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風が奏でる癒し唄
作:鮎坂カズヤ



幕間 : 最後の交差


 

 ◆ ◆ ◆



 この世で最も愚かな行為。権力を使った横行。そして、人を殺すこと。
 私は、それらをけして許さない。
 イオとオズの命を奪ったそれらを、けして許さない。

 あの日――イオが輪姦された、あの日。
 あの日を境に、私たちの輝かしい日々は終わりを告げたのだ。

 イオとオズの兄妹と出会ったのは、私がまだ五歳の頃。
 生まれつき身体の弱かった私は、ことあるごとに意識を失い、目覚めた時には病室のベッドで体中に管が通されていることも、そこまで珍しいことではなかった。
 むしろ、意識がある方が珍しかったのだ。
 目覚めると、いつの間にか数日が経過している。そんなことは日常茶飯事だ。
 毎日毎日、生と死の狭間を行き来する。私の意思などお構いなしに。
 いつ二度と目覚めなくなってもおかしくない存在。
 目が覚める度に、自分がまだ生きていることに、絶望した。
 意識がある時間は、すべて死への恐怖に支配されていたからだ。
 死ぬことがどういうことかわからない。ただ、自分という存在がどこにも居なくなってしまうことだけが、無性に怖かった。
 その頃の私には、希望など一筋も見えなかった。
 唯一の心の拠り所であった姉のような存在の女性さえ、私の前から姿を消した。
 生きる意味がなかった。
 死ぬ理由さえなかった。
 あの兄妹と出会ったのは、そんな時だった。

「おそとであそぼ!」

 何日か振りに目を覚ました時、目の前にいた女の子が、突然そんなことを言った。
 くちづけでもするかのような至近距離。その距離で、私は初めて、イオの笑顔を見た。
 ――天使かと思った。
 ついに天使が私を迎えに来たのかと、子供心に本気で思ったものだ。
 『天使のくちづけ』は幼くして死んだ子供の魂を新たな天使として迎えるための儀式だと、何かの絵本で読んだからだ。
 だが、その天使の笑顔の女の子は、私の思っていた天使などではなかった。
 彼女はまぎれもなく、私を狭間から解き放ってくれたのだから。

「わたし、イオ! オズもきてるの! きみもいっしょにあそぼ!」

 そう言って、イオと名乗ったその女の子は、私の身体に繋がる管をぶちぶちと千切り出した。
 驚いて声も出せない私に、イオは悪びれた様子もなく、全ての管を千切り終えて満面の笑顔で、言ったのだ。

「これで、じゆうにうごけるでしょ?」

 その管は、私を無理やり生かすために繋がっているのだと思っていた。
 その管は、私の魂をこの世に縛りつけるためにあるのだと思っていた。
 でも、実際は。
 縛られていたのは、私の心だったのだ。
 それからの私は、医者に言わせれば奇跡としか言いようの無い程の回復を見せた。
 意識を失うことも、昏睡状態になることも、毎日のように訪れた発作さえ、私の身に二度と降りかかることはない。

 私は、一人の天使に狭間から救い出されたのだ。

 もしも天国というものがあるのなら。
 それはあの頃の幸せにも勝る幸福を私にもたらしてくれるのだろうか。
 …………。
 何をバカなことを考えているのだろう。
 仮にそうであったとしても、私にはその場所に行く資格などない。あるはずがない。
 オズとイオの命を奪った二つの大罪。私は、そのどちらをも犯したのだ。
 自分の目的を果たすために、復讐を成し遂げるために、権力を横行し、一人の少女の命を奪った。
 私の行く道は、もはや一つしかない。
 だが、その前にやらなければならないことがある。それを為しえない限り、私は地獄へ行くことはできないのだから。



