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『これが私の世界だから』
作:カオリ



第三章《はじまり》:はじまりの寓話(1)


『自分の命を救おうと思うものはそれを失い、私のために自分の命を失う者は、それを救うのだ。人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう』

“命ずれば従うとは、この御方は何者であろうか。風も水も、仰せのままに統べることができたというよ”

――聖書“LUKE”……〈ルカによる副音書〉より抜粋――















厄介な事になった。この場に集まった誰しもがそれを自覚している。重たい空気の中で口火を切ったのは、組織の首領たる男であった。

「少々、まずい展開かもしれないな」

抑揚の無い声で反応を示し、ロヴはぐるりと一帯を見渡した。地下に存在する、隠されたロヴの部屋。そこに集まった顔触れで事態が急を要するものだと容易に想像できる。
首領ロヴ・ハーキンズを筆頭に、〈ハングマン〉エヴィル・ブルータス、〈マーダラー〉ミク・ロヴナス、そして七見月葉――テトラコマンダー代表である――が並んで席に着いていた。
そして話題の中心にあるのが、ルカ、千瀬、ルードの三人である。千瀬とルード以外のメンバーは、ルシファーに緊急事態が起こった場合のみに集められる代表者たち。彼らは皆落ち着いた様子で、しかし神経を張り巡らしながら三人の話を聞いていた。

「その、ユリシーズってのは何者なの? 平和維持組織って……」

形のよい唇を歪めながら、ミクが言う。それを受けたロヴは表情を変えぬまま、可能性だが、と言葉を続けた。

「――カーマロカ」
「何……?」
「《裏政府》管轄の極秘組織だ。お前も聞いたことぐらいはあるだろう」

まさか、とミクが小さな叫び声をあげる。普段冷静な彼女にしては珍しく、その表情には驚愕と焦燥が浮かんでいた。それまで口を閉ざしていたルカはロヴの言葉を受けて頷く。

「それしかないと思う。ユリシーズの特殊な力にも、彼等の戦闘経験にも納得がいくもの」

カーマロカ――それは、ルシファーとは相対する場所に位置する組織の名である。
一般には存在すら知られていない、世界政府が極秘で生み出した特殊機関。主な任務は平和維持――そして、それに伴う障害の削除。正義の名の下に彼らは動く。
そして一握りの人間しか知りえないカーマロカ最大の特徴は、“裁き”を行うためだけに世界各国から実力者を召集しているということだった。『実力者』、それは一説には、奇妙かつ特異な能力を有する人間を指すのだと。

「カーマロカは能力者を保有している、そういう噂は聞いていたんだ。確証などどこにも無かったがな」

――そう、ルシファーのように。
それは誰も口には出さない、しかしあまりにも明確な彼らの共通点だった。敵になるとすれば“そういう者達”だと、心中では皆わかっていたのだ。

「都市伝説のようなものの類かと思っていたが。厄介と言えば厄介だ」

ロヴは薄ら笑いを浮かべる。存在は知っていた――不確定要素とはいえ、警戒はしていたのだ。見えなかった敵が見えるようになっただけの話である。強いて言うならば、これまで相手にしてきたどの組織よりも手強いであろうが。
“カーマロカ”とは、もとはギリシア語の煉獄――肉体から離れたばかりの魂を集め浄化を行う場所、を表す言葉である。それを教えられ、千瀬は小さく身震いした。正にルシファーとは対極ではないか。

(真逆、なのに)

相容れぬ善と悪、白と黒、光と闇の如く。
けれど、と千瀬は思う。少女にとっては、あの少年のほうがよほど闇の住人のように感じられた。

「あいつ……ユリシーズは」

ルードが真剣な面持ちで続きを語る。彼には似合わない、堅い表情。こうしてみるとこの少年も組織の上層を担う幹部の一員である。千瀬は肩身の狭い思いだった。明らかに一人だけ、場違いなんじゃないか。

