29. 歌劇場の魔物に出会いました(本編)
送り火の魔物の捜索にあたり、以前の潜伏先のリストを確認したネアが、一行目から眉を顰めた項目がある。
地下墓地だ。
一般的な墓地だけでなく、ウィームには旧時代の地下墓地群がある。
別名で死者の街と呼ばれており、死者の日を有する季節には大変賑やかになるのだそうだ。
冬季は活動時期ではないので、きっと静かに遺骨のままでいてくれるだろう。
「今日は午後からなので、地下墓地は見送りましょう。歌劇場の屋根裏と地下通路を見て、転移すれば帰りにシュタルトにある湖の傍のお屋敷まで回れるでしょうか」
シュタルトは、湖水地方にある湖岸の小さな町であるらしい。
通常であれば小旅行コースだが、魔物には便利な転移がある。
余談だが、ウィームはとても広い領地だ。
かつて小国であったことを考えれば、推して知るべしなのだが、徐々に不安になってきた。
(リストの項目は少ないけれど、良く考えたら位置関係おかしいし……)
ほんのりやるせなくなったところで、ディノが重要なことを教えてくれた。
「シュタルトの探索をするのなら、本格的な雪が降らない前がいいね」
「やはり行き難くなってしまいますか?」
「その一覧にある建物は、今は資料館になって、誰も住んでいないのだよね。雪で、窓や扉が閉ざされてしまうと思うよ」
「………その場合、どうやって中に入るんでしょう?」
「転移の排除をしている筈だから、掘り出すか、煙突か、屋根裏部屋の窓を壊すかな」
「ディノは、そのお屋敷を知っているのですか?」
方策が具体的だったので、見たことがあるのだろうか。
そう思い尋ねると、本日もネアとお揃いの髪色に擬態した魔物は一つ頷いた。
「昔の宰相家の別荘だから、一度行ったことがある。質実剛健を好んであまり派手好みではなかったけれど、ネアが好きそうなお屋敷だったよ」
「………相当に広いお屋敷に違いないと認識しました」
まずは直近の捜索場所へ向かったネア達は、ウィーム中央の歌劇場を訪れた。
現在休演中であった為、オーナーが快く館内の捜索を許可してくれたので、エーダリア発行の証明書はあらゆるところで万能なのだろうと思っていたが、支配人の視線が真っ直ぐにディノを見ていたので、お仕事用の擬態をしていても、以前観劇に来た白い魔物だと一目瞭然であったらしい。
「このような時期は繁忙期の筈なのですが、休演の日があるのですね」
「祝祭の季節の土曜は必ず休みなんだよ。歌劇場の魔物が、歌姫を殺してしまうからね」
「それはまた、凄惨な理由ですね。何か曰くがあるのですか?」
「百年くらい前の歌姫が、偶然に歌乞いになってしまってね。魔物との関わり方を間違えたまま舞台に出て、契約した魔物に殺されてしまったんだ」
「………身につまされるお話ですね。その魔物さんはどうなったのでしょう?」
「まだあの歌劇場に住んでいるよ。それ以降、同じ日に公演があると、怒った魔物が歌姫を殺してしまうので、かつての歌姫が殺された祝祭前の土曜日は休演なんだ」
「壮健でした……。そして、営業する側としてみれば、かなり迷惑な話なのでは……」
これだけ立派な歌劇場の一晩の公演であれば、収益は如何程だろう。
それも一番街が賑わう祝祭前の土曜日など、正直もっと別の季節を選んで欲しかったに違いない。
「ここはあの魔物にとって、想い出の地だからね。劇場への不利益は排除するし、公演の質が落ちると指導に下りてくる。案外上手く共存しているんじゃないかな」
「まぁ。そのような関係を築かれているのですね……」
赤い絨毯の大階段から、三階のボックス席が並ぶ通路の、反対側にある階段を上る。
高位の魔物や、様々な種族の王侯貴族による通年買い切りの大事な席もあるフロアだが、全ての個室は鍵で管理されているので、劇場側も気にせず中を歩かせてくれた。
四階へは、通常時は壁としか思えない部分の奥にある隠し階段を登ってゆく仕組みで、薄暗い四階には、観劇席に相当するものも設置されているが、劇場関係者や音楽院の生徒のお勉強席など、裏方で運用されている区画であるらしい。
丁寧に掃除されており、埃っぽいというようなこともなかった。
そして、屋根裏には、更にそこから細い階段を上がる。
「探し人かね?」
「っ!!」
階段を上がろうとしたネアは、その上からひょいと覗き込まれて思わず息を止めてしまう。
繊細なご婦人であれば失神してもおかしくない登場の仕方だ。
無言で慄き、心臓に手を当てたネアに、隣のディノが心配そうな眼差しを向ける。
「……はい。送り火の魔物さんを探しているのですが、こちらにいらっしゃるでしょうか?」
ネアが話しかけたのは、歌劇場の天井裏から、ほとんど逆さまになってこちらを見下ろしている銀髪の老紳士だ。
