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第四十一話 : 二回戦
 
 闇の中を駆け抜ける。
 夜道を照らすのは空から注ぐ月灯りと建物の窓から漏れる赤い光だけ。ランプかロウソクか、小さな炎の揺らめきが姿を変ながら夜道に注がれる。
 レンガを敷き詰めただけの道路には所々に窪みや盛り上がりがあってかなり走りづらい。車両速度調整のための手段なのか、それとも単純にこの時代の整備の仕方がぞんざいなのか。
 ……どっちにしても走りづらいったらしょうがない。

『サン様、五百メートル先を右折です』
「あいさー!」

 こっちの走りづらさなんかお構い無しに、フカサワちゃんは瞬間移動を繰り返す。
 抜きつ抜かれつのレースにも、夜の暗さにも慣れた。追い越したと思ったらすぐに遥か先に現れるピンクの球体は、道しるべのように行くべき道を示してくれる。
 わたしの足に合わせてくれてる……ってわけじゃないんだろうな。さっきまで居た時代での、あの一回の追いかけっこで、わたしの身体はフカサワちゃんの移動スピードを覚えたんだ。
 力を抜いてもいい瞬間、込める瞬間が手に取るようにわかる。
 我ながら天才肌だと思う。ほんの少しだけ出来た余裕のおかげでフカサワちゃんに話しかけるなんてことも出来ちゃうし。

「さっきのフカサワちゃん、すごい声出してたよねー」
『……先ほどのことは忘れて頂きたいのですが』
「あ、ごめん無理。わたしってかなり記憶力いい方だから」
『……ハァ。数ある俯瞰の眼の中でもあんな経験をするなんて、わたくしだけでしょうね……』

 ため息をつく俯瞰の目を見たのもわたしだけかもね。

「フカサワちゃん『ふんぬぅオーーっ!』とか言ってたもんねー。女の子があんな声出しちゃダメだよ」
『誰のせいですか、誰の!』
「うーん、サヤ姉ぇ?」
『……そうなんですけど、そうなんですけどぉ!』

 フカサワちゃん、涙目。どこまでもラブリーな子だぜ。
 さっきまで居たあの屋根の上からの脱出劇。主にフカサワちゃんに手伝ってもらったわけなんだけど、って言うかまんま乗っかって降りてきたんだけど。あの時のフカサワちゃんを思い出すだけで顔がニヤけてきちゃう。あまり引きずってたらフカサワちゃん泣いちゃうから、もうつっつくのは止めておこうかな。
 会話をしてる間にもわたし達のスピードは緩むことはない。
 脇道を突っ切る。道のど真ん中で眠るおっさんを飛び越える。ゴミ箱をあさっていたき物がこっちに向かって吠えてきた。
 ――今のあれは、確か、犬って動物だよね?
 映像じゃなく、生まれて初めて肉眼で見る犬の姿。垣間見えたその光景に感動する。それでも、わたしは足を動かし続ける。
 いくらわたしだって心得てる。――今はそんなことで立ち止まってる場合じゃないんだって。
 何の意図もなく出発地点をあんな位置に設定するなんて、普段のサヤ姉ぇからは考えられない。地点の確認をしてる暇がなかったんだ。それに加えて、この時代での猶予はたったの十分間。たったそれだけの時間で全部終わらせろって? あの冷静なサヤ姉ぇが、そんな無茶なことを?
 管制塔で何かが起こってる。もうそれしか考えられない。
 もう無事に還るだけじゃダメだ、とにかく急いで還らなきゃダメだ。そのためにも、絶対にさっきみたいな失敗は許されない。世界の意思かなんか知らないけど、あの娘をまたわたしの目の前から勝手にさらったりなんかしたら、絶対に許さない!
 あの娘はわたしにとってはどうでもいい存在だけど、ナツ兄ぃの心と時間を何年も独り占めにした許せない存在だけど!
 ……それでも、あの娘はナツ兄ぃの大切な人なんだ……。わたしの大切な人が、大切にしてる人なんだ!