「あいつ、ルカ姉を殺すんだって言ってた」
「できるはずないわ!」

思わず声を荒げたミクをロヴが片手を挙げて制止した。ルードは気圧されたように一度下を向き、またおずおずと口を開く。

「んなことわかってるし、殺らせねーよ……でも、あいつは手段を選ばない。しかもルカ姉を本気にさせたがってる」

あいつのヤバさは会ってみなきゃわかんねぇよ、少年は深刻な面持ちで頷いた。千瀬も同意する。少女が思い出すたび、未だユリシーズの笑みは彼女の背筋を震わせていた。

「まぁ、ルシファーに攻撃を仕掛けてくる可能性はあるかもしれないな」

重大な発言を飄々とした口振りでロヴが言うのは、彼自身、実はその可能性は少ないと思っているからであった。話を聞くかぎり、ユリシーズなる少年の執着の先はルカであって、彼女の所属する組織ではないようだった。(そもそも本気で組織を潰す気があれば、帰還する三人に尾行でも付ければ良い。ルカが居たのでは成功する可能性は無に等しかっただろうが、それでもだ。)
かといって不安要素が無いとは言いきれないのだが(むしろ普通ならば狙われるルカ本人を気遣うところだ)ロヴにはこの黒髪の少女がむざむざやられるところなど、露ほどにも想像できないのである。彼の忠実な部下は、見た目とはかけ離れた実力を持っているのだから。

「……戦力を固めておく必要が、あるんじゃないですか?」
「俺もそう思うぜー。幸い〈ソルジャー〉はこの間帰ってきた奴で全部だし……とりあえず〈マーダラー〉は全員揃ってるべきだろ。それから《エイド》……“J”のおっさんも本部に呼び戻せよ、ロヴ」

小声で問い掛けた月葉にルードが賛同の意を示す。呑気な首領とは違い、彼女等は真剣に組織の防衛を考えたようだった。
千瀬は前に駿から教わった組織図を、頭の中でゆっくり思い浮かべる。
エイド。確か首領の補佐にあたる役職だったはずだ。ルシファーの副首領――千瀬は、まだ会ったことは無い。
しかしルードの言葉に答えたのは、ロヴではなくエヴィルであった。

「ルード。《エイド》はもういない」
「……?」
「“J”――いや。ジェイ・ハインリッヒは〈ハングマン〉が始末した。三週間前の話だ」

ルードの口がぽかんと開かれた。みるみるうちに表情が驚愕に染められる。

「な、んだって……? どうして、」
「少し前にルシファーの情報が流出したこと、覚えてるか。当事者はとっくに消してあるが――廃棄場でアレの処分を任されたのはお前だったはずだ、チトセ」

黄金色の瞳に見つめられて、千瀬の脳裏に鮮明な映像が蘇った。ここに来てはじめて少女が殺した、あの。

(忘れるはずが、ない)

静かに頷いた千瀬を見やり、エヴィルが続ける。

「あれを裏で手引きしていたのがハインリッヒだ。ツヅリとスミレを北アメリカに派遣したのは、奴の身辺調査と反逆の裏づけをとるためだった」

聞けばハインリッヒという男は、千瀬がルシファーに所属する前から北アメリカに単独赴任していたらしい。彼の動向が怪しいと気が付いた時には、もうハインリッヒ本人は組織本部から遠く離れた地にいたのだ。
〈ソルジャー〉二名による長期の北アメリカ遠征――そして確証を得た、副首領の組織裏切りという紛れも無い事実。
淡々と語られる言葉を耳にしながら、俺は聞いてない、とルードが唸った。

「このことはまだロヴを初めとした幹部連中しか知らなかった。北アメリカ遠征の二人には知らせざるを得なかったがな。ルードに話が伝わらなかったのは、お前がしつこく脱走を繰り返していたからだろう」

エヴィルの言葉に、そうだけど、でも、とルードはうなだれる。自分自身の非を理解している少年はそれ以上反論できず、ただ悔しそうに俯くことしかできなかった。

「……ジェイ・ハインリッヒという男はね。言ってみれば切れ者で、策略家だったわ」

未だ話を飲み込めずぼうっとしていた千瀬にルカが声をかける。彼女は下を向いたルードの頭に手を乗せてくしゃくしゃと撫でながら(ガキ扱いすんな、と少年が身を捩った)小さく笑ってみせた。