階段の通用口からその姿でこちらを見下ろしているので、若干向ける視線の先が定まらない。
「これはこれは、陛下」
そして、そんな老紳士は、ネアの隣のディノに気付くと、逆さまのまま優雅に臣下の礼をとった。
髪も着衣も逆さまなのに乱れていないので、何某かの魔術が働いているのだろうか。
「そう呼ぶのはお前くらいだね」
陛下と呼ばれたディノは、慌てるでもなく取り澄ますでもなく、静かに微笑んだだけだ。
青灰色の髪に擬態してはいても、その微笑みそのものが隔絶された色合いなのは隠しようもない。
美しいということは一種の拒絶なのだと、そんなことを教えてくれる美貌であった。
「我らが王を陛下と呼ばずして、誰を陛下と呼びましょう。我々とて司るものの王でありながら、やはりあなた様は、我らの万象の王であらせられる。先日の舞台は如何でしたか?今回の演目は中々に素晴らしいでしょう」
「ネアが気に入ったようだから、また来るだろう」
「では、薔薇のロージェはいつでもお空けしましょう。……それと、歌乞いのお嬢さん、送り火は冬になってからこちらには来ていないよ。昨年の捕り物で開演が遅れたのでね、厳しく叱ったから今年はわきまえたのだろう」
「教えていただいて、有難うございました。それと、お騒がせしてしまって申し訳ありません」
「お嬢さんは、ちっとも騒がしくなどしていなかったがね」
「でも、今日はあなたの為の日なのでしょう?」
ネアの言葉に、老紳士はふっと目を和ませた。
淡い水色の瞳に、綻ぶように艶やかな追憶の感情が揺れる。
「ああ。そうだ。今宵は、私とカテリーナの夜だ」
彼はとても幸せそうに笑ったので、ネアはひどく不思議な気持ちになった。
誰かをその手で殺しても、そこに殺すことを到達点とした目的があればいい。
或いは、不本意に殺してしまったことで悔やむこともあるだろう。
しかし、その種の感情はいっさい彼には伺えなかった。
「あの方は不思議ですね。歌姫さんがもう死んでしまったことを理解しているのに、それでも尚、彼女との世界に生きていらっしゃる」
狂気ではなく、ただ自然に息をするように、そこには自分の手で殺した筈の愛も息づいている。
その安らかさが、とても不思議なものに思えてしまうのは、ネアが人間だからだろうか。
「復活祭の月や、収穫祭などの死者の日には普通に居るからね」
「………そうでした。魔物さんに殺された人間は亡霊になってしまうんでしたね」
魔物に殺された人間は、例外なく亡霊になる。
通常の輪廻の輪に戻るまで猶予を必要とする亡霊達は、魔物に殺されたという魂のひびを修復するまでの百年あまりの期間、“あわい”と呼ばれる特別な死者の国で暮らしているそうだ。
そんな亡霊達がこちら側に這い出してくるのが、復活祭や収穫祭などの特殊な祝祭の期間である。
死者の日と呼ばれるそれらの日に至っては、ほとんど生者と変わらぬ質感でうろうろするので、大変に紛らわしいのだとか。
(そうか、年に数回は会えてると思えばそれでいいのか)
だがしかし、そうなるとそろそろ別離の時間も近いのではないかと、また新たな心配が出てきてしまった。
下手をしたら今年にでも、カテリーナ嬢は、魂のひびを修復して転生していってしまうだろう。
「それに、アレッシオは、近々その歌姫を従属の使い魔にする予定だから、最近はご機嫌なんだ」
「……聞かなければ良かった」
そこにカテリーナ嬢の意志があればいいと、ネアは切に願った。
歌劇場を出ると、やんわりとした霧が出始めていた。
この様子であれば、郊外の湖の方は深い霧に包まれているかもしれない。
山と森と湖に囲まれたウィームだが、ネアは湖岸域に足を運ぶのは初めてだ。
シュタルトの、湖岸に沿う町並みはウィームの真珠と言われており、風光明媚な別荘地になっている。
透明度が高い湖と、塩の採掘地としても知られ、岩塩坑は地下街のように入り組んでいるそうだ。
そこまでを思い出し、ネアは渋面になった。
(岩塩坑があるなら、そこに潜伏している可能性もありそう)
「シュタルトの捜索は、残り時間では無理そうですね」
一概に元宰相の別荘だけの捜索で済むとは思えなくなってきた。
と言うか、日帰りで出来るものなのだろうか。
ウィームの真珠を堪能し、かつ湖岸の街で有名な美味しい魚料理をいただき、更に言えば地下にあるという岩塩坑はさっさと捜索を済ませたい。
レース産業も有名だと聞いている。是非に見てみたい。
そんなほんの少しの私用も混ぜると、到底一日で終わるとは思えなくなってきた。
「ディノ。明日は、お泊り遠征にしませんか?」
そう宣言すれば、初めてのお泊りとなった魔物はとても喜んだ。