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『これが私の世界だから』
作:カオリ



第三章《はじまり》:狂う歯車(1)



(今でもあたしはこの日のことを)
(繰り返し、繰り返し思い出す)
(未練がましく願うんだ。)
(――『あの日さえ無かったなら、今もきっと』)











*



少女は薄らと目を開けた。いつも通りの起床、爽やかな朝。寝慣れたソファーから降りて、駿とロザリーと共に朝食をとる。
日本人が多かったせいか、遠征から帰ってきたメンバーとはだいぶ打ち解けた気がする。すれ違いざまに数人と挨拶を交わして、千瀬はそんなことを考えた。

少女がこの組織にやってきてからどれだけの日数が経過したのか、正確には分からない。それでも千瀬が道に迷う回数は格段に減っていたし(減っただけで実はまだあるのだが)殺伐としている癖にアットホーム、という矛盾満載なここの空気や、奔放すぎる首領にも慣れた。細かい仕事にも順応できるようになったと思う。
その仕事の一貫として本日千瀬は廃棄場の掃除当番にあたっていたので、同じく当番になったツヅリと廃棄場に向かった。

「慣れてきた?」
「はい」
「そ、良かった。……いつ来ても臭いなぁここ」

最初は未知の相手というカテゴリーに分類されていたツヅリも、ここ最近のやり取りで意外と気さくな人物であることが判明している。その青年と他愛のない話をし、手早く掃除をすませて(確かに彼の言うとおり異臭がするものだから)極力急いで元の道を帰った。通常どおり。犯罪組織にしては実に平和な一日の一コマである。
しかし、少女の通常はここまでであった。“監獄”に帰った彼女を出迎えた者がいたからだ。それは千瀬の上司にあたる少女で、言うなればこの組織の幹部である。なんでこんなところに、そう尋ねるつもりで動かした口は半開きの状態で固定された。目の前の人物――ルカが、突拍子もないことを口にしたからだ。

「……え? 今なんて、」

思わず千瀬は瞠目した。千瀬のものよりもずっと深い黒色の長髪を揺らし、目の前の少女はコロコロと笑う。ルカは至極機嫌が良さそうで、普段よく目にするスーツ――幹部陣は礼装であることが多い――ではなく、ふわふわした軽い布地のスカートを履いていた。何だか普通の女の子に見えるな、と千瀬は不謹慎なことを考える。

「あは、そんなに驚かないで」

私とお買い物に行きましょう?
ルカは先刻発したのと同じ台詞を口にする。その意味を頭で咀嚼して、ますます千瀬は混乱した。

「買い物、って……」

なにをどうすると買い物になるんだ。困惑を色濃く浮かべる千瀬にの手のひらに、ルカ小さなメモを握らせる。わかりきっていたことだが、千瀬に拒否権はないらしい。

「それに書いてある時間になったら門に集合だよ。お昼ご飯は食べといてね」
「……はぁ」

そのままひらひらと手を振って、ルカは部屋から出ていった。千瀬は茫然とその後ろ姿を見送る。ルカ・ハーベントが組織内でロヴに次ぐマイペースであることを千瀬が悟るのはもう少しあとの話であるが、この時確かに少女はその片鱗を見せ付けられたのだった。

(買い物って。犯罪組織なのに?)



*



「――うおぉ! チトセちゃんじゃんっ、ラッキィ!!」

響き渡った声に千瀬は首を傾げた。時計の針は午後二時三十分を示している。
黒い門へと向かった少女の目に映ったのはルカではなく、癖の強い赤毛だったのだ。

「あなた……」

千瀬の姿を見るなり叫び声を上げた赤毛の少年は、猫のような目を細めてにかっと笑う。唇の隙間から白い歯が見えた。

「オレのこと、覚えてる?」
「……ルード」

小さく、けれど確信を持って千瀬はその名を呟いた。それを聞くやいなや少年――ルード・エンデバーは親指をぐっと力強く立てて笑みを浮かべる。

「イエス!」

千瀬が以前一度だけ会ったことのあるルード。彼はつい先日まで行方不明になっており、〈マーダラー〉が必死の捜索を続けていたはずである。そんな情報を頭から引き出して、千瀬はそっと呟いた。

「発見されたんだ……」

ぽつりと零された言葉を耳聡く拾ったルードはぎゅっと眉を寄せる。思い切りしかめっ面を作ったあと、欝憤を吐き出すように低く唸った。

「一昨日ね……っとに、不覚だよ。ちょっと小腹が空いて厨房に忍び込もうとしたらさ、幹部の奴らがテーブル囲って茶ァしてやんの!」

信じらんねぇよ、ロヴまでいたんだぜ! と苦々しげに訴える少年から千瀬は思わず顔を逸らした。千瀬自身、以前あの男とうっかりお茶を楽しんでしまった経験があるだけに何も言えない。

「オレを見つけた瞬間ミクの奴が血相変えてさ、そしたら隣に座ってたエヴィルが……うっ」

そこまで勢い良く語っていたルードが突然片手で顔を覆った。吐き気を堪えているのか真っ青である。少年に怪訝に思った千瀬がその顔色に驚愕し、思わず彼の背をさすってやろうと手を伸ばしている間、ルードはトラウマになりかけた思い出と戦っていたのだった。