 ――写真立てを閉じる。
 過ぎた過去を振り返りすぎては心の毒だ。幸せは時に、絶望以上の厄災となる。
 闇の中に一筋の光を生じさせなければ、時に方向を見失う。だが光に充たされ続ければ、闇は無くなってしまう。それは私の望むことではない。
 闇に浸れ。そうでなければ、正常に狂うことなどできない。
 復讐こそが今の私の生きる意味。死ぬ理由は今もない。
 そうして、闇に浸っている、その時だった。
 内通電話を知らせる音が、書斎に響く。電話を受け取ると、秘書からは「日高様からお電話です」の言葉。
 闇に浸らせた心を瞬時に覆い隠す。外に出向く時の自分へと切り替える。
 日高ナツの顔がホログラムで浮かび上がるのと同時に、私は笑顔を浮かべた。

『あ、仙堂さん、ちわっす!』
「やぁ日高さん。今日も元気そうですね。助手のお嬢さんも元気でいらっしゃいますか?」
『サンも相変わらず元気ですよ。俺ら、元気だけが取り得ですから』
「フライングマン研究の泰斗が何をおっしゃいますか。あなた程の英知と活力に優れた人物は私の知る限りでは二人といませんよ」
『あはは、仙堂さんは人をおだてるの得意なんすから。……ところで、タイトって何すか?』
『ナツ兄ぃみたいな人のことだよー』
『うおっ! おい、サン! 今電話中なんだから絡みつくなっての! 夜も遅いんだから早く寝ろって!』
『あっはっは〜♪』

 目の前に浮かび上がる微笑ましい光景に、思わず笑みをこぼしてしまう。
 それは商談用の笑みではなく、元来私が持っていた笑みだ。
 あの兄妹がまだ生きていた時、自然に出ていた笑み。
 夕凪サンを奥の部屋に追いやっていた日高ナツが画面に戻ってくる前に、その笑みをしまわなければならない。
 私はもう、あの頃には戻れないのだから。

『すいません、仙堂さん。……で、今回の報告なんすけど』

 それから、研究の報告が始まる。
 今回の報告は今までにもまして有益な情報だった。
 フライングマンに深く関連する『白』の可視光の波長。
 その波長を用いれば一時的とは言え、こちら側の存在を向こう側へとシフトすることができるらしい。今後の研究の課題は、どうすれば永続的にシフトできるのかを研究するつもりだと言う。
 報告を聴いている間中、私は顔が緩みそうになるのを必死で堪えていた。
 私が欲していた情報は、まさに、それだ。
 白の波長、か。まだ一時的とは言え、充分だ。
 《if》の完成には欠かせない要素となるだろう。今夜のうちにG&B製薬に報告書を転送しておくとしよう。
 約一時間ほどの定期報告が終了し会話を閉じようとした時、日高ナツの様子がどこかおかしいことに気付いた。何かを言いよどんでいるようにも見える。
 この男ほどまっすぐで、鈍感で、明け透けな人物はいないと思っていたのだが。何か私に言いずらいことでもあるのかもしれない。
 ……金か、人材か、信用か、あるいは物資か。
 他人が私に望む物は大抵そんなものだが、さて。

「遠慮することはありません。おっしゃってください、日高さん」
『へっ? な、何がっすか?』
「老いたとは言え、私の人を見る目はまだまだ現役のつもりです。あなたという優秀な人材を探し出せたのも、この目のおかげだと思っています。……もちろん、私がもうろくしてなければの話ですが」
『ったく、どこがもうろくしてるんですか。仙堂さん鋭すぎるんすよ。やっぱ仙堂さんの前じゃ隠し事なんて意味ないっすね』

 ――爽やかな笑み。
 心中をずばり察せられてもこの笑みを浮かべられる人間が、この世界には何人いるだろうか。
 この男は私の出会ったどの人間ともタイプが違う。だからこそ興味深く、だからこそ怖ろしく、ともすれば心を許してしまいそうになる。
 日高ナツ。不思議な男だ。