「……絶対に連れて還るんだ、絶対に、絶対に……」
『……サン様?』
「フカサワちゃん、次は?」
『は、はい! 次の角を右に曲がれば後はまっすぐです。目標は街のはずれ、林に囲まれた平原に居ます』

 ――彼女はいつもあの平原で、一人で寂しそうに歌ってたんだ。
 ふと、ナツ兄ぃの言葉を思い出す。とことん平原が好きなのか。それとも、これが因縁ってやつなのかも。

「へぇ……幕を下ろすには相応しい場所じゃん」
『相応しい、ですか?』
「一人っきりの舞台で歌うのはもう終わり。わたしが主演女優をそこから奪い去ってやるんだ。かっこいいでしょ?」

 不敵な感じで笑みを漏らすわたし。ハテナ顔のフカサワちゃん。
 結構わかりやすい例えのつもりだったけど、フカサワちゃんはこういうのよくわかんないみたい。うい奴め。
 ピンクの球体が視界から消える。同時に、左足をブレーキ代わりに強く踏み込む。身体を右へ傾けながら、視界に映ったのは宙に舞うレンガの欠片と、闇に浮かぶ俯瞰の目。
 ――そしてその遥か先に見える、闇さえも染めることの出来ない、圧倒的なまでの、白。

「……見つけた」



 ◆ ◆ ◆



「……なんだ? 一体何が起こったんだ?」

 戸惑いの声が、二人しか居ない廊下に静かに響く。
 柳はたった今目の前で起こったばかりの光景の意味を全く図りかねていた。
 突然の敵の消失。一人の人間が、まるで手品のように、瞬きしたその瞬間に目の前から消えてしまったのだ。
 視界に映るのはもう一人の背中だけ。そこには戸惑いなど微塵も感じられない。まるでそうなることが当然であったかのような悠然たる態度。
 背中が振り返る。相変わらず冷たい視線のままだった。

「……室長、援護するつもりならば、まずは銃弾の補充をされてはいかがですか」

 その言葉に、柳の顔は激しく歪んだ。
 サヤの言葉通り、柳の銃にはもう弾は入っていなかった。つい数分前に激情のままに撃ち果たしてしまったことを、今の今まで失念していたのだ。
 戦う意思とその覚悟を決めた矢先の失態。よりにもよって、一番見られたくない相手に。

「ぐっ……、そ、それよりも! ヤツはどうなったんだ? どこに行った? どこかに隠れてるのか?」
「あの男なら、消しました」
「消し、た……?」
「ええ」
『見事に消されちゃったねぇ』

 その瞬間、柳の口から「ひっ」とわずかな悲鳴が漏れ出た。
 赤面しながら口を塞ぐ柳を尻目にサヤは視線を走らせる。が、索敵すべき相手はどこにも居ない。
 黒尽くめの男。あの冷徹な声。天の恵みのように、その声は降り注いだ。

『――いつ気付いた?』

 誰にとも告げない、至る場所から響いてくるその声。柳はその意味を図りかね、サヤは瞬時に返事を返す。

「あなたが私の監視下から消えた時から。確信したのは、実際にこの目で見てから」
『なるほど。アンタを少々見くびっていたようだ』
「ど、どういうことだ……?」

 一人話しについていけない柳にサヤが視線を向ける。
 その問いに答えることなく、サヤの左手がキーボード上を舞う。それをきっかけに、あの黒尽くめの男が再び姿を現した。魚眼レンズで覗いたように、その身を大きく歪ませながら。
 その異様な姿を見て、柳は元々大きな目をさらに大きくして息を呑んだ。

「……まさか、ホログラム、だったのか……?」

 思わず漏れた呟き。誰もそれに応える者はいない。
 時さえも越える技術を手に入れた現代において、ホログラムは今や日常的な技術。素人であっても単純なホログラム程度なら簡単に作り出せる程の一般的な技術だ。街中に至っては精密なホログラムが広告代わりに空を飛び交うのが当たり前で、柳も当然その光景に慣れ親しんでいた。
 しかしそれでも、先ほどまで対峙していた相手がそうだとは、微塵も思わなかった。
 立体感。質量感。存在感。どれを取っても本物の人間と見紛うばかりの立体映像。目の前でタネ明かしをされた今であっても、柳にはアレがニセモノだったのだと信じることが出来なかった。
 瞬きも忘れた柳。その顔を見て、天からの声は上機嫌に響いた。

『クククッ、いい反応をするなぁ。わざわざ作った甲斐がある』
「うっ、うるさい! 笑うなァ!」
『ああ、すまない。謝るから弾なしの銃を向けないでおくれ。怖くて怖くて。……クク』
「……くぅ……!」