「……と、とにかくそういうわけで捕獲されたわけデスヨ」
「……」

何があったのかは聞くまい。千瀬は固く心に誓った。
その捕獲されたルードがどうしてここにいるのかは分からないが、大方何か罰でも言い付けられたのだろう。しかしその罰と自分が買い物に付き合う理由が結び付かなくて、千瀬はしきりに首を傾げた。

「――あ、ちゃんと来てるね」

その時、どこからともなく二人を呼び出した張本人が現れる。全く気配を感じ取れていなかった千瀬はその声に身体を強ばらせた。ルカはそんな少女の様子を知ってか知らずか、一人楽しそうに笑みを浮かべる。

「あれ乗って」

ルカの指差した先には黒光りする胴長の車が待っていた。その名をリムジンと言うのだが千瀬は知らない。ただ、高級そうな雰囲気は嫌でも感じ取ることができた。
恐る恐る乗り込むと同時に扉が閉められ、一気に視界が暗転する。窓硝子に貼られた遮光シートとカーテンのせいで外は全く見えなくなった。

(……暗ッ!)

二人の子供は心の中で同時に叫ぶ。誘拐される人間って、きっとこんな感じだ。


*



外の様子が全くわからぬまま車に三十分以上乗り続け、漸く空を拝めた時には見知らぬ町に着いていた。そこから更にレトロな列車に乗り込み二駅。

(うわぁ、ヨーロッパって感じ)

千瀬は立ち並ぶ町並みに目を細めた。少女の中でヨーロッパはこんなイメージである。見たことはないのであくまでも想像だが。
ルカの導くままにやって来たここ――“カルバラ”という――は、様々な種類の店が立ち並ぶ大きな街である。賑やかな商店はまさに買い物にはうってつけだろう。

「何を買うの?」
「とりあえず、ロヴご贔屓の菓子工房に寄らなくちゃ」

買わずに帰ったら不機嫌になるんだよね、そう言ってルカは笑う。
千瀬はますますわけがわからなくなって、考えるのを放棄した。何か仕事関連の買い物をするのかと思いきや、本当に私用で来たのかもしれない。そういうこともあるのだろう――たぶん。
ルカが向かったのは“ラ・パルタ”という名の菓子屋だった。数多の菓子や手作りのパンが並んでいて、中には以前千瀬がロヴに貰った茶菓子も売っている。
店から出た時にはルカと千瀬は手ぶらで、ルードだけが大振りの紙袋を提げて歩いていた。この段階で、本日のルードの役割が判明する。要は荷物持ちなのだ。
軽いけど嵩張るんだと、少年は何度も愚痴を零した。

続いてはどこに向かうのだろうと千瀬が想像を巡らせているうちに、ルカは真直ぐ何処かへと歩みだす。迷いのない足取りを見て行き先は決まっているのだろうと悟ったが、その背中が大通りから薄暗い路地に入っていったのを見て千瀬はぎょっとした。

「こっちよ、はぐれないでね」

長い黒髪を軽快に揺らしながら少女が進んでいくのを、千瀬とルードは急いで追い掛けた。置いていかれるなど冗談じゃない。
そうやって数分歩いたのち、最終的にルカが示したのはどっしりとした構えの年期の入った店であった。

「怪しい店」

小さく呟かれたルードの言葉を千瀬の耳が拾ったが、まさにその通りだ。こんな薄暗い辺鄙な場所に、ぽつりと一店だけ。
古ぼけた看板は墨で書かれていたのか、擦れてしまってほとんど見えない。それでもなんとか千瀬が目を凝らすと、書かれていたらしき文字の形が読み取れた――否、なんと書いてあるかまでわかる。

「……刀鍛冶?」
「何、カタナカジ?」

ルードが突然奇妙な呪文を唱えた千瀬を訝しんで見つめる。もちろんそれは呪文などではなく、立派な日本語だったのだが。日本語が書いてある。それに酷く驚愕した千瀬がルカを見つめると、彼女はにこりと笑ってみせた。

「――ミスター・タカムラ、いますか?」

ルカは迷う事無く薄暗い店内へと入っていく。程なくして奥から出てきた不精髭の男は千瀬と目が合うと、すんと小さく鼻を鳴らした。日本人だ、と直感で千瀬は悟る。

「ハーキンズの名義で注文がいっているはずなのだけど」

ルカが一言そう言うと、その男――高村は奥から漆黒の刀を取り出した。重たいのだろうか、酷くゆっくりした動作で差し出された刀をルカが受け取ると、彼女はそのままそれを千瀬に手渡す。

(刀、だ)

実物に触るのは久しぶりだった。
鯉口を切れば、現れるのは白銀に輝くすらりとした刀身。漆黒の鞘と柄、艶やかな装飾の鍔も黒銀色の日本刀。ずっしりとしているはずのその重みは、不思議な程よく千瀬の手に馴染んだ。それを見てルカが淡く笑みを浮かべる。

「――ロヴからチトセ、あなたに」

千瀬は刀を握り締めた。強く、強く。












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