『じゃあ改めて。……仙堂さんにお願いがあるんです』
「日高さんからの頼まれごとですか。私に出来得ることならよいのですが。さて?」
『仙堂さんのところで多重並列演算用のスパコンとかって扱ってないですか? 磁場から世界の流れを予測処理できるくらいの容量のスパコンです。それで、探ってほしいことがあるんです』
「……ふむ」

 多重並列演算。膨大な量の情報を瞬時に多角的に処理できる演算法。
 そんなとんでもない性能を秘めたコンピュータを、彼は求めているわけだ。
 確かに、彼に与えた機材とは比ぶべきもない性能のコンピュータだ。彼がそれを研究用として欲するのはわかる。提供者として、彼の望みに応えない理由は見当たらない。
 だが。
 隠し事はできないと名言した彼の『隠し事』を、この機会に聞き出してみるのも一興だ。

「当てがないこともありませんが、先方にもある程度の説明をしなくては納得してはくれないでしょう。よければ、そのスパコンを使用する理由を教えてもらえませんか?」
『……あの、ちょっと言いづらいんすけど……』

 そして彼はついに、それを口にした。
 彼がフライングマンにここまでこだわる理由。
 十数年前に訪れた過去での、とある少女との邂逅と約束。
 彼はついに、それを口にした。

「――――ッ」
『……仙堂さん?』 

 その時の私の顔は、おそらくここ数年、誰も見たことのない表情だっただろう。
 この世界で成り上がるためには、表情でさえ計算し尽さねばならない。相手に自分の心を読まれることなど、もっての他だ。
 しかし、抑えることは出来なかった。

 歴史の狭間から、ある少女を救うこと。

 彼が口にしたその理由は、私がかつてイオにされたことと、まったく同じだったからだ。
 かつての私なら、喜んで後押ししただろう。自分の意志など関係なく、広大な孤独の海にさまよう運命となったその少女にかつての自分を重ね、同情の念を禁じ得なかっただろう。
 しかし。
 ……しかし、もう遅い。遅すぎる。
 私とあなたが出会うのは、遅すぎた。――日高、ナツ。

「……日高さん。あなたはその道を選んだのですね」
『その道……?』
「あなたが羨ましいですよ、日高さん。あなたは、迷うことなどなかったのでしょう。自分の選んだ道を少しも疑うことなく、まっすぐに進んでこられたのでしょうね。……私は、悩んでばかりでした。本当にこの道でいいのかと、本当にこのままでいいのかと、何度も何度も自分に問いかけました」
『え、……え、え?』
「そうして、私は決めたのですよ。ある罪を犯したその瞬間から、私はもう何者にも染まらないと誓ったのです。私が常日頃『白』をまとっているのは、そのためですよ。『染まることのない白』。あなたならご存知でしょう?」
『……何を、言ってんすか、仙堂さん?』
「わかりませんか? ではお教えしましょう。私とあなたの目指すものは、まったくの正反対だったのですよ」

 今この場でこの言葉を発する利点など、何もない。
 それでも私は彼に告げなければならない。そうすることで、私はさらに闇に浸る。
 彼の役割は終わった。パズルは、もう完成手前だ。
 《if》――imitative flyingman――《フライングマンを模した者》。
 それはもうすぐ完成する。
 日高ナツ、あなたのもたらした最後の情報によって。

「あなたの目的は、フライングマンをこの世界に呼び戻すこと。……しかし、それだけは困るのです。あってはならないことです。なぜなら――、」

 出会った時期が違ったなら。
 出会った立場が違ったなら。
 私はあなたと親友になれたのかもしれない。
 しかし、それはもう叶わない。
 とても残念なことに。

「――この世界に存在する殺す価値もない人間を、絶対孤独の海に放り込む。それが私の野望だからですよ、日高さん」

 そう告げた瞬間、日高ナツは回線を閉じた。
 それが決別の証。
 道を違った私たちの、最後の交差だった。



  ◆ ◆ ◆
 







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