 今にも噛み付きそうな顔つきで柳は弾の切れたマガジンを床に投げ放った。
 新しいマガジンを装填し終わる頃、ふと気付く。隣で佇むサヤから立ち上る、先ほど以上に張り詰めた緊張感。まるで刃物を持った相手と至近距離で対峙しているかのような、真剣な眼差し。

『何か言いたげだねぇ、お嬢さん』
「……サンから聞いた話では、あなたは人をいたぶるのが趣味の変態だとか」
『随分失礼な物言いだが、否定はしない』
「そのあなたが、自分自身ではなく手の込んだホログラムで私たちをかく乱する。……どうにも矛盾を感じる」
『ほうほう』
「ここから先は推測だけれど、あなた自身はこの場には来ていないわね。何か理由があって、どこか遠くから干渉をかけざるを得ない状況にある。そのためにあそこまで手の込んだホログラムを作成した。……違う?」
『……根拠は?』
「セキュリティの厳しいこの管制塔に、音声の発信先、光による影の角度まで計算してホロブラムを進入、射出させていたのなら、あなたのハッカーとしてのレベルは相当だわ。監視カメラの映像も当然あなたには届いているはず。なのに、あなたは室長との会話で言ってたわね。私と室長が一緒に居ると思ったが思い違いだったかな、と。私たちの姿がまるで見えていないかのように。なぜそう振舞う必要があったの?」
『――――』

 天からの声に、明らかな間が生じた。
 相手の返事を待たずに、サヤは推理を続ける。

「神出鬼没に現れる精巧なホログラム。あなたはそれを使うことで私たちの危機感を煽り、サンの帰還を予定よりも早めようとした。……違う?」
『――ご名答。もし本当にフライングマンを救い出してきたとなっちゃ、主には面白くない事態だろうからねぇ。それをされる前にと思ったんだが、どうやら一筋縄じゃあいかないようだねぇ。相手を殺さずに言うことをきかせるのは、本当に難儀だ』

 渡り廊下に、ゆったりとした拍手の音が響き渡る。その冷たい声色からは、ふざけているのか感心しているのか、判断することは出来ない。
 七拍目で拍手が止まる。同時に発せられた言葉に、サヤは息を呑んだ。

『満足な答えだよ、日高サヤ。それじゃあ、君たちには二回戦への進出を認めてあげよう』
「二回戦……?」
『そんな不機嫌そうな顔をしなさんな。ヒントはあっただろう? それとも、まだ気付けていないか?』

 そう、ヒントはあった。先ほどのサヤの推論に、たった一つだけ残った疑問点。
 奴がこの場に訪れていないのは確かだろう。あの精巧すぎるホログラムと、不必要な芝居がその理由だ。
 実体を持たないホログラム。奴が仕掛けたのはたったそれだけのはず。
 ……それが、どうやって?
 実体を持たないはずのホログラムがどうやって、この管制塔の護衛官たちを全員始末出来たと言うのか?

『やれやれ。それじゃあ、こちらもタネ明かしといこうか』

 思案に耽るサヤと呆然とする柳をよそに、声は相変わらず冷たくもひょうひょうとした調子で言葉を紡ぐ。
 二回戦とはどういう意味なのか。そうサヤが問いただす前に――それは起こった。
 先ほどまでホログラムが立っていたその場所、第三オペレータールームの扉の中。
 そこから、とてつもない轟音と共に大きな炎が吹き荒れた。
 思案に神経を集中させていた二人は爆風に吹き飛ばされ、床に倒れこんだ。鼓膜が破れるほどの轟音は爆風と共に長い廊下をまっすぐに走りぬける。強化ガラスの窓にはヒビが入り、床はそれに呼応するようにビリビリと細かい振動を繰り返した。
 熱のこもった風が遅れて二人を襲う。熱風から顔をかばうようにかざした手の隙間から見える光景。その意味に気付いたのは、柳の方が先だった。

「ば、……爆発……! オペレータールームが、爆発しただとォ!?」
『そう、爆発だ』

 何事もなかったかのように、声は淡々と事実を繰り返す。
 数メートル先の黒く漕げた廊下と、未だもうもうと立ち込める炎を見つめる二人。一瞬で惨劇の場と化したその光景に、まるでショーの司会者のような不釣合いな明るい声が響き渡る。

『それでは宣言しよう。――二回戦の始まりだ』 


 ◆ ◆ ◆
  
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