「ジェイにはEPPCとは違って際立った能力は無かったけれど、その知能と行動力だけでルシファーを上り詰めたの。《エイド》の地位を獲得してからは、彼は自分の頭脳を駆使して戦略を立て、《パース》からなる小隊の指揮も執っていた」

EPPCを除けばルシファーの主戦力であった、【戦闘策略家】ジェイ・ハインリッヒ。『J』――それは、戦地での彼のコードネームのはずだった。

「……人間って、笑えちゃうくらい愚か」

彼は欲しいものを我慢できなかったのだ、そう言ってルカは僅かに空を睨む。それから肩の力を抜くと、くすりと笑みを零した。

「ジェイが次に〈ヘッド〉の座を狙おうとしたのは自然な流れだったのかもしれない。でも、私たちがそれを許すわけないじゃない」

だから殺したわ。少女はさらりと黒髪を揺らして呟いた。それが彼女の当たり前で、それが〈ハングマン〉の使命で、同時に存在理由レゾンデートルでもある。

「野心があるのは悪いことじゃない。だが、相手を選べないのはただの馬鹿だ」

吐き捨てるようにそう言って、エヴィルはルードに何か紙の束を渡した。投げた、と言ったほうが正確か。分厚いそれはバサリと音を立てて少年の頭上に落下する。

「危ねッ……これは?」
「ツヅリの作成したレポートだ。ジェイが外部に漏らしたルシファーの情報……これを見てみろ。特戦隊の個人情報まで流れ出た可能性がある」

そこに記されていたのは当時まだいなかった千瀬を除く〈ソルジャー〉十二人分に〈ハングマン〉と〈マーダラー〉の幹部格を加えた十八個のデータリストであった。さすがにロヴ本人のものは含まれていない。(存在するのかもわからないが。)自分のものを見つけてしまったのか、うぇ、とルードが声を洩らした。

「こんなデータいつとったの。細かすぎ」

これじゃ逆に危険なくらいだ、そうぼやいた少年を咎めるものはいない。実際、それがこんな事態を引き起こしているのだから。

「“ルキフージュ”の存在は当時一部の界隈じゃ有名だった。現在知っている奴がいても……まぁ、不思議ではない。ただしルカの名までユリシーズが知っていたとなれば――それはジェイの流した情報を、カーマロカが受け取った可能性を示している。カーマロカ側は、こちらの手の内を知り尽くしているわけだ」

ロヴの言葉に、確かにそうだと千瀬は思う。そうでもなければ、ユリシーズが初対面のルカのフルネームを言いのけるなどという芸当ができるはずもない。
事態は最悪のシナリオに向かっているのでは、と千瀬は不安を掻き立てられた。こちらの情報は筒抜けで、相手の能力・人数は未知数。さらに現状において、ルシファーの《エイド》は空席――。
ロヴはルードの頭を優しく叩くと、後方に控えていた金髪の女性を振り返った。

「……万全を期すに越したことは無いか――ツキハ」
「はい」
「休暇は終わりだ、と。“ジェミニカ”を呼び戻す手続きを済ませておいてくれ。こっちから迎えは出す」

月葉は畏まると左右色の違う瞳を静かに伏せ、承諾の意を示した。

「わかりました」

返事に頷きロヴが周囲に目をやると、エヴィルとミクが黙って立ち上がる。会議が、終わろうとしているのだ。
しかし千瀬にはどうしても尋ねたいことがあり、悩んだ末に口を開いた。

「あの」
「どうした?」

千瀬は軽く息を吸い込んだ。言うか言うまいかもう一度だけ悩んだが、結局はその言葉を紡いでしまう。

「“ルキフージュ”って、何ですか?」

少しだけ。その時少しだけ、空気が揺らいだ。席を立った面々が動きを止める。やはりまずかったかと体を強ばらせた千瀬とは反対にルードが目を輝かせた。彼も気になっていたのだろう。

「ああ。君には聞く権利があるな」

ロヴは柔らかく笑ってみせた。それがあまりにも朗らかで、かえって千瀬は緊張してしまったのだが。

「昔話をしてあげよう。ルシファー設立よりもずっと前の、ね。どうぞ、座ったらどうだい?」












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