのちのたいせつさ、など教えられただろう。



*



ロヴはその国の戦火の元を、手当たりしだいに破壊していった。残る二人は常にそれに従った。子供たちの行っているのは雑草の葉だけを毟り取る行為に似ていて、争いの根本となる部分の除去などはできていない。そういうのは大人同士の問題だ、政府でも何でも出てくれば良い。
ロヴは見せしめがしたかっただけだ。この国から戦争意識を消し去りたかったわけではないし興味もない。だからあと一つ、あと一つだけ潰して終わりにしようと思っていた。少年はそれで満足だった。
三人だった仲間が四人になるのは、それから少し後のことである。

「テトラ! 何だ、それ?」

その日、最後に消していこうと白羽の矢が立ったテログループのアジトに偵察として向かったのはテトラ一人だった。少女の外見はあまりにも幼かったが、この時すでにこれ程度は完遂できるほどの力量を持っていたので問題はない。
問題はない、が、テトラが連れ帰ってきたものを見てロヴは驚愕した。思わず素っ頓狂な声も出た。それは碧い瞳を持った、まだ幼い少女だったのである。薄汚れた金の髪は、洗えばさぞ綺麗に輝くだろうと彼は思った。

「ミク」

言って、テトラが笑う。名前を聞いたわけじゃない、とロヴはぼやきながら、それでもその金髪の少女を迎え入れた。

(同じ、)

そう、同じなのだ。どうやらこればかりは直感で分かるらしい。ミクと名乗る少女と自分達は仲間なのだと、ロヴは本能的に感じ取ったのである。テトラの話によれば、これから彼らの襲撃する予定の場所にはまだ他にも多くの人間がいるらしい。三分の一ほどは戦力とは無関係の捕虜、どういう経緯でそうなったのかはわからないが、ミクもそのうちの一人であった。
テトラがミクだけを連れ出した理由は、やはり彼女にもわかったのだろうとおもう。同胞の、匂い。

さて、“Mick”という言葉を聞いたことがあるだろうか。
この金髪碧目の少女はテロ組織の捕虜として監禁されていたアイルランド人で、“Mick”と呼ばれていたらしい。だからテトラに対しても、少女はそう名乗ったのだ。
――しかし真実はたいそう歪んでいる。“Mick”とはアイルランド人・ローマカトリック教徒を示す差別用語で、蔑む意味のその言葉を、ミクは自分の名として認識していたにすぎないのだから。

ロヴ達三人はその知能・身体能力ともに、同年代の子供に比べると遥かに優れた成長を遂げていた。
それはこの少女、ミクも同じである。
ミクはこの時、自分の意思でロヴ達についてゆくことを決めた。自分の他にも捕虜はいたが、助けなければならないという義務感には襲われなかった。
自分を取り巻いていた醜い世界の破片を、拾い集める必要がどこにある?

テログループの根城から火の手が上がったのは、その日の明け方近くであった。同時にその国の政府を吹き飛ばそうと思ったのは子供たちの気紛れだ。
それはこの世を腐らせた大人たちへの、ささやかな復讐。



翌日、ロヴはミクを加えた三人を連れて国を出奔した。もうその場所に国と呼べる機能が残っていたかどうかは定かでない。

(亡命という名の脱獄)
(世界という牢からの)

干からびた大地が血を吸った。生温い風が背を押した。
子供達は目的を決める。辿り着けるかは、わからないけれど。

「――行こう」

最後に見たのは荒れ果てた焦土だけ。

この世界には、未練など無い